ゆーくんはどこ?

皆様ありがとうごさいました。アメブロへ引越しますので、また、お会いしましょう! 我人に媚びず、富貴を望まず。(黒田官兵衛)

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櫛橋左京進演じる金子ノブアキさんの演技が光りましたね!
 
妹や姉への思い、愛情が強いだけに、
義弟の官兵衛を許すことができない葛藤。
 
左京進自身も、官兵衛が妹も姉も姉の子供たちへの愛情を持ち、
妻の実家である櫛橋家を、とても大事に思い、接していることを、分かっていたでしょう。
しかし、どうしても自分の気持ちやプライドを折ることができない男の面子。
 
播磨分断という事態は、
官兵衛の妻の親族をも敵見方に分断してしまう辛い現実となってしまったのでした。
戦争とは無情で哀しく辛いことなのです。
 
 
今回のストーリーも、ほぼ史実どおりでしたが、
補足説明を加えつつ、感想を書いてみたいと思います。
 
 
冒頭、天正6年正月の、安土における茶会の席が描かれていた。
 
秀吉は先年の暮れに、「播磨平定」の報をもって安土へ凱旋し
信長への戦勝報告と、次ぎの作戦への指示を仰ぐためであった。
信長は「序戦としては申し分ない。」と喜び、
秀吉へ鍾愛の茶器である「乙御前(おとごぜ)の釜」を与えた。
 
信長から茶道具の名器を賜ることは、当時にあっては、勲章を授与されると同義であった。
すなわち、信長の重役として名実共に認められたことを意味する。
さらに「茶釜」を与えられたということは、秀吉主催の茶会の開催も公認されたのだ。
これ以上の厚遇はない。
 
ドラマに描かれていないが、
天正6年(1578)の正月。安土城にて数多の歴々たる武将が大広間に平伏して信長に新年を賀した。
その席で信長は秀吉を御座へ呼び寄せ、
「侍といわれるほどの者はこの筑前(秀吉)にあやかるがよい。筑前こそまことの武辺者よ。」
満座で褒めたという。
秀吉はこれ以上ないほどの面目を果たした。
しかし、その一方で、秀吉不在の播磨では、毛利の調略が密かに進んでいたのである。
 
天正6年2月、秀吉は再び播磨へ下った。その陣容は更に3000追加され強化されていた。
播磨では、官兵衛ら織田方の一群は、加古川で出迎えた。
そして、加古川の陣屋で、織田方お味方の大宴会が開かれ、
宴が終わると、席を替えての軍議へと移った。
 
秀吉は、既定方針と織田家の必勝のみ述べておけば今回はまあよかろうと考えていた。
宴会の後でもあるので、軍議とはなばかりの体裁だけの、顔合わせ的な評議だと、
軽く考えていたのだ。
 
しかし、それが罠だったのだ。
軍議になって、やたらとしゃべる男がいた。
三木城主・別所長治の叔父・別所吉親である。
酒が入った酩酊の様子でありながらも、しきりに呼びかけて、毛利の強さを説きはじめた。
さすがの秀吉も黙ってはおれず、
「意味がわからぬ。」と憮然と返せば、別所吉親もびくともせずに
 
「御身のために申せば粗忽に中国へ関わり給えば大事を引き起こさんと案じるがゆえ。
ゆえにゆるゆると軍備を固め、毛利の支城枝城をぼつぼつ攻め落とされて後に、虚実を計って
大軍を動かさざるべきではない。」
 
と真っ向から毛利との戦に否を申立たのだ。
 
秀吉は怒り激しい口調で叱りつけた。
「其のほうたちは、ただ、筑前の先手を勤め、わが命を奉じて奮戦すればよいのだ。
根本の戦略は信長公より命を受けて一切、秀吉が決定すること。おぬしらの容喙は許さぬ。」
 
すると別所吉親はしめた、とばかりに
「左様か。なればもうここにおる意義はない。お暇させていただく。」とさっさと退席してしまったのだ。
 
毛利と通じた別所吉親の首をかけた大芝居であった。
城主の代理として出席させた以上、別所長治の責任も問われる。
 
三木城に帰った吉親は、甥の長治に秀吉の傲慢な態度を報告し
「信長の真意は、我ら一族を利用し、中国征伐の成功の後は、個々自滅を与えて
三木城も秀吉へ報償として与えるのではないか?」と伝えた。
 
別所長治が、官兵衛との約束を反故にし、毛利へと寝返った瞬間であった。
 
ドラマでも描かれていましたが、「本領安堵」は口約束で、
信長の本心は、秀吉の切り取り次第(報償として与える)ではないか?という疑心暗鬼が
播磨の離反を招いたというのは、ほぼ事実である。
 
毛利はそこをついて播磨の国衆に調略を仕掛けていた。
そして信長公自身も、国衆の城や土地を織田軍の領地とする腹積もりであったと推測される。
 
信長軍や彼の武将たちは兵農分離された、職業軍人。だから革新的なのだ。
稲作や米の収穫に煩わされず、信長の命があれば、一年中出動できた。
そしてその恩賞として「切り取り次第の領地」が与えられた。
「恩賞」があるからこそ、信長軍は強く死に物狂いで戦い、最強の軍隊であり得たのだ。
 
とはいえ、官兵衛が、播磨の国衆が無駄に血を流すことなく、無血で攻略できるよう
必死で日々苦心し駆けずり回った地盤工作が、一気に瓦解した瞬間でもあった。
 
播磨で最大の勢力をもつ三木城の毛利への寝返りは、忽ち播磨に伝わり、
小城の緒豪も踵を継いでこれに呼応した。
「羽柴軍を中国から一掃せよ」と一種の”播磨ナショナリズムの旗”を与える格好になったのだ。
 
神吉城の神吉民部少輔、志方城の櫛橋左京進、淡河城の淡河弾正忠、高砂城の梶原平三兵衛、
野口城の長井四郎佐衛門、端谷城の衣笠豊前守 等々である。
 
ドラマでも描かれていたように、官兵衛は、加古川評議の後でも
反秀吉に寝返った上記の城主の元を訪ねて、直接翻意を促している。
 
播磨は元々赤松氏の国であり、国衆の多くが赤松氏の諸流や流れを汲む族流が多い。
小寺家も別所家も赤松一族の諸流であった。
血として近い家どおしが、身内で戦うことの愚を避けたかったのだ。
 
特に、妻の実家である志方城の寝返りは、官兵衛にとっても痛恨であったろう。
さらに、官兵衛の仕える御着城の小寺政職にも不穏な動きが出始めた。
官兵衛の人生最大の苦境が始まったのであった。
 
ネタバレになりますが・・・
 
官兵衛は、その後・・・
裏切った友も、裏切った上司も、また袂を分かった義兄も、すべて許すのです。
 
この当時の官兵衛の行動は、実に誠実でそれゆえに大きな苦悩を感じさせるものであり、
黒田官兵衛を純粋かつ思想家の香がする人物だと、個人的に思う理由でもある。
 
 
そして同じ頃、官兵衛同様、苦境にたたされた人物がもう一人いる。
有岡城の荒木村重である。
 
奇しくも加古川評議と同じ頃の天正6年2月、
荒木村重は信長の命を受けて、本願寺の顕如光佐の許を訪れ和睦を申し入れた。
そのとき信長は荒木にこんな書面を持たせている。
 
「本願寺との和睦の義が成り立ち候うえは、永々八木(=米)五万石を寄進。
和泉、河内両国の内において三郷の地永代進上候。その地へ本願寺建立あって、
当石山を速やかに開城給う事朝廷へ忠義、万民和楽」
 
しかし、播磨の国衆ですら信長の不実を疑い反旗を翻したのだ。
永年に渡り門徒を虐殺された本願寺が、この申し出を信じるはずなどない。
和睦を飲み開城したら手のひらを返す謀略だと主だった幹部は反対した。
 
しかし、信長軍に包囲されて石山の門徒は空腹にあえいでいた。
そこで顕如はこう回答した。
 
「石山を明け渡すわけにはいかない。しかし和睦は受け入れよう。衆徒は言い含めて在所へ返す。
しかし今彼らは腹を空かせておりこのままでは帰れない。
空腹を満たすため、百石ほど米を届けてほしい。」と。
 
村重は茶道にも通じた文化人で非道になりきれない男であった。
信長の狙いは石山本願寺の開城であり、この和睦案を受け入れるはずはなかった。
しかし村重は、目の前で空腹にあえぐ門徒を見過ごすことはできなかった。
そこで、信長へ報告にあがる前に独断で米を百石送り届けたのだ。
 
結局、村重の和睦交渉は失敗に終わった。
が、信長はそれほど怒らなかった。普段の信長なら烈火のごとく怒ったであろう。
さらに米百石の件も、信長の耳には入っていたはずなのに、あえて不問とした。
そして、荒木村重には秀吉の播磨攻めに協力するよう申し伝えただけであった。
 
(ドラマでは村重が秀吉の与力になったという描かれ方でしたが、実際はちょっとニュアンスが違います。
あくまでも援軍であり協力しろ、的解釈が妥当と思われます。)
 
信長公は、荒木村重をそれだけ重宝し信用していたと言える。
考えてみれば、本願寺攻めは、信長にとって最も厄介で長年かけてもどうしても勝てない相手であった。
そんな極めて厄介で難しい本願寺攻めを村重に割り振ったことは、それだけ信頼している証拠でもあろう。
もっとも割の合わない役目であるからだ。
 
しかし、人の心は不可思議だ。
不問にされ厳しい処分を受けなかったことが、かえって村重の心に暗闇を広げる結果になってしまった。
軍法違反をした秀吉のように蟄居でもさせておけば、村重の気持ちは軽くなったのかもしれない。
 
心に芽生えた疑心暗鬼がやがて悲劇を巻き起こし、官兵衛や黒田家も巻き込まれることとなる。
 
さあ次回は、上月城の悲劇が描かれるようですね。
 
名馬・書写山のエピソードは描かれるのでしょうか?
岡山潜伏(宇喜多調略)のエピソードもそろそろ・・・?
 
楽しみです。
 
 

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軍師官兵衛を見ていると、平清盛の時も思いましたが今と同じだなと思います

2014/4/19(土) 午後 5:36 [ さとみゆ ]

さとゆみ様、こんにちは。仰るとおり、歴史は人が作り、歴史を学ぶことは人を知ることなんですね。平清盛も人物描写が複雑で私も大好きでした。

2014/4/19(土) 午後 6:45 ゆーくんままま

今週も詳しい解説をありがとうございます。黒田官兵衛は純粋で誠実な人であったようですね。姫路で開催されている「大河ドラマ特別展 軍師官兵衛」で官兵衛の自筆書状を読みました。「黒田如水自筆覚書」「御茶堂之記」には、家人や家臣を思いやる優しさが溢れていて感動しました。岡田君が演じているからという理由ではなく、黒田官兵衛という人物にとても魅力を感じるようになりました。
「名馬・書写山のエピソード」、「岡山潜伏(宇喜多調略)のエピソード」の解説、楽しみにしています。

2014/4/19(土) 午後 6:50 渚(nagisa)

なぎさ様、こんにちは!
黒田官兵衛は「腹黒い策士」のイメージが強いですが、特に播磨時代の史実を知れば真逆の人物だということが良く分かります。後に入信しますが、高山右近同様に「愛と平和」の定義を求め実行し続けた人物なんですよね。だから権力者が怖がったのでしょう。
それと岡田君の出身地・枚方は荒木村重の支配地でもありなんだか因縁も感じますね。岡田君と田中哲司さんの演技も安定してて見ごたえがあります。岡田君のストイックさが官兵衛にぴったりです
姫路の「大河ドラマ特別展 軍師官兵衛」展、行かれたのですね〜。
羨ましい=。私も行きたいです!!

2014/4/19(土) 午後 7:07 ゆーくんままま


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