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いよいよ関ヶ原合戦・・・!
戦国武将として、合戦を前に狸おやじから、獰猛な狼へと変貌していく家康。
一方の三成は、慣れない戦に焦りの色が見え始めています。
もし彼が、朝鮮の役で、監視役などという役職ではなく、先発部隊として修羅場を踏んでいたなら
周りの目も、おのれの立ち位置も戦の仕方も変わっていたことでしょう。
そして何よりも、秀頼の出陣を実行することができなかった事につきます。
淀君のほおをはたいででも、秀頼を担ぎ上げるべきでした。
家康、官兵衛なら必ずそうしていたことでしょう。
女一人を説得できない男が、西軍に属する諸将をまとめ上げることなどできるはずがありません。
勝負はすでに決まっていたのでした。
そしてわれらが官兵衛です。
史実通り、輿に乗って戦場で指揮をとってましたね。
運動神経抜群でかっこいい岡田君だから、史実は無視して華麗な太刀捌きを見せたいところでしょうが、
あえて輿に乗せたところが、素晴らしい。
今まで「軍師」として主君を助けてきた官兵衛が、初めて総大将となり
思うがままに兵を動かす大勝負です。
心の秘めてきた野望を実現する時が来たのでした。
水を得た魚のような如水、岡田君の目もきらきらしています〜。
印象的なシーンがありました。
盛夏の中津で挙兵の準備を進める如水が、額に滴り落ちる汗をぬぐいながら
天を仰ぎ、まぶしい光に恍惚となった表情をみせるシーンです。
如水、何を思う?!
光姫の言うように、純粋に自分の目的のためにまい進する如水は
まるで青年のような覇気に満ちていました。
一方徳川の陣中にあって、西軍の切り崩しに奔走する長政。
黒田家のため、天下のたと、嘘も方便とばかりに不気味な笑顔を見せます。
ここへきて
むしろ、調略に奔走する黒田長政のほうが腹黒くダークな印象を醸し出してきました。
父と子と、それぞれの関ヶ原の火ぶたが切っておとされました。
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それでは豆知識コーナーです。
中津で隠居したまま、鳴りをひそめていた如水が、突然挙兵した。
家康と三成の衝突の間に、九州を平定し、その後、上方へ進撃してあわよくば天下を取るという計画である。
当時の九州における主の大名は、
薩摩には島津義弘、
肥前に鍋島直茂
筑前に小早川秀明
肥後に加藤清正と小西行長
筑後に立花統虎と、毛利秀包
この中で西軍につくと明言していたのは加藤清正だけであった。
小早川秀明は関ヶ原の合戦中に寝返るのである。
それゆえ、東軍のためという大義名分がたつ。
しかし、如水の本心は「天下」であった。
が、このとき、最大の刺客が登場する。
豊後の旧領主、大友義弘である。
義弘は、朝鮮の役で敵前逃亡し、秀吉から豊後一国を召上げられ改易となり、
毛利家で預かりの身のうえであった。
しかし家康との対立が深まる中、三成は義弘に旧領回復と軍備援助の好条件で味方に引き入れ
九州へと出兵させた。
大友義弘は途中立ち寄った周防で、旧家臣の吉弘統幸と再会する。猛将と名高い統幸は、
西軍ではなく東軍に付くよう主君を諌めるも、義弘はそれを拒否。
吉弘統幸は仕方なく、西軍側に付いたのである。
情報をキャッチした如水は、旧知の大友義弘に書状を送り、供に東軍に付こうと説得した。
実は黒田官兵衛や黒田家と、大友義弘は誼があった。
九州征伐の後、官兵衛の強い勧めもあって、大友義弘は妻子とともにキリスト教に入信している。
また、母里太兵衛は妹婿でもあった。
吉弘統幸も、大友家改易時は、黒田の家臣・井上九郎右衛門宅に預けられていたことがあった。食客である。
黒田家としては、心情的んは大友家との戦はできれば避けたい思いもあったろう。
しかし旧領回復の望みをかけて、大友義弘は如水の手紙を無視していた。
結局、杵築城の攻防を経て、両家は石垣原で雌雄を決することとなった。
大友軍は、吉弘統幸を大将として出陣、黒田軍は時枝平太夫、松井康之らが先鋒となり
激しい白兵戦となった。
この戦いを自分の死に場所と決めていた吉弘統幸は、井上九郎右衛との一騎打ちに臨む。
そして激闘ののち、力尽きた。
石垣原の決闘で、九郎右衛に討たれのは、恩義ある旧友に花を持たせるため、とも言われているが、
一軍の大将たる者、二人とも全身全霊で刀を交えたに違いない。それこそが武士の情けであろう。
大将が討たれて敗色が濃くなった大友軍は撤退。
そして9月15日、死傷者続出で先頭続行が不可能となった大友義弘は、剃髪し黒染めの衣装をまとって
如水に降伏を願いでた。
この日は奇しくも、関ヶ原合戦、その日であった。
大友義弘はその後、常陸国へと流罪になった。かの地で再びキリスト教を信仰したとも言われている。
石垣原合戦の後も、黒田如水の快進撃は続いた。
黒東半島の諸城を次々と陥落させ、豊後の安岐城、富来城、そこから西進して、
豊前の香春岳城、小倉城、
そこから南下して、筑後の久留米城・・・と、西軍についた諸城を次々に落としていった。
敗れた家は一家全滅などの酷い仕打ちは避け、武将の助命に務めた。
そして、降伏した軍を先頭に立てる戦法をとった。
そのため降伏した兵の多くが、黒田家への士官を望んだという。
九州統一は目前であった。
一方、関ヶ原では、嫡男・長政が調略、武功で大きな手柄を立てていた。
そして、息子の活躍が如水の野望を止めた、遠因となったのである。
さて、次回は最終回。
関ヶ原の論考を得意げに話す長政に対して
「徳川殿はお前のどっちの手を握られたのだ?」と如水が聴き
「右手でした」と答える長政に
「そのときお前の左手は何をしていたのだ。」と言ったという、
黒田官兵衛の有名な台詞を、岡田君がどう演じるのか・・・!
わくわくしますね!!!
そして…当ブログの感想文も、なんとか、最終回に間に合いました!!
かなり、ほっとしています。
これで「心置きなく最終回を楽しむことができそうです。
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2014年12月20日
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