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周倉同様、黄巾あがりの関羽将軍の腹心といえば、思い出すのは 演義世界では: 関羽とであった11年後(建安16年)劉備が蜀へ侵攻するときに部下を従え投降。 以後関羽からの信頼あつく主簿として仕える。 そして関羽が呉の裏切りにあい、麦城へ逃げ込んだときに、劉邦らへ援軍を求めるために 敵の包囲網を破って逃走。しかし劉邦の援軍が見込みなしと解るや否や ぼろぼろになりながらも、今度は成都の劉備のもとへ達するも関羽は既にこの世になかった。 その後の廖化は蜀軍の中核的武将となり、諸葛亮の北伐にも参加して 司馬懿をすんでのところで取り逃がし 「もし関羽だったら捕らえることができたろう」と孔明先生を感嘆せしむる。 諸葛亮の死後は姜維と共に魏の攻勢を食い止めるも降伏。 景元5年(264年)洛陽への移住を拒否し憂悶のうちに病死した。 となると疑問がわきます 「憂悶のうちに病死した」のでなく「老衰で死亡した」ほうがよっぽど自然です。。。 これもどうやら羅貫中の創作が原因だといわれています。 周倉さんと違い、廖化は実在の人物で正史にもちゃんと記述されています! 三国志正史『蜀書』では 廖化は関羽の配下。
関羽の敗死後、いったん呉に降伏したものの、まもなく脱出して蜀に入り 以後、蜀の中核的武将となった。 ・・・簡単です。 どうやら「元黄巾」という廖化さんの履歴は、羅貫中の創作のようです。 作者は「憂き世に暮らす無頼の好漢が、関羽将軍と出会って忠実な部下になる」という 「水滸伝」的なストーリーをどうしても書いてみたかったのでしょうww 関羽将軍のため羅貫中さんが正史の簡潔な内容を、いかに苦心して潤色したかが分かります。
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