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プレレポートしましたように ↓↓
尚之助様の故郷、出石へ行ってきました〜
11月3日 文化の日に「お城まつり」がある!との情報をキャッチし、 尚之助様の足跡を辿りつつ、紅葉もお祭りも楽しもう 盛りだくさんな「日帰り家族旅行」計画を立てました。 出石は「但馬の小京都」と呼ばれ、古事記や日本書紀にもその地名が記されてい る、 風情溢れる観光地。 出石そば
古代史オタクにとっては、新羅と関連深い「古代丹波王国」の本拠地でもあります。 とはいへ、出石は兵庫県でありながら片道3時間半の長行程。 しかも小雨 京都 「はしだて1号」 〜福知山 「こうのとり3号」 〜豊岡(兵庫) 豊岡からは「全丹バス」に乗り 田圃や山里を走る路線バスに揺られて 30分で出石へ到着。 「尚之助さまの故郷に、きたぁ 驚いたのは、雨天だというのに観光客の多いこと。 我が家含め、「お祭り」効果って抜群ですね。
さっそく 「出石そば」で腹ごしらえ。 実は、息子が生まれる前に一度食べに来たことがあったのですが、 今回は「新そば」ということもあったのか、とっても美味しかったです。 とろろと生卵でからめたそば麺は、濃厚かつさっぱりとしてて、絶品。 うちは「うどん党」ですが、はじめて「そばの旨さ」が分かった気がしました。 昼食後は、風情ある町並を散策しながら、 本日の目的地・・・!「川崎尚之助 ゆかりの場所」へ。 小さい町なので、直ぐに見つかりました。 ちなみに、会津へ出仕した際に、会津藩祖を憚り、「正之助」から「尚之助」へ改名したため、 出石時代は「川崎正之助」が正しい名前でした。
でも、あえてドラマに即して「尚之助さま」と書かせていただきますね。
やっぱ「尚様」
【川崎尚之助生家跡】 説明によれば : 川崎家は文政末期(1830以前)には、この地に居宅があったことが確認されている。 明治9年(1876)の大火により、一度は焼失していますが、川崎渉一によってのちに再建され、 明治25年(1892)まで川崎家はこの家に住んでいました。 建物は当時のもので、現在は化粧品店。日曜だったためか、お店は閉まっているようでした。
「ここで尚之助さまは生まれたんだ」と、ただそう思っただけでも胸が熱く、そして痛くなり、
自然と涙がこぼれてきました。
天保7年(1836)11月。 そう、今から丁度 177年前の11月に、 出石藩士川崎才兵衛の四男として、ここで川崎正(尚)之助は生まれました。
そして17〜18歳まで暮らしていたのです。 藩校「弘道館」で学んだのかどうか、資料がないため推測でしかありませんが、
江戸への遊学を許され山本覚馬が日新館へ招聘したほどです。
当時の出石藩でも指折りの秀才であったことでしょう。
「尚之助少年は、間違いなくここで生きていたんだ」、と思った刹那に浮かんだイメージは、
天保7年まで続く、時空を越えた「蜘蛛の糸。」
「八重の桜」で長谷川博己さんが演じた尚之助さまの魅力の虜となり、
八重さんとの美しく儚い愛に胸を焦がし涙して、その余韻が忘れられないまま、
雨の振る今日、電車とバスを乗り継いでこの場所へ私を導いた、細い糸です。
人と人のつながりが時を越え、闇に消えかかった魂を昇華すべく私の胸に届いた「奇跡の糸」です。
【川崎尚之助生家】の一本筋隣の超・ご近所に、「桂小五郎潜居跡」があります。
文久3年(1863) 八・一八政変の後、新選組に追われた桂小五郎(木戸孝允)が、
広江孝助と変名し、磯松と共に荒物屋を営みながら潜伏した場所です。
後に、明治新政府の重職として会津を攻める桂小五郎と、
故郷を捨てて会津藩士となり新政府軍と最後まで闘った尚之助さんとの、出石をめぐる奇縁です。
桂小五郎が江戸の練兵館塾頭として頭角を現した時期と、尚之助さんの江戸遊学時期と重なることから
二人は顔見知りだった可能性も否定できません。
桂小五郎は、吉田松陰の愛弟子であり、練兵館塾頭の傍ら、
江川英龍から西洋兵学・小銃術・砲台築造術を学ぶなど学問でも名を挙げていたからです。
とはいえ、「桂小五郎潜居跡」は時間がないため、今回はパス・・
あくまでもメインは「川崎尚之助への旅」。
尚様>桂さん
【川崎尚之助供養之碑】
ご城下から少しばかり離れた、とはいえ、徒歩で15分ばかりの山間にある「宗鏡寺」
このお寺は出石藩主代々の菩提寺で、出石出身の沢庵和尚が再興したことから、
沢庵寺とも呼ばれています。
この寺には、尚之助さまの祖父・川崎才兵衛が寄進した灯篭もあるそうです。
この「宗鏡寺」の側、お地蔵さまの横に
「川崎尚之助供養之碑」が建立されていました。
今年 平成25年1月、大河ドラマ「八重の桜」の放送開始に合わせて、有志の皆様が立ててくださったのです。
刀の切っ先をイメージしたとのこと。
そして今回の旅で最も感激したのが、その「説明書き」。
プレレポートのコメントでも皆様も同様に心打たれたご様子ですね。
星雲の志を持ち、故郷出石を後にした尚之助さまは、
江戸で山本覚馬と出会い会津藩に向い、そして会津で運命の女性八重さんと出会い結ばれます。
その後、会津藩士として会津籠城戦を戦い、敗戦。
斗南に移住されせられた会津の人たちの飢餓地獄を救うために、自ら犠牲となり
莫大な借金と裁判を抱え、貧困と病苦に苦しみながらも、しゃれっ気を忘れず
何も言わず何も残さず、東京でたったひとりひっそりとこの世を去っていまいました。
その墓石すら不明なのです。
そんな尚之助さまを、出石の誇りとしその慰霊を願い顕彰してくれた、故郷の温かさに、
胸が熱くなりました。
「結局私は何物にも成れなかった。」尚之助さんはドラマで心中を吐露します。
江戸でも秀才ぶりが評判だった彼にとって、挫折感と敗北感は確かにあったでしょう。
しかし、「会津で八重さんとともに生きる」と決意した事を、悔やんではいなかったと思うのです。
自分の真実や悲劇を、声を揚げて主張することもなく、悲劇めいた手紙も日記すら残していないからです。
それは、八重や故郷の人々は、きっとわかってくれるはずだ、という思いもあったからではないでしょうか。
ただし、出石へ来て、やはり思ったのは、
京都で暮らしていた八重や覚馬さんは、出石に来ることはなかったのだろうか?という事。
八重だけでなく、山本覚馬も、義弟であった川崎尚之助について
まったくといっていいほど何も語っていません。
いや、旧会津藩の人たちが、口をつぐんでいる印象があります。
斗南で尚之助さまを切捨て見捨てたことへの悔恨や贖罪なのでしょうか?
大河ドラマ「八重の桜」を契機に、「会津から逃げた男」という従来の汚名を返上し、
やっと歴史の闇から拾い上げられ名誉回復と成りつつある今、
より研究が進み、資料が発掘され、尚之助さまの実像がより明確になることを願うばかりです。
【願成寺】
供養碑の面前にあるお寺で、川崎家の菩提寺です。
あさくらゆう氏らの調査により、明治10年に記された墓石明細簿に、
川崎尚之助さまと同じ没年月日の戒名が確認され、
おそらく、家族が故郷を遠く離れ無くなった尚之助の慰霊のために
家族が弔ったのだろう、と推測されています。
ただし、残念ながら現在墓石は残っていないとのことです。
尚之助の悲劇とその最期を、誰かが出石の家族へ伝えた、ということでしょう。
尚之助さまが晩年暮らした浅草の近隣の誰かなのでしょうか?
それとも旧会津の人なのか?
希望的観測を言えば、山本家の誰かが関与していて欲しいですね。
【出石観光センター】
この日はお祭り会場になっていて、屋台と人でごった返していましたが、
立ち寄ってよかったです!
「尚之助ステッカー」
ここ「出石観光センター」でしか入手できない、レアモノ。しかも無料。
よ〜っくみると、以前綾瀬さんが主演したドラマ「ホタルノヒカリ」の原作者・ひうらさとるさんのイラストですぞ!
ひうらさんは出石出身なんだそうです。ちょっとした奇縁ですね〜。
そしてそして、「ステラ特別編修版 〜川崎尚之助の故郷 豊岡・出石編〜」もGET
こちらも無料配布です
表紙をばば〜ん。 会津編の綾瀬はるかさん
そして見開きで 「長谷川博己 ロングインタビュー」 が掲載され、
超度級のお宝パンフ
「ステラ4月12日号」を抜粋し編修した小冊子みたいです。
私はステラを読んでいないので、このインタビューも初めて読みましたが・・・・・
ヤバイです。長谷川さん。。
「あさイチ」で綾瀬さんが「変人」と一刀両断したのも、ある意味わかるww。
一部内容を抜粋しますと、
(西島秀俊さん演じる山本覚馬に対する思いを聞かれて・・・)
「覚馬に対して敬慕の念を抱いていることは、最初から強く感じていました。
覚馬を追って脱藩までしたわけですから。覚馬の熱すぎるほどの情熱は尚之助にはなかったものであり、
同時に彼が何よりも欲していたものだったんじゃないかと・・・・。
実は、最初のころ2人の間に同性愛的な愛情があるのではと思っていたのですが、
演じるうちにそうではないと気づきました。
彼らは、恋でも愛でもなく、深い信頼で結ばれていたのだと。
心から相手のことを尊敬し、信頼できる関係ってかっこいいですよね。同じ男として憧れます。」
おおおおおお〜〜〜〜い!
同性愛って〜〜〜〜。
私このインタビューを帰りの特急のなかでお菓子を食べながら読んでいたのですが、
まじで、ふきました・・・。
つうことは、初めのころは、「覚馬に恋する尚様シチュエーション」で演じていたっつうことですよねえ。
そういえば、思いあたるシーンが! (混浴シーンじゃないですよ
第一回「ならぬことはならぬ」で、初めて黒船に遭遇した時、
「よし決めた、俺はあの船に乗る!」と即決断した覚馬さんをみて、尚之助が「は?!」と驚くシーンがあります。
その表情が実に印象的で、私は
「ああ、尚之助さんは、黒船よりも覚馬という人物にむしろ衝撃をうけたのだ。」と思っていました。
ニュアンスはあってましたが、「尚之助が覚馬に恋した瞬間」を演じていた、ということでしょうか!?
やばいな〜。腐女子ならぬ「腐おばさん」になっちまいそう。
西島さんも、もしこのインタビューをお読みになってたなら、きっと同じように苦笑したことでしょう。
これ以外にも、なかなか興味深い内容でしたよ。
ステラ取材時は、撮影が始まり半年後だったようですが、
その間で、特に「プロポーズ」のシーンが印象的だそうで、
「プロポーズも、2人ならではの少し変わったものでした(笑)
皆さん覚えているでしょうか?
尚之助が「夫婦になりましょう」と言ったら、八重に「だめです」と返され「なぜです」と食いさがるシーンを。
お互いに意思が強く、相手のことを大切に思っているからこそ、なかなかスムーズに事が運ばない。
でも断わられても自分の思いをしっかりと伝える尚之助には、これまでにない男らしさを感じました。
これは僕の勝ってな想像ですが、尚之助の中では、八重への思いが強くなる一方で覚馬へのコンプレックスも
増していたように思うんです。
八重が覚馬を心から尊敬しているがゆえに、
「自分は覚馬のようにはなれない」と弱気になっていたと言いますか・・・。
でもプロポーズのときはそういった感情がすべて吹っきれていたんですよね。
演じながら「尚之助、成長したなぁ」という思いがこみ上げてきて感慨深かったです。」
本当に本当に、尚之助になりきっていらっしゃったんですね。
13回「鉄砲と花嫁」は私の中でも指折りのネ申回ですが、
それもそのはず、長谷川さんの熱い思いも込められていたのです〜。
やっぱり、綾瀬はるか&長谷川博己さんの「川崎夫妻」は
唯一無二の神的キャストで、神聖なものです。
この「ステラ特別編」は、「八重の桜」が終了したら撤去されるかもしれず、まさにレア中のレア物です。
近々、出石へ行かれるご予定の方は、必ず「観光センター」へ。
隠れた「尚様スポット」
ちなみに、「観光センター」は出石のシンボル「辰鼓楼」のすぐ側にあります。
といいつつ尚之助さましか眼中になく、「辰鼓楼」スルーしてしまった私。
なんか「進撃の巨人」のミカサみたい・・・と一人悦に入ってしまいました。
(あ、妄想ですのでお許しを
【大名行列で見かけた、川崎夫妻】
この日は「お城まつり」で子供大名行列に遭遇しました。
「尚之助と八重」を、キュートな少年少女が扮していました。
「川崎夫妻行列」も毎年恒例になればいいですね〜。
【八重の桜
京都や関西ではすべて「京都編」に駆逐され、既に死滅したと思われていた「会津編ポスター」を
出石で発見しました〜〜!
これはまじで興奮しました。嬉しかったです。
他所でもみかけましたが、「会津編」ポスターしか貼ってませんでしたよ。
さすが出石藩!
川崎尚之助に対する出石の皆様の優しく律儀な愛情に、感謝しきりでした。
『学問と義と愛に一途に生きた男の顕彰と供養のために
平成25年1月吉日 石碑建立世話人一同 (供養之碑説明書きより)』
故郷っていいものです。
『残酷な運命だから美しいのか?悲劇な運命であっても、真摯な愛だから、永久に美しい。』
大河ドラマ「八重の桜」が終わっても、尚之助さまのことは決して忘れません。
これからも新しい発見があり、尚之助さまのことをもっともっと知りたいと願っています。
【追記】
「出石城跡と永楽館歌舞伎・片岡愛之助他口上セレモニー」については、
別記事として次回、紹介したいと思います。お楽しみに〜!
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2013年11月09日
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