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書庫母−老親介護など

同居している母。
まだ、介護といえるほどの状態ではないかもしれない。

時に水が溜まり歩けなくなる膝、上に上がらない腕、うまく物を持てない指、重い物を持つと痛くなる肩。
そして、日々進行していく「呆け」。
老いは確実に母の中で進行していく。

子供のころからの母との確執も含め、私の「アキレス腱」とも言うべき
母との関係を綴っています。
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ものすごく久しぶりの投稿。
書いておきたい私にとって大きな意味のあることがあったので。

息子と話していたときのこと。
昔話をする中で、息子が子どものころ、私と母(息子のお祖母ちゃん)がよく喧嘩していて困った、ということを言った。
確かに私と母は怒鳴りあうような喧嘩をしばしばしていた。
母がまだ認知症になる前。
母が近づいてくると猫が逆毛をたてるような気持ちになっていたころのこと。

そして、いつもその喧嘩の後に母(お祖母ちゃん)から、いかに私(お母さん)が酷いか、息子は聞かされていたという。
これは初耳だった。

それを聞き、それでも息子は私(お母さん)が悪いとは思わなかった、と。
なぜなら、お母さんは自分にお祖母ちゃんの悪口を言わなかったから、と。
それが、お母さんの正しさを示している気がした、と。

その時その時の母との喧嘩で、いつも自分が正しかったと思っているわけではない。
子どもは、母親のことを無条件に「贔屓」するということも分かっている。

それでも、この息子の言葉に私は救われた気がした。
分かってくれていたんだ、と。

かつて、父も兄も、常に「被害者」となる母の言葉をそのまま受け取り、一緒になって私を責めた。
何か、私は家族の中で、極悪非道な親不孝者として扱われていたが、今振り返ると一体私が何をしたのだろう、と思う。

確かに私は無口で愛想がなかった。
(でも、それの何が悪いのだろう?そして、私は家族に積極的に、また受容的に話を聞いてもらったことが一度もないのだ)

確かに私は家事の手伝いをしなかった。
(それは今考えると酷いと思う。でも、商売もやっているのに、あんなにピカピカに毎日掃除をする必要があったのだろうか?何より、兄が家事を手伝っていたら、私は喜んで手伝っていただろう)

確かに私には反抗期があった。
(でも、そんなの普通じゃないか?しかも、例えば煙草を吸うとか、そんなことすらやっていないし、誰かとトラブったり、不登校になったり、停学になったりとかしたわけでもない)

確かに私は兄より学費がかかる私大にいった。
(でも、浪人もせず、そこそこの大学に受かり、自宅から片道2時間かけて通い、普通に卒業したのだから、ちくちく嫌味を言われるようなことではないのではないだろうか)

子どもを「加害者」にし、自分が「被害者」になる親は、子どもを棄損する。
子どもは、自分を罪悪感の炎で焼いてしまう。
周りにはとても分かりにくく、多分母はほとんどの人に「いい人」と思われていたであろうが。
(実際、母は私以外の人間には「いい人」だった)

そのことを誰にも理解されない孤独の中にずっと私はいたし、理解される日がくるとも考えていなかったが、思いもかけず理解してくれる人が現れた。
しかも、家族の中に。
誰よりも母に可愛がられた息子が。

本当に救われた気がしたんだよ。
ずっと胸にくすぶっていた業が成仏したような。
人生は、本当に想像もしなかったことが起こる。
明日は明日の風が吹く。
(いまだ吹きすぎなきらいがあるだけど)

娘の誕生日の翌日に

6月9日は、娘の17歳の誕生日だった。
息子と2人で、娘の暮らす施設に迎えに行き、地元に戻って、母をグループホームから連れ出した。
近所にある花の美しい公園に4人で行った。
車から降り、50メートルくらい歩いたところで、車いすに乗る人を見て、そうだ、母を車いすに乗せて回れば良いんだ、と思いついた。
息子に母と娘を託し、公園の事務所に行って車いすを借りた。
数分後に戻ると、息子が「おばあちゃん、もう疲れた、歩けないって」と言う。
車いすを見た母が「ああ、これに乗せてくれるの?良かった」と嬉しそうに車いすに座った。
この日、この公園では、バラ、菖蒲、紫陽花が咲き誇っていた。
お天気も良くてとても美しい日だった。
盛りを少し過ぎたバラを見て、母は、「綺麗ねぇ」「綺麗ねぇ」としきりに言っていた。
グループホームに戻ってから、母の部屋でしばらく時を過ごした。
母は、楽しげにたくさん喋った。
娘を施設に送って行った帰り、息子と、「今日はすごく良かったね。すべてがうまくいった。車いすって何で今まで思いつかなかったんだろう。車いすって幾らくらいするのかな?介護保険のサービス何かないかな」などと話していた。

次の日、母が急逝した。
朝ごはんも昼ごはんもおやつも普通に食べ、カラオケも歌ったという。
部屋に戻った後、気づいたらベッドの上で亡くなっていたという。

昨日、無理させてしまったのかなぁ。
電車の中で一報を聞いて最初に思ったのがそのことだった。


今日、母は骨になった。
夕べ、一晩母のそばについていたのは、私の息子だった。
息子は、2時間くらい寝て、そのまま車を運転して、娘(妹)を告別式に出席させるために施設から連れて来てくれた。

母、私、息子、娘、の4人で暮らした日々。
娘を、そして母を施設に入れてしまった私。
月1回、4人で過ごした時間。
その陰影は、息子と私しか分からないから。

母の祭壇は花で埋め尽くした。
棺に花を入れるとき、「ありがとう、ありがとう、ありがとう」、その言葉しか出なかった。
パステルカラーのお花に埋もれて、母はなんだか天国にいるみたいに綺麗だった。

母が私にしてくれたこと。
あまりに大きすぎて、途方に暮れる。
私は全然良い娘じゃなかった。
心配ばかり掛けた。
いつも棘のある言葉を投げつけていた。

それでも。
最後、アルツハイマーになった母は、なぜかいつも楽しげで、心配や悲観から解放されていた。
そんな母に対して、私の数十年来の心の氷は溶けて行った。

ママ、ありがとう。
本当にありがとう。
あなたの娘に生れて、良かった。
ありがとう。
今はゆっくり休んで下さい。





あああ、またこんな時間。
またお昼過ぎまで寝ちゃうかな。
雨戸開けるのが気まずい…。
真っ当に暮らしてるご近所さんに、こんな時間まで自堕落に寝てましたって告げてるみたいで。
昔はこんなこと気にしなかったのだけれど。

今日は母のところ(グループホーム)に面会に言ってきた。
結婚した人がいるからお祝いのお金を包んでもって来てくれ、という電話がさんざんかかって来ていたのだ。
分かったと言いつつ、勿論、祝い金など用意せず、母に会いに行った。
スタッフの若い女性が、「私が今度結婚することで、色々おしゃってくれてるんですが、気にしないで下さいね、」と耳打ちしてくれた。
「あげてくれた?」と母に聞かれたので、「あげたよ」と嘘をつく。
認知症は、短期記憶、最近の記憶ほうが忘れてしまうはずなのに、その人が結婚するということは覚えていて、お祝いをあげなくちゃいけないっていうことまで頭が回る。
「もう随分昔からうちで働いてくれているでしょ、なのにまだ結婚していなかったのね、ずっと前には一緒に寝てあげたのよ、まだ子どもだったのかしら」という。
でも、過去の記憶を取り違えている。
「あっちの部屋の人が私の洋服を持って行ってしまうの、一言貰って行っていいですか、とか言うならまだしも、何も言わないで持っていっちゃうのよ、ひどいでしょう、やっぱり田舎の人だからかしら。」
きっとあるはずだと思う洋服が見つからなくて、それを合理化するために、こういうストーリーを作るのだろう。
私はただ、そうだね、そうだね、と聞く。
不思議なのは、私が再婚したということは覚えていて、「まだ千葉に行かないのか」と聞いてくることだ。
息子の大学(辞めてしまったけれど)の名前も覚えている。
記憶って不思議。

さて、寝るといたします。
おやすみなさい。
ありがとう。

昨日は、母を整形外科に連れて行った。
元々息子と一緒にグループホームに面会に行こうと思っていたのだが、グループホームに電話したら、数日前から腰や膝やらの痛みを訴えていて、今日は、一応歩くことは出来るのだがベッドから起き上がったり着替えたりを自力で出来ないという。
取り敢えずグループホームに行き、母の様子を見て、そのまま息子と二人で整形外科に連れて行った。
(母の入所しているグループホームでは、普段は病院の付き添いもやってくれている。)

車に乗せるのも、息子と二人で大騒動。
ヘルパーの資格でも取っておけば良かったなどと思う。
病院で、靴を脱がせるのも、椅子に座らせたり立ち上がらせたり、さらにはレントゲンを撮るのに色々なポーズをさせるのも、大変だ。
息子と一緒で良かった。
診察の結果は、骨折などの異常はないが骨粗鬆症の影響で骨格の歪みが酷いとのこと。
また、膝に水が溜ってるとのことで、水を抜いてもらった。
そのせいか、帰りはかなり歩行も安定していた。

家に帰り、息子と二人して夜8時には爆睡。
そんなに大変なことをやったわけではないのに…。
介護職の人は本当に尊敬してしまう。

母とハンバーグランチ

今日は、母と息子と3人でレストランでランチした。
ハンバーグランチを頼む。
一人前\1,480円でサラダ食べ放題、ドリンク飲み放題、デザートもつく。
味も全うで満足。

母は、びっくりするくらい明るくよく喋る。
息子に「お嫁さんはまだなの。
急がずじっくり選んだほうがいいわよ。
顔じゃなくて性格が大事よ。」などと言う。
時々意味不明なこと、妙な思い込み、昔の思い出と今を混同していることなどを喋ることはあるが、認知症の症状は進んでないようだ。
「ここ(グループホーム)はいいわよ、食事の支度も洗濯も掃除もしなくていいし。
のんびりできて。
私の次にここに入ったら?」
と私に勧めてくる。
グループホームに慣れ居心地が良いと言ってくれるのは本当に嬉しい。
一緒に住んでいた時はつい声を荒げて母を叱ってしまうこともあったが、こうやってたまに会うと私も母に優しく出来る。

母は戦争を経験し、自営業でこまねずみのようにクルクル働き、不肖の娘(私のことだ)が離婚したりで心配ばかりかけてきて等々、苦労続きの人生だったと思うが、この3人(母、息子、私)の中で今一番精神的に健康だろう。
恐るべし昭和一桁。

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