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ちょっと、お話は変わる 突然25年ほど前のことを思い出したので そのことを書く 直接「創価学会」とは関係がないから 「創価学会を考える」というタイトルのブログには、ふさわしくないことを 先に、お断りした上で それでも 宗教団体と、暴力団が結びつく という 所謂「噂」の真実性について ああ、自分の体験もあったじゃん! と 思い出したので書くのである。 その宗教団体とは統一教会であったが、 こんな事件があった。 ************************************* http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%AF%E5%B3%B6%E5%98%89%E5%92%8C 副島 嘉和(そえじま よしかず)は、元「統一教会」(統一協会)信者。 元「世界日報」編集局長兼、元統一教会広報局長。 1970年10月21日の777組合同結婚式に参加。 統一教会において、初めて公に内部告発した人物。教団の重要会議にも参加していた人物による告発は内外に波紋を呼んだ。 副島手記 [編集] 世界日報は統一教会の理念の下に設立され、運営されている新聞だが、副島は編集局長として教団色を押さえ、一般紙という方向を目指していた。 そのことが教祖である文鮮明や教団にとっては乗っ取りと見られたようである。 1983年10月1日、このような新聞報道の路線の対立から「国際勝共連合」理事長梶栗玄太郎ら約百人が世界日報社を占拠し社員を監禁、暴行した。記者達が殴られ、多数の負傷者が出た。警官80人が出動した。 同年10月5日に副島は辞任に追い込まれ、10月7日には「統一教会(統一協会)」を除名される。 この事件で追放された元編集局長副島嘉和と営業局長井上博明は連名で『文藝春秋』 1984年7月号に「これが『統一教会』の秘部だ―世界日報事件で『追放』された側の告発」という手記を発表。 統一教会の思想が韓国中心主義である事、霊感商法のマニュアルや資金の流れなどを暴露した。中でも統一教会会長が、天皇の身代わりで、世界の大国諸国の元首“代理”と共に文鮮明に拝礼する秘密儀式があるという内容に、勝共連合を反共の同志と考えていた民族派や右翼が激怒し反発した。 副島は「ここまで書くということは、私たちの青春を全否定する決断と身の危険を覚悟した上でのことである」と手記の中で書いている。 副島襲撃事件 [編集] 上述の告発手記を載せた『文藝春秋』 の発売直前の1984年6月2日、副島が帰宅途中の路上で暴漢に全身をメッタ刺しにされた。 (1984年 副島は自ら発行する8月1日付けの「インフォメーション」で、犯人は「勝共連合の空手使い」だと思うと書いた。) 一時は、重態に陥ったが三度の手術が成功し、二日後に意識が戻った。 この事件を「読売」「朝日」「毎日」の各紙が報じたが、「世界日報」は記者が病院に駆けつけたもののこの事件について一切報道しなかった。結局、犯人を特定できないまま、1991年6月2日 この傷害事件は時効を迎えた。 ************************************* 私は、別に、統一教会とは一切関わりはないが、 この副島さんの家を訪れなくてはいけない用事があって、 事件当日、事件のことを知らずに、家を訪ねたのだった。 (と、ここまで書いて、所謂ネットで出回る噂が、 あいまいな情報が多くて、噂のごとく扱われるかが 痛切にわかる。 だって、ここで、私が、なぜ副島さんの家を訪れなくてはいけなかったかを書けば、 私という人物が特定される可能性があるから、 怖くて書けないよ、実際。 つまり、当事者が詳しく書けないのは、あたりまえなのだ。) で 副島さんの奥さんに 「突然、主人が日本刀で刺されて、今、取り込んでいる。 後日、こちらから連絡するから、 そのときにしてくれ」 と 追い返されたのである。 後日連絡があったのは、 家族が襲撃を恐れて 潜伏した先からであった。 いや、それだけのことだが、 実際、こういう事件に、関わった人が うやむやに書かざる得ない事情が 突然思い出したこの事件で ゾッとするほど、理解できる。 実際こうして書いていても どこまで書いていいのか、怖いもの 人との対話というのは 冷静に行わなければいけないものだと, 自分に言い聞かせるが 「可能性として否定できないが証拠はないじゃないか」
「裁判の判断はこうです」 「犯人は特定できていない」 みたいな、言葉遊びは こういう体験ひとつで、吹っ飛んでしまうほど あるものである としか言いようがなくなるものでもあるのだ。 |

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