ゆーくんはどこ?

皆様ありがとうごさいました。アメブロへ引越しますので、また、お会いしましょう! 我人に媚びず、富貴を望まず。(黒田官兵衛)

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いよいよ最終回。



天璋院が大奥を出てからの人生が、駆け足で描かれました。


考えてみれば、篤姫が徳川将軍家へ輿入れしてからの年月よりも(12年間)
江戸城をあとにした年月のほうが、長いのです(16年間)


前回の感想文でも書きましたが
最高権力者の正妻、御台所として権勢を振るった大奥の時代とは180度変わり
敗者としての毎日は、時に屈辱的なものであったでしょう

しかし、気丈な天璋院は、決して弱音もはかず、
切迫した台所事情に見合った、慎ましやかな人生を歩んだのです


そう、まさにドラマの天璋院のごとく・・・です。



明治に入っても、天璋院には、辛い別れがありました。

その中で最も天璋院に深い悲しみを与えたのが
薩摩で共に成長した「かけがえのない友」小松帯刀さんとの永遠の別れでした。


明治新政府に出仕し、参与や外交事務などの重職に付いた小松さんですが、
持病の「脚気」が悪化します。

脚気は、この当時、貴賓層の生活習慣病で、
美食のためのビタミン不足から
将軍家、公家だけでなく大名クラスの大物もこの病で倒れました。

特に小松帯刀は、史実においても、「美食家」で有名な家老でした。
以前ご紹介しましたように、当時敵対していた徳川慶喜とは、美食(豚肉)を融通しあう
「グルメ友達」であったぐらいです。


やはり、西郷や大久保など下級武士とは違う階級出身の官僚だったのですね。

島津久光が「軽率の輩」とつぶやいたのは、この当時の上級武士階級の本音でありましょう。



病床の帯刀さんは、側室お琴さんの計らいで、薩摩の正妻お近さんと対面を果たします。

お琴との子供を「小松家の嫡男とし、薩摩で養育して欲しい」

・・・正直、女心を無視した、かなりワガママな願いです



「私は懸命に生きた。満足のいく人生だった・・・ありがとう」と
激動の人生を支えてくれた妻への感謝の言葉を残し、この世を去りました。

明治3年7月20日病没。36歳の若さでした。


史実でもお琴の生んだ息子は小松家を継ぎ、現在でもそのご子孫がご活躍とのことです。
帯刀さんとお琴の間には、男子のほか、女児も生まれており、
お琴さんは、嫡男を薩摩の小松家へ預けたあとは、京都で長女とともに暮らしました。


実は帯刀さんの最期を看取ったのは、ドラマとは違いお琴さんでした。
当時、薩摩から大阪への旅は大変であったので、
お近さんは、薩摩で夫の病気平癒を祈る毎日であったことでしょう。


しかし、帯刀さんの妻への愛情は、まさにドラマの如しで
遠く離れていても心は通い合っていたものと思われます
それゆえ、お近さんも、側室の子を嫡男としてわが子同様に愛しいたのでしょう。

また側室お琴さんへの配慮も欠かしませんでした。
お琴さんも自分の立場をわきまえた賢い女性でした。


まあ天下のNHKですから、
側室に看取られての最期はやはり倫理上問題があったのかも・・・?
そういう意味で、帯刀さんを心底愛した 原田さん演じるお琴さんの描かれかたは
ちょっと可愛そうでしたね。



ただし、瑛太さんの小松帯刀は、艶聞も含めて、充分すぎるほど
魅力的な、若き政治家を演じて余りありました。

こんな男性が周りにいたら、女性だったら誰でも「惚れてまうやろ〜!」
(篤姫以外・・・^^; )

息を引き取る直前の「満足だった」という言葉は、
そのまま瑛太さんの、充実感を表現しているようで、素晴らしかったです



そしてもう一人、重要な人物との再会と別れが訪れます。

明治7年、天璋院とともに、大奥の最後をともに戦った静寛院が、江戸へ戻ってきました。

武家と公家の意地をかけて反目しあった絢爛豪華な大奥の日々を懐かしみ
勝海舟のお膳立てで、二人で「芝居見物」に出かけるような親密な友情を育みます


「私は母上と家茂さんとの睦まじいお姿に、嫉妬していたのです」


反目した日々は遠く懐かしい思い出として二人の胸にこみ上げてきます。
静寛院は江戸でこの後も天璋院や徳川家の人たち、そして皇族と交友を深めます


おせっかい焼きの勝海舟とともに、ささやかな食事を楽しむ二人が、
ご飯のよそおいっこをしたのも真実ですよ。


しかし、彼女も貴族特有の病、脚気に倒れます。

明治10年9月2日。脚気衝心のため療養先の塔ノ沢で死去しました。
32歳という若さでした。


天璋院は、明治13年、1ヶ月ほど熱海と箱根へ湯治療養の旅に出かけ、
静寛院終焉の地である、箱根の塔之沢へ立ち寄り、哀悼の歌を詠んでいます。


「君が齢とどめかねたる早川の 水の流れもうらめしきかな」

徳川宗家の行く末にも希望の光が見えたとき
もっと二人で語り合い助け合い励ましあって生きたかったことでしょう。

天璋院と静寛院は、ともに徳川の家族なのですから・・・



堀北真希ちゃんは、内親王という深窓の女性でありながら、胸に秘めた強い気持ちをもった女性、
和宮を見事演じていました。

今まで見た和宮では、一番良かったです。
また大河ドラマで見てみたい、そういう女優さんですね。




そして時は流れ、

明治新政府内で大久保達と対立した西郷は、薩摩へ下野し、西南戦争で自刀します
そして翌年、大久保も、西郷を信奉する武士に暗殺されるのです。


個人的に、西郷と大久保の最後をみてつい、うるうるしてしまった私です。

この二人が大好きだから、そしてその最後が、あんまりにも悲しいから・・・・

篤姫では詳しく描かれてはいませんが、もしよければ下記参照ください。



薩摩での悲しい内戦に心を痛める天璋院は
しかし、徳川宗家を継いだ家達という新たな希望を見つけます。

駿府へ国替えのため江戸を去ったのはわずか6歳のとき。
しかし、この家達、とても優秀な子供だったのです。

家達が7歳のとき、天璋院へ宛てた書状を見ましたが、その達筆に驚きました。
とても7歳とは思えない、立派な文章と筆つかいです。


そんな家達が、明治10年駿府から江戸へ帰ってきました。


そして同年、大久保利通の計らいで、イギリス・エジンバラへ留学。

天璋院の教えに従い。貴族の遊学とは違い、本当に一生懸命勉強したようです。
その後、公爵に任じられ貴族議員のリーダーとして政治活動の舞台にたつほど
優れた人物に成長したのです。


明治15年留学から帰国。
同年、天璋院のもう一つの実家、近衛家の娘 泰子と結婚しました。


ドラマでは、家達結婚のおめでたい席に
大奥の侍女達がはせ参じたシーンが描かれていました。


江戸城を明け渡してから15年。
侍女達が、それぞれ懸命に生きていることを知り、安堵する天璋院。
徳川の家族を守ることを使命とした天璋院にとって、

まさに「最良の日」なのでありました。


「人の幸せとは、地位や名誉、財産ではなく、家族たちとともに過ごす穏やかな日々の中にこそある」

「人はみな天命ももって生まれてくるもの」



徳川の家を守るために生きた天璋院の「使命」が終わろうとしていました。

家達の妻、泰子の妊娠が分かり
徳川宗家という家族が増え、子孫が徳川の心を受け継いでくれる安堵からか・・・


天璋院は、静かに息を引き取ります。

宮崎あおいさん演じる天璋院は、何も語らず笑顔のまま
眠るように旅立たれました。



明治16年11月20日。天璋院病没。享年49歳でした。
中風とも血栓であったともいわれています。


明治時代に入って新政府軍が闊歩する江戸であっても、
江戸市民は、江戸を戦火から守った徳川将軍家の大御台所を慕い
天璋院の葬儀には1万人以上の市民が見送りました。


特旨を以って従三位に復せられ、12月5日、喪主家達による葬送の式が執り行われました。
終の棲家であった、千駄ヶ谷徳川家より出棺し、上野東叡山寛永寺、徳川家定の墓側に、
埋葬されました。

今でも仲良く寄り添う二人は、1年半ほどしか暮らせなかった時間を取り戻すため
泉下でやっと共に幸せに暮らしているのでしょう。




ドラマの最後は、天璋院の魂が、

時空を超えて、薩摩へ飛んでゆくシーンで終わりましたね。



天璋院は、徳川の嫁として一本道を歩みました
そんな意地もあったのでしょう。薩摩へ生前帰ることはありませんでした。



ドラマでは、江戸へ実母の幸さんと兄の忠敬さんが、上京して再会するシーンもありましたが
これもフィクションです。


天璋院は輿入れのため薩摩の今和泉家を出てから一度も実の母と再会することが
かなわなかったのです。


しかし、幕末から明治の過酷な状況にあって、故郷薩摩や母への思いを募らせないはずがない・・・
だから、ドラマだけでも再会の場面を作ってあげよう。

そんな、田淵さん(脚本)や演出家の温かい思いやりが、反映したシーンだったと想像します。


真実の天璋院は、前回の感想にも書いたように薩摩からの経済援助を断り
母や桜島を夢に描き恋焦がれながら、江戸で気丈に生きたのです


だから・・・

最後、篤姫の魂がやっと故郷へ帰っただなと思い、涙が止まりませんでした。


天璋院さん、そして宮崎あおいさん


「本当にありがとう。お疲れさまでした。あなたのこと決して忘れません」







史実の天璋院、その後のエピソードを一つご紹介します。

徳川宗家では天璋院を命日にちなんで「二十日様」と呼び
第二次世界大戦前まで、11月20日の命日には、天璋院の好物だった
「あんかけ豆腐に、きがら茶のご膳、白いんげんの甘煮」を供えて偲んだといいます。

徳川を守るという天璋院の強い思いは、徳川宗家にしっかりと根付いて生きつづけたのでした。



写真は「天璋院画像」 川村清雄筆
徳川家に依頼されて歴代将軍の画像制作を手がけた旧幕臣川村清雄(1852〜1934)が、
晩年の天璋院を正面から捉えた肖像画です。

可憐なあおいちゃんが、最終回、威厳にみちたこの肖像画に重なりましたね。
最後まで、本当に、本当に素晴らしい演技でした。



PS
ドラマの「篤姫」と宮尾登美子先生の原作「天璋院篤姫」の最後は、ニュアンスが違います
悲しみがこみ上げてきて私は、原作の最後にも涙しました。
是非とも原作を読んでほしいから、あえて、内容は書きません。
もうひとりの「篤姫」を文学の世界から感じ取っていただきたいです。

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