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西郷に関する資料を読むと必ず出てくるのが「敬天愛人」という四字成句です
これは西郷隆盛が1875年(明治8年)以降、訪問客の求めに応じてこの「敬天愛人」としたため
また『南洲遺訓』の中に西郷の言葉としてその説明があります。
「道は天地自然のものなれば、講学の道は敬天愛人を目的とし身を修するに克己ももって終始す可し」
道は天から与えられるものであるから、天を敬い天が人を平等に愛するように、己も自分を愛する心をもって人を愛すよう心がけるべきである
西郷隆盛の人生はまさにこの言葉の実践であったように思います
例えば『南洲遺訓』は旧庄内藩士が西郷を慕って鹿児島を度々訪問し教えを請うた時の内容を記したものです。
この書物に関するエピソードにもその精神は表れています。
ここで庄内藩という言葉に「おや?」と思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか?
「庄内藩」は戊辰戦争の際、薩長率いる新政府軍に会津藩と供に最後まで徹底抗戦した藩でしたが、
降伏した後、藩士達は厳重な処罰を覚悟していたにもかかわらず、新政府軍黒田清隆の処置は寛大なものでした。感動した藩士たちは、実は西郷隆盛が陰で黒田に指示していたことを知り、
かっての仇敵であった西郷を慕うようになったのです。
最後西南戦争で多くの薩摩藩士や不平武士と供に明治政府に対して反旗を翻した行動にも通じます
このとき、庄内の元藩士も何人か西郷と供に決起し、討ち死にしたと伝えられています
一方西南戦争で袂を分けた盟友 大久保利通は、合理的で近代的な考えの持ち主で
「目的のためには手段を選ばず」物事を実践できた男でした。
しかし忘れてならないのは大久保利通が明治政府の指針として「富国強兵」を実践したが故に
日本が維新後列強の侵略に対抗しうるだけの近代国家へ変貌できたのも確かです
さて、この「敬天愛人」ですが、近年の研究で、中村敬宇の著作「敬天愛人説」(1866年)と「西国立志伝」(1871年)に拠るとされています
それによれば「敬天愛人」とは、なんとキリスト教の「我が同胞を愛するはわが父(神)を愛するによる」という新訳聖書のマタイ伝の一説とのことです。
西郷隆盛はキリスト教信者ではありませんが、彼が終生持ち続けた「同胞への愛」が
この言葉に集約されていると感じて好んで使うようになったのでしょうね。
「勝ち組」になるため手段を選ばないようなそんな現代だからこそ、「敬天愛人」を忘れず
自分の周りにいる家族や友人達をもっと大切にしなければと思い直す次第です。
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こんにちわ。西郷隆盛の率いる薩摩藩が新選組の近藤勇に好意的だったのも頷けるエピソードですね。敗者にたいする寛大な処置は会津公、そして徳川慶喜にも通じます。敗れ去った者でも同胞であるという広い心が西郷隆盛にはあったのでしょうね。しかしキリスト教の隣人への愛が基本だとは意外でした。
2006/4/15(土) 午後 5:04 [ Next Stage ]
マタイ伝でしたか〜!!西郷隆盛という人物は深みがあるというか謎というか・・・・同胞への愛が信条んだらばなぜ西南戦争を起こしたのかがよく分かりませんね・・・
2006/4/17(月) 午後 0:09
仇敵から尊敬されるなんて西郷隆盛はやっぱり器量のでっかい男だったんですね!
2006/4/17(月) 午後 4:05
敬天愛人って意味知らなかったけど素敵なコトバですたい。(´∀`*)
2006/4/17(月) 午後 7:40 [ ペネロペ ]
NextStage様、そうでしょ!マタイ伝ですよ。西郷どんとキリスト教の教えは意外な組み合わせでしたが、元々西郷さんはアメリカ初代大統領ワシントンを尊敬していたのでその辺からの影響かもしれません。
2006/4/19(水) 午前 9:51
なつみさま、そうです、西郷隆盛は資料を読めば読むほど謎が深まる人物です。しかし西南戦争はもしかしたら、アメリカの南北戦争を想定していたのかも知れません。あくまで推察ですが。。。
2006/4/19(水) 午前 9:53
れみいさま、そうです。懐の大きな男であったことは間違いないです。しかも己に対しても厳しい人物で権力を持ったから奢ることなく、庄内藩だけでなく幕末は敵として戦った相手とも維新後に交流を持つなどしています。
2006/4/19(水) 午前 9:56
まさをさま、「愛人」の意味を間違えなければ本当にいい言葉ですよねww
2006/4/19(水) 午前 9:57