ゆーくんはどこ?

皆様ありがとうごさいました。アメブロへ引越しますので、また、お会いしましょう! 我人に媚びず、富貴を望まず。(黒田官兵衛)

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さあさあ、49回を観ましたよ〜。

清盛と後白河法皇との最期の双六遊び・・・

淡々とした二人の会話に、
どうしたことか、私は涙を流しておりました。

「貴方様との双六勝負はこれで最後にさせていただきたい。」

「そうか・・・」と答える後白河法皇の寂しげな声。。。

反発し、利害を共有し、権力闘争という双六遊びの最強で最良の好敵手。

松山ケンイチ君と松田翔太君の演技格闘技は、今年の大河ドラマの大きな華でありました。

さて・・

清盛と平家一門が、栄華の頂点から一挙に転がり落ち始めた治承4年治承4年(1180) は
南都焼失という最悪の事態で終わりをつげ、治承5年の年明けを迎えました。

清盛の年表もあと僅かです

治承5年(1181) 清盛 64歳
正月8日  畿内惣官職を設置し、宗盛を補任
正月14日 高倉上皇死去。後白河法皇の院政再開
2月7日  丹波総下司職を設置し、平盛俊を補任。
閏2月4日 九条河原口の平盛国の邸で清盛死去


今回も史実をざ〜〜とご紹介しながら、ドラマの感想を挟み込んでいきたいと思います。


*****

治承5年(1181)は憂鬱は年明けだった。

正月早々、平氏の本拠地・伊勢国が熊野の暴徒に襲われたり、平家配下であった菊池高直が反逆し、
延暦寺の衆徒が再び蜂起・・・等々、反平家、謀反は全国に波及していった。

更に追い討ちをかけるように、高倉上皇の容態が悪化し、重態に陥ってしまった。

高倉上皇は、清盛にとってまたとない傀儡。できるだけ長生きしてほしかったろう。

なぜなら上皇亡き後、幼き安徳帝に代わって、朝廷で実権を握るのは、
天敵・後白河法皇であるのは明白だからだ。

焦った清盛は、上皇が臨終の後は、中宮徳子を後白河法皇の後宮に据えようとし、
時子までもが賛成したという。

九条兼実も「およそ言語の及ぶ所にあらざるものなり」と呆れ顔で『玉葉』に記している。

いくら平安末期といえども、夫の崩御後、すぐにその父の後宮に入れる無理難題が通るはずもなく
徳子はきっぱりと父母からの申し出を拒否して出家を望んだ。さすが清盛の娘である。
後白河院も、この平氏の策謀には辟易としたらしく辞退した。


ならば・・と清盛は、徳子の身代わりとして、厳島の内侍に生ませた娘・御子姫君を、
法皇の後宮に入れた。

法皇のご機嫌取りに汲々する、清盛の焦りが伝わってくる。
しかし、後白河はこの娘を寄せ付けず「ただ付女の如くなり」と全く省みられることはなかった。


婚姻関係がダメであれば、迫りくる後白河法皇の院政再開の前に、平家の基盤を磐石にしようと、
清盛は、新たな軍制を定めた。

危篤の高倉上皇の名の元に、畿内近国の『惣官』を宣旨し、宗盛に任じさせたのである。

『惣官』とはいわゆる軍総司令部長官である。
五畿内・近江・伊賀・伊勢・丹波の9ヵ国にまたがる強力な軍事指揮権を持ち、
軍事作戦遂行のために必要な諸権限を平氏が全面的に掌握することを公的に認めるものだった。
しかも惣官による軍事行動は、法皇の介入なしに遂行できるのである。

これにより畿内近国に兵士役と兵糧米を課し、宗盛を頂点とする臨戦態勢をしいて
西上してくる東国軍に対抗しようとした。

正月14日、高倉上皇は御年21歳の若さで崩御された。
そして後白河法皇の院政が再開されることとなった。

ドラマでは、幽閉の身分から解き放たれた後白河法皇が、四面楚歌となった清盛を皮肉り、
清盛による「治承三年の政変」も自分の筋書きであったことをにおわせ、清盛をがく然とさせる。
平家一門も、法皇は幽閉されながら世を操っておられたのだと、改めて法皇の陰謀に驚くのであった。

確かに法皇は幽閉中も不穏な行動をみせており、事実、富士川合戦で源氏方についた甲斐源氏の武田有義は法皇の近臣であった。
そこで清盛は、武田有義、平知康 ら院近臣の危険分子を解官して、後白河院の勢力基盤削減を図った。

後白河法皇の院政が復活したが、実際は清盛による制限付きの院政であった。


ドラマでは、高倉上皇崩御後、院政を再開した後白河院の御所へ清盛が夜半訪ねて行き、
双六の勝負を申し込む。「負けた者が勝った者の願いを聞き届ける。」という条件付きで。

二人は犀をふりながら、であった頃から今までの二人の「双六遊び」を語り合う。
権力闘争という名の「双六遊び」
時に勝ち、時に負け・・・そして二人は共にこの世の頂点にたったのだ。

やがて夜明けとなり、最後の一振りで清盛が勝利した。
そなたの願いはなんだ?と問う後白河法皇に、清盛は答える。
「貴方様との双六遊びは今回で終わりにしたい。」と。

それは、清盛が倒す相手はもはや後白河ではなく、
鎌倉に武士の都を建設している源頼朝であること。
武士同志の勝負に双六など無用。刀による勝負がまっているのだと・・・

後白河法皇は、朝廷や王家による社会は終わりを告げ、武士が頂点に立つ新しい世が幕開けたことを、
清盛の言葉から察したのだ。

源頼朝という新たな敵に対峙するため
清盛は後白河法皇の許から、静に立ち去っていった。


清盛は、平家と源氏の武門による覇権争いに備えるべく、
京で新たな本拠地を作ろうとしていた。

ところが・・・「冬なのに暑い」と。
清盛の体調に異変が起きたのだ。


史実によれば、
『吾妻鏡』は正月25日、『玉葉』では正月27日ごろ、
清盛が「頭風」を病んでいるとの情報が、京を駆け巡る。

全身が火の様に暑くなる「熱病」で、
大陸から伝来して流行していた風土病であるマラリアに罹ったとされる。

当時の人々が南都で焼失した仏罰だと恐れたのは、言うまでもない。

今回、ドラマの最後に、熱にうなされた清盛が、西行の元に生霊となって現れる。
藤木直人さん演じる西行は、崇徳上皇の生霊にも出会っている、いわば鎮魂の使者なのであろう。

松山ケンイチ君の魂の演技に期待したいです。


さあ、何とか、12/23の最終回に間にあった!


遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ。


後白河法皇が編した『梁塵秘抄』の童唄。

清盛へのレクイエム・・
人生や栄華など、童の遊びに等しい夢幻なのか。

子どもが穏やかに遊び戯れる、そんな穏やかな世界は何処、
そして遊び疲れた童は、母の胎内に帰っていくのだろうか・・。

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