4/23 大河ドラマ「功名が辻」ではいよいよ『長篠の戦い』が放映されます。 最強の武田軍に織田信長がどう挑んだか、前哨戦?として関連記事をUPします〜!! この記事は2006年3月6日、姉妹ブログ『天下布武』に掲載したものです 既読の方も新たな感想いただければ幸いで〜す!! (〃⌒―⌒)/どもっ♪ 信玄率いる武田軍は戦国時代圧倒的な強さを誇っていました 何を基準に試算したのかは不明ですが、 1人あたりの兵員戦闘能力を比較してみると 実に武田兵1人が織田兵5人分ということになります。 それだけ織田軍が弱かったともいえますが、 勇猛果敢で知られた三河侍(徳川)ですら約2人分に相当します。 騎馬隊を中心にした武田軍の凄まじい破壊力を前に敗走した 若かりし日の家康の恐怖が理解でしますね。 (家康の[「しかみ像」]について拙分あり) ですから、1575年 長篠の戦いにて、武田の最強軍団が織田徳川連合軍に壊滅的な敗北を 喫するなど、当時の常識では考えられないことだったでしょう。 信長を勝利に導いた鉄砲隊のヒントの一つは、三方ヶ原の戦い(1572年)にありました。 この戦いは武田軍の圧勝に終わったのは有名ですが、 戦いの序盤、小規模なからも、徳川の足軽を中心とした鉄砲隊が 武田の足軽隊に対して奮戦するという事体が起こりました。 壊滅寸前まで追い込まれた足軽隊もあったそうです。 状況を見た信玄は、射撃の制度が落ちる夕刻になってから 初めて主力の武田騎馬隊を出撃させ、勝利します。 奇しくもこの騎馬隊を率いたのは武田勝頼でした。 信長は3千の援軍をこの戦いに投入していました。 この序盤における足軽鉄砲隊の威力を信長が見落とすとは思えません。 敗因と敵の戦力を分析し、勝利の方程式を見つけることに、そう時間はかかりませんでした。 武田兵の5分の1しかなかったぺっぴり軍を、たった3年で世界でも類を見ない最先端の鉄砲隊へ 変貌させたのです。 その一方、武田軍は3年後も騎馬隊を中心に組織された軍隊のままでした 後継者勝頼は、最強の騎馬軍団がなすすべも無く倒される状況に唖然としたことでしょう。 信玄ほどの武将が、三方ヶ原の戦いで曝け出された自軍の弱点に気がつかなかったとは思えませんが
すでに病身であったため、判断力が鈍っていたのでしょうか。 |

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リクエストにお応えして再びコメしま〜す!前回、六平太が鉄砲の名手として山内家の食客になってましたので、きっと一豊さんたちも大活躍するのでは・・・?!そのときの六平太に是非とも注目したいです!
2006/4/21(金) 午後 5:26
武田勝頼が当主となって甲斐衆から信濃衆へと武田家家臣の重心が移り行くなかで体制の変動をうまく成し得なかったり勝頼は武田家の正式な当主ではなくあくまで世継の信勝の後見人という立場だったので家臣団をまとめるのに苦労して養子で入ったとは言え諏訪氏の属性をもった勝頼を所詮よそ者と侮る家臣もいたし勝頼も信玄時代からの百戦錬磨の老臣の意見を軽視した事で武田家に深刻な内紛を産んでしまったんですよね!!
2006/4/22(土) 午前 1:13
れみいさま、再びありがとう!六平太の動向は確かに気になります。ホントに毛利の手下なのかも怪しい・・・?!
2006/4/22(土) 午後 0:32
まるこさま、まったく同感です。信玄が滅ぼした諏訪氏の血を引きしかも諏訪当主となったため「武田に復讐するのでは」と恐れられたりしてますしね。以前勝頼に縁のある「高遠城」の桜を観に行き、そのあまりの美しさと武田氏の滅亡が散り行く桜と重なり大変印象深かったことを思い出しました。
2006/4/22(土) 午後 0:40
正に『兵どもの夢の趾』ですね…勝頼の辞世の句「おぼろなる 月もほのかに 雲かすみ 晴れて行くへの 西の山のは」です…
2006/4/23(日) 午後 11:44
私も便乗して再コメします。今日の「功名が辻」では、鉄砲という兵器が最強の騎馬隊を駆逐したということが強調されていたのが印象的でしたです。最強だった騎馬隊が時代遅れになっていたことを素直に認めることができていれば、あるいは歴史は変わっていたかもしれないですね。
2006/4/24(月) 午前 0:46 [ スクネ ]
これって日本人に多くある失態ですよね…時代は繰り返すんでしょうか…第2次世界大戦時も主力は航空機に移ってるのに今だ巨艦主義にこだわっちゃってましたからね!戦艦大和にはレーダーすらなかったんですよね!!考え深いです…
2006/4/25(火) 午後 3:52
まるこさま、高遠城の事思い出しついでに、共有ブログで記事書いちゃいましたよ〜!(早速コメありがとうございました)勝頼の句も寂寥感漂います(合掌)
2006/5/1(月) 午前 1:39
すくねさま、再コメありがとうございます。時代とともに価値観が変わることを勝頼が理解できなかったことが敗因でしょうね。山本勘助が生きていたら局面も変わったかもしれません。。。(高齢で無理かな)
2006/5/1(月) 午前 1:42
まるこさま、確かにこれって日本人論とも言えますね〜!現代でもいまだに「インターネットは悪の根源」としたり顔で言う評論家や年配の人を見ると、何考えてんだろうと思っちゃいますね。ところで大和にはレーダーも無かったんですか〜?!びっくりです。無謀です!
2006/5/1(月) 午前 1:46
武田家の末裔アップしたんでTBしときますw
2006/6/6(火) 午前 1:35