戦国武将、織田信長が明智光秀に討たれた「本能寺の変」(1582年)で焼けたとみられる 大量の瓦や、寺の堀跡、石垣などが京都市中京区の旧本能寺跡で見つかった。 本能寺の変を巡る遺物、遺構が発見されたのは初めてで、 発掘した民間調査機関「関西文化財調査会」は「史実を裏付ける貴重な発見」としている。 マンション建設に伴い約130平方メートルを発掘。 1545年の古文書で、寺が調査地点一帯の土地を購入したとの記録が残っている。 8/7付けのYAHOO ニュース(読売新聞)から抜粋した。 信長ファン(信者)にとっては、驚愕のニュースである。 すぐにでも現地へ行ってみたい、そんな衝動にかられる。 他のニュースソースを調べてみると、遺構から石垣や堀らしきものが発見されており 建物の防御が固められていた可能性もあるようだ。 つまり「寺」というよりは「城郭」の要素をもつ施設であったようだ。 しかも、本能寺が武装や防備、寺院外での布教を禁じられていた寺であった事実から、 これは、信長公の意思により京都の拠点として、要塞化された可能性も指摘されている。 何故、信長公が、少人数の供回りだけで、「本能寺」に宿泊していたのか? これも一つの謎であった。 しかし「本能寺」が要塞化されていたならば、その理由もわかる。 ただし、それは外敵相手であり、まさか身内のしかも、最も信頼の厚かった光秀の謀反は 想定外であったろう。 無念であったと思う。 「もはやこれまで」と観念した信長公は、自ら寺に火を放ち、 己の首を光秀に渡すまいとした。執念であった。 今回発見された焼け瓦、焼土は、本能寺の変で放たれた火によって焼けた可能性があるのだ。 まさに、日本史を変えた事件の、証拠となるものかもしれないのである。 ところが、記事のなかでもう一点気になったのは、 それは、マンション建設に伴う発掘調査で発見されたという点。 正直、未だ尽きせぬ信長公や近習達の無念が、色濃く残されたそんな場所に マンション建設というのは如何なのものだろうか? できることならば、充分な法要を行ったうえで、貴重な史跡として そのまま保存することが、望ましいと思う。 天正10年、本能寺に放たれた火に包まれて、信長公は自害された。 明智光秀が血眼になって遺体を探したが、結局発見されることなく現代にいたっている。 その4ヵ月後、山崎の合戦で光秀を滅ぼした秀吉は、京都大徳寺にて信長公の葬儀を主催した。 天正10年10月15日である。 信長公の棺は、金銀、宝玉で飾れていた。
秀吉公は、香木の沈香で2体の木像を彫らせて、その一体を遺体の代わりに納めて焼き、 もう一体を遺骨に見立てて、大徳寺総見院に埋葬したという。 京都中の公家や僧侶が参列した葬儀を見事に取り仕切ったことで 秀吉公は、自分が信長公の後継者であることを、天下に宣言したのである。 ただし、正直、このお話からだけだと、秀吉公の品性を疑ってしまう。 秀吉公はもちろん、人生の大恩人であり信頼しつくした主君の死を心から嘆き悲しんだであろう。 しかし、一種のイベントという感はぬぐえない。 事実、当時の人達も同じ感覚をもっていたようで、 例えば、信長公の遺児である信雄や信孝など、信長公にきわめて近い血縁者でも 秀吉主催の葬儀には参列しなかった。 木像を手厚く葬るという茶番に付き合いきれなかった人も多くいたというわけだ。 信長公がもし、本能寺で倒れていなければ・・・ 歴史にIFは無用であるのは充分承知しているが、こと「本能寺の変」に関してだけは例外だ。 それだけ、日本史に与えた影響は大きい。 焼けた瓦は、何を目撃し、何を伝えようとしているのだろうか。
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マンション建設絶対反対です!日本史上最も衝撃を与えた事件の、貴重な遺構です。保存すべきです。
2007/8/8(水) 午前 1:59
本能寺の焼け跡にマンション…ちょっと怖い気もします。秀吉は主君の葬儀をも足がかりにして天下人へと成り上がったわけですね。きっと信長さんも「サルめが・・」とあの世で苦笑したことでしょう。
2007/8/8(水) 午前 9:18 [ NextStage ]
焼けた瓦が現代に出土したとは、壮絶ですね。なんかすごい磁場がありそうだから、人が住むには適してないかも・・
2007/8/8(水) 午前 9:48
つまり、本能寺の変は、本当にあった!ってことが証明されたわけなんですね〜。すご〜いですよ。これは、保存しなければ祟られますぞお。
2007/8/8(水) 午後 0:37
ニュースで聞いてビックリ! 何で日本史、史上もっとも有名な事件の遺跡をマンションの為に・・・国が動いて残す方向にして欲しいですね。しかし・・・IFか〜信長が本能寺で殺されなかったら、全くその後の日本史は変わっていたでしょうね。
2007/8/8(水) 午後 6:25 [ ひで ]
いまの本能寺は移っているんですね。
歴史を感じますね。
2007/8/8(水) 午後 8:52
マンション建設のおかげで、発掘調査が行われたともいえるし。。。難しい問題ですね。ただ、本能寺は歴史的な重要性が高いのでやはり保存してほしいですね
2007/8/9(木) 午前 11:41
ニュースで知って速攻で現地を見に行った人曰わく、発掘調査の為に掘られた箇所はもうすでに埋められて何もない状態だったそうです。
歴史的大事件の舞台となった場所だけにマンションなんか建設せず、京都市や京都府が指定の史跡として保護して欲しいですね。
私もここ数日中に見に行ってこようと思います。
2007/8/9(木) 午後 7:43 [ 雪姫 ]
へ〜もう埋められているのですか・・・なんと手際の良過ぎることでしょう。マンションが建設されたら、永遠に埋もれたままになってしまいますね。もったいないことです。。。
2007/8/10(金) 午後 0:37 [ 春夏 ]
信長は日本の歴史上、最大と言って良い革命家でしょう。しかし、信長は天皇に替わって、自分が王に成ろうとしていました。光秀が阻止しなかったらどうなっていたでしょうか。他に阻止出来る人は皆無でしたから。ところで、坂本龍馬は光秀の一族であるという説があり、坂本家でもそのように伝えられていたとのことです。(最近、私がUPした龍馬3部作の始めにその話を載せてあります。)信長、秀吉、家康の順番は最高の役割だったと思います。(猶興)
2007/8/10(金) 午後 3:46
合理主義者の革命児であった信長公であれば、秀吉のちゃっかり便乗葬儀も笑って許したでしょうね。他の武将であれば烈火のごとく怒ったでしょうが・・
2007/8/12(日) 午前 10:26
本能寺の焼け跡なんて、霊的にもかなりヤバイ場所のような気がします。江原さんとかに観てもらいたいですね。。
2007/8/12(日) 午前 10:27
「本能寺の変の物的証拠」となるわけなんですよ〜。凄いことなんです。絶対保存すべきですよね=。>おやつさま。
2007/8/12(日) 午前 10:28
歴史のIFを考えたとき、一番のターニングポイントは「本能寺の変」だと思うのですよ。信長の革命思想により「天下布武」が成就したなら、まず天皇家は断絶していたでしょう。また文明開化ももっと早かったでしょう。外国との交流はますます盛んとなり鎖国という選択はありえなかったと思うわけです。どんな国家になっていたのか?まったく想像もできませんね。それほどの影響があったと思います!>龍馬さま
2007/8/12(日) 午前 10:32
そうなんですよね!案外知られていないのですけど、今の本能寺ではないこと、ある意味衝撃ですよね。>Ayarinさま。
2007/8/12(日) 午前 10:34
マンション建設がなければ、そのまま埋没していたかもしれない遺構です。これを機会に、一度信長公の霊を慰める法会を行い、それから保存してほしいです。マンションの住人もいやなんじゃないかな?>なつみさま。
2007/8/12(日) 午前 10:36
信長公につながるご子孫だけに、雪姫さまも気が気ではないのではありませんか?しかし、すでに埋め戻されているとは、なんだか絶望的な気分となりました。普通は現地説明会とかあるんですけどね?京都は文化財保存には熱心と聞いていますからなんとかして欲しいです。観光客も集まると思うのですけど・・・>雪姫さま
2007/8/12(日) 午前 10:39
ほんとうに不敬なことです!貴重な文化財を子孫へ継承することはマンションよりももっと重要だと思いますけどね!>春夏さま
2007/8/12(日) 午前 10:41
私見ですが天皇家の断絶の危機は中世以降は2度あったと思います。
足利義満と織田信長の簒奪ですね。この二人とももう一歩のところで不可解な死を遂げています。本能寺の変は光秀の単独行動ではなく、朝廷黒幕説が有力です。義満もあれは朝廷の暗殺の匂いがぷんぷんします。王政復古を成し遂げた原動力である坂本龍馬が、光秀の末裔だとすれば、何か運命的なものを感じますね。ただし龍馬は公武合体推進者で、こちらも朝廷暗殺説もささやかれていますが・・>猶興さま。
2007/8/12(日) 午前 10:47