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シーズン真っ只中にある受験生やその親御様のため今回は「合格祈願」をかねて 学問の神様 菅原道真の天神さん伝説にスポットを当ててみます � 栄華昇進の時代 代々文章博士(もんじょうはかせ)を勤めた中流貴族の出身であったが、幼少より詩歌の才に優れ 18歳で文章生の試験に合格。その後26歳で 方略試に合格し、順調な出世を遂げる。 886年42歳で讃岐守に任じられ赴任。その在任中おこった「阿衝事件」(887年)で藤原基経を書にて諫め事件を治めた功績から、宇多天皇の信任を得て、以後、中流貴族としては破格の昇進を遂げ 昌泰2年2月14日(899年)右大臣に任命される。 遣唐使廃止を提唱したのも道真であった。(894年) *「阿衝事件」 宇多天皇の詔で藤原基経を関白に任命するさい、その詔勅に「阿衝の任をもって任とせよ」という一文があった。 中国殷代の官職「阿衝」がどんな職なのか分からなかった基経に、「職掌なし。(たいした仕事じゃないよ)」と告げ口する者がおり、それを信じた基経は激怒し一切の政務を拒否。 宇多天皇と間には亀裂が生じ国政に混乱が生じた。天皇は無念の思いを日記に書くほど困り果てており、その窮地を救った菅原道真に、その後厚い信頼をおくようになったのである。 � 大宰府への左遷 中流貴族ながら異例の昇進を遂げた道真への抵抗勢力の反発も次第に大きくなってきた。 藤原氏などの有力貴族だけでなく、中下流貴族も同調していたというから、人の妬みとは怖ろしい。 左大臣藤原時平は宇多上皇の息子の醍醐天皇と謀り、「醍醐天皇の弟(道真の娘が女御)の擁立を企てた」というでっち上げの罪にて、昌泰4年(901年)に突然大宰府への左遷を命じる。 左遷決定から都落ちまでの猶予は僅か7日間という厳しい沙汰であった。 知らせを聞いた宇多上皇が嘆願のため醍醐天皇への面会のため宮の駆けつけたが、蔵人頭藤原管根がこれを阻んだため、道真の命運も尽きてしまった。 長男高視はじめ4人の子供が流刑に処され、道真自身も幼い2人の子供と老僕1人、車につけた馬1頭だけという惨めな旅立ちであった。 都落ちの際、京への未練を読んだ歌はあまりにも有名。 東風(こち)吹かば 思いおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ � 大宰府での惨めな晩年 大宰府で用意された官舎は、粗末な茅葺の掘っ立て小屋で空き家のまま荒れ果てていた。 床は抜け落ちそうで庭も荒れ放題で井戸すら使えない状態であった。 また待遇においても、俸給も従者もなく政務すら行えない幽閉状態で、外出も厳しく制限される。 京では右大臣として栄華をほしいままにした道真にとっては耐えがたい逆境であったろう。 やがて病に臥すようになった。 共に大宰府へ落ちてきた幼い子供の1人がなくなり、更には京で離れ離れに住む妻が病死した。 道真はわが身の悲運を嘆きながら、大宰府左遷後、僅か2年でこの世を去る。 延喜3年2月25日(903年3月26日)享年59歳であった。 � 大宰府天満宮縁起 道真は「自分の遺体を牛に引かせ牛が立ち止まった所を墓所とせよ」と遺言した。 味酒安行が遺言に従い大宰府の北に道真の墓を建てた。 これが後の大宰府天満宮である。 全国の天満宮には必ず牛の像が奉納されています その2では、道真を嵌めた人たち(緑マーク)がいかなる末路を遂げるのか、 日本史上最強の怨霊といわれる「道真」の凄まじき所業と その怨霊がどのように神格化されたかをまとめてみます。 |

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明日はセンター試験ですが、道真公のお力で皆合格できるように〜天気も心配ですね。この前須磨へいったらそこにも道真ゆかりの天満宮がありました。いかに畏れられしかも信仰されてたか分かりますね。
2006/1/20(金) 午後 11:21
コメ〜!しかし最近またYAHOOが駄目になってきました。。ライブドアショックの影響?
2006/1/20(金) 午後 11:23
道真が怨霊となったために、神様として祀り上げたんですよね。京都の、御霊神社、下後霊神社にいくと、祀られている人はみんな悪霊だったと思います。
2006/1/21(土) 午前 8:32
コメントありがとうございました。最近読んだ本で「菅原道真と崇徳上皇は二大怨霊」と知りました。百人一首も不遇の人達の歌を選んだものだとか。怖いですねぇ。。(><)
2006/1/21(土) 午後 0:20 [ いっしー ]
恨みを呑んで亡くなった高潔なそして自分達に対抗する人物はおだて挙げて神様にしちゃって逆利用しちゃいましょうの元祖ですね。天神様。 2002年にあった天神様の美術展(没後1100年記念)では現実の道真と天神になってからの道真の全てが分かるようになっていてとても興味深く面白かったですよ。
2006/1/22(日) 午後 6:27
なつみさま、須磨にもあるんですね・・・調べたとことろ、京から大宰府への道すがら、道真と縁のあった場所にも天満宮はあるようです。
2006/1/23(月) 午後 6:23
ayarinさま、そうなんですか〜!やはり京都はスゴイ場所です。怨霊伝説好きなのでこの二つの神社の縁起などについても後で調べてみます。
2006/1/23(月) 午後 6:25
ayarinさま、そうなんですか〜!やはり京都はスゴイ場所です。怨霊伝説好きなのでこの二つの神社の縁起などについても後で調べてみます。
2006/1/23(月) 午後 6:25
いっしーさま、確かに百人一首の歌人といえば、柿本人麻呂、大伴家持、在原業平、阿部仲麻呂・・・など、不幸な人生を辿った人達が多いです! ぞぞぞっ!((((;゚Д゚)))ガクガクブルブル
2006/1/23(月) 午後 6:36
ぴあしさま、そんな美術展があったんですね〜!是非とも観たかったです。私も逆利用された人物だったと思います。古代の昔から人というのは、自己保身のためなら神をも利用する生き物なんですね・・・情けない。 ここまで書いて、そういえば「ホリエモン」もメディアや政治に祭り上げられていたなあと思い当たりました・・・・
2006/1/23(月) 午後 6:41
晩年、惨めすぎる…。(;´Д⊂)大宰府は博物館できてから混み混みらしいのですが、近いうちに行ってみたいっす。
2006/1/23(月) 午後 7:52 [ ペネロペ ]
大宰府の博物館面白そうです。学問の神さまの晩年がこんなに惨めとは・・・ 私も始めて知ったときはとても驚きました。
2006/1/24(火) 午後 6:01
菅原道真は、「怨霊」が「神」へと転換するいい実例ですよね。「祟り」というのは祟られる側にやましい気持ちがあるからこそ成立するものだし、考えてみると古代から、日本の政治ってやっていることは変わらないのかもしれませんね。今のライブドアの騒ぎも、どことなくこの道真とデジャブする気がしますね・・・。現代に「ホリエモン」の祟りがおきそうな予感です・・・。
2006/1/25(水) 午前 0:25 [ スクネ ]
踊らされて祭り上げられ、たった1週間で容疑者へ・・まさに「ホリエモン」は道真と似ていますね・・・・歴史は繰り返す!
2006/1/25(水) 午前 11:12