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信長公(考) 雑記

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司馬遼太郎先生の大作「坂の上の雲」

舞台は日清、日露戦争。
登場人物ももちろん明治大正に活躍した人たちである。


司馬先生は、マニアックなまでに、日清、日露戦争における日本軍(陸軍、海軍)の動きを分析し
それを歴史小説へと置き換える、というとんでもない作業を繰り返している。

自身、太平洋戦争に従軍した経験から、「日本軍」の実態に迫っている

それは、日本人が関わってきた戦争、闘争の歴史の集大成ともいえる。

日本人は国際基準で判断すれば、戦に強いのか?強くないのか?
この壮大な小説の主題は、この回答を得るための調査考察であったようにも思える。



そんな日清・日露戦争を扱った小説の中で、度々、織田信長公の戦について言及がある。

司馬遼太郎先生曰く、源義経と織田信長は、世界規模でみても天才戦略家である。と。


とくに信長公の戦いぶりを称して (これも記憶なのでうろ覚えだけれど)

「信長の起こした戦争はすべて100%勝つための布陣を行っていた。唯一の例外が
桶狭間の戦いであるが、あれとて、充分な下調べの後、合理的な計画のもと実行された奇襲である」

「信長公の戦略は、ヨーロッパで最も天才肌であるナポレオン(一世)と通じる。」

など、べたボメなのである。

確かに、私の記憶のなかでも、信長公の戦略とは、圧倒的な兵力で押しつぶす。
そういう合戦が多い。

桶狭間の奇襲の印象が強いため、そういう奇策が好みであるかのような錯覚をもつが
桶狭間以降は、兵士だけの組織を組み、兵農分離を行い、稲の刈入れ時期だろうが、
いざ合戦の機運を見定めれば、翌日にでも大部隊を迅速に派遣する!

そういう軍事システムを見事に作り上げている。

世界的な視野に立っても、中世の時代(1550年頃)此れだけ組織化された軍事システムを構築したのは
信長公ぐらいではないだろうか?
まさに、驚愕すべきことといえる。

それが端的に現れたのが、「紀ノ川攻め」であろう。
雑賀衆と鉄砲集団を率いる雑賀孫市という一人の豪氏のため、信長公は10万もの大軍を投入したのだ。


越前の朝倉攻めでの、金ヶ崎での敗走(金ヶ崎の退口)が唯一の大負けに思えるが
これとて、お市の方が輿入れした浅井長政の裏切りがなければ、負ける要素などなかった。

しかも戦況不利であることを認識した瞬間、信長公は京へ向かって退却した。
本当に秒単位の決断であった。

武士の面目などで一瞬でも戸惑ったなら、織田・徳川連合軍はたちまち袋のねずみとなり総崩れ。
信長公の命はまさに危なかったのである。


しかし、信長公のスーパーコンピューターなみの的確な状況判断は
「即退却」という合理的な指示を瞬時にはじき出し、全軍退却の指令を発したのであった。


数ある合戦のなかで、結局最期まで勝負がつかなかったのは、一向宗徒との戦「石山合戦」。
信長公の戦略外、すなわち「想定外」の、神出鬼没のゲリラ作戦や
命を顧みない殉死者相手の戦闘には、さすがの信長公も手を焼いたと思われる。

しかし、武士でもない庶民(時には子供は婦女子までも)が、一向宗という宗教のまやかしで
命を落とすことへの憤慨もあり、徹底的に抗戦し、早くカタをつけたかったに違いない。

神仏の存在や霊魂の不滅を信じることはなかった信長公は、徹底した合理主義者であったのだ。


ここまで思考して、ふと考えてしまう。


・・・何故「本能寺の変」なのだろうか??




ここまで合理的に考え思考できる信長公が、

天正10年(1582年)夏 あの日だけ

殆ど武装もせず、わずか100人ほどの手勢しか手元に配置していなかったのであろうか?

時は戦国の世。
下克上がまかり通る時代である。

隙あらば上司を逆襲しその地位を奪うのは、何も特別な事例ではなかった。

光秀を心の底から信頼していたのか?

しかし信長公は、可愛がっていた義弟、浅井長政に裏切られた苦い経験もあるのだ。

朝廷黒幕説、秀吉黒幕説、家康黒幕説・・・等々、

「本能寺の変」を、明智光秀単独の、突然の謀反と断言できないのは
信長公にしてはあまりにの手薄で慎重さに欠いた行動にもよる。


やはり歴史の表には決して登場しない、何らかの陰謀があったと考えてしまう。


司馬遼太郎先生曰く、世界に通じる稀有の天才戦略家であり政治家であった信長公。

「もし本能寺の変で信長公が討たれていなければ・・?」

間違いなく、それ以降の日本の歴史は激変していたであろう。

歴史のIF がこれほど強烈に感じられる人物は、信長公以外には存在しないといえる。

それゆえ、余計に「本能寺の変」の謎が歴史の闇の底でうごめいているように思えるのだ。




注)資料未確認の個人的な雑記にて、詳細については何卒ご容赦願います。

【信長公】関連記事 


こうして列挙すると信長公関連記事って多い!
個人的な信長公へのミーハーぶりが暴露されてますね・・・(^^;


写真:当時の宣教師?が描いた肖像画 (詳細不明)

閉じる コメント(13)

歴史のIFで本能寺の変が一番強烈、というのは俺も同感です。
桶狭間の戦いも、実は奇襲でなく真っ向勝負だったという説もあるそうですしね。
たくさんの信長関連の記事、改めてじっくり読まして頂きます!

2008/10/2(木) 午後 8:30 [ sen*n*oy*me ]

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本能寺の変がなかったら・・・。
まず一番変わっていたかもと思うのは、朝廷がなくなっていた可能性があることですかね??日本の有史以来、朝廷の権威を否定したのは信長公だけですしねー。ある意味、そのIFの歴史も見たかった気はしますが(苦笑。
信長公の軍事組織が、当時卓越した合理的組織であったというのは同感です。他の戦国武将と比較してもその組織力はずば抜けていますしねー。ただ、信長公の唯一の欠点といえば、軍略だけは当時のトップ武将と比較すると弱かったかもしれませんね。確か勝率としては、7割強だったと思います。上杉謙信や武田信玄、毛利元就の90%超の勝率と比べると若干低いというのはあるかと。
でも、歴史のIFをこれだけ感じさせる人物がいないのは確かです!

2008/10/2(木) 午後 11:38 すくね

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石山本願寺の件では、信長は十年くらい足止めくらってますから、このロスは大きいですよね。
この戦は、力勝負では信長の負け?、戦略勝ちといったところなんですかね?。
ここら辺は、鈴木眞哉さんが著書『戦国合戦の虚実』『鉄砲と日本人』で、信長のことをボロボロに言っておりますが、僕の感じではなかなか面白いと思うのですが、ゆうママさんの所感をうかがいたいところですね。

2008/10/3(金) 午前 0:16 こういち

戦国時代最強である事は当時の世界基準でいっても最強クラスだったと思います!鉄砲保有数が日本国内だけで欧州以上だった事を考えると…また100年近くも戦いを続けてたんで、戦い慣れもしてたでしょうし…なんか信長の戦略って現在のアメリカ的な戦略にも似てる気がします!

2008/10/3(金) 午前 9:48 まるこ

「坂の上の雲」ではないですが(大作のため未読成り)司馬先生の他の小説でも、信長の革新的な軍事システムは世界レベルであったと説明があったと記憶しています。
武田や上杉、その他の戦国武将の用兵とは一線を画すもので、外国人宣教師もその軍事力におののいていたとか。
やはり稀代の革命児。歴史のIFが作動したなら、秀吉は絶対天下人にはなっていなかったでしょうね〜!

2008/10/3(金) 午前 10:38 natumi

そうそう、司馬先生、信長さんのことべたボメですよね。でも信長さん主人公の小説がないのが不思議なんです(あ、もしあったらごめんなさい〜)恐れ多くて書けなかったのかな??
それにしても、この肖像画、明らかに外国人でかなり怪しい (苦笑)

2008/10/4(土) 午前 9:18 remiy

実は、一か八かの戦いは「桶狭間」だけで、あとは十分練った上での
「戦さ」しかせず、逃げる・諦めるの判断も早く、なりふり構わない。

凡人には想像できない人ですね。

2008/10/4(土) 午後 10:09 [ mat**u_p*pa ]

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浅井長政の裏切りは、朝倉を攻める際には浅井家に1報を入れた後にという約束を破った為という説がありますね、浅井に黙って朝倉を攻めるとき、もしかして挟み撃ちされるかもと言う懸念を信長ほどの人なら抱いてもよさそうですよね。

2010/6/8(火) 午後 6:32 ひで

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名古屋で生まれ育ったものとして、織田信長は永遠のテーマの一つです。信長のユニークさは、合理志向と神秘志向が両立していたところにあると考えています。彼を突き動かし続けた原動力は正義感と好奇心ではなかったかと。信長公記には、池の大蛇の噂を確認しに行き、まず自分が池に潜って探し、その後で泳ぎの名人に探させ、さらに池の水をかき出させています。桶狭間(田楽狭間)の戦いでも、一人で駆け出し、でも、部下が集まるのを待って、熱田神宮で戦勝祈願したり。間者からの情報を待つ時間稼ぎだったという説もありますが、私はすべて本気だったと感じます。そうそう、こちらのサイト(URLに記載します)では、桶狭間の地名が、ミクロネシア語で、「風雨を・利しての・戦い」、「顔面蒼白となった・殿様の・いた場所」と解釈できることが紹介されており興味深いです。数ある信長を扱った小説の中でも、宇月原晴明氏の『信長―あるいは戴冠せるアンドロギュヌス』が妙にしっくりきます。

2016/4/6(水) 午前 1:17 [ 山田 ]

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上記、ミクロネシア語は、原ポリネシア語の誤りです。謹んで、訂正いたします。

2016/4/6(水) 午前 1:22 [ 山田 ]

山田さま、古代史ならず戦国時代もお好きなのですね。コメントありがとうございます!この記事は2008年今から8年前になります。改めて読み直しましたが、信長公と本能寺の変、特に明智光秀については若干考えが変わってきております。
当時は本能寺陰謀説でしたが、最近は信長公はただただ身内に甘かったのが原因ではないかと。裏切った信勝を何度も許したり、信勝の嫡男信澄を可愛がったり、身内同様の平手の爺のために寺を建立したり、
きっと光秀も身内同然と思って
可愛がり過ぎてのイジリが高じただけで、信長公はいじめたつもりはなかったかもさしれません。
他者への攻撃は熾烈で容赦ないだけに、心許した身内にはガードが甘かったような気がします。あくまで個人的な想像ですけど。信長公信者ですが、宇月原晴明氏の本未読でした。紹介ありがとうございます。

2016/4/6(水) 午後 9:56 ゆーくんままま

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歴史全般に興味がございますので、いろんな書庫を読ませて頂きながら、私見をコメントに書かせて頂こうと目論んでおります。宇月原晴明氏の『信長―あるいは戴冠せるアンドロギュヌス』はオカルト小説とも言えますが、私には信長の心を推し量るためのインスピレーションがわいてくる一冊です。お読みになるとがっかりされるかもしれませんので、読まれる前には書評のチェックをお願い致します(笑)あと、秋山駿氏の『信長』は、今でも時折読み返しています。他に今でも読み返すのは、遠藤周作氏の『反逆』くらい。

2016/4/6(水) 午後 11:28 [ 山田 ]

コメントありがとうございます。
是非色々なご意見をお聞かせ下さいませ。
意見交換の場になれば幸いです。

2016/4/8(金) 午前 0:30 ゆーくんままま


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