ゆーくんはどこ?

皆様ありがとうごさいました。アメブロへ引越しますので、また、お会いしましょう! 我人に媚びず、富貴を望まず。(黒田官兵衛)

歴史の扉 幕末

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芋焼酎。小松帯刀☆ ケータイ投稿記事

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鹿児島土産の芋焼酎、ビンのラベルはこんなんでした。

無茶苦茶カッコイイ(*^o^*)

なんだかまた、篤姫や家定さん、尚五郎さん達に、会いたくなりました…♪

薩摩DEお土産。 ケータイ投稿記事

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昨夜のフライトで帰宅しました。
毎日ぎりぎりまで会議だったので、観光の時間は一秒もなく、今回の出張はまじでしんどかったです(ノ_・。)
空港で30分ほど時間があったのでお土産屋さん回ったのが唯一の観光タイムでしたね。とりあえず留守宅守ってくれたパバへ焼酎を買いました。
前回美味しいと好評だった「薩摩維新」と、噂の「小松帯刀」をゲット!
薩摩芋のタルトや黒酢のお漬物も買いました。

去年と比べて俄然目立つのはやはり「篤姫」グッズ。テレビの影響は凄いです。西郷どん、小松さんグッズも増えてましたね〜。
でも、それでも大久保どんグッズがなかったのが余りに寂しい…

さて今晩は録画していた「天地人」観なくちゃ(^^)
感想文もできるだけ早くUPできるように頑張ります。。

PS
携帯からの更新楽チンでいいな。

薩摩DEラーメン。 ケータイ投稿記事

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街の普通のラーメンなんだけど…
はんぱなく美味しい(^〜^)
山盛りの分厚いチャーシューがとろとろで肉の甘味が凝縮されてて絶品でした。京都に滞在中の小松帯刀さんがわざわざ取り寄せてたのも納得!
政敵だったはずの徳川慶喜公が、小松さんにおねだりしたのも納得!
薩摩の豚肉、ヤバイです。
しかもこのボリュームでたったの500円でした。

薩摩DE仕事。 ケータイ投稿記事

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出張中です。
事務所に缶詰なので今回も観光は全く期待できません(´Д`)
昨日 霧島連山の麓を車で走りました。小松帯刀さんと龍馬夫妻ゆかりの場所です。
携帯も通じない、田舎でした。車で通過しただけでしたが、幕末の頃と風景はほとんど変わりないのかな…と、ちょっとだけロマンに浸りました。

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14歳の土佐、仲濱の少年万次郎達5人漁師が、暴風雨のため漂流し、
太平洋の鳥島で143日後、米国の捕鯨船ジョン・ハラウンド号に救助されたのは、
ペリー艦隊が浦賀に上陸する12年前、天保12(1841)年1月のことでした。



米国の捕鯨船ジョン・ハラウンド号の船長は、ウィリアム・ホイットフィールド。
彼の博愛による救助活動が、その後日本にもたらした恩恵は計り知れないもとなるのでした。




鎖国のご禁制のため故郷へ帰ることができない万次郎たちは、ホノルルに上陸します。
そしてホイットフィールド船長は5人に対して、難民保護の手続を取ってくれました。
そのため、彼らはハワイでの生活が保障されたのです。


それだけでなく、ホイットフィールド船長は、万次郎の利発さと語学能力に惚れこみ、
万次郎をアメリカ本土の自宅へ伴い、彼に教育を施すのでした。


ホイットフィールド船長の自宅は、マサチューセッツ州フェアヘーブン。
アメリカ建国13州のひとつであり、清教徒達による敬虔な自由と博愛の精神が生きていた街でした。


ジョン万次郎は、船長の家族の一員として暖かく向かいいれられ、
屋根裏に自分の部屋を与えられ、そこから小学校へ通わせてもらったのです。


ホイットフィールド船長の目は確かでした。
またたくまに英語をマスターし、勉学に励む万次郎は、優秀な成績で卒業し
バートレット・アカデミー校に合格します

バートレット・アカデミー校は地元でも最高レベルの船員学校で、
万次郎は 高等数学、航海術、測量術、捕鯨術をマスターし、
なんと校内で一番の成績を収めたそうです。



ホイットフィールド船長は、万次郎をゆくゆくは自分の後継者と考えていました。
実際、一級航海士として、他の捕鯨船に乗り込みセブンシーを航海しました。

彼の操舵術は見事で、体調を崩した船長代理として、航海を取り仕切ったほどでした。


しかし、望郷の思いを断ち切ることができない万次郎は、
鎖国のご禁令を破ってでも、日本へ帰国することを決意し、
そのためゴールドラッシュに沸くカリフォルニアで砂金を掘り資金を稼ぎ、
住み慣れたフェアヘーブンに別れを告げます

そして途中ハワイへ立ち寄り、共に遭難した漁師仲間とともに
24歳で日本へ帰国したのでした。





帰国後は、薩摩藩の島津斉彬、土佐藩の山内容堂公に、見聞と才能を見込まれ重用され、
また、嘉永6(1853)年には、噂を聞きつけた幕府より召され、江戸に上ります。

そして、勝海舟を艦長とする初の遣米使節団随行艦「咸臨丸」に通訳として同行。
度重なる暴風雨の中を実質的な航海士として活躍し、
船が無事に太平洋を横断するのを助けました。

以前も書きましたが、艦長勝海舟は、船酔いで何もできなかったそうです。


このように、万次郎が、幕末の開国において果たした業績は、計り知れないものがあります。

しかしそれは、ホイットフィールド船長との出会いがなければ、実現しない奇跡でもあったのです。

土佐の貧しい漁師の息子でしかない万次郎に、
国や肌の色や言葉の壁を無視して、教育という最大の恩恵を与えたアメリカ人たち。

私は、幕末から明治維新にアメリカへ留学した日本人の評伝を読むにつれ

当時のアメリカに存在していた、

偽善という言葉とは無縁の本当の博愛主義、自由と平等の精神に感激せずにはいられません。


仲濱万次郎は、ホイットフィールド船長への恩義を生涯忘れることはなく
仲濱家とホイットフィールド家は、明治維新以降も交流を続け、日米の架け橋となったのです。



そんな、万次郎が暮らしたマサチューセッツ州フェアヘーブンのホイットフィールド邸が
荒れ果てた状態で売却にかけられたそうです。


その情報を知った聖路加国際病院の日野原重明理事長が、
保存のための記念館設立を決意。

日野原先生の知人が立替で購入され、修繕費を合わせ約8000万円を支払うため、
1月に募金委員会を設立し、既に半額を達成。
今後も募金を続け、早ければ4月中にも予定額が集まる見通しなのだそうです。

同委員会は正式に取得、修理後に
船長の名前を冠した「ホイットフィールド・万次郎友好記念館」として
フェアヘーブンに寄贈されます。



と、ジョン万次郎に関する資料を調べていた矢先、

ニューヨークのハドソン川にUSエアウェイズ機旅が墜落、
機長の冷静で的確な判断と見事な操縦で、着水不時着に成功しただけでなく
沈み行く機体の上で救助をまつ乗客乗員155人全員が、
駆けつけた民間フェリーや救助隊の迅速な救出作業のおかげで、無事救出された! 

というニュースが飛び込んできました。

マンハッタンのど真ん中での操縦不能事態、そして零下6度の水温という最悪の条件でありながらも
「ハドソン川の奇跡」を実現させたニュースに

アメリカ人の底力を見た気がしました。

そしてそれは、150年も前、
無人島へ漂流した日本人の漁師たちを、何の躊躇もなく救出し、
難民手続きを取っただけでなく、アメリカで教育まで受けさせた
ホイットフィールド船長の勇気と博愛を彷彿とさせます。


そして、来週1月20日には、
黒人初のアメリカ大統領にオバマ氏が就任します。


古き良き時代の博愛と自由の精神が、現代でも行き続ける限り、
アメリカの再建は必ず成されるでしょう。


「ホイットフィールド・万次郎友好記念館」募金要綱は下記にて:
http://www.john-mung.jp/03_collect/03_00001.htm


写真は、売却にかけられた当時のホイットフィールド邸


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