ゆーくんはどこ?

皆様ありがとうごさいました。アメブロへ引越しますので、また、お会いしましょう! 我人に媚びず、富貴を望まず。(黒田官兵衛)

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官兵衛、終わってしまいましたね・・・寂しいです。
 
とりあえず最終回感想から。
 
「その時お前の左手は何をしていたのだ。」
 
岡田官兵衛(如水)の視線に凄みがありました。
ええ、きっと史実の如水も、同じように底光りのする視線で長政を見つめていたことでしょう。
 
あと一歩で天下へと名乗りを上げることができたはずなのに、
まさかその足をすくったのが嫡子であったとは・・・
おそらく家康も、如水の野望を知っていた上で、長政の右手を取ったに違いありません。
 
「如水殿、もう終わったのですよ。。」そんな家康の不敵な笑いが、如水の脳裏に浮かんだことでしょう。
 
しかし、時間がたち、ほぼ天下を手中に収めた家康と対面した如水は、
家康の作ろうとしている天下が、家康一代でなく家康亡き後も、長く太平の世が続く天下を目指していると知り、
「今まで一度も戦で負けたことはありませんが、今回は初めて家康殿負けました。」と頭を下げるのでした。
 
そして、病に倒れた如水は、長政に、
「お前の選んだ道は正しかった。」と、親を超えた息子の成長を喜び、
また、黒田家の未来と繁栄を託します。
 
そして死の床についた官兵衛は、最愛の妻・光の手をとり、
「時世の言葉がみつからない。」という時世の言葉を残し、
やることはやった、後悔はない、と満足な笑顔と一滴の涙を残して、天へ召されたのでした。
 
若いころから官兵衛を支え続けた重臣達の涙にうるうるとしてしまいました。
特に高橋一成さん演じる井上九郎右衛門の涙と鼻水が凄かったですね。
共に1年の長きにわたりまさに大河を渡り切ったキャスト達の固い絆と信頼関係を感じさせてくれました。
 
そして大坂の陣で豊臣家は滅び、乱世も終わりを告げ、官兵衛が願い続けた戦のない平和な世の中が
到来します。
亡き夫の面影をしのぶ光圓の背後には、クルスの映像が・・・
 
最後まで史実へのリスペクトを忘れていない脚本とNHK製作陣の気持ちのこもった、
ラストシーンに深く感動いたいました。
 
 
************
 
それでは、「軍師官兵衛」最後の豆知識コーナーです。
 
慶長5年(1600)9月15日、関ヶ原合戦は、たった1日で終わってしまった。
これは九州から天下を狙おうとしていた如水にとっても大きな誤算であった。
 
家康率いる東軍が7万4000人
三成率いる西軍が8万5000人 と兵力では西軍が上回っていた。
夜明けとともに始まった戦は、緒戦は西軍有利であったが、正午ごろ、小早川秀秋が東軍に寝返り
戦況は逆転、西軍の主力が崩壊して総崩れとなり、東軍の圧勝となったのである。
 
 
個人的には、寝返り、調略等々の要因はあれど、
やはり、東軍の大将・徳川家康の肝の太さがすべてを決めたなあ〜と。
 
関ヶ原合戦については、過去記事で書いておりますので、
興味のある方は、下記を参照くださいませ。
 
 【関が原!シリーズ】
http://blogs.yahoo.co.jp/tomyu1999/58532022.html 『大垣城!〜 関が原前哨戦 』
http://blogs.yahoo.co.jp/tomyu1999/58551604.html 『関が原!その①』

 
 
 
西軍の主力であった、石田三成、小西行長、恵瓊は捕えられ、六条河原で処刑、首は三条河原に晒された。
 
ドラマで捕えられた三成に長政が声をかけるシーンがありましたが、あれは史実である。
 
福島正則ら多くの武将達が、生きさらしとなった三成への侮蔑の言葉を浴びていたが、
そのうち、馬を降りて敵軍の将として礼節を示したのは、長政と藤堂高虎だけだったという。
 
特に長政は馬から降りて自らの羽織を三成に遣わし
「不幸にしてこうなってしまわれた。これを召されよ」と着ていた羽織を脱いで
縄目の上から掛け、手向けの言葉を送っている。
 
黒田長政も藤堂高虎も秀吉恩顧でありながら、その後家康への忠誠が最も篤く、
外様ながらも、家康の側近くに呼ばれた武将であった。
おそらく、長政も高虎も、豊臣家の真の忠義者が誰であるのかを分かっていたのであろう。
 
さらに後日談であるが、長政は、西軍の総大将であった毛利輝元と家康との仲介を務め
毛利家の改易を阻止してもいる。
また如水は小西行長の遺臣を黒田家で召し抱えている。
尚小西行長はキリシタンは自殺が禁じられているため、敢えて捕えられている。
 
石田三成に関しては、家康と高台院(おね)との関わりが興味深い。
家康は三成の子供、男子含む全員を助命している。娘達もそれなりの家へ嫁がせており、
家康の人となりが伝わってくる。
さらに興味深いのは、三成の三女辰姫は、高台院(おね)の養女となり養育され、その後津軽藩主の元へ
嫁いでいる。
豊臣家への本物の忠臣として家康もおねも三成を認めていたのだ。
 
なお、黒田長政の関ヶ原における戦功は見事なものであった。
先鋒として西軍に猛攻を加えるだけでなく、父、如水譲りの調略においても見事な働きぶりであった。
特に、小早川秀秋の家臣で、長政の従兄に当たる、平岡頼勝を通じて、秀秋に東軍への寝返りを勧め、
また、毛利の吉川広家から情報を仕入れて、毛利軍の日和見を事前に家康に報告していた。
 
それらの戦功により戦後、家康から関ヶ原一番の功労者として
子々孫々まで罪を免除するというお墨付きをもらい、筑前52万3,000石の大封を与えられた。
 
だが、皮肉にも、それは父・如水の天下取りへの大望をくじくこととなり、
「日本一のうつけは長政だ。」と言わしめた結果となったのだ。
 
関ヶ原がたった一日で終わったのちも、如水は九州で暴れまわった。
 
加藤清正、鍋島直茂とともに、立花統虎が籠城する筑後の柳川城を攻め、統虎を説得して
10月25日に開城させた。
残るは薩摩の島津だけとなり、如水は肥後の水俣まで軍を進めた。
ところがそこへ家康から 「島津攻撃は待ってもらいたい。」と書状が届いた。
家康はこれ以上如水が九州を制圧すれば、自分の首が危ないと読み切っていたのだ。
如水は、あっさりと軍を引き下げてしまう。
それは、家康についている長政と黒田家を鑑みてのことであったろう。
そして冒頭の有名なエピソードに戻る。
 
家康とのDeepな心理戦があったことも知らず、
「徳川様がこの右手を握り、この恩は七代の末まで忘れない、とおっしゃった。」と
如水に嬉しそうに伝える息子の能天気な笑顔に、
「それなら、その時お前の左手は何をしていたのだ。」と
左手で家康を刺すことができただろうと、長政に冷水を浴びせたのである。
 
そして本当に悔しかったのであろう、後年も長政に
「たった一人の息子であるが、お前を捨て殺しにしてでも、天下を取りに行こうと思っていたのだ。」と
関ヶ原時の心境を語ってもいる。
 
関ヶ原後の官兵衛であるが、
筑前国を拝領した長政は、慶長6年(1601)父如水らとともに、筑前警固村福崎で、築城を開始した。
その際、如水は、城下の地名を、黒田家のルーツでもある備前国福岡郷にちなみ、「福岡」と名付けた。
完成した城は福岡城と呼ばれのちに藩名にも使われるようになり、
現在の福岡県へと受け継がれるのである。
 
築城開始ごろは、太宰府天満宮の庵にて、妻・幸圓と住んでいたが、
城が完成すると、三の丸(御鷹屋敷)で夫婦水入らずの隠居生活に入った。
時々城下町へ出かけて、家来の家でお茶をごちそうになったり、
散歩の途中で子供たちに出会うと、果物を与えたりと好々爺であったという。
 
そして晩年には、長政や家臣に多くの教訓を遺してもいる。
「神の罰より主君の罰、主君の罰より臣下、万民の罰を恐れよ。」
「文武は車の車輪の如し、乱世に文を棄てざるが尤も肝要たるべし。
「国を治めるにはまず政道に私なく、我が身の行儀作法を乱さずして、万民の手本となるべし。」等々
天下人とその末路を見てきた官兵衛らしい処世術である。
 
慶長8年(1603)暮れ、如水は体調を崩したため有馬温泉で湯治を行い、
年が明けてから伏見藩邸に移ったものの、2月末に容態が悪化し、
慶長9年(1604)3月20日 その生涯に幕を閉じた。享年59歳であった。
 
辞世の句は
「おもひおく言の葉なくてついに行く、 道はまよわじ、なるにまかせて」
 
辞世の言葉が見つからないのに旅立ちます。道は迷っていない、世の中なるようになるさ・・・
なんとも官兵衛らしいというか、戦国大名らしからぬ、やはり現代的でな文学青年の香りがする。
 
そしてドラマには描かれていないが、如水はキリシタンとしての死を望んでいる。
死の間際、如水は自分の「神の小羊」の祈祷文およびロザリオを持ってくるよう命じ、
それを胸の上に置いた。
そして自分の死骸を博多の神父の所へ持ち運ぶこと、
息子の長政が領内において神父たちに好意を寄せること、
イエズス会に2000タエス(約320石に相当)を与え、
うち1000タエスを長崎の管区長に、1000タエスを博多に教会を建てるための建築資金に充てること、
と遺言している。
また、家臣の殉死を固く禁止している。
 
官兵衛は本物の、キリシタンであったのだ。
関ヶ原で天下を狙ったのも、徳川の世ではキリシタンが迫害されることを予測し、
わが手でキリシタンを保護したいという思いもあったのではないだろうか。
 
なお、黒田官兵衛の墓は、黒田家の菩提寺である崇福寺(博多)と、
長政が建立した大徳寺塔頭・龍光院(京都)にある。
 
黒田家は福岡藩主として初代長政から12代長知まで続き、明治を迎えることとなる。
 
 
黒田官兵衛!
史実に忠実で根太なドラマでした。久しぶりに本物の戦国大河を堪能した1年でした!!
 
特に、「有岡城の戦い」を1か月に渡り、しっかりと描いてくれたことを最大に評価したいです。
有岡なくして官兵衛はなかっただろうし、有岡があったゆえの官兵衛の生き様であるからです。
幽閉後、道糞との不可思議な友情を含め、有岡での迫力ある演技や映像は、個人的にも
歴代大河の上位にランクインするほど、印象的なシーンや台詞の数々でした。
 
歴史に埋もれていた真実や人間模様を、過剰な演出や虚実を大量に混ぜることなく
まさしく「ありのまま」に描くことで、歴史のダイナミズムを表現した手法に拍手です。
 
岡田准一くん、そしてキャストのみなさま、
本当に素晴らしかったです。
ありがとうございました!!!
 
・・・にしても、ジャニーさん、せめて大河ドラマの写真くらい公開OKにしましょうよ。
岡田官兵衛のかっこいい写真みたいよ〜〜〜。

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