大坂夏の陣で、毛利勝永隊が所用した旗印。
切裂靡御指物
(毛利吉江氏寄贈 大坂城天守閣蔵)
毛利勝永隊に配属された秀頼の馬廻り衆所用と伝わる。
毛利勝永もまた、秀頼からの信任が厚かったことがこの旗印の云われからもわかる。
毛利勝永は、真田幸村と境遇が似ている。
父・毛利勝信は、豊前小倉城主であったが、関ヶ原合戦で石田三成に味方したため
戦後領地を失い、嫡子 勝永 と共に土佐藩山内家に預けられ、高知県北部の久万村で生活をした。
父勝信は慶長16年(1611)に土佐で病没している。
慶長19年、豊臣秀頼の招きを受けて、長男 勝家とともに配所先を脱出して大坂城に入った。
実に境遇が似通っていますよね。
そのこともあって勝永と幸村は、気もあったようで、大坂城内でも共に行動することが多かったそうだ。
尚、土佐脱出に際し、
山内家には、「藩主・山内忠義とは衆道の間柄故、共に徳川方で働きたい。」と説明したそうだ。
衆道が理由なる、そういう時代であった。
そして嫡子毛利勝家と次男鶴千代を人質に出すと頼みこんだ。
実際は、嫡子勝家とともに、配流先を脱出している。
「真田丸紀行」でも取り上げられていたが、
大坂方へ付きたいが、そのため妻子に難儀が降りかかることを恐れて涙する勝永に、
妻が「残るものが心配ならば私たちは波に沈み命を絶ちましょう」と励ました。
徳川家康はこの話を聞きいたく感銘を受け、
土佐に残された妻子を処罰してはならぬと山内家に命じ、妻子は土佐城内にて保護されたという。
大坂夏の陣、道明寺合戦で、真田幸村隊と毛利勝永隊は
先に述べたように、濃霧のため遅延し、後藤又兵衛の後詰に間に合わず
又兵衛は討ち死にしてしまう。
遅れて合流した幸村は、又兵衛を救えなかったことを恥じ、豊臣家の武運も尽きたと嘆き
その場で討ち死にを覚悟した。
そんな幸村に「ここで討ち死にしては益がない。願わくば右大臣様(秀頼)の馬前で
華々しく死のうではないか。」と励ました。
おそらくドラマでも重要なシーンとなるはずだ。
岡本健一さん演じる勝永の、前向きで明るくさっぱりとした性格は、
史実の勝永にとてもよく似ていると思う。
そして勝永は、又兵衛の残軍を素早く収容し、
自分の隊から選んだ鉄砲隊を殿(しんがり)に配して、自分は本軍を率い、大坂城へと撤退した。
そして翌日の5月7日、大坂夏の陣の最終決戦において、
幸村の陣取る茶臼山の東にある四天王寺門前に陣をしいた。
ここは、徳川本陣の正面にあたる。
勝永は4千の兵を率いて、徳川軍と激突。
本多忠朝や、小笠原秀政、忠脩父子を打ち取った。
さらに徳川精鋭部隊である本多忠純、酒井家次、浅野長重隊などを次々と撃破、
徳川家康本陣に突入するという凄まじい活躍をみせた。
しかし、真田隊が破れて四方から徳川軍の大軍に囲まれたため
撤退を決意。
井伊直孝や細川忠興らの軍を退けて、大坂城内へと戻った。
翌日の5月8日、大坂城にて、秀頼の介錯を行った後に、息子の毛利勝家らとともに
蘆田矢倉で自害したという。 享年37歳。
幸村同様、大坂の陣でその武名と器が評価された武将である。
家康もその命を惜しんだことであろう。
尚、土佐城にて保護されていた毛利勝永の妻子3名は、
家康の命令で京に護送された。
息子の鶴千代は成敗されたが、妻と娘は助命されて土佐に返された。
『真田丸』 大坂夏の陣を描く最終回は、
タイトルなしの無題だそうだ。
視聴者の皆さんでつけてほしいとのディレクターの言葉があり、
堺雅人さんは「笑顔」とつけたいとおっしゃったらしい。
五人衆や木村重成らの最期も、笑顔であれ、と願うばかりだ。
昌幸ロスの次は幸村ロス・・・。
今年は本当に最高の大河ドラマでした。
幸村様にどっぷりハマり、ゆかりの地
を巡ったりもしました、大阪だけですが。
もちろん幸村ロードも行きました。
そして携帯の待ち受けには三光神社で撮った
幸村様の銅像。
しかし幸村ロードの望月六郎・・・何かがおかしい。
来年の大河、どうなるのでしょうか?
直虎さんがいなかったらあの”井伊の赤鬼”も
きっといなかったんですよね。
個人的にはどうやって井伊の赤鬼に育て上げた
のかが気になります。
2016/11/27(日) 午後 7:39 [ otubotyan ]
幸村ロスですね。
寂しすぎて、最終回が近くなるにつれ、
録画を見るペースも遅くなってきました。
仕事か多忙なのもあるのですが、実はまだ反撃の回も観ていません。
最期が近い現実を受け入れられないのかも…( ; ; )
2016/12/2(金) 午後 11:41
今年は”幸”村様のおかげで”幸”せな一年を
送る事ができました。
何がきっかけなのかが分かりませんが
気が付いたら日本史にはまって・・・20数年。
ドラマは終わってしまうけど幸村様はこれからも
人々に幸せにしてくれると思いますよ。
江戸時代の人々も真田十勇士の話聞いてる時幸せだった
のでは?
自分は周囲の人間より歴史上の人物達に支えられて
今まで生きてこれたようなものですから、
日本史という生涯の趣味に出会えた事に感謝して
います。
来月も天王寺に行く予定があるので幸村様に
お礼を言いに行かなくては。
来年は彦根城、ひこにゃんが燃えるんでしょうね。
2016/12/3(土) 午後 10:09 [ otubotyan ]
本当に、幸な一年でした!
昌幸、幸村の無茶振りにワクワクしっぱなしでしたね!
2016/12/8(木) 午後 8:59