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信長をめぐる旅の最終目的地は岐阜城です。
金華山の山頂に建てられた難航不落の稲葉城を、長い美濃攻めの後に攻略した信長は、
「周の文王 岐山に起って天下を定む」という故事にならい「岐阜城」と改名しました。
そして、安土城へ移るまでの約10年間、この城を拠点として天下布武の実現に乗り出すのです。
早速ロープウエーで山頂へ、そしていざ天守閣。
安土城のような華美な城ではありませんが、360度の大パノラマにとても感動しました。
目の前に広がる美濃平野、はるかかなたには伊吹山やアルプスの山々が連なります。
野心をもった男子が、天下覇権の夢を抱くには充分な眺望でした。
事実、岐阜城に入ってからの信長の行動は峻烈を極め、直ぐに上洛の準備に取り掛かり、一向一揆との前面戦争に突入、比叡山を焼き払い、浅井朝倉を滅ぼし、武田軍と戦争状態になり…とまるで生き急ぐがごとくです。
そして 1582年 本能寺で天下覇権の夢は半ばにして散ってしまったわけです。
ところで、この岐阜城(稲葉城)、歴代この城主になった武将は皆非業の死を遂げています。
それは天守閣に神の石を使ったたたりだとか、天守閣設計の秘密を守るために大工を生き埋めにしたからだとかまことしやかに噂されています… ぞぞぞ
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金華山、修学旅行で行きました。確かに信長の野望が実感できますね。
2005/4/28(木) 午後 6:54
信長の野望、実体験したわけですね。
2005/4/28(木) 午後 7:21
天守閣にそんな伝説があるとは・・・
2005/4/28(木) 午後 7:22 [ koro ]
「岐阜城」ってのは、周の文王からきてたんですか、初めて知りました。封神演義の姫昌(文王)は、子供が100人いた剛の者(?)というのを思い出しました。
2005/4/30(土) 午後 8:35
>信長の野望、いいネーミングだと思います
2005/5/2(月) 午後 8:02
>レミイ様、感覚として理解できたって感じです
2005/5/2(月) 午後 8:03
>korokoro様、いかにもありそうな伝説でしょ?
2005/5/2(月) 午後 8:04
>さすがこういちさま、勉強になります。100人の子どもとは驚きですね!中国の歴史みると、人の単位がでかくてびっくりします。
2005/5/2(月) 午後 8:07
岐阜城主の非業の死・・そういえば三法師・織田信秀もまさに!
野心をもった男子が、天下布武とう天下覇権の夢を抱いた城、岐阜城・・やばいほどカッコイイっす。
2009/2/4(水) 午前 10:50 [ sen*n*oy*me ]
4年も前の記事へのコメント、ありがとうございます!
織田信秀の悲劇が、自業自得なのか、それともそれなりに頑張ったのか、意見が分かれるところですね。
2009/2/5(木) 午後 0:23