|
37話のタイトルは「母の遺言」でしたが、
私は、今回の隠されたメインテーマは「武門の滅亡」であると感じました。
北条氏康(松井誠さん)は関東管領 山内上杉憲政を追放し関東における覇権を確立した
いわゆる「平井合戦」での勝利を目前として、嫡子・新九郎、後の4代北条氏政に
「武門の最期とは何か、とくと見ておくがいい」と諭します。
義を守りての滅亡と
義を捨てての栄華とは
天下格別にて候
これは、氏康の父、北条氏綱の訓戒状の一説ですが、
まさしく、「武門」=もののふ の有り様、心がけを言い当てていると思います。
そして、滅び行く武門の象徴として上杉憲政の嫡子・竜若丸の悲劇が描かれたのです。
天文21年(1552年)1月、憲政は越後の長尾景虎(ガクト)のもとに逃れました。
しかし、時すでに遅く、平井城に留まった嫡子上杉竜若丸が氏康に捕らえられ、処刑されたと知ります。
それは、義を忘れた重臣・妻鹿田の裏切りによるものでした。
北条氏康は、竜若丸の名誉のため、果し合いの結果、これを切り捨てます。
「みよ、氏康に一太刀くれたわ。このものこそ、武門のほまれ」
無念に散った竜若丸の名誉は、氏康の言葉で救われたのです。
武士にとっては敵に捕縛され首をはねられるは、最も恥ずべき行為でありました。
そして家臣は主家のため、最期の一兵となっても敵に立ちむかうことこそ、
武士の恩顧、すなわち、もののふの誉れでありかつ、義の姿であったのです。
たとえば、上田原合戦で討ち死にした、板垣や甘利のように・・・
主家上杉への義を忘れ、二心をもった妻鹿田は、見せしめとして首をはねられました。
いみじくも、ガクト・長尾影虎が糾弾したように
「何故、嫡子を越後へと落ち延びさせ、御自ら上州に踏みとどまらなかったのか」
(それは、自分の命が惜しかったから)
武門として最も恥ずべき行為をした、上杉憲政という暗愚な武将への痛烈な批判となったのでした。
そして、今度は、我らが「武田家」へ視点を移します。
武田晴信は信濃を統一し、今や押しも押されぬ実力者として天下覇権の一歩を踏み出したところ。
今川息女が嫡子、太郎の正室として輿入れすることも決まり、後顧の憂いもなくなりました。
まさしくお家は順風満帆でありました。
しかし、そんな状況にあって、心ある者は、武田家中の不協和音を感じ始めていました。
特に、死期を悟った晴信の母、大井夫人(風吹ジュン)は、不吉な胸騒ぎを覚えます。
晴信と信虎のような父子の確執が、再び繰り返されるのではないか・・・?
「もし武田が滅ぶとしれば、それは、父を追放したことの因果でしょう」
大井夫人の遺言は、まさに正鵠を得た予言でもあったのです。
義信が廃嫡されたのち、武田の家督を継いだ四郎勝頼は、
結局、武田恩顧の家臣団から見放され、再起を託した一族である小山田信茂の裏切りにあい
武田家滅亡を招いてしまいます。
諏訪四郎勝頼の家督相続は、やはり「義」=正当性に欠けたものであったと、
家中から認識されていたことが、史家の間でも常々指摘されています。
信玄の孫でもある信勝が家督を継ぐまでの、仮の継承であったとされる所以です。
現代社会では理解しがたいことですが、「武家」や「武士」は主家に忠義を尽くし、
また領主はそのような家臣達の生活を100%守る義務があったのです。
竜若丸との危険な果し合いによって、『武門の最期』を嫡子、氏政へ伝えようとした北条氏康でしたが、
しかし残念ながら後北条氏は、氏政と氏直の時代に豊臣秀吉の小田原遠征のため滅亡してしまいます。
氏政は、武門の誉れにのっとり、「義」を守って滅亡したのかどうか?
それは、判断が分かれるところでしょう。
個人的には、北条氏政は、偉大なる父、氏康には及ばないとはえ、
初代・北条早雲(伊勢新九郎)から受け継がれた北条家訓を守り、領土拡大だけでなく、
領民への善政を心がけた点。
また、成り上がりものの「豊臣秀吉」に最期まで抵抗し、そもため小田原遠征を招き
結局、北条は滅亡したとはいえ、「武門としての最期」を全うした、立派な武将であったと
思っております。
結局、越後との合戦に臨んで、後顧の憂いを立つために三国同盟を結んだ、今川・武田・北条、三家が
ともに滅亡し、相対する上杉家が、明治維新まで存続したことの不思議を思わずにはいられません。
「義」とは何か?
「武門=もののふとは、いかにあるべきなのか?」
これは、鎌倉時代から江戸時代〜幕末まで続いた「武家政権」を考える重要なポイントです。
鎌倉幕府が後醍醐天皇の倒幕運動によりあっけなく滅んだ元弘の乱を鑑みれば、
最期まで暗愚な得宗北条高時を守るため、もののふとして討ち死にした多くの鎌倉武士達がいました。
また、明治維新のさい、徳川家を守るため朝敵となってでも最期まで抵抗し散った
多くの幕臣達がいました。
義を守りての滅亡と
義を捨てての栄華とは
天下格別にて候
氏綱の遺訓は、その回答のヒントになるのです。
わたしは、現代社会では、もう死滅してしまった武士という、ある種滑稽でもあり、また潔く感動してしまう男たちが信じた「義」について、改めて考えさせられた次第でした。
ただし、私は「義」という観念を100%賛美しているわけではありません。
「義」「忠義」という考えが時の政権によって歪曲され宣伝されたことが
先の「太平洋戦争(大東亜戦争)」の悲劇の要因であると考えるからです。
ドラマの本筋とは少し離れた内容になってしましたが、これがドラマを見た私の正直な感想です。
さて、次回。とはいっても今晩は、村上義清の越後逃亡。
すなわち、川中島序章です!!
楽しみですね〜!!
|