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鶴岡さんの胴上げ

昨日の甲子園
阪神タイガースファン感謝祭で
鶴岡さんのサプライズ登場が

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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161120-00000008-spnannex-base


引退の鶴岡氏 サプライズ胴上げ 4度宙に「最後にいい思い出」


 ◇阪神ファン感謝デー(2016年11月19日)

 今季限りで現役引退した鶴岡一成氏には「引退試合」が用意された。

 「OB対若虎」の試合で下柳氏とバッテリーを組み北條、高山、原口の打者3人をパーフェクトに抑える好リードを披露。試合後には選手からサプライズの胴上げで4度、宙に舞った。「自分の中では踏ん切りは付けていましたが…。最後にいい思い出になりました」と笑顔で球場を後にした。


鶴岡さん、川崎の自宅から
来てくれたんだ!

引退試合も固辞し
もう縦縞姿を見ることもできないのか、と
正直、フロントの冷たさに落胆していたので、
甲子園で最後の勇姿を披露してくれた事、
これこそ、ファンからも感謝の気持ちでいっぱいです。



原口が鶴岡さんに抱きついて
涙していたとの情報も。

怪我による育成暮らしで原口が辛いとき
プロ野球はあと11球団もある、と
野球を続けるように励ました鶴岡さん。

二人の絆の深さを想像するだけで
涙が込み上げてきます。

鶴岡さんの人柄や厳しさは、
指導者向き。
どこかの現場で再びそのお姿を
見たいです。
できれば阪神に戻って来て欲しいし、
阪神をずっと好きでいて欲しいです。


ほんまに、ありがとうございました
大河ドラマ 真田丸 『完封』

むっちゃ感激しました!!幸村かっこいいいいいい〜〜〜。

徳川の大軍を撃退した真田幸村の戦いぶりは、
関西人として、むっちゃスカッとします。

戦の様子も、ほぼ史実通り。

空堀が現れたシーンでは、
「ブラタモリ」の、あの高低差のある街並みがフラッシュバックして、まさに鳥肌もの。

堺雅人さんの幸村が、これまた幸村らしくて素晴らしいかったです。
冷静でありながらも、燃えるほむらのような目・・・しびれますね。

脇を固める高梨内記や堀田作兵衛ももちろんのこと、
大助が敵を挑発するために「たかさごや〜〜」と唄いだしたシーンは、
上田合戦の信繁の役回り同じ。

作戦会議で五人衆や木村重成を前に
「おののぬかりなく」と昌幸の名台詞も飛び出し、
これこそが、真田の戦だと、
あらゆる伏線が大坂の陣につながって怒涛の演出となっておりました。

まさしく「日本一の兵(つわもの)」!

ちなみに、

真田幸村と共に真田丸で奮戦した木村重成。
史実でも、木村重成軍は、真田丸の背後の城内を固めておりました。

木村重成は、豊臣秀頼の乳母の子で、秀頼の近臣。
大坂城内の侍女が色めき立ったほどの長身の美男子だったそうです。

大坂冬の陣後の平和交渉において、
慶長19年(1614)12月21日に、徳川秀忠の陣所である岡山に大坂方の使者として赴き、
秀忠の誓約書を受け取ります。

合戦に及び腰な豊臣方にあって、武闘派の五人衆の信頼も厚く、
ともに激戦に身を投じた若武者。
ドラマで、幸村の見事な策略と戦いぶりに感激し、頬を紅潮させて「お見事」と幸村を讃え、
そんな重成に「心の蔵が飛び出すほどだった。」と幸村が胸襟を開くるシーンが爽やかでした。

寄せ集めの烏合の衆と侮られた大坂方が、
真田幸村の奮闘などで一体感を増し、戦う集団へと成長していきました。
このまま戦闘を続けていたなら、もしかしたら・・・大坂城は落ちなかったかもしれません。

それゆえに、家康の老獪さが際立っているといえます。
真田丸の『完封』勝利から、わずが半月後、徳川に有利な講和が成立してしまうのです。

次回のタイトルは『砲撃』。
家康の反撃が始まります。

講和に至るまでのいきさつを簡単に書いてみたいと思います。

*****

慶長19年(1614)、12月4日、城南の真田丸の激戦で東軍の大軍を相手に見事な勝利を挙げた、真田左衛門佐幸村の武名と知略は、天下の聞こえることとなった。
戦況は、12月16日夜、加藤嘉明の家臣であった牢人武将・塙団右衛門が、
船場の蜂須賀至鎮の陣を夜襲して、中村右近など百余人を打ち取ったなど
小戦闘が行われたほか、変化はなく、東軍は攻撃の手をゆるめた。

その一方で家康は、大坂城への砲撃を強めた。

大坂城の北側になる天満川の中州にある備前島を手中にした東軍は、
その陣所から、大坂城の本丸と天守閣を狙って砲撃を始めた。

狙いは、大坂城に立て籠もる淀君ら子女に恐怖心を植え付ける事であった。

備前島は、大坂城の京橋口の目と鼻の先位置する。
そんな近所から、巨大な砲丸や石火矢が撃ち込まれてくるのである。

(布陣図で備前島を参照してください)

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徳川家康が、イギリスやオランダから買入れた、巨大な大砲が城に向かって砲撃し、
四貫目〜五貫目の砲丸が、爆音とともに飛んでくる。

大砲がさく裂するたびに、城内の子女は顔色を失い恐怖の渕へと追い込んでいった。

まるで、八重の桜の会津籠城戦を彷彿とさせますね。

この大砲による攻撃を指南したのが、片桐且元と言われている。

備前島に陣を張った且元は、秀頼幼少のころからの側近中の側近。
城内の様子をつぶさに知っており、適任であた。

また家康は、城外からトンネルを掘り、大坂城本丸の下まで掘り進め
大量の火薬を仕掛けて天守閣を吹き飛ばす、との風評を広めさせた。

毎月18日は太閤秀吉の月命日なので、秀頼が城内の豊国神社へ参詣する。
片桐且元はそれを知っていたので、
12月18日、秀頼の豊国神社参拝を狙って大砲で砲撃した。
その砲丸は淀君のいた天守の二層目に命中し、淀君の二人の侍女の身体を吹き飛ばした。
目の前の惨劇に淀君の恐怖は頂点になった。


そのころ合いをもって、
家康は大坂方に休戦を密かに持ち掛けたのである。

それより先に、後水尾天皇の勅使が茶臼山の家康本陣を訪ねて、大坂方との和睦を進めたが
家康はその進言を無視していた。

朝廷主導ではなく、家康主導である計略をもって、和平工作を進める腹積もりであったのだ。

家康の和平工作は、内通者と言われる織田有楽斎から、大野治長、秀頼へと伝わった。
しかし秀頼は、
砲撃が怖くて「何のための戦じゃ。」と当初は反対をした。

そこで家康は、淀君の妹・常高院に目をつけた。
常高院は、本名は初。 浅井長政と市の娘で、秀忠の正妻・江の姉にもあたる。
浅井三姉妹の二女だ。
京極高次へ輿入れしたが、高次の死後仏門に入り、大坂城への出入りも自由であった。

妹の説得に淀君の心は休戦に傾いた。
砲弾からの恐怖から解放されたいとの思いだろう。

幸村ら五人衆は、和睦には反対であった。
幸村は休戦などもってのほか、今は寧ろ茶臼山の家康本陣を攻めるべきだと主張したという。

秀頼も同じ気持ちであっただろうが「おふくろさま」の意に反することはできない。

数回の交渉ののち、慶長19年12月19日、両者が合意に達し和議がなった。

翌日20日、21日に、大坂方の使者が家康、秀忠本陣を訪れて誓約書を受け取り、
22日には、徳川方の使者が大坂城に入り、秀頼、淀君の誓約書を受領。
これで冬の陣は終結した。
大坂方の使者はこのときまだ若干19歳の木村重成。
徳川方の使者は、家康の側室、阿茶の局、家康側近の板倉重昌、秀頼側近の阿部正次。

和議の条件は
ー、大坂城の二の丸、三の丸、惣構の堀を埋め立てること。
ー、淀殿を人質としないこと。
ー、秀頼が牢人を招き入れたことの罪を問わないこと。

であった。
大坂方は、休戦に持ち込み、老齢の家康の死を待つ作戦であったと思われる。
城内は、休戦合意でやっと戦から解放されると、安堵した気持ちとなったであろう。

しかし、家康は、和議がなった翌日、12月23日に
「すぐさま城の外堀を埋めよ」と下知した。

諸大名から招集された約8万もの作業人夫が、昼夜問わず突貫工事を勧めた。
二日後の25日には南の惣構の壕の大半が埋め立てられたとある。
恐らく幸村の「真田丸」もこのときすでに破壊されていただろう。

そもそも、和議の内容では、二の丸、三も丸の埋め立ては、大坂方の割り当てであったが、
家康は、その約束を無視して、東軍の人夫で三の丸の壕も埋め立てにかかったのだ。

難攻不落の大坂城は、家康の策略でまる裸となってしまった。
もはや籠城はできない。

苦心して築いた真田丸が破壊されたと知ったときの幸村の心情やいかに・・・
真田丸の最終章、大坂夏の陣が刻一刻と迫ってきている。


尚、家康へ寝返り、大坂城の秀頼、淀君の居間や行動予定を家康や秀忠へ注進した片岡且元であるが、
大坂城が落ちる直前、大野治長が、秀頼と淀の助命嘆願を兼ねて、二人の居場所(山里丸)を
密かに伝えてきた。
しかし且元はこの内容を秀忠に通報し、豊臣は助命ならず滅亡してしまう。

そのわずか20日後、且元は持病の肺病が悪化し、5月28日に京都で病没する。(享年60歳)
良心の呵責か、豊臣方の恨みなのか、三成を裏切った金吾同様、後年の評判は芳しくない。

大河ドラマで小林隆さん演じる且元は、この難役をどう演じるのか、
注目している。


***********

そういえば、
予告で、出浦様のお姿が!!! うれしいです。
信之の替わりに、信州のそばがきを大坂城へ持ち込むのでしょうか?

弟のために何か手助けをしたいという信之の気持ちを察したお幸さんが、
そっとそばがきの量を信之に伝えるシーンも胸に響きました。
お幸さんにとっても源二郎は可愛い義弟。
源二郎とお梅の祝言で、病弱の身体を押して踊った姿を思い出しました。

それと、きりちゃんが淀殿の侍女になりましたが、
家康の砲撃事件の被害者になるわけないよね・・?
数々の危機を乗り切ったきりちゃんには、大坂陣後もたくましく生き抜いて欲しいです。


イメージ 2


写真は、『六連銭文黒塗水筒』 (大坂城天守閣蔵)

黒漆塗の縁に、金泥を塗り真田家家紋が描かれている。
和泉伝来の真田幸村所用の甲冑(胴具足)と共に伝わる真田幸村にゆかりの一品。
大坂の陣で幸村がその喉をうるおした水筒なのかもしれません。
今でも使いたいほど、おしゃれです。

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