tomopfcのヨーロッパ旅行記

さすがに疲れてきた・・・ヽ(*´з`*)ノ

DE:ベルリン

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ペルガモン博物館

ベルリンの世界遺産、ムゼウムスインゼル(博物館島)…
シュプレー川の中洲に、5つの博物館、美術館が集まっていることからこの名で呼ばれています

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その中で最も有名なのが、1930年に建築されたペルガモン博物館です
巨大な遺跡をそのまま展示した館内は、ただ圧倒されるばかりです

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ゼウスの大祭壇(紀元前180〜160年頃)です

古代ギリシャのペルガモン(現在のトルコのベルガマ)で発掘されました
全長100m以上の彫刻には、ギリシャ神話の神々と巨人族の戦いが表されています

ゼウスの大祭壇
        

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ミレトスの市場門です

エーゲ海の古代都市ミレトスにあったものです

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イシュタール門(紀元前560年頃)です

古代バビロニアの古都バビロンの街の北門です
青を基調としたレンガの壁面には、創造上の動物などが描かれています

イシュタール門
        

僕が訪れたのは、冬の木曜日の閉館4時間前の無料入場の時で、
館内は暗いし、フラッシュ撮影も禁止なので、うまく撮れませんでした…(@_@;)

ペルガモン博物館 ★★★
ムゼウムスインゼル(博物館島) ★★★
ペルガモン博物館 8ユーロ・撮影可 (2005年11月)
【世界遺産】 ベルリンのムゼウムスインゼル(博物館島)
ベルリンの世界遺産、ムゼウムスインゼル(博物館島)です

シュプレー川の中洲に、5つの博物館、美術館が集まっていることからこの名で呼ばれています

もともとは住宅地でもあった島に、1830年に旧博物館が建てられました
その後、フリードリヒ・ヴィルヘルム4世が一帯を「芸術と科学」に関する地域と定め、
1859年に新博物館、1876年に旧ナショナルギャラリー、1904年にボーデ博物館
そして、1930年に、巨大な遺跡をそのまま展示したペルガモン博物館が造られました

現在、ムゼウムスインゼル(博物館島)では5館の統合が進められ、完成すると、
パリのルーヴル美術館やイギリスの大英博物館などと肩を並べるほどの大博物館になると言われています

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島の北端に位置し、バロック様式のドームが印象的なボーデ博物館には、
中世ヨーロッパ彫刻、ビザンチン美術、コインコレクションなどが充実しています

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ギリシャの神殿のような外観が特徴的な旧ナショナルギャラリーには、
ドイツロマン主義やフランス印象派の絵画、19世紀の西洋美術品が充実しています

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建築家シンケルの代表作でもある、5館の中で最も古い旧博物館には、
古代ギリシャ、古代ローマのコレクションが充実しています

ムゼウムスインゼル(博物館島) ★★★
旧博物館 ★★
新博物館 ★
旧ナショナルギャラリー ★★
ボーデ博物館 ★
ペルガモン博物館 ★★★
【世界遺産】 ベルリンのムゼウムスインゼル(博物館島)

テロのトポグラフィー

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1989年11月10日未明…
ベルリンの壁は崩壊しました…

1989年11月9日…
東ドイツ政府が東ドイツ市民に対して、旅行許可に関する出国規制緩和を発表しました
しかし、これはドイツ社会主義統一党政治局員ギュンター・シャボウスキーの誤発表で、
当初の予定は、11月10日の朝に正式に報道に発表する予定でした…

この発表をテレビで見ていた市民は、ベルリンの壁の周辺に集まりだし、
国境ゲート付近でゲートを越えようと、国境警備隊との間でいざこざが起き始めました

もともとこの政令はビザの発給を大幅に緩和するもので、あくまで越境には正規のビザが必要でしたが、
マスコミによって「旅行が自由化される」の部分だけが強調されたことが混乱に拍車を掛けていて、
事実、この時に壁に殺到した市民の多くは正規のビザを持っていませんでした

集まった市民は数万人に膨れ上がり、
それに対応が出来ない国境警備隊は、ついに検問所のゲートを開くこととなります…

1989年11月9日、ベルリンの壁はその意味を失いました…
その数時間後の11月10日の未明になると、市民により壁が壊され始めました…

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1961年からベルリンの街を東西に分断していたベルリンの壁は、
その全長は155km、最高で4m以上もの高さがありました

その一部は、米ソ冷戦の象徴的遺跡として、今でも街の中に保存されています

テロのトポグラフィーは、ナチス時代にゲシュタポ(秘密警察)、SS(親衛隊)本部があった場所で、
ナチスの時代をパネルで展示してあり、また、この展示に沿ってベルリンの壁が残されています

テロのトポグラフィー
        

テロのトポグラフィー ★
テロのトポグラフィー 無料・撮影可 (2005年11月)

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ドイツ連邦議会議事堂

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ドイツの国会議事堂、ドイツ連邦議会議事堂です

1871年にドイツ帝国が誕生して以来、国会は既存の建物を転々として行われていましたが、
新しい国会議事堂の必要性から、1884年から10年の歳月をかけて1894年に完成しました

しかし、1933年の大火災で炎上し、また第二次世界大戦中には、
大空襲とベルリン攻防戦の際に徹底的に破壊されました

第二次世界大戦後は、東西ドイツに分断されたため、
旧西ドイツの首都ボンに、ドイツ連邦議会議場が建設され、
ベルリンの旧国会議事堂は廃墟のままで、再建されることもありませんでした
その後、部分修復はされたものの、ドイツの歴史を展示した建物として利用されていました

1889年のベルリンの壁崩壊、1990年のドイツ再統一の後、首都をベルリンに戻すことが決まり、
再びこの旧国会議事堂を連邦議会の新たな議事堂として利用することが決まり、
1999年に今の姿に修復されました

屋上
        

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修復の設計を担当したのは、イギリス人建築家ノーマン・フォスターです

屋上のガラスのドームは、シンボル的かつ斬新なデザインであるとともに、
その機能性も大変優れています

ドームのガラスは、太陽の動きに合わせて常に角度を変え、
直射日光が議場に入るのを防ぎ、かつ議場を常に明るく照らすようにプログラミングされています

また、ドーム内では自然換気も行われ、まさに環境に配慮した設計になっています

ガラスのドーム
        

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ガラスのドームにはスロープがめぐらされ、真下には議場が見られるようになっています

ドーム内の見学者にもいつでも会議を見せることで、開かれた議会政治をアピールしています

環境への配慮と市民に開放された政治…
ドイツ連邦議会議事堂は、まさに今のドイツを象徴した建物です

ドイツ連邦議会議事堂 ★★★
ドイツ連邦議会議事堂 無料・撮影可 (2005年11月)

ブランデンブルク門

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ベルリンの象徴とも言われるブランデンブルク門です

高さは26m、幅は65mもあります

フリードリヒ・ヴィルヘルム2世の命により、
1788年〜1791年にプロイセン王国の凱旋門として建てられました
アテネのアクロポリスにあるプロピュライアの門を手本としていて、
ドイツ古典主義建築の傑作と言われています

ここから東に向かうとウンター・デン・リンデンを経て王宮へとつながっていて、
まさにベルリンの正門とも言うべき存在でした

しかし、完成直後の1806年にプロイセンを破ったナポレオンにより、
門の上のカドリガ(四頭立ての馬車)と勝利の女神ヴィクトリアの像を、戦利品として持ち去られてしまいます
その後の戦いでナポレオンを破りパリを占領し、1814年に取り戻しました

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ブランデンブルク門から西、ティーアガルテンの中央部に建つ戦勝記念塔ジーゲスゾイレです

1864年のデンマーク戦争の勝利を記念して建設が始められ、1872年に完成しました
また、建設の間に1866年の普墺戦争、1870年〜1871年の普仏戦争にも勝利しています

高さ67mもある塔の上には、金色の勝利の女神ヴィクトリアが聳え立ち、
285段の螺旋階段を上ると、頂上の展望台にたどり着けます

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ブランデンブルク門は、第二次世界大戦後の東西分裂時代は東ベルリンに属し、
門の前にはベルリンの壁が建設され、門をくぐることは出来ませんでした

1989年のベルリンの壁の崩壊により、再び人々は門をくぐることが出来るようになり、
今では、統一ドイツの象徴的存在になっています

ブランデンブルク門 ★★★
戦勝記念塔ジーゲスゾイレ ★

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