ゆーくんはどこ?

皆様ありがとうごさいました。アメブロへ引越しますので、また、お会いしましょう! 我人に媚びず、富貴を望まず。(黒田官兵衛)

大河ドラマ「天地人」

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上杉景勝の命で「勝吉」と名を改めた本多政重とお松の祝言が行われます

ささやかながらも温かい祝いの席でありながらも、
毒を気にして酒を飲まぬ婿殿に一抹の不安を感じる直江家の面々・・

お松は、形ばかりの夫婦であることに悩み、「勝吉さまと本当の夫婦になりたい」と
母であるお船に打ち明けます。

「いつでも相手を思いやることが大切」

お松は、勝吉の心が開かれることを願うのでした。



一方、兼続は、上杉家の勘定までも勝吉にみせる豪胆さです。
もちろん、上杉の内情はそのまま徳川へ筒抜けとなるのでした。

兼続の細やかな政策で米沢も活気を取り戻しつつあります
しかし、悩みの種は、大雨で決壊する堤。

直江は、米沢生まれの伊達政宗に、治水の方策を尋ねることにします
伊達政宗は、もっぱら上方の情勢に興味があるようすが
肝心の直江兼続は、われ関せずの態度であります

「直江山城守が天下について語らぬとは・・」とあきれる政宗に
「私にとって米沢での民の暮らしこそが天下である」と答えるのでした。


ところが、米沢に悪疫が流行ります。
直江家の次女・お梅が命を落とし、その涙も乾かぬうちに、お松が倒れてしまいます。

「勝吉さまと夫婦になれて幸せだった・・・無念です」
余りにも短い結婚生活、余りにも儚い新妻でありました。

お船は、お松が病をおして縫い続けていた勝吉の着物を仕上げます。
健気に生きた娘達を立て続けに失った悲しみに堪えきれず
「今晩だけは泣かせて下さい。明日からはもう泣きません」と涙を流すのでした・・・


勝吉は、「お松を失った以上米沢に留まる必要のない」からと、
竹松に直江の家督を譲ってほしいと兼続くに申し出ますが、

直江は、米沢の秘密の武器工場を勝吉に見せ、
「わしの娘が愛した夫だから隠すことなどない。米沢に残れ」と伝えるのでした。

やがて時が経ち、伊達政宗が、治水の助言のために直々米沢へやってきます。

直江が作りつつある米沢の国づくりに感嘆し
「悪くはない、ここは一つの天下をなしている」と政宗流に賞賛します。

直江は政宗の言葉に「自分の進むべき道がみえた」と答えるのでした。


一方、上方と江戸では、徳川と豊臣の最後の覇権をかけた戦の予兆が見えてきました。
上杉が、そして直江が、どのような道を選ぶのか。。。
天地人、最後のクライマックスが近づいてきました。

と、

今回は、本多政重の婿入りがもたらした新たな悲劇が主題でありました。
お松の、勝吉に対する切ない想いと悲劇、そして家族の哀しみは胸を打ちました。

正直、この主題だけに絞って描けばよかったのに、
それ以外は、まったくもって、いただけませんでした・・・


前回の「実頼追放」のように史実に忠実であればそれだけで深イイ話になるのに、

なんで、無意味な脚色で歴史をひんまげて、ドラマをつまらなくしちゃうのでしょうか?


特に、直江が伊達政宗の元へ直々に訪問し、治水について援助を求めるなんて、言語道断です
あのシーンでこけそうになりましたよ。まじで。


当時、治水という「軍事機密」を他国の執政に教えるような、そんな馬鹿な領主はいません。

事実、「奥の細道」における隠密・芭蕉の裏ミッションは、
ずばり、東北諸国の治水事業の偵察だったと云われています。
それほどの機密事項なのです。



さらに、政宗と上杉は、関ヶ原以前から天敵の間柄。
事実、上杉VS伊達の小競り合いは関ヶ原のあと、米沢へ上杉が移封される2年間も続きます。

慶長6年(1601)1月 伊達軍が二本松へ出兵、撃退される
        2月 伊達軍が伊達郡へ侵攻、しかし福島城の本庄繁長が撃退。
          伊達軍は400人以上の死者を出した
        
その後も、福島城、梁川城、白石城・・・と伊達政宗は執拗に会津へ侵攻します
しかしすべて撃退されるという惨憺たる結果。

伊達にとって会津は旧領、
領土に異常な執着を見せる若き伊達政宗にとって
これだけ強い軍でありながらも「義」を掲げて領土に執着しない上杉の存在に、
自己否定されたような「憎悪」を抱いたのかもしれません。


だからといって
直江兼続と伊達政宗に友情が芽生えていた・・・なんて
少女マンガじゃあるまいし。

直江にとって、治水を含めた都市計画は、ずばり、「国家防衛」を基本としたものでした。
国家防衛=米沢の民を守る。
それで充分じゃないでしょうか?

そんな、直江の米沢での都市計画の根幹を成す「治水事業」について、
プチ「勝手に補足コーナー」です。


四方を山に囲まれた盆地であったことから、米沢は水害が発生しやすい地形でありました。
しかし、効果的な治水事業を施せば、豊富な水源があるだけに開墾や農業に有効となるのです。

兼続は、驚くべきことに、農業だけでなく治水事業にも精通していました。
堰堤、堤防を築いて水害を防ぎ、農業や生活用水として利用したのでした。


米沢で直江は築いた堤防を列挙すると

「御入水堰」: 松川上流から米沢城の内堀まで全長10キロに及び、40余もの分水路があり
        城下の生活用水として活用された
「諏訪堰」: 浅立村と広野村の600石以上の新田開発に利用された
「長堀堰」: 小松三村の新田開発に利用された
「大塚堰」: 大塚村の開発、増産に貢献
「谷地河原堤防」 : 現代でも米沢市を守る堤防である


等々・・・・圧巻の一言ですね。

兼続の徹底した治水事業で、
米沢の生産高は年々増加し、財政難で瀕死の状態であった国の力も蓄えができるほどになりました
兼続はその余力を使って、米沢に秘密の鉄砲村を作ったのです
そこで鉄砲を増産し、国防の一環としたのでした。

なぜか?

それは、本多家を通じて入手した江戸や上方の情報から
徳川と豊臣の天下を揺るがす大戦が起こると予測していたからでしょう。




さあ、次回より「大坂の陣」。
上杉家は東軍として豊臣家を攻めます。
その「義」をどう説明するのか・・・今年の脚本だとちょい不安です。



またあんまり期待していませんが、
どうか、真田幸村様、ラストに向かって今度こそのご活躍、願っております!!



写真は、米沢市内を流れる「御入水堰」。
松田政宗&妻夫木兼続は、NHKホームページより拝借いたしました

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兼続が、何故、実子竹松に直江家を継がせないのか、それが疑問です
可愛い娘二人を失った妻の気持ちを考えてあげて欲しいです
なんか、家庭を犠牲にする仕事人間の典型みたいで・・
なにが愛なのか、理由も定かでないような、そんな違和感を感じました。

2009/11/8(日) 午後 5:28 remiy


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