ここから本文です

書庫息子が不登校の頃(完

息子は、中学1年生の秋から2年生が終わるまで、学校に行っていませんでした。
不登校時代をどう過ごし、どうやって学校にもどって進学したか、
書いていきたいと思ってます。
記事検索
検索

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 次のページ ]

学校に戻ったのはよいが、では入れる高校があるのか、という大きな問題があった。
神奈川の県立高校の入試では、内申書がかなり重視される。
2年生の3学期の内申書の成績も、合否判定の何割かを占める。
そこが0点である息子は、たとえ入試で良い点を取ったにしても、合格できるかどうか、
全く分からない。
ここなら、ほぼ間違いなく受かるだろうという学校が存在しないのだ。

そこで、私立高校の受験を考え始めた。
情報を集めるうちに、私立高校ならば、あらかじめ高校側からOKが出れば、ほぼ100%
入学できるということが分かった。
ただし、公立高校や他の私立高校を併願せず、その学校のみ受ける場合(単願)に限るが。

問題は、学費が高い、ということだった。
ただ、私立高校と公立高校に2人の子供を通わせている知り合いから、公立高校だと
塾に通わせないと大学受験は難しいが、私立高校は、授業時間も長く、予備校の講師を
呼ぶなどして、フォローがしっかりしていて塾に通わせなくても良いこと、塾代を考える
と結局かかる費用は同じであることを聞いた。
また、低所得者には、私立高校の授業料の減免制度があることも知った。
(現在、授業料の半額が年度末に戻ってきている−静岡県の場合。)
さらに、元夫と話し合い、息子が元夫と一緒に暮らして、そちらの学校に通うのに比べたら、
はるかに安いはずだから、かかる学費の半額を出してもらうようにお願いして、了解を得た。
(ただ、これに関しては、後に元夫が払わないと言い出し、トラブルになった。
 結局、元夫は払わず、奨学金に頼ることとなった。)

10月、「私立高校進学相談会」が開催された。
近隣の私立高校が一堂に介し、相談を受け付けるものだった。
3年の前期の成績表と、塾で受けた模試の結果を持って、息子と参加した。
片っ端から各学校のブースを回り、とにかくまず、2年生のとき不登校であり2年の成績が
ないことを説明して、入学が可能か、聞いて回った。
ほとんどの学校が、はっきりとは言わないが、あきらかにそれは無理だと匂わせた。
だが、幾つかの学校は、可能性があることを示唆してくれた。
ある学校は、副校長が出席していて、息子の模試の結果に興味を示してくれた。
あと2回模試を受けて、それが今の成績を維持できたら、合格を保証すると言ってくれた。

その中で、ある学校の担当者に声を掛けられた。
見ると、遠くてとても通えそうにない学校だった。
話だけでもと言われて席につき、実は、とそこでも不登校のことを話した。
そして、成績表を見せると(多分、ほとんどの学科が5段階の「3」くらいだったと思う)、
不登校だったのに、この成績は素晴らしい、と言ってくれた。
過去は問わない、未来を一緒に考えたい、と言ってくれた。
これが、今息子が通う学校との出会いだった。

この後、多少なりとも入学できる可能性を感じた学校を見学して回った。
ここでも、息子は、今通っている学校に一番魅力を感じたようだ。
遠すぎる、今でさえ欠席や遅刻が多いのに、通うのは到底無理だ、と再三反対したが、息子の
意志は固かった。
中学校を通して、この学校に入学したい旨伝えてもらい、再度、高校の説明会に参加した。
高校側から、単願で受けること、これから先、中学校を欠席しないことが条件として提示された。
息子はその期間、無遅刻無欠席で通し、ついに高校側からOKをもらった。
もちろん、入試は受けないといけないし、あまりにひどい点数だと落とされる可能性はゼロでは
ないので、息子は入試までの日を、勉強に励みつつ、緊張の中で過ごした。

こうして、息子は、高校に無事合格し、今の学校に通うことになった。
ちなみに、これは偶然なのだが、相談会で声をかけてきた担当者が、息子の1年生のときの担任に
なった。
そのことを知ったとき、不思議な縁を感じたものである。

          (完)

昨日、記事を投稿してから、娘が入所した前後のことを鮮明に思い出した。

入所する直前。
私が、母のちょっとした言葉(多分、「一人で暮らすなんて可愛そうねぇ」といった言葉)に、
キレて、今まで堪えていたものが堰を切ったように溢れ出て、泣いてしまったことがある。
息子がその場に居合わせたので、慌てて洗面所に駆け込んだが、声を潜めることも出来ず、
号泣してしまった。
後にも先にも、あんな風に泣く姿を息子に見せてしまったのは、このときだけだった。

入所日は美しい春の日だった。
施設の桜が、今が盛りで、夢のようだった。
あの風景は忘れることが出来ない。
その帰りの車のなかで、私は「もう一生、心の底から幸せだと感じることはないだろうな」と
思っていた。

もうひとつ。
記事を書いてから、思ったことがある。
息子は中学校3年生のとき、頑張っていたんだな。
なんであんなに頑張れたんだろう。
学校も休んだり遅刻したりしてばかりだったし、他の子に比べれば、取り立てて頑張っていたわけ
でもあるまい。
しかし、不登校当初、枕から頭を上げることも出来ず、学校に行くよう促しても、怒鳴り散らして
抵抗したころに比べれば、信じられないような状況だ。

多分、今思えば、不登校当初は、一種のうつ状態だったのだろう。
どんなに頑張ろうとしても、体が動かなかったに違いない。
やはり、ターニングポイントは、仙人(「息子が不登校だったころ(6)−カウンセリング」)との出会い
にあったように思う。
そのときから、私は息子の好きにさせた。
もちろん、たまに怒りをぶつけてしまうこともあったし、将来どうするのか問い詰めてしまうこと
もあったが、基本的には、極力口をつぐんだ。
息子は、昼夜逆転のネット三昧の日々を過ごし、そのうちに、エネルギーを蓄えることができたの
だろう。
早めに、SOSを息子が出したこと、そして、早めに、全面的な休息をとったことが、息子の場合
は効を奏したのだと思う。

以前、書いていた「息子が不登校だったころ」シリーズ、息子が中学校を卒業するまでのことを
書こうと思いつつ、学校に戻ったところで終わらせていました。
私の中でずっと心残りだったので、再開して、最後まで書こうと思います。

息子は、中学校3年生の4月から学校に戻った。
学校に戻ったことは、相当感慨深く、本来ならば、戻った日前後のことは鮮明に覚えているはず
だが、実はよく覚えていないのだ。
それは、娘が施設に入所したのと時期を同じくしていたからだと思う。
娘の入所は、その前の月の3月に突然決まった。
それ以外に方法はないと腹をくくり、いくつか施設を見学して、どこもいっぱいであることに不安
を感じていたのだから、受け入れてくれる施設が見つかったとき、喜ぶべきであっただろうが、
いざ、本当に、娘が手元を離れてしまうと思うと、動揺してしまい、日々心が乱れた。
娘の入所日は、息子の学校が始まる2〜3日前だった。
娘を施設に置き、息子と車で家に帰るとき、私の運転があまりに危なげで、息子が「大丈夫?」と
何回も聞いたことを思い出す。

これは最近息子に聞いたことなのだが、息子が学校にもどることの決断に際して、娘の入所が
大きな影響を与えていたらしい。
妹はこれから一人で施設で暮らす。
自分が学校にもどった時の大変さなんて、それに比べたら小さなことだ。
妹は頑張る。
自分も頑張ろう、と思ったという。

息子の学校での態度は、かなり大胆なものだった。
休みも相変わらず多かったし、昼ころ「どうも〜」と学校に行き、給食だけ食べて帰ってきたり
することもしょっちゅうだった。
1年生のころ、ちょっとでも遅刻になると、人目を気にして教室に入れず、休んでしまうような
ナイーブな生徒だったのが嘘のようだ。

部活も、回りの反対を押し切って、バレー部に再び入部した。
後輩の2年生より下手で、もちろんレギュラーにもなれるわけもなかったが、それでも最後まで
やり通した。

夏休みになり、塾に行き始めた。
1年半分も授業が抜けているので、1学期中は、ほとんど授業は分からなかったようだ。
一斉授業をやるような塾では、ついていけないので、自分のペースでできるいわゆる個別指導塾に
(生徒2〜3人に先生が一人つく)ほぼ毎日通った。
2学期が始まることには、なんとか授業についていけるようになったようだ。
2学期からも、週3回ほど、その塾に通い続けた。

また、夏休みにやった自由研究(地球温暖化の研究)は佳作に選ばれ、市民会館に展示された。
ネットで入手した膨大なデータを自分でExcelで加工し、グラフにした。
相当な手間と時間がかかった。
2年生の成績がないという不利な条件をなんとか挽回して、内申書を少しでも良くしようという
意欲のあらわれだったと思う。

本当に久しぶりになってしまいました。
息子、不登校時代の続きです。

先日、ある方のブログを読んでいたとき、息子が不登校のころから中3のころまで、
私に対してひどく反抗的だったことを思い出した。
私が他意もなく言ったことに対して、いちいち突っかかってくる。
全く理不尽なことを、当然のように主張する。
指導教室の先生に「息子、反抗期みたいなんですけれど、いつまで続くんでしょう〜」
と弱音を吐いたこともある。
そのころ、読んだ本に「思春期の子供は、ホルモンの影響などで、みな気が狂ってます。
そのうち正気にもどるので安心してください。」といったようなことが書いてあり、
爆笑しつつ、納得した。
(今、その本が手元になく、正確な表現が分からないのだが−もう少し適切な表現だった
気も…−思春期の子育てについて相談を受けている医師か何かが書いた翻訳本だったと
思う。)
それからは、息子の言葉にイラっと来るたび、その言葉を念仏を唱えるように自分に言い
聞かせた。
もともと私自身が親に反抗的だったせいもあり、思春期の子は反抗的で当たり前という考え
はあったが、いざ自分のこととなると、そう達観もしていられない。
でも、この念仏のおかげでイライラは相当解消された。

お父さんのところに行く−そう言って実際動き始めた息子だったが、ぎりぎりになって、
元の中学校に戻ることを決意した。
それを、聞いたとき、私はあっけに取られた。
東京に行って中学に行くことは、あるかもしれない。
こちらに残って高校に進学することも、あるかもしれない。
でも、こちらの中学に戻る選択肢は息子の中にないと思っていた。

なぜ、元の学校に戻ろうと思ったのか?
後になって息子に聞いた。
このまま、東京に行ってしまったら、逃げてしまったことになり、永遠に昔の友達に
会えなくなってしまうと思ったから、らしい。
息子は、中学になってからの友達はもちろん、小学校のころからの友達とも、不登校に
なってから会おうとしなかった。
懲りずに電話してきてくれる友達もいたが、息子は友達から逃げるように隠れるように、
暮らしていた。

息子の小学校は(娘にとってもそうであったように)、奇跡のように素晴らしい学校
だった。
別に特別なことをやっているわけでも、特別な先生がいるわけでもない。
でも、とにかく子供たちが、素直で素朴で素晴らしいのだ。
(なぜなのかは、結局分からず仕舞いだったが。)
だから、息子も小学校時代は、のびのびと楽しく過ごしていた。
学校のすぐそばで、なんのお構いもしないが、とやかく言わない親(つまり私、だ)
がいるせいか、当時、我が家は息子の友達のたまり場だった。
息子と同じ学年の男の子で我が家に来たことのない子は、多分一人もいない。
(といっても男子全部で25人程度だったが…)
息子にとって当時の友達はかけがえのないものであり、多分、彼らと自ら会いづらくして
しまったままでいていいのか、自分に問うたに違いない。

それと、バレーボール部を途中で辞めてしまい、みんなに迷惑をかけてしまったことも
気にかかっていたようだ。
このまま逃げ出したら、一生後悔する。
そう思ったという。
(私にしてみたら、まさかもう一度バレーボール部に戻るのか、また体力が続かず
結局行けなくなってしまうではないか、とめまいのする思いだったが。)

学校に行かなかった1年半、息子は何もしていなかったようで、何かを得ていた
のであり、何も考えていないようでいろいろ考えていたのだ。

そして、息子は学校に戻った。

息子、不登校時代続きです。

あれは、中学校2年生の何月頃だっただろうか?
ある日、突然「そうだ、お父さんのところに行けばいいんだ!」
と息子が言い出した。
「え?」と私が聞くと、
「お父さんの住んでる東京なら、中学2年生の内申関係ないじゃん?
 だから、向こうでお父さんと一緒に暮らして3年から中学行けば高校行けるよ。
 良いアイデアだと思わない?」
それを聞いて、思わず私は涙をこぼしてしまった。

いつかは必ず息子は家を出て行く。
それはそう遠くない未来だろう。
覚悟は出来ていた。
でも、そんなにすぐ、という心の準備は全く出来ていなかった。

私の涙を見た息子は、当惑気味に
「何も泣かなくても…  良い考えだと思ったんだけど…」
と言う。
「全然そんなこと考えたことなかったから、びっくりしちゃって…」
そう答えるのが精一杯だった。

息子の父親(私の元夫)は、ある意味子どもより自分の自由(特に恋愛の…)を
選んだ人間だ。
ただ、離婚してから、息子は定期的に父親の家に泊まりに行き、離婚前より2人だけで
過ごす時間が増え、息子は喜んでいた。

数日後、これからは母親よりも父親のほうが必要になる年頃かも知れない、と考えなおし、
息子に言った。
「あなたがお父さんのところに行きたいなら、お母さんは別にいいよ。
 ただ、お父さんがどう考えるかは分からないから、お父さんとよく話しあって、
 東京の受験や高校のことも良く調べてみたら。」

実際、それから息子は父親と電話やメールで話し、何回か会いに行き、色々話し合ったようだ。
父親は、こちらに来てもいい、と言った。
同じ年頃の子どもを持つ同僚に話を聞き、自分で情報を集めたりもしてくれた。
後から聞いた話だが、かなりこの話が具体的になってきたころには、息子と住むアパートを
探して、息子と一緒に物件を見に行ったこともあるらしい。

父親と一緒に暮らして、果たして息子は良い方向に行くのか?
こちらの田舎の学校で上手くいかなかった息子が東京の学校に溶け込めるのか?
偏った食事にならないか?
空気の悪い東京で、またぜんそくやアトピーが悪化しないか?

心配は尽きなかった。
ただ、息子の選択に任せようと決めていた。

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 次のページ ]

明日の風
明日の風
女性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

ブログバナー

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

検索 検索

よしもとブログランキング

もっと見る
本文はここまでですこのページの先頭へ

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!
コンタクトレンズで遠近両用?
「2WEEKメニコンプレミオ遠近両用」
無料モニター募集中!
ふるさと納税サイト『さとふる』
お米、お肉などの好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!

その他のキャンペーン

みんなの更新記事