西郷どんの少年期
小吉時代については、西郷どん初回の感想文にて紹介したが、
青年期へ繋がる内容なので、
改めて掲載する。
西郷隆盛は、
文政12年12月7日
島津家城下 加治屋町に生まれる。
西郷の盟友 大久保利通は、
文政13年8月10日 同じ加治屋町生まれ。
まさに竹馬の友だ。
加治屋町は、ドラマでも描かれていたように、下級武士の家宅が集まった郷中。
西郷家は小姓組の家格で、藩士の身分では下から二番目であった。
西郷の父親、吉兵衛は、勘定方小頭。
いわゆる小役人である。
西郷隆盛の兄弟は
長男の小吉(吉之助)、お琴、吉次郎、
おたか、おやす、慎吾(従道)、 小兵衞。
西郷どんの弱者への慈愛は、小さい妹弟との暮らしから育まれたのだろう。
吉之助は、少年時代から身体が大きく、威圧感があったそうだ。
もっとも励んだのは相撲と剣術。
特に相撲は得意で腕力は強かったが、一方で、四書朗読も習字も算盤も苦手であった。
ところが、同輩の少年と争い、誤って右腕を、刀で傷つけられ腕の筋を痛めた。
そのため以後は剣術を諦めた。
西郷吉之助の学業がめきめき上達するのはこの事件以降である。
14歳で元服し、吉之助隆永と名乗る。
後世、西郷隆盛と呼ばれる男の本名は
実は西郷隆永である。
西郷どんも周りの人達も
吉之助と呼んでいた。
隆盛は父の名前で、王政復古の位階で
親友の吉井友実が、
西郷の本名を間違って隆盛と申告したため
それ以降は、西郷隆盛に改名したらしい。
友の間違いをまことにしてしまう、
何とも西郷どんらしい。
やがて加治屋町郷中のリーダー格となる。
16歳で島津藩の菩提寺である福昌寺の住職、無参和尚について禅の修行を始める。
この禅寺での修行もまた
西郷隆盛の人生を導く出会いであった。
(大河ドラマで描かれるのかは不明なれど)
西郷どんは6尺(180)に近い巨体で、少年時代から目立つ存在であったが、
禅の修行を始めた事で、よりその迫力が増したのであろう。
右腕の怪我により剣術の鍛錬は出来ずとも
血気盛んな薩摩隼人を束ねて
維新革命へと導いたのは、禅で鍛えた
強靱な精神力とオーラを放つ迫力であった。
西郷吉之助は18歳で
『郡方書役助』になり、その後『書役』となり、この役職を27歳まで務めた。
これは、村々を巡回し、農民の年貢を決める役目で肉体的にも精神的にもハードであった。
不正や賄賂がまかり通る上役と
不況で年貢を納められない貧農との板挟みで、西郷吉之助は、粉骨砕身して働く。
大河ドラマで描かれたように、
若き吉之助の正義感溢れるエピソードは
あまたあるらしい。
年貢や納税のため、大切な牛を売る羽目になり、泣きながら愛牛との別れを惜しむ老農夫を目撃した吉之助が、
哀れな農夫のために、減税に奔走し尽力したと言う。
大河ドラマで、家族の為に売られていく
村娘のため、馳けずりまわる吉之助の姿は
ドラマ的演出ではないのだ。
この頃、西郷吉之助の正義感を確たるものにしたのは、変人上役との出会いも大きかった。
郡奉行の迫田太治右衛門利済という。
年貢や税調の長官という重役ながら
見すぼらしい家に住み、
『役人が贅をつくし驕慢になれば、国は滅びる』と若き西郷に持論を説いた。
維新後、東京から薩摩へ下野した西郷の
言葉そのものである。
吉之助は迫田に触発され
農政について意見書を度々提出した。
しかし、不正や賄賂がまかり通り
搾取に奔走し私腹を肥やす藩にとって
迫田のような人物は、疎ましいだけだ。
やがて役職を免じられた。
次の郡奉行は相良という人物であったが、
迫田とは違い、増税を第一目的とし
農民の都合など全く顧みない。
そして、その頃の薩摩藩は、
”お由羅くずれ”という御家騒動の真っ只中であった。
藩内は混乱し、様々な派閥を生み
人心は腐敗していた。
当時の吉之助は、
『眼閉じ鼻を摘まぬと城下を歩けぬ』と
と藩内外の混乱に嘆息したと言う。
尚、お由羅騒動については
大河ドラマでも取り上げられるので
また改めて。
又、篤姫の折に記事にしていますので、
下記へジャンプ、是非お読み下さい。
https://blogs.yahoo.co.jp/tomyu1999/57502811.html
お由羅騒動で幾多の血を流しながらも
嘉永4年(1851) 島津斉彬が藩主となる。
西郷吉之助 25歳の時である。
西郷の感激はひとしおで、
『50年の生涯のうちで、斉彬公家督された程の喜びはなかった。』
と後年語っている。
大河ドラマでは、
少年時代に島津斉彬に出会っているが
これは史実ではない。
しかし斉彬は、藩主になってからすぐに
西郷吉之助を登用している。
通常ならお目通しなどありえない
下級役人の西郷吉之助を何故抜擢したのか?
先に紹介した福昌寺の無参和尚が
『素晴らしい若者がいる。』と
斉彬に推挙したという説明や、
奇人変人上司の迫田奉行と共に
度々意見書を提出しその硬派ぶりが、
斉彬の耳に入っていたとも言われている。
そして西郷吉之助 28歳の時、
島津斉彬の参府に従い
初めて江戸に赴く。
そして、水戸藩の藤田東湖を訪れ
時勢について論じあう。
西郷吉之助の政局デビューである。
ともあれ、18歳の頃から
農民の為に汗と涙を流して奔走した
9年間の月日の積み重ねが、
斉彬と吉之助を結びつけ、
やがて維新革命へと突き進むのである。
少年期と青年期の出会いが
その人物の人格形成に
いかに大きな影響を及ぼすか。
そして、西郷の少年から青年時代を鑑みるとピュアで素直な性格だと分かる。
これが、男も女も万人を魅了した
モテモテ西郷隆盛の秘密であろう。
ちなみに、この頃すでに吉之助は
最初の妻を娶っている。
伊集院兼寛の妹、須賀 という。
しかし、後に妻の実家から離縁を求められ
別れている。
また、島津斉彬が家督を継いだ翌年、
祖父、父、母が相次いで亡くなった。
葬式に次ぐ葬式で蓄えも底をつき
貧乏に拍車がかかる。
わずか26歳で吉之助は世帯主となり、
幼い兄弟たちを養う責務が
肩にのしかかる。
西郷の最初の結婚が破綻したのは、
若い妻にとって、
貧乏な大家族の生活が、耐えられなかったのかもしれない。
尚、西郷の三番目の妻、糸であるが、
西郷とは16歳も年下であった。
大河ドラマの糸さんは
吉之助と年も変わらない幼馴染として
描かれている。
史実をあえて変えているのだ。
なんでなんかな⁇