ゆーくんはどこ?

我人に媚びず、富貴を望まず。(黒田官兵衛)

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ほぼ1ヶ月前、2010年9月12日

私は息子を連れて、早朝、飛鳥へと向かった。

押さえきれない興奮を抱えながら・・・

目的地は

牽牛子塚古墳 現地説明会 !


飛鳥駅は、私と同類(=マニア)と思しき多くの人が降り立った。

「現地説明会」の案内に従い、丘を登ると・・・すでに長蛇の列。

周りの人からの情報だと、2時間待ちらしい!


この日、9月12日はすでに30度を軽く越える猛暑日で
まったく日陰のない道路で子連れで2時間も並ぶという、厳しい状況であったが

「斉明天皇の墓」とほぼ断定された古墳である!!!

宮内庁管轄というお墨付きのない、稀有の発見である。
古代天皇の陵墓遺跡をこの目でみる!

ここまできて、そんなチャンスを逃すことなど、
古代史マニアとして背信行為でしかない!


息子には、事の重大さを説明し
(多分、今はまったく理解できていないだろうが、きっと将来わかってくれるはず・・)
ペットボトルを大量に購入し、タオルを首に巻いて、熱中症対策とした。

列の前後が家族連れで、小学生の子供が一緒に並んでいたのも、ラッキーであった。
同じ年頃の仲間がいることで、息子も「なにかスゴイ発見があったんだ」と納得したようだ。

さて・・

大量の汗を流しながら 並ぶこと1時間半ほど、
救急車のサイレンが近づいてきた。

担架で運ばれた横たわった参加者の、青ざめた顔が見えた。
熱中症で倒れたようだ。他人事ではない。

直後、息子にペットボトルの水を大量に飲ませたのは言うまでもない。


そんなキケンな状況ではあったが、約2時間後、

いよいよ、古墳との対面となった。


まず驚いたのが、古墳の場所。
かなりの高所にある。

イメージ 1



石室に試用された巨石を高所に運搬する技術とその権力の強大さを確信した。

過去の調査で貴人に用いるひつぎ「夾紵棺」などが出土していたが、
未確認であった墳丘の構造が確認され、斉明天皇陵とほぼ断定されたのである。


二つの空間に仕切られていた石室。

イメージ 2



斉明天皇と娘の間人皇女を合葬したと記された日本書紀の記述と合致するため
以前より、牽牛子塚古墳こそが、斉明天皇陵ではないか、と言われていた。

六年の春二月の壬辰の朔戊午。
天豊財重日足姫天皇(斉明天皇)と間人皇女とを小市岡上陵に合せ葬せり。
是の日に、皇孫大田皇女を、陵の前の墓に葬す。
・・・(中略)
皇太子、群臣に謂りて曰く、
「我、皇太后天皇の勅したまえる所を奉るしより、万民を憂へ恤む故に
石槨の役を起こさしめず。ねがう所は、永代に以って鏡戒とせよ。
                          日本書紀  天智紀  

ただし、日本書紀には、斉明天皇の合葬相手は、もう一人存在する。

五月に、皇孫、建王、年八歳にして薨せましぬ。
今城谷の上に、殨を起てて収む。
天皇、本より皇孫の有順なるを以って、器重めたまふ。故、不忍哀したまひ、傷み慟ひたまふこと
極めて甚なり。
群臣に詔して曰く「必ず朕が陵に合せ葬れ」とのたまふ。
                日本書紀 斉明紀  

             
同じ書紀内でも合葬者候補は、建王、大田皇女、間人皇女と、複数存在する

さらに、天智紀では、
国民のため血税を使って、横穴式石槨を建造しないよう、斉明天皇が詔した、とのたまっている。


牽牛子塚古墳は、当時としては大きく、煌びやかで、手の込んだ墳墓であり
巨石を採掘して横穴式石槨とした内部構造をもち、建造に借り出された労力や技術は
はんぱなかったであったろう。

となれば、国民を使役し血税を使ってまで石槨を造らない、とした天智紀の記述とは合わないことも、
ちょっとひっかかる。


もしかして、斉明天皇、娘、孫2人・・・・4人皆一緒に葬ることで
墳墓の再利用、節約を実行した、と言う事なのか? ECO?

2人用の石室だが、窮屈ながらも4人合葬説も、ありえるのかもしれない。

再考が必要であると思う。


イメージ 3


内部構造は、南にむけて横穴が開口するかたちの横口式石槨。
巨石をくりぬいて2つの墓室を設けた特異な内部構造をもつ。

二上山の約80トンの重量をもつ1個の巨大な凝灰角礫岩を運搬し、
この高台に持ち上げたのである。

天皇クラスの権力者でなければ建造できない代物である。
節約を心がけるどころか、
「狂心の渠」(=巨石好き)と揶揄された女帝に相応しいといえよう。


そして、今回確認された

八角墳 !!!

イメージ 4


のすその部分から発見された八角形の石敷きの一部が
はっきりとこの目で確認できた。

まるで犬走りのようだ。

イメージ 5



深さ約20センチの溝の中に凝灰岩の切り石
(長辺約40〜60センチ、短辺約30〜40センチ、厚さ約30センチ)を、
八角になるように、135度にきれいに敷き並べている。

イメージ 6


まさにお手本のようである。
古代人の数学の力量の高さを、改めて知った。



高さ約4.5メートルと推定され、版築による三段築成のピラミッドで
墳丘斜面は、これまた三角柱状に削った白色凝灰岩の切り石で装飾されていたようだ。


おそらく、当時は、
高台の頂上で、光を浴びてキラキラと光る墳丘が、飛鳥の都から見えたことだろう。


ちなみに、八角墳について。

夫、舒明天皇の陵墓(忍阪段ノ塚古墳)、
息子、天智天皇の陵墓(御廟野古墳)
息子、天武天皇の陵墓(野口王墓、持統天皇との合葬墳)

と、当時の天皇陵墓がいずれも八角墳であることから
牽牛子塚古墳が、天皇の墓である可能性がかなり高い。

しかもすべて、斉明天皇の近親者である。


八角形は道教では「全世界」を意味することから
死後も支配者であることを形状にこめたのではないかという見解がある、との事だ。

しかし、宮内庁が定める斉明天皇は
奈良県高市郡高取町大字車木に所在する「車木ケンノウ古墳」である

宮内庁は、「墓誌などが出土しないかぎり、陵墓治定を見直す必要はない」とおしゃってるそうな。

墓誌など発見される可能性はゼロに等しく、
頑迷すぎる宮内庁の態度は、毎度のことながら、溜息がでる。



イメージ 7


なお、この古墳は、地震により崩落しており、石槨を囲う巨大な切り石の外扉が、無残に傾いている。

盗掘は傾いた切石の隙間から行われたようで、
地震がなければ、女帝を着飾った見事な副葬品が大量に出土したかもしれない。

とはいえ、少ないながらも、
夾紵棺、七宝飾り金具、臼歯などが出土品が採集されている。

特に、「夾紵棺」とは麻布を漆で何重にも貼り重ねてつくった当時としては最高級の棺であり、
被葬者が貴人である有力な手がかりである

臼歯は若い成人。合葬者の誰かと推定される。

イメージ 8


対辺の長さは約22メートルにおよぶ。
築造年代については出土遺物等から7世紀後半頃と考えらている。


では、この陵墓の被葬者とされる斉明天皇とは、どのような女帝であったのか?

天豊財重日足姫尊(皇極・斉明天皇)554年〜 661年8月24日


学校で習った日本史では
第35代皇極天皇が、重祚して第37代 斉明天皇、って覚えたよね。

2度天皇になっただけでもすごいが
この女性の人生は、それだけではない、まさに波乱万丈という言葉がぴったりだ。

2度結婚してるし、

歴代天皇では最も蝦夷討伐に力を入れている

山背大兄王の滅亡や、蘇我氏が滅亡した、乙巳の変、 大化の改新、有馬皇子の処刑など、
血みどろの内部抗争もつぶさに見ている。

巨石好きで、道教かぶれの、怪しい建造物にはまり
「石狂い」と揶揄された

蘇我蝦夷の雨乞い競争で、みごと降雨を成功させた

天智天皇の生母である

天武天皇の生母とされるが、これはかなり怪しい。

百済を滅ぼした新羅と唐から百済を援けるため
軍とともに筑紫の朝倉宮に居て戦争に備えたが、
遠征の軍が発する前に当地にて亡くなった。

ふ〜・・・すご。

かなりアグレッシブな女性であると想像できる。

そして、母性の強い女性でもある

次回は是非とも、日本書紀 「皇極&斉明紀」の中で
個人的に興味深い事件を、原文でもって紹介・検証してみたい。




【牽牛子塚古墳 現地説明会 追記】

明日香散歩


牽牛子塚古墳 現地説明会を無事に終えた私達親子は、
まだ時間があったので、明日香を散策した

子供が好きそうな、石の造形物を中心に、見てきたのだが。

がっつり、息子は大喜びだった。


「鬼のトイレはでっかいね〜」

イメージ 9


ちなみに、鬼の雪隠は、牽牛子塚古墳と同類の、巨石刳り貫き横口式石槨墳。
ただし羨道を持つタイプ。使った巨石は硬質の石英閃緑岩。

牽牛子塚古墳は、二上山の軟質の凝灰岩。
こちらの方が加工がしやすく年代も新しい。



亀石

イメージ 10


「亀というより、かえるだよ〜」・・・・なるほど確かに。


猿石
イメージ 11


イメージ 12



斉明天皇の母・吉備姫王の陵墓に置かれていた。

猿石自体は、702年(元禄2年)に平田村池田という場所の田んぼから掘り出されて、
明治初年ごろに現在の場所に移されたらしい、とのことなので

吉備姫王には直接の関係はないだろう。

が、「吉備」と「出雲」という言葉に過剰反応してしまう、わたくし。
猿石は渡来人を模したものだとも言われており、
あれこれ、古代史ロマンに浸ってしまったのは、言うまでもありませぬ。


久々に訪れた明日香でしたが、やはり良かった!


正倉院展も始まるし、

秋は、古代史ロマンに浸る、絶好の機会なので
ぼちぼち、マニアな記事もUPしていきたい。




閉じる コメント(2)

猛暑での2時間待ちは、確かに過酷ですね〜。熱中症にならず、良かったです。でもその甲斐あって素晴らしい遺跡を見ることができたんですから!
亀石、猿石、サイクリング廻りしました。
鬼の雪隠は存在感ありました。古墳の跡らしいけど、どうみてもトイレ・・・(笑

2010/10/15(金) 午前 10:04 natumi 返信する

あの日は本当に暑かったです。
今までで一番、熱中症の危険を感じた2時間待ちでした。

でも、それでも、並んで正解でした。

2010/10/21(木) 午前 0:07 ゆーくんままま 返信する

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