|
今まで夫婦力をあわせて「すごろく」のように出世してきたはずなのに、 最期の「あがり」でこんな哀しみが待ち受けていようとは。。 湘南和尚となった可愛い拾を呼び寄せて、いきなり吸江庵という荒れ寺で暮らし始めたのは いささか唐突でビックリしましたが、女心ってのは突拍子のないものなのです。 しかし、千代が去って意気消沈する一豊さんと見るに見かねた康豊と家臣達が 仮病を使って、千代を呼び戻します。 千代はそこで、一豊を失うことの辛さをしり、一豊は今まで胸のうちに抱えていた思いを吐き出します (上川さん、長台詞、お疲れさまでした^^) そしてお互いかけがえのない伴侶であることを再確認して、千代の家出騒動は治まったのでした。。。 しかし、何かもどかしいんですよね・・・ 拾が父の心を察し千代に「寛孟自在」という言葉で諭すシーン。 一豊は、種崎浜の虐殺でしか、土佐そして日本の戦乱を鎮めることはできなかったというシーン。 一領具足達には耕す土地を与えよう、これからは慈悲の政(まつりごと)をするのだと・・・ 「寛孟自在」って言葉で片付けられたら、無念に殺された一領具足は浮かばれないよ・・・ 前回六平太と新一郎が殉死したとき感じた危惧が大当たりだったと思わざるをえません。 前回も書きましたが、司馬先生の原作のあの「乾いた」結末のほうがすんなり納得できます。 山内も戦国武将のご多分に漏れず、「非道さ」を持ち合わせた武将だったのですから。 そしてそれが、「戦国時代」の日常であったのです。 更に言えば、一領具足への対応も決して慈悲深いものではありませんでした。 彼らは土佐藩の「郷士」として取り込まれ、幕末までの約200年間徹底した差別を受け続けたのです。 薩長土肥と呼ばれる幕末維新に活躍した藩のうちの、土佐、薩摩、肥後の中心人物は 主に、この「郷士」と呼ばれる身分の侍たちでした。 土佐藩で言えば、かの坂本竜馬や、武市半平太が有名ですね。 この3藩とも上士と郷士の身分差別が厳格でありました。 その長い間の差別を脱却しようとする凄まじいエネルギーが、徳川家の倒幕運動の牽引となったのは 歴史の因果応報です。 家康が「わしのムクロを西に向けよ」と井伊直政に告げるシーンは、 ある意味、幕末維新の予言であったかもしれません。 そういえば、井伊直政って関ヶ原の2年後に病死してんだけど・・・ ま、いいか。細かいことは。篠井さんの「直政」好きだし。 歴史マニアゆえついつい小言書きましたが、夫婦のドラマとしては見ごたえがありました。 一豊さんと千代が新婚時代を思い出し、手を握り合うシーンは 何処となく色っぽく、そして儚くて。。。 そして、天守閣で一豊さんがぶっ倒れるシーン! 上川さん、頭というか「顔面」から倒れてましたよ!! ものすごい役者根性を見せてくれました やっぱりスゴイわ。 だけどさ・・・ 上川さんはすごく老人メイクなのに、なんで仲間さんは若々しい美貌のままなのよ?? |

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用


