ゆーくんはどこ?

皆様ありがとうごさいました。アメブロへ引越しますので、また、お会いしましょう! 我人に媚びず、富貴を望まず。(黒田官兵衛)

大河ドラマ「平清盛」

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「近況報告」いたしましたように、やっと今晩47回を観ることができました。

残すところあと4回。
清盛の最晩年、それはすなわち、平家転落の道。
安徳天皇を誕生させてわずか1年・・・
この世の極み、人知最高の栄華から転がりおちていく一門。

ドラマがやたら展開が速く見えますが、あれが正解なのです。
年表を御覧になればわかるように、治承4年 8月17日 源頼朝が伊豆で挙兵してから
わずか2ヵ月後の10月19日に富士川合戦となったのですから。。。

久しぶりなのでおさらいのため、年表を。

治承4年(1180) 清盛 63歳
2月20日  大輪田泊の修造認可
2月21日  高倉帝攘夷し、院政開始
      安徳、受禅。
3月19日  高倉上皇を福島・厳島へ迎える
4月7日   以仁王令旨
5月15日  以仁王の乱発覚
5月26日  以仁王の乱を鎮圧
6月2日   福原遷都
7月から、飢饉の兆候
8月17日  源頼朝、伊豆で挙兵
9月5日   頼朝の追討宣旨下る
10月19日  富士川合戦 
11月23日  還都
12月23日  南都追討し、南都焼失


治承5年(1181) 清盛 64歳
正月8日  畿内惣官職を設置し、宗盛を補任
正月14日 高倉上皇死去。後白河法皇の院政再開
2月7日  丹波総下司職を設置し、平盛俊を補任。
閏2月4日 九条河原口の平盛国の邸で清盛死去


今回は、頼朝挙兵から富士川合戦がメインです。
史実をざ〜っとご紹介しつつ、ドラマの感想を挟み込んでいきたいと思います。



以仁王の乱(5月26日)の顛末が伊豆の源頼朝の元へ届いたのは6月だった。
源頼朝の凄いところはここで諦めず、源氏再興のために直ぐに挙兵を決断した事だ。

平家への不満が爆発寸前であることを冷静に判断したあたり、やはり将軍の器であったと思う。

8月17日。挙兵した頼朝軍の最初の標的になったのは、山木兼隆。
平家一門である平信兼の子で検非違使であったが、父と不和になり解官となって、
伊豆の目代に左遷されていた。
とはいえ、平家一門出身である。格好の血祭りの対象であった。

京に「頼朝挙兵」の報が届いたのは9月に入ってからだ。
藤原忠親は『山槐記』9月4日に記している。
翌日 9月5日には「頼朝追討の宣旨」が出されている。福原に衝撃が走ったことが伺える。

宣旨の内容は「伊豆国流人源頼朝が凶徒を語らい、伊豆や隣国を虜掠しようとしているから、
平維盛、忠度、知度を追討使として派遣するので、東海・東山両道の武士はこれに加われ」という内容であった。

ところが、凶徒を語らったはずの頼朝が相模国の早川で破れ敗走たとの報が9月7日に伝わってきた。

8月23日の石橋山の戦いである。
平家軍3万に対し、頼朝はわずか300騎。散々に打ち負かされて僅かな供回りと山中に逃れ、
船で安房国へ逃れた。

梶原景時が洞窟に頼朝らを発見したが、「ここに人跡は無い」と大庭景親に述べ他の峰に誘った、という
ドラマにも描かれたシーンは『吾妻鏡』による。
その後、頼朝の軍師となった景時への信頼の高さから、このエピソードは事実であろうと推測する。

尚、この石橋山戦いで敗走中、頼朝は先頭にたって闘っている。
弓矢をもって自ら戦い百発百中の強弓を見せ、武者の片鱗を見せ付けている。
その後、最前線で闘うことは無くなったが、武士としても一流であった事も、関
東武士を束ねた要因であった。


この頼朝敗退の報に清盛は安堵したのであろう。安芸厳島詣の予定を立てた。
後から出発予定の高倉上皇を厳島で迎える手はずを整えるためであった。

若い頃の清盛なら、頼朝の首を見るまで追撃の手を緩めなかったろう。
しかし、追討よりも安芸詣でを優先する姿には、武将の片鱗は見えない。

ところが、安房に逃れた頼朝が、関東の主だった豪族を与力とし破竹の勢いとなったことが伝わり、
清盛の安芸詣は延期となった。


治承4年(1180年)8月29日、安房国へ上陸した頼朝は、
房総に勢力を持つ上総広常と千葉常胤の支持を受け勢力を拡大し、瞬く間に関東を平定してしまう。
そして10月6日、父・義朝と兄・義平の住んだ鎌倉へ入り、大倉御所をかまえて、政治の拠点とした。

関東で源氏の地盤を固めた父と兄。
二人の英傑に自分をダブらせ、源氏の嫡流であることを最大限に活用したのである。


東国だけでなく、九州でも叛乱が起こる。
鎮西は平家の拠点であったため衝撃は大きく清盛は宣旨を取らず、私的な追討軍を急遽派遣する。

更に福原から、9月21日 維盛を総大将とする頼朝追討軍が出発した。
同日、高倉上皇は安芸へと向かった。厳島神社に勝利を祈願するためである。

しかし一度広がった叛乱の火の手は、そうたやすく鎮火はできない。
熊野でも叛乱軍が決起し戦いは熾烈となり、信州では武田太郎信義が甲斐国を占領して、
東海道へと向かう頼朝軍に合流、頼朝軍は4万騎まで膨れ上がっていた。

しかしそんな尋常ならざる事態になっても、10月初め、清盛は厳島と宇佐へと出立した。
拡大する戦火のなかでの頻繁な参詣は、清盛の人望を失う結果となった。

清盛は裸の王様となっていたのだろう。事実を分析するにも実態が伝わらなければ、
正確な判断はできない。
追討軍の総大将にまだ弱年の維盛をあて、兵もわずか4千弱であったこともその結果であろう。

追討軍は福原から六波羅に入って戦陣を整えた。
総大将の維盛と次将の藤原忠清が吉日を選ぶ選ばぬで悶着があり、
京を発したのは9月29日となってしまった。

また西日本を襲った飢饉のため食料調達もままならず、4000の兵が2000まで減ったとも言われている。

10月19日、富士川をはさんで、頼朝軍と維盛軍は対峙する。
士気のあがる源氏軍に対し、食糧難の平家軍は兵力の差から全く士気は上がらなかった。

源氏の奇襲を恐れるあまり、最中に水鳥の飛び立つ音に浮き足立った維盛軍は潰走し、
頼朝軍はほとんど戦わずして勝利を得た。
(もしくは兵力差から撤退中の平家軍が、水鳥の羽音に驚き壊走したとも言われている)

平家方は恐慌状態に陥った自軍の混乱を収拾できず、平家方は総崩れになって逃げ出した。
遠江国まで退却するが、軍勢を立て直すことができず、全軍散り散りになり、
維盛が京へ逃げ戻った時にはわずか10騎になっていた。

この時逃げ惑う遊女達が馬に踏み潰されたとの記載もあり、今回の大河ドラマは富士川合戦を
かなり忠実に描いていたと思う。

合戦の翌日、9月21日 黄瀬川で、頼朝は若武者から取次ぎがあると聞かされた。
頼朝の挙兵を聞いて奥州平泉から駆けつけた弟の九郎義経であった。
有名な「黄瀬川の対面」である。

近習は怪しんで取り次ごうとしなかったが、頼朝は「その者の歳の頃を聞くに、陸奥にいる九郎であろう」と言い、対面がかなった。
頼朝は平泉で藤原氏の庇護を受けていた異母弟の事を承知していたようである。

ドラマでは、異母弟の出現に戸惑う頼朝の表情がなんとも。
純粋な義経に対し、すでに政治力をつけつつある兄。

岡田将生君と神木隆之介君の美形兄弟・・・絵になっておりました。


追討軍壊滅の報は、京に大きな同様を与えた。
11月1日、厳島から福原に帰ってきた清盛が激怒したのは言うまでもない。

ドラマでは、総大将維盛が福原で清盛から足蹴にされるシーンが描かれているが、
史実は違う。維盛は近江の瀬戸に留まり、清盛へ使者を送って一部始終を伝えている。

維盛は、当時でいうところの「イマドキの若者」であったのだろう。
平成ならメールで報告、という感じかもしれない。

清盛はその報告を聞き、当然ながら激怒して
「追討使を承るの日、命を君に奉り了ぬ。喩え骸を敵軍に曝すと雖も豈恥たらんや。
未だ追討使を承るの勇士、徒らに帰路に赴く事を聞かず。若し京洛に入りて誰人に眼を合わすべけんや。
不覚の恥、家に胎し、尾籠の名、世に留めんか。
早く路より跡を暗ますべきなり。更に京に入るべからず。」

さらに清盛を激怒させたのは、宗盛が「還都すべき」と清盛へ進言したことであった。
従順であるはずの宗盛に言われたことも腹がたったのであろう。
清盛と宗盛は口論となり、一門を驚かせたとある。


ドラマでは、史実とは違いますが、敗戦の責任をとって藤原忠清は死を給うと言い、
清盛へ命懸けの諫言をする。
「平家はもはや武門ではなく、清盛自身ももはや武士ではない。」と。

裸の王様となっていた清盛は怒り狂い忠清を自ら斬ろうとするも、宗剣の重さに耐えられず
ぶさまに転倒してしまう。

そのとき、亡き父・忠盛の言葉が脳裏をかすめた。
「心の軸が体を支え、心を支えるのだ。」
父は死ぬまで軸を持ち続けた武士であった。清盛は権力に執着するあまり、武士という心の軸を
失ってしまったのだ。

転がった宗剣が、いつしかさび付いているように・・・。




48回は後白河法皇降臨のようですね〜!
今週末の最終回まであと2話。
とりあえず48回を見なきゃ〜。

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