ゆーくんはどこ?

皆様ありがとうごさいました。アメブロへ引越しますので、また、お会いしましょう! 我人に媚びず、富貴を望まず。(黒田官兵衛)

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2007年初仕事の日。
新年のあいさつ回りの途中で、遭遇したのが「難波神社」です。
大阪府中央区、御堂筋に面した一等地にこの神社はありました。

何より私の心を捉えたのは門前におかれた「仁徳天皇」とかかれた記念碑です。

イメージ 1



「仁徳天皇・・・?! そうか、難波高津宮か〜!」
古代史オタクの血が騒ぎ、参拝することにしました。(時間も余裕があったので・・ ;)

イメージ 2



お守りを買ったついでに「難波神社のパンフ」もゲット。
5世紀の初め、反正天皇が河内国丹比柴籬宮(現松原市上田)に還都を行った時、
同地に父仁徳天皇をしのんで創建されたのが始まりで、仁徳天皇、素盞嗚尊、倉稲魂尊を祭る。
943年(天慶6年)には摂津平野郷(現天王寺区)に鎮座された。
現在の地には、1583年(天正11年)豊臣秀吉が大坂城を築く際に、移転をさせている。
当地は上難波村といわれ、当社は「上難波神社」又は「仁徳天皇社」と称していたが、
1875年(明治8年)「難波神社」と、改められてた。

『難波神社案内記』 難波神社パンフッレトより

さすがに聖帝といわれるだけあって、今でも船場の商売人を中心として信仰を集めているそうです。


仁徳天皇


神功皇后摂政57年(257年) - 仁徳天皇87年1月16日(399年2月7日)
日本の第16代天皇
父は応神天皇。母は品陀真若王の女・仲姫命。

名は大雀命(おほさざきのみこと)(『古事記』)
大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)・聖帝(『日本書紀』)・難波天皇(『万葉集』)等。

西暦3世紀から7世紀の約400年間、いわゆる巨大「古墳時代」の大君、仁徳天皇。
堺市にある仁徳陵古墳は日本最大の古墳として有名である。
墳丘の大きさでは全長486mと、エジプト・ギザのクフ王のピラミッドや中国の秦の始皇帝陵よりも大きく、世界三大墳墓の一つに数えられる。
なんと甲子園球場が12個も造れる広さを誇り、大君の権力が絶頂であったことを示す。

『古事記』に「御陵は毛受(もず)の耳原にあり」、『日本書紀』には「八十七年冬十月の癸未の朔己丑に、百舌鳥野稜に葬りまつる」とあるが、学術的には仁徳天皇陵として疑問視する向きもあることから、最近では(伝)仁徳陵古墳、大仙陵古墳などの名称を用いるのが一般的になってきている。


都は難波高津宮。(大阪市中央区付近といわれる)

仁徳天皇の治世は仁政として知られ、「聖帝」と呼ばれる。
316年 高殿にたって眺めると人家に煙がたっていないのは人民が困窮しているからであると嘆き
今後3年間の課税をやめる詔を発する。
難波の堀江・感玖大溝・茨田堤・横見堤などの築造や茨田屯倉の設置などを行ったと記されている。
そのためか、難波神社は工事関係者の神社としても知られる。


この仁徳天皇は「英雄色を好む」人物で皇后「磐之媛命」の嫉妬に悩まされたと伝わる。
しかし嫉妬深い皇后のために、319年「葛城部」を定める。葛城とは皇后の世話係である。
妻への温かい愛情を感じるエピソードである。
この皇后との間に、17代履中天皇、18代反正天皇をもうける。

磐之媛命皇后の陵墓は、奈良山にある(平城坂上陵)。
おそらく、葛城氏を父にもつ彼女の出生地の近隣を選んだのであろう。(葛城襲津彦のむすめ)

また、仁徳天皇は中国史書に登場する大王としても重要な人物だ。
『宋書』倭国伝に記される「倭の五王」中の讃(または珍)に比定する説がある。

「讃」の発音が「おおさざき」に通じることから、仁徳天皇=「讃」と考えられるからだ。


讃王は、永初2年(421)に宋の南朝に朝貢して安東将軍・倭国王にはじめて任命され、
邪馬台国の時代から約150年間途絶えていた日中間の国交を回復した王である。

「宋史」からの推察では、讃王は元嘉15年(438年)には没したとみられ、399年とする『古事記』や『日本書紀』などの日本の記録とは合わないのが難点である。
事績の一部が父の応神天皇と重複・類似することから、元来は1人の天皇の事績を2人に分けたという説もあり、「記紀」による応神‐仁徳の系譜が造作されていることをうかがわせるものである。


明治05年09月、仁徳天皇稜、前方部正面の第二段のやや上が崩れて
立派な石積の竪穴式石室が発見される。
長持形石棺と石室面の間から刀剣の断片20、ガラスの椀などが発見されたが元通り埋め戻されたという。

倭の五王との関連が注目されるだけに、出来るだけ早期の発掘調査の実現が望まれる。


イメージ 3


「難波神社」に鎮座する大きな楠の木です。大阪市の保存樹指定第一号なんだそうです。

2007年が「仁」と「徳」の年でありますように・・・

閉じる コメント(18)

仁徳天皇稜は、仁徳天皇の時代より200年くらい古いって説もあるとか・・・やはり古代の事なので曖昧なのかもしれませんね(´・ω・`)

2007/1/8(月) 午前 10:19 [ wit**ut_gi*l*gail ]

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昔の古墳には墓誌とかが埋葬されてそうなので、発掘調査とかしたらけっこう面白そうですよね。古事記とか日本書紀とかの記述をくつがえされる遺品が出てきたりしたら、やっぱり都合悪いからダメなんですかね。個人的には面白いけど。でも冷静に考えたら、今でも続いている家柄のご先祖様の墓を暴くわけだから、道徳的には無理ですよね。

2007/1/8(月) 午後 1:53 こういち

最後、うまいこと仰いますね〜^^ ところで、歴史上、良い死に方をしなかった方(皇族)には徳がつくことが多いそうです…。 崇徳天皇とか…。さらに聖徳太子も…。

2007/1/8(月) 午後 7:51 ゆきえもん

繁華街に神社がドーンとあるんですね!さすがニントクくんステキ!家柄最高!<コフィー

2007/1/8(月) 午後 7:55 まさを母

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KEIさま、おっしゃるとおり、仁徳天皇稜と伝わる古墳は、この時代の他の古墳同様疑問視されています。『古事記』に「御陵は毛受(もず)の耳原にあり」と記載されていることから、堺の百舌鳥耳原中陵付近であることは間違いないのですが、発掘調査ができないため謎は闇の中です。

2007/1/9(火) 午後 1:20 ゆーくんままま

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KEIさま、誤解を招いてはいけないので、記事にもその内容追記しますね〜。

2007/1/9(火) 午後 1:21 ゆーくんままま

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こういちさま、KEIさんのご指摘にもあるように、古代の古墳で埋葬者が確定している墳墓はごくわずかです。しかし天皇家以外の古墳については実際発掘調査もあり、たとえは藤ノ木古墳のように、発掘されてから「32代崇峻天皇」かもしれないと推定される場合もあります。どうやら天皇家の古墳を発掘すると、朝鮮半島との繋がりが見つかるとヤバイようです。道徳的な見地から考えれば、個人的な意見ですが、王朝交代がはっきりしていると思われる継体以前の墳墓は発掘しても問題ないのではないかと思います。

2007/1/9(火) 午後 1:26 ゆーくんままま

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ゆきえもんさま、そうなんですよ〜。井沢元彦さんの「逆説シリーズ」でこのことを知ったときは、背筋がぞ〜っとしました。仁徳天皇も「聖帝」と呼ばれているあたり「聖徳太子」をイメージしてしまいますよね。記紀では、長寿をまっとうし、息子達も無事即位するなど問題は見えてきませんが、もしかすると何か隠されているのかもしれません。

2007/1/9(火) 午後 1:31 ゆーくんままま

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まさをさま、御堂筋の目抜き通り、近隣はローレックスなどの高級ブランドショップが立ち並んでいますよ〜。やっぱりニントク君、セレブです!!

2007/1/9(火) 午後 1:33 ゆーくんままま

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「難波神社」知ってます!御堂筋のランドマークの一つですよね〜。仁徳天皇が祭られていたとは・・・ビックリです。堺のイメージが強いので。殺伐とした事件が多いから、今年は明るい年であって欲しいなあ。

2007/1/9(火) 午後 2:37 remiy

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そうです。待ち合わせの目印なんですよね〜。私も若かりし独身OL時代、この神社の近所でデートしたことありました・・・

2007/1/10(水) 午前 3:08 ゆーくんままま

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堺の仁徳天皇稜の近所に住んでいたことがありとても親近感があります。 しかし都は大阪市内だったんですね・・・知りませんでした〜。

2007/1/10(水) 午前 10:22 natumi

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私は、三輪王朝と応神天皇以降では王統が異なると現在考えているのですが、応神、仁徳帝の業績は確かに曖昧模糊としておりますし、謎が多いですよねー。一人の業績を二人に分けたという説もありえるのかな?と最近思っております。そもそも、日本の古代史(特に建国史)が曖昧なのは、記紀の捏造と、天皇陵を発掘できないことなんですよねー。とはいえ、現王朝の先祖の王墓を発掘できないという立場も分からないこともないですしね。う〜む、このあたりは古代史好きな人間のジレンマです・・・。

2007/1/13(土) 午後 0:42 すくね

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なつみさま、仁徳天皇の古墳の近所としたら、三国ヶ丘あたりでしょうか??いいですね〜。。でも都は大阪のど真ん中だったんですよ!

2007/1/15(月) 午後 3:01 ゆーくんままま

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すくねさま、私も三輪王朝と応神天皇以降では王統が異なると考えてます。応神天皇が本当に謎に満ちた天皇で、実際は武内宿彌と神功皇后の子ではないかと言われてますしね〜!万世一系を守るため記紀は苦労して辻褄をあわせようとしていますが、改ざんは「ばればれ」だと思います。

2007/1/15(月) 午後 3:14 ゆーくんままま

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続き・・・伝天皇陵の発掘は確かに難しい問題ではあります。しかし、そもそも今宮内庁が指定している「天皇陵」自体、明治維新で王政復古となったさいにテキトーに指定されたことがわかっていますし、やはり真実解明のためにも特に重要と思われる古墳(特に「箸墓古墳」)だけでも発掘して欲しいなと思っています。

2007/1/15(月) 午後 3:14 ゆーくんままま

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ゆーくんままさんも応神天皇は、武内宿禰と神功皇后の子ではないかという説はご存知でしたか。私が最近面白いな〜と思っている説だと、武内宿禰と住吉大神を同一視する説がありまして、それがなかなか興味深いんですよねー。落ち着いたらちょっと記事にしたいなーとは思ってるのですが。箸墓古墳の発掘はして欲しいですね。ホケノ山古墳での発見から考えると、邪馬台国の謎に関わる発見が期待できると思うのですけどね・・・。

2007/1/16(火) 午後 10:54 すくね

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すくねさま、武内宿禰と神功皇后の大宰府でのお話は無茶苦茶面白いですよね〜。住吉大社といえば神功皇后と縁の深い神社ですが、そこに武内宿禰が絡むわけなんですね。いやこれは興味深々です。是非とも記事UPしてくださいませ。また箸墓古墳の発掘は古代史に関わる人たちの宿願でしょうね。ここは、宮内庁と天皇陛下の英断に期待したいワタクシです。

2007/1/23(火) 午前 3:17 ゆーくんままま


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