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継体天皇 (26第天皇) 485年?〜531年?


万世一代を誇る日本の天皇家ですが、実は何度が王朝が交代していると言われています
なかでも、祟神、仁徳、継体天皇の三王朝交代説は有名です。
今上天皇の始祖と目される「継体天皇」はとても謎に満ちた天皇です。

日本書紀によれば
継体は死後の諡号で、男大迹王(おとどのきみ)と呼ばれていた
応神天皇の5世の孫。 (血縁うす〜い)
しかも母の故郷越前国高向(現在の福井県高島郡)の大豪族。
506年に崩御した武烈天皇に跡継ぎがなかったため、大連(おおむらじ)大伴金村が
越前に赴いて男大迹王を大王(当時はまだ天皇という称号はなかった)擁立したとされる
507年に河内樟葉宮(くすばのみや、大阪府枚方市楠葉丘の交野天神社付近が伝承地)で即位。
しかし大倭(大和)には何故か入ることができず、20年以上も足踏みをする 
526年磐余玉穂宮(いわれのたまほのみや、現在の奈良県桜井市池之内?)にやっと都を遷す。


と、かなり怪しい記述が続きます。
何度読んでも、

越後の豪族の王が、大連の金村と組んで反乱し大和の都に攻め入ったが
旧勢力と対立し、20年間かけてやっと前王朝を服従し新しい王朝を立ち上げた

としか読めません。
天皇家や藤原家に不都合なことを曖昧に記述し真相をぼかしてしまうことにかけては
世界一上手い(?)「日本書紀」ですら、ここまで記録しちゃってます

事実を隠しおうせないほど派手な対立だったでしょうか?
応神天皇の5世の孫 なんて、劉備が前漢第六代皇帝景帝の子・中山靖王劉勝の末裔と称したのと
あんまり変わんないです。(立証不可能)
第一、大和には男大迹王よりも血の濃い皇子はたくさんいたでしょう。

何より諡号が「継体」(けいたい)です。
前王朝を引き継いだぞ、と宣言しているわけです。

これは私の憶測なんですが、男大迹王は越後国王という自分の出自を隠すことなく、むしろ誇りにおもっていたのではないでしょうか?
しかし万世一代の天皇家の威信を保つため前王朝のうすい血縁を殊更強調し、旧勢力と妥協したのかもしれません。
「成人した天皇は、人を愛し賢人を敬い心が広く豊かであった」と日本書記に記されているように器の大きな王であったようです。

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継体天皇が王朝交代後、今の天皇家の始祖という説があるのですか??初めてしりました。
継体=継ぐ ですから、王朝を交代し引き継いだことを隠さず宣言してますね。越前ですか・・・・ほお。

2008/11/18(火) 午前 9:46 [ Next Stage ]


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