ゆーくんはどこ?

皆様ありがとうごさいました。アメブロへ引越しますので、また、お会いしましょう! 我人に媚びず、富貴を望まず。(黒田官兵衛)

大河ドラマ「天地人」

[ リスト ]

イメージ 1

イメージ 2

お松と本多正信の次男・政重との婚礼の日が近づき、
京で婚礼の準備を進めているはずの弟、大国実頼から、
何の連絡もこないことに不安を覚えた兼続は、泉沢を京へ遣わして
事情を探らせます。


元々、京や大坂で上杉家のための外交を担っていた実頼は
心情的にも豊臣恩顧であり、上杉の誇りを捨てて家康に尻尾を振る兄の政治方針に
不満を抱いていました。

大坂では福島正則を相手に、愚痴をこぼすものの
「口先だけで実行できねば・・」と福島に言われて、内心忸怩たる思いを、酒に紛らしていたのです。

泉沢は、そんな実頼に「兼続を信じろ」と諭し、
二人で婚礼の打ち合わせのため、本多正信の屋敷に赴くのでした。

ところが、どうしても納得できない実頼は、後先も考えずに勝手に婚儀を断わってしいます。

「なんたる無礼!」
本多正信の長男、正純は激怒します。
そして家康はこの不祥事を政治に利用しようとしたのです。

すなわち大国実頼の行為を「上杉家の謀反の証拠」として糾弾し、
改易や取り潰しを免れたくば、上杉景勝の嫡子・玉丸を江戸へ人質として差し出すか
大国実頼の首を差し出せと、兼続に迫るのでした。

上杉家の取り潰しはもってのほか、ましてや、生まれてすぐに母を亡くした景勝の嫡男・玉丸を
江戸へ引き渡すことなどできない相談でありました。


兼続は京に上り、本多正信と正純に直接謝罪し、
上杉家に謀反の兆しなどないこと、
直江家と本多家の婚礼を、是非とも執り行いたいことを、率直に伝えます。

兼続の実直な態度に感銘を受けた本多親子は、
穏便に計らうことを決め、予定通り婚礼を行うことにしたのでした。


米沢で蟄居していた大国実頼への処分が決定しました。
「高野山追放」です。

兄から弟への命令でした・・・

「何故死罪にしないのか?
このまま生きて、本多家に直江家が乗っ取られる様など見たくない」と激怒する弟に対して

「本来なら死罪の所、助命嘆願に動いたのが、その本多様だ。
このまま今生の別れになるかもしれぬが、それでも生きていればこそ・・・」

と、生きることを諭す兄の姿でありました。


高野山へ追放された実頼を、同じ高野山で蟄居中の真田幸村が訪ねてきます。
兼続から便りがあり、「弟を頼む」と。

離れていても人と人は心で結びついている・・・

米沢で「生きていくため」屯田兵として開墾に励む同志を見舞う兼続は、
畑仕事を仲良く手伝う幼い兄弟の姿に、
かつての自分と弟の姿を重ねるのでした。

「兄上・・・!」
幼い与七の声が、遠く聞こえてくるようでした。


と、今回は

ものすご〜く良かった!
正直、「天地人」の中でも、小栗三成の最期を描いた「三成の遺言」に匹敵するくらい、
最高にいい出来だったんじゃないでしょうか!!

何よりドラマの内容が、ほぼ史実を踏襲しているのがいい!

正直、「天地人」はウワッツラの脚色で歴史を曲げる傾向があり、それが大いに不満だったので、
今回のような史実にほぼ忠実な展開のほうが、やっぱり重厚で深いなあ〜と思った次第です。


妻夫木君の、
上杉家を守るため、実弟を処断するという苦渋の決断が、

叫ぶでもなく、泣くでもなく・・・
一人伏見の屋敷で、黙ってに盃を重ねる・・・その苦しそうで寂しげな背中に篭められてて
じ〜んとしてしまいました。

多分、史実の兼続も、
同じように苦しみながらも誰にも相談せず、黙って実弟の処分を決めたんじゃないでしょうか?
直江とは、そういう男です。


そして 小泉孝太郎君演じる実頼も、
高野山で懐かしい幸村と再会し、頑なだった心がほんの少し氷解する様を

泣くでもなくわめくでもなく
「柿をもらおう」と静かにに答えることで演じてみせました。

上杉の誇りを最後まで貫いたことを、後悔しない!
そういうすがすがしい姿でしたね。


そしてドラマの終盤・・・

与六と与七の、愛くるしい姿が
米沢の里の景色に溶け込んで、直江兼続の心に回想されたシーンは、
戦国の世に共に助け合った兄弟の、
お互いを思いやるがために生まれた悲劇とその今生の別れが胸に迫って、
不覚にも、涙が溢れてしまいました。。。


関ヶ原以降の上杉家と直江家のお話は
史実どおりに描けば、それだけで深い話になる。。。

以前から何度もこのブログで力説していた自説だけに、
これから最終回までの残り少ない回も、同様の演出を是非ともお願いしたいです!!

ちなみに、ドラマで実頼が追放された原因は、本多家で勝手に婚儀を断わったため、としていますが

史実は、本多家への政重を迎えるために,兼続が京へ派遣した上杉家の使者二人を、
実頼が伏見宿の旅宿で長刀を振るって殺害したことが原因です。

理由はドラマ同様、直江家と本多家との養子縁組、家督相続に反対したためです。

ドラマでは、実頼は、米沢へ一旦帰りそれから処罰されたことになっていますが、

史実では、使者殺害後、追手を恐れて、自ら高野山へ逃亡しています。
そして上杉家での「実頼追放」の処分後も高野山に留まり隠棲しました。


追放後の実頼の消息ですが、

兼続の死後、密かに米沢北郊の中小松村に戻り元和8年(1622年)に死去したとも、
また、追放の翌年、慶長10年(1605年)に高野山で自害したとも伝わっています。

兼続は、弟への想いは強かったのでしょうね。
実頼の残された家族を、少ない俸禄のなかで養います。

実頼の娘の「お虎」は、兼続の養女となり、本多政重に嫁いでいます。
兼続の長女、お松の婿養子となった本多政重の、後妻となっているのです。

ということは、お松は・・・・?

そうなんです。
直江兼続が、上杉家のためと進めた、本多政重との養子縁組は、
実頼追放という悲劇だけでなく、更なる悲劇を生むことになるのでした・・・

直江の後半生は、
深い悲しみに包まれながらも、それでも上を向いて希望を探し続けた、そんな人生でありました。

に、しても・・・

ここんところ、北村さんの景勝、印象、薄いなあ。
執政兼続が、ほとんど藩主の役割果たしてますけど?いいんですか〜〜?
ちと不安です。



では、「勝手に補足コーナー」です。

今回は、ドラマの最後、兼続が見舞った、自給自足の屯田兵について、ちょっとご説明。

リストラを断行しない代わりに俸禄を3分の1に減らす条件で、米沢への移封に従った家来達ですが
薄給による困窮に、たちまち生活苦にあえぐことになりました。

そこで兼続は、2千人余の下士や家来とその家族を、郊外の荒地に住まわせ
自給自足の農業に従事させることにしたのです。いわゆる「屯田兵」としたのです。

そして、最下級の足軽であっても、宅地と小屋を与え、
年貢の取りたても免除して自由に開墾させたのです。

更に、兼続の凄いところは、自ら「農業指導」まで行っている点です。

武士にとって農業はまさに「畑違い」、ノウハウなど知りません。

そこで兼続は、収穫の早い、大豆、稗、ソバ、人参、大根、ゴボウなどの栽培を奨励。
また宅地内に、柿、栗、梅、杏など、果物の採れる植樹を指導し、
さらに、垣根は「ウコギ」を植えさせました。
ウコギの若芽は食用になり、葉っぱは茶になり、根っこは疲労回復薬になるからです。

このように兼続の農業指導は、具体的で詳細を極め、まさにプロ並です。
上杉家の筆頭家老でありながら、これだけ農業に詳しいのは、

半農の下級武士の子供として、越後上田庄で農作業を手伝った幼い経験だけでなく
兼続自身が、「土いじり」や「畑仕事」が大好きだった証拠でしょう。

兼続が指導した屯田兵たちは「原方衆」と呼ばれていました。
彼らの集落は、米沢の城下町を取り囲むように配置されていました。
いざとなれば、城を守る兵士とすべく、防衛策の一環でもあったのです。

兼続の米沢の都市計画は、周到に練り上げられた見事なものでありました。


屯田兵となった「原方衆」は、
直江の熱心な農業指導の影響や、年貢の優遇策もあり収穫量も増えて、生活も安定してきました。

原方衆は自分達の開墾事業を直江兼続の法名をとって「達三開き」と称し、直江兼続の遺徳を忍び
子孫達に語り継ぎました。

このように、直江兼続は、自身が、泥にまみれ、土にまみれて
米沢での上杉家の復興を成し遂げたのでした。


だから、

泥まみれの、妻夫木・兼続が見たいです。
泥かぶってもイケメンはイケメンだから、大丈夫だと思うのですが、
事務所が許さないのかな〜。
きっと最終回まで、おぐしも乱れない兼続なんだろうな・・・(トホホ


写真は、原方衆の武家屋敷とウコギの垣根の様子(米沢市芳泉町)
兼続と実頼の写真は、NHKホームページより拝借しました。

閉じる コメント(3)

派手さもない回でしたが、私も、最後のシーンはうるうるしてしまいました。仲良く野で遊んだ実の兄弟が政治に振り回されて決別してしまう様は、切なかったですね。
小泉孝太郎君の武士姿が似合っていただけに、名残惜しさを感じた次第です。

2009/10/30(金) 午前 9:43 natumi

顔アイコン

弟の謀反の行為は、兄の家、直江家を守りたい気持ちが強かったんですね〜。納得しました

2009/11/2(月) 午前 2:26 [ coco ]

兼続の米沢での内政がスルーされるというのは杞憂だったようで、それは良かったと思いました。

ただ兼続が本多家に釈明に行ったときの言い様は、「(弟を含め)他の者の唱える義は正しくない。正しいのは自分だけ」と言っているようで不快です。

>兼続は、弟への想いは強かったのでしょうね。
実頼の残された家族を、少ない俸禄のなかで養います。
うーん、でも実頼は上杉家の使者を殺害するほど本多政重の婿入りを反対していたのに、自分の娘がその相手とされることを喜ぶでしょうか。実頼の継いだ大国家ではなく、直江家の養女としてですから、政略の駒に使われたように思えます。

2009/11/4(水) 午前 1:15 [ とみ ]


.
ゆーくんままま
ゆーくんままま
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

ブログバナー

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

過去の記事一覧

友だち(1)
  • 龍王山瑞雲寺
友だち一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事