ゆーくんはどこ?

皆様ありがとうごさいました。アメブロへ引越しますので、また、お会いしましょう! 我人に媚びず、富貴を望まず。(黒田官兵衛)

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インフルエンザ感染のため、テレビを見る余力もなく
やっと、2回まとめて録画をみましたので、感想もまとめて書かせて頂きます。


2回観て思ったこと(憤慨したこと・・)


兼続、なぜ、一言も泉下の三成へ謝らなかったのか?!!!



これにつきます。


史実はさておき、ドラマで、あれほど三成と兼続の友情をことさら美化して描いたのであれば、
豊臣家への忠義のため死んでいった親友に、
なんらかの言葉や想いがあっていいはずです。

多分史実の兼続もそれぐらいの感傷はあったでしょう。根が詩人なのですから。

しかしドラマの兼続は、まるで三成との友情を忘れたかにように振舞っていました
描かれていたのは、意味不明の家康との問答。

あのやり取りを聞いて、家康の言っていることのほうに理があると感じたのは私だけではないはず。


このドラマで、中心のテーマであるはずの「愛」も「友情」も結局、あいまいなまま、
一体この兼続は、何を信じて関ヶ原以降も生きたのかが、描きいいれていませんでした。
景勝の存在感の薄さも、はなはだ疑問であります。


三成を演じた小栗君の、最期のシーンが余りに鮮烈で素晴らしかったので余計かもしれません。
正直、これほど落胆した、大河ドラマは初めてです。


インフルエンザでしんどいときに、観なくて良かったと思いました
観たら、憤慨のあまり、高熱がもっと上がってしまったかもしれません。。。。


と、体力もまだ回復しておりませんし、憤慨のあまり体調を崩すのもいやなので
指摘したい場面は、まだ多々ありましたが、これくらいにして、「勝手に補足」のコーナーへ。


今回は、「大坂の陣」に関する史実のコネタを集めてみました。

「方広寺鐘銘事件」
「大坂の陣」のきっかけとなったこの事件。
ドラマでは家康の側近にまで昇進した遠山の悪知恵となっておりますが、
史実の黒幕は、南禅寺の僧で家康の側近である金地院崇伝(以心崇伝)です。

問題となったのは、慶長19年(1614年)4月、片桐且元の号令で京都方広寺大仏殿の再建工事において
南禅寺の高僧・文英清韓が起草した「梵鐘の銘文」に、家康や徳川幕府を呪詛する内容が含まれていると
金地院崇伝 と 幕府の儒官・林道春が指摘したことに始まります。

すなわち、「国家安康」と「君臣豊楽」の文言です。

「国家安康」は家康の文字を安の一字で切断しており、
また「君臣豊楽」は豊臣家を君主として末永く楽しむという意味を含み
結果、「方広寺の梵鐘に徳川家への呪いをかけ調伏せんとしている」と言いがかりをつけたのでした。

この銘文を起草した文英清韓は、当代一の漢学者で、
その語学の知識を頼まれて、朝鮮の役で加藤清正と共に朝鮮に渡り、和議の交渉にあったという学者でもありました。
そんな当代一流の学者の起草文に子供だましのような、愚かないっちゃもんをつけたのは、
高齢の家康が、なんとしても自分が生きているうちに、豊臣家を滅ぼしたいという
執念の表れであたことは、明らかです。


文英清韓は、ただちに駿府へ伺い釈明をしたものの許されませんでした。
じつは、家康の側近である金地院崇伝と文英清韓との対立も背景にありました。

金地院崇伝にとって、「方広寺鐘銘事件」は家康への貢献度UPだけでなく
自身のライバルをも蹴落とす、一石二鳥の「悪巧み」であったのです。

とはいえ、この「方広寺鐘銘事件」がきっかけとなり、
慶長19年(1614年)10月2日、徳川幕府は、豊臣家討伐の陣触れとなりました。
しかし、朝廷からの「豊臣成敗」の綸旨はでませんでした。
「方広寺鐘銘事件」の言いがかりが無茶であることを朝廷は充分理解していたのです
とはいえ、前年に幕府は「公家衆法度」を制定し、朝廷を圧迫していたため
綸旨なくとも、豊臣討伐を強行できたのです。

ちなみに、問題の鐘は現存しており、重要文化財に指定されて東大寺、知恩院のものと合わせ
日本三大名鐘のひとつとされています。

本多正純の手紙
駿府で徳川家康の重臣として頭角を現した本多正純。
直江家の養子となった勝吉のお兄さんですね。
この本多正純が、慶長19年(1614年)10月2日に、江戸に逗留していた藤堂高虎へ宛てた書状が
現存します。
藤堂高虎は当時、伊予・板島城主でした。
外様でありながら、家康の側近と同格の扱いを受けており、
「城名人」として当の大坂城普請に携わったことから、家康の作戦立案に貢献しておりました。

手紙の内容は
「大坂攻めと決定して、大御所様(家康)は、急に若々しくおなりあそばしました。
これまでは、御体の具合がすぐれず、御機嫌もよくなかったのですが、
さて開戦と決まってからは、めきめきと御元気になられました。まとこに奇特であります」

若かりしころ、乱世、戦国の世を生きた過去のせいか、
すでに70歳となった老体に、若々しさがよみがえったというのです。
家康の「戦国武将」としての血が騒いだのでしょうね。
そして家康自身も、豊臣討伐が、人生最期の合戦になると思っていたのでしょう。
家康の一面を彷彿とさせるエピソードです。


福島正則の言葉
豊臣側は、秀吉恩顧の大名達に密使を派遣し、大坂入城を促しました。
当然、福島正則も例外ではありません。
福島正則は当時広島城主でしたが、「方広寺鐘銘事件」の直前に幕府から江戸への出府が命じられ
江戸に居て飼い殺しの状況にありました。

豊臣側からの密使・雨森三右衛門が、江戸に駆けつけ豊臣秀頼から「大坂に御味方願いたし」との
言葉を伝えたとき、福島正則は涙を浮かべて
「この度の右府様(秀頼)の御決心は、三年遅く、三年早しと申し上げたい」と答えたといます。

つまり、3年前であれば、加藤清正も浅野幸長も池田輝政も生きており、
豊臣恩顧の戦力が結集すれば、家康と対等に戦もできただろう。
そして3年後であれば、70を超えた家康も故人となっている可能性もあり、
家康の居ない徳川幕府であれば、付け入る隙もあったろう・・・という内容です。

福島正則は、豊臣家の滅亡を予測し、家を守るために秀頼からの誘いを断わりました。
一方、警戒心をもつ家康からは、江戸留守居役を命じられ、
駕籠の鳥のように、何も出来ない状況に甘んじるしかありませんでした。

福島正則の苦しい胸のうちを推測するエピソードの一つです。


五人衆
豊臣家は、先述の福島正則をはじめ、豊臣恩顧の大名へ密使を派遣したものの、
まったく反応がなく、彼らは密使が持参した「秀頼の親書」を幕府へ提出し
二心ないことを誓う有様でした。

結局、大坂城に入城したのは、牢人だけでした。
とはいえ、その兵力は10万人余で、なかでも、
真田信繁(幸村)、長宗我部盛親、後藤基次(又兵衛)、毛利勝永、明石全登は
五人衆と呼ばれて、大坂側の参謀となったのです。
しかし、所詮は寄せ集めの牢人たち。
また、秀頼や淀君の側近達に作戦実行を妨害されるなど、内部統制が取れないことが
結局、敗戦の原因のひとつとなったと言えるでしょう。

しかし衆目が「徳川側の大勝利」と予測が一致するなか、
幕府の大軍を相手に一歩も引かない戦を展開した、一騎当千の五人衆の奮戦は、
見事であったといえます。
なかでも、当時無名であった真田幸村の、見事な戦ぶりは、東軍をも感嘆させたのです。

2代目将軍・徳川秀忠の焦り

東海道を大坂目指す東軍は
先鋒 伊達政宗・上杉景勝・佐竹義宣 3名で東北の諸大名でした。
特に上杉と佐竹は、関ヶ原で西軍に組したため、今回の大坂の陣では必死の忠誠を示さねばなりません。

続く第一番陣が、酒井家次
第二番陣は、本多忠朝(本多忠勝の次男)、幕府の譜代大名が続き
そして6番陣に、将軍秀忠の本軍2万が続くのでした。

しかし、関ヶ原で真田親子に足止めを喰らい、
結局合戦に間に合わなかったトラウマのためか、秀忠は「急げ!」と
自ら馬に鞭打って、走り出したといいます

そのためなんと、秀忠が先鋒の伊達政宗の部隊に追いつきそうになり、
将軍に先鋒が追い越されては一大事と、伊達政宗も、訳も分からず先を急ぎ、
武器や兵糧をもった大荷駄や、徒歩の兵士達は疲労困憊したといわれています

家康も、息子のあわてた行動を聞きつけ
「おろかな振る舞いをするな、将軍家としてあるまじきことだ」と叱責しました。

それだけ、秀忠の、関ヶ原での失策は、彼のコンプレックスとなっていたのでした。


等など、
書き出したら止まらなくまりました(汗

大坂の陣は、真田ファンならずも書きたいエピソードがてんこ盛りです。
天地人ではあっというまに、大坂城が炎上してしまい拍子抜けでしたね。
ちなみに千姫を救出したの直江兼続ではありません。
史実としては豊臣側の堀内氏久や、津和野藩の坂崎直盛などの名前が挙がっています。

さて、次回はいよいよ最終回。
最後はせめて、いい終わり方をして欲しいです。
「坂の上の雲」のあおりをうけて、放送回数が短縮されるなど、不遇な一面もありましたが、
せめて、兼続の人生を、理屈にかなう「愛」で仕上げて欲しいですね。


写真は方広寺の鐘銘

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