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皆様ありがとうごさいました。アメブロへ引越しますので、また、お会いしましょう! 我人に媚びず、富貴を望まず。(黒田官兵衛)

大河ドラマ「篤姫」

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心で求め合う二人が、大奥に渦巻く陰謀や重圧をはねのけて寄り添う姿に・・・


なんだか切なくて涙がこぼれました



家定は、ハリスとの会見など表(幕政)での過労がたたったのか仏間で倒れます。

母である本寿院は、ハリスとの会見に一橋慶喜を同席させるなど、
篤姫の影響を受けて家定が変わっていくのが原因だと考えます。

度々の夜のお渡りも、病弱な家定の障りになるとも・・・

本寿院にしてみれば、体の弱いうつけの息子は、自分の手元に置いて守り続けたかかった・・・
息子を奪うものは、どんな人物でも許さない。

たとえそれが嫁であっても!

子離れできない母の典型でした。

が、同時に、大奥での将軍の椅子をめぐる熾烈で陰険な権力闘争から、息子を守り抜いた
母の覚悟でもあったのです。


しかし、元来繊細で鋭い神経の持ち主であった家定は、本寿院と篤姫の確執を察知します。

奥での夜伽(とはいえ愛の五目並べですが)だけでなく、朝の仏間にも足止めされた篤姫は
家定に会えない切なさで、食事ものどを通らなくなってしまいます。


「女として上様をお慕いしている」


養父斉彬からの密命よりも、とにかく今はお会いしたい!
篤姫は初めて男性を愛したのです。プラトニックだからこそこみ上げる想い。

初恋を思い出し胸がキュンとなったのは私だけではないはずです。

そう、彼女の心を慰める人は、もはや家定しかいないのでした。


そして一方の家定も想いは同じ。
2度目のお渡りでも篤姫に会えないことを察すると、
「御台所に会いたい」と駄々をこねて失神(のふり)をして、あえて本寿院の元へ。

そして、大奥の権謀陰謀の渦から守ってくれたことの感謝を述べたうえで

「私はもう大人になりました」

そう告げて、母の元から去り、篤姫のもとへ・・・・

家定さんは、澄み切った心で一人の人間として篤姫と共に生きる決意をしたのです!

本寿院へ挨拶をするときの、家定さんのお姿が・・・凛として清く。



「そなたに会えぬとこの世から色がなくなったようじゃ」


なんと美しい愛の告白でしょうか。
堺雅人さんだからこそ、伝えられる台詞です。

かっこよすぎて、くらくらしちゃいそうでした(-^^-)


先日記事にしたように、家定公は美的センスに優れた将軍様でした。
無味乾燥とした毎日を彩る色という表現は絵が大好きな家定にもぴったり。

篤姫という伴侶を得て、生きることの美しさを実感したに違いありません。


篤姫にとって、人生でもっとも美しい瞬間であったのかもしれません。
永久にこんな時間を共有できるなら、どんなに幸せだったでしょう。

そう思うと・・・・


涙が・・・・


とまりませんでした。


堺雅人さんと宮崎あおいさんの演技がほんとうに素晴らしいです
紆余曲折を経て、お互いが正直に向き合い、語り合いそして愛をはぐくむラブストーリー。
もうこれは、大河ドラマをという枠を越えてますね。月9以上です
悲劇がまっているのが分かっているだけに切ないです。

しばらくは毎回涙で画面がかすむことになりそうです。




さてそのころ薩摩では。

大久保どんが、自分と西郷との立場の違いを身をもって知らされる事になりました。
幼馴染で生涯の親友だった二人が、初めて感じる距離感であったでしょう。

大久保どんの現状は最悪でした。
下級武士でしかも島流しにあった父をもつ身であれば出世など望めません。

しかしそんな自分を打ち破るために大久保は「鬼になる」と心にきめたのです。

時代も鬼となった大久保を必要としていました。

事実大久保がかかわった可能性のある事件、陰謀は数知れず。

寺田屋騒動
坂本龍馬暗殺・・・・・

実際かかわりがあったのかどうかは今では闇の中なのです。

どん底で無名の大久保が薩摩藩内で頭角を現すのは、
島津斉彬と敵対していた島津久光との親密な関係からでした。
つまり父を嵌めて島流しにしたお由羅派へ接近していくのです。


斉彬や西郷への反発もあったのかもしれませんね。。。
恐らく、鬼になる!と誓ったこのころから、島津久光へ接近するための裏工作を始めるのでしょう。
 
大久保は、薩摩の同士や親友を嵌めるやり方で保身を繰り返して権力を握り、

そして時代を動かしました。

だから大久保は現在でも薩摩では人気ないです(^^;

そんな彼を人気者にするため、この男の生き様を、大河ドラマでどう描くのでしょうね。


そしてそんな大久保とともにその抜群の調整力を買われて島津久光に抜擢されたのが小松帯刀。
そうです、われらが尚五郎さんなんです。

幕末の動乱へと加速する時代の波にどう立ち向かうのか。
薩摩の志士たちの行動からも目が離せません。




写真 : 徳川家祥(家定)元服御用控 御檜扇
文政11年(1828)4月 若君様(家定5歳)元服の際に調達された檜扇。
5歳の家定が持つには重過ぎるので控となり、適切なものが新たに収められたそうです
母(本寿院)の、幼い若君への心遣いであったのでしょうか。

【家定公&大久保利通 関連記事】

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嫁 vs 姑 バトルの勃発です!


キター !!
これがなければ、大奥じゃない。

若年ながらも聡明でしっかりものの嫁と
息子のためなら火の中水の中、猪突猛進型のパワフル姑との

・・・がちんこ対戦がいきなり始まりましたね!

本寿院、大奥の殿中にていきなり篤姫の胸ぐら掴んでましたよ〜!

高畑淳子さんの廊下を駆ける「どどど〜!」という突進ぶりや
「うがっががが〜」という、謎のうなり声とか、もう迫力満点!

このお姑さんはやってくれますよ〜。期待できそうですね〜!

そしてもう一人忘れてならない曲者が、筆頭老女の滝山さん。
彼女は、篤姫と幾島が島津斉彬の密命を帯びていることを探りあてます。

張り巡らされたスパイ網といいましょうか。
障子の片隅に隠れて幾島の会話を盗み聞きする姿は、まるで くのいち のよう。。
稲森いずみさんの美しいお顔が、妖艶なきつねに見えるのは、私だけでしょうか。

しかもこの滝山さん。政治手腕もたいしたものです。
本寿院を巻き込んで、大奥を反水戸派で固めただけでなく、表(幕府)でも井伊直弼と連携をとって
地盤固めをしている模様。

一橋慶喜を推す篤姫と幾島は、四面楚歌状態でありました。

さらに、篤姫の懇願で家定とアメリカ大使のハリスとの謁見に慶喜を同席させることに成功しますが
肝心の慶喜のやる気のなさに、家定の慶喜に対する評価が悪くなるばかり。。

これも逆効果となってしまいました。


右も左も表も裏も難問続きの篤姫ですが、家定の優しさに触れて心やすらぐ日々でもありました。

家定も篤姫との心の交流が深まるにつれ、奥へのお渡りが頻繁となり
側室のおしがとは疎遠になってゆきます。


おしがを演じる鶴田真由さんの、折り鶴に囲まれたシーンはひたすら不気味でした・・・
大奥は、愛をめぐる女の怨念の巣食う魔界でもあったのですね・・・・


さて、安政4年(1857)10月21日、家定とハリスの歴史的会見についてですが、
6/19付けの記事 『徳川家定』でも紹介しましたが、家定の行動を記したハリスの日記が、様々な憶測を呼ぶ原因となりました。

再度抜粋すると、

家定は自らの頭を体の後方にそらせて右足を踏み鳴らすこという行動を数度繰り返した後に
ハリスに言葉をかけた。

とあります。
フツウに演じれば、奇妙な行動といえるでしょう。

しかしドラマではこれを、歌舞伎の口上に仕立てて演出してましたね〜。
上手いです!これは、もしかしたらありかもしれません。


積み上げら得た畳の上で、堺雅人さんが「いよ〜〜〜っ」と見事な見栄をきってましたね〜。
そんなお茶目な姿もかっこよく思えてしまいました!

篤姫同様、上様にめろめろなアタクシでございます(^^;




ハリスがアメリカ式に立ったままで対面したいと申し入れて来たため
将軍の威光を示すため、畳を積み上げたというのは史実なのかどうかは不明です。

でも、私も昔どこかでこの話を聞いたことがあるので、実際にあったことなのかもしれませんね。


わずが150年前の江戸時代の外交の滑稽さを思わずにはいられません。
長年にわたる鎖国政策で、視野の狭くなった日本人が、百戦錬磨の狡猾なアメリカ人外交官と
不平等条約を結ぶのは翌年1857年のことです。

日米修好通商条約

朝廷の許可無く、大老の井伊直弼とハリスとの間で交渉され、締結されたこの条約は、
明治新政府となっても、日露戦争まで日本を苦しることとなりました。

とはいえ、昨今の日本の外交戦術(対米国、中国、北朝鮮等々)をみると
150年前とあまりレベルは変わらないようにも思えます。
日本は島国であることも要因となり、伝統的に外交べたであるともいえますね。

この話は、また別途。



さてますます目が離せない篤姫。
予告で、家定さんが倒れてましたよ・・・いよいよなのか?
分かってはいるけど、家定と篤姫の幸せな姿をできるだけ長く見ていたいファンの願いです。


写真は 天璋院所用 小袖(萌黄縮緬地雪持竹雀文様牡丹紋付)
落ち着いたなかにも華麗な小袖です。大奥の女たちの絢爛な様子が目に浮かびます。

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篤姫は、後継者問題での自分の立場が複雑であることを認識し始め苦悩します。

養父島津斉彬からの密命で「一橋慶喜擁立を家定に推挙する」ものの
肝心の家定は「一橋は好かん」と断わられる始末。
大奥は水戸嫌いで一致しており、徳川慶福派が多数を占めています。
幾島からは「不利な状況だからこそ自分達が何とかせねば」と日夜プレッシャーをかけられます。


困惑する篤姫に対して家定は、
「会ってもおらぬものを推挙するのはおかしいのではないか?」と反論され
自分が困惑する理由を自覚し反省するのでした。

篤姫は実母お幸さんの「一方聞いて沙汰するな」という謹言を思い出します
他人の評価、それが養父であっても、鵜呑みにするな!といういいお言葉です

ついつい職場であれこれ噂話に踊らされる現代の私達にも、耳のいた〜い&ありがたいお言葉では
ありませんか!

そして、自分がこうと決めたら何があっても実行するのが篤姫。
さっそく家定や幾島に、一橋慶喜と徳川慶福の両者への面会を図るのでした。

まずは島津の父上が「天下の器量」と推挙する一橋慶喜。
しかし、その態度には覇気がまったく感じられず、受け答えも終始逃げ腰。
まっすぐな気性の篤姫にとって、この覇気のなさはまさに「意外あった」のでした。

原作では、斉彬の人物評を信じて疑わない篤姫は
「私が女であるから、ああいう非礼な態度を取ったのであろうか」とますます
不信感を募らせるとあります。よりリアルに篤姫の慶喜への不審を描いてましたね。


一方徳川慶福は、御三家というお血筋もさることながら、若干3歳で紀州徳川家を継いだだけに
おんとし13歳ながらも、その態度は堂々たるもの。
本寿院や大奥の女性達も「まさに君主の風格」とその凛々しい貴公子姿に感銘を受けます
もちろん篤姫も同じでありました。
二人は初対面ながらもまるで姉弟のようにすっかり打ち解けてしまいます。
そしてある事件おこります。

観菊の宴の後のお菓子の異臭に慶福が気かつきます。
大奥の不祥事に筆頭老女の滝山は、お毒見役を呼びつけ詮議しようとしました。
なぜなら、これは毒殺の可能性もあるからなのです

しかし慶福は、傷んでいると分かっているものを毒見させるのは
けっして上に立つものの心得ではない、と滝山を諭します
その威厳ある立派な態度に、その場に居合わせた一同が感激してしまいます。
『慶福さまファン』になったといえましょう。
篤姫も勿論同感でありました。

そして家定のお渡りの夜。
家定に二人の感想を聞かれて「慶福様のほうがご立派に思えた」と正直に告白する篤姫。
幾島からは、島津家の密命を忘れず一橋慶喜のほうが王者の風格があったと進言するよう
念押しされていたにも関わらずです。

この時点で、彼女はもはや島津家の呪縛から解き放たれたといえるでしょう。
嫁いだ先である徳川家の女になった、と私は思いました。

彼女のその気持ちは、すべて夫である家定への愛情と信頼からなるものなのです
「妻である私を信じてください」
篤姫のそんな素直な心が、家定にあることを決心させます

「わしもハリスに会うてみようか」

篤姫と家定のほのぼのとした幸せが、画面からも伝わってきましたね。

二人の深夜の「愛の囲碁勝負」が五目並べ。。ってのは楽しくていいです
囲碁は戦争ごっこだから嫌いだ、という家定らしい選択でもあります

尚五郎さんとの囲碁デートといい、囲碁は篤姫にとって殿方とのコミュニケーション手段として
重要なアイテムになっているようですね〜。
演出が抜群に上手い!と思います。

でも、篤姫に負けっぱなしの家定さん。
「きっとわざと負けてんだ!」と勝手に思い込んでいたりするのは、堺雅人さん演じる家定さんファンの
勝手な思い込みでしょうか??



次回はいよいよ「ハリスとの面会」のようですね!


タウンゼント・ハリス(1804年 - 1878年)は初代駐日公使。
1856年8月伊豆の下田に入港し、領事館を構えます。
彼は日本との通商条約締結のための全権委任をたくされた外交官でありました。
通訳は、「新選組!」でもお馴染みのヒュースケンです。

ハリスは外交の手段としてアメリカ合衆国大統領親書を提出するため、
強硬に江戸出府を望んでいました。

つまり合衆国大統領の親書という重要な書類であるからして、当然江戸幕府の最高権力者である「将軍」へ直に手渡したいという、外交官としては至極まともな行動でありました。

しかし攘夷派の筆頭水戸斉昭らのかたくなな拒否にあい、結局アメリカの砲艦を下田に入港させるという
武力による威嚇で、この申し出を許可させます。

1857年10月に下田を出発し、江戸に入り、江戸では蕃書調所に滞在して登城の日取りが決められ、
10月21日に登城し、13代将軍の徳川家定に謁見して親書を読み上げています。

ただし、このときの家定の行動や発言を記録した「ハリスの日記」が、
徳川家定を暗愚だ、精神薄弱だ。いや聡明な人物であった等々の物議をかもし出す要因となるのですが
ドラマではどう描かれるのでしょうね〜。
歴史マニアとしても気になる次回であります。


家定の真実については個人的に衝撃を受けた事実もあり
一度しっかりとしたレポートを書いてみようと思っております。


さて、写真は徳川家茂公(慶福)の肖像画です。
凛々しくでイケメンでしょ=! 演じる松田翔太君、ホントよく似てます。

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篤姫の家定に対する想いは、ますます強まってゆきます。

大奥ではお渡りがなければ、夫である将軍と話す機会もなく
なかなか伝わらない思い。

早朝の仏間で、何度も「お渡りを・・!」と直談判するも
「今宵はおしがの所へ行く」とはぐらかされてしまいます。

側室=愛人の方を選ばれてしまう正室=妻の複雑な心境。悔しかったでしょうね!

しかも、篤姫には、薩摩の養父島津斉彬から「次期将軍に一橋慶喜を指名させるように」という
大奥裏工作員という使命がありました。

仕事熱心で島津家に対して忠誠心の篤い幾島からの
「慶喜様ご推挙を上さまにお伝えください」という催促のプレッシャーも
篤姫を悩ます原因でありました。


家定への愛情と養父への義理との間で苦悩する篤姫を救ったのが
「どうしても判断できないときは、素直になって感じるままに行動せよ」という
実母の言葉でありました。



家定は決してうつけではない。
女の直感を信じることにしたのでした。


一方、思われ人の家定ですが、彼だって男性です。

久々のお渡りの夜。
「子を作れと母上(本寿院)になきつかれての〜〜〜」と言い訳してましたが
キュートな篤姫に次第に魅かれていったのは明らかでした。


その夜。
篤姫は、夫である家定に隠し事はならぬと、
自分が島津斉彬の実の娘ではなく、いわば密命を実行するために選ばれた
「大奥裏工作員」であることを告白するのでした。


そんな篤姫の素直な心に打たれたのか、・・・

「阿部が死んで、うつけのふりばかりできない状況になってしまった」と。
ついに家定は自分の本当の姿を篤姫に明かすのでした。


うつけどころか、家定が実は人並み以上に日本の現状を分析できる
聡明で冷静な人物であることが分かります。

では、なぜ、うつけを演じる必要があったのか?

それは、江戸城という魔界で、幼少の頃より将軍家の後継者争いに巻き込まれ
何度も暗殺=毒殺の危機にあっていたこと。
毒を飲まされた後遺症が残っており、自分の余命少なきこと。

そして、開国の危機に直面した現状で、阿部を失った今、
外様VS譜代、そして開国VS攘夷の対立が収拾できなければ徳川宗家は滅びるしか道はないこと。

幼少からの辛い体験や、黒船来航以来幕政にあって複雑な立場である現状が、
彼を無気力させていたのでした。

『人は信じぬ』 

だから自分で料理し(毒殺をおそれ)、
うつけのふりをしてアヒルを追っかける(動物は騙さない)

それは妻も肉親も信じられない孤独な将軍の姿でしかなかったのです。

しかも、島津斉彬が推す一橋慶喜には、「日本の舵取りなどできぬ」。
慶喜という人物に疑問があると、家定は断言するのでした。


唖然とする篤姫同様、

TV視聴者の私も、家定の豹変ぶりに圧倒されちゃいました!


堺雅人さんの、「うつけ」から「鋭い視線」への様変わり、鮮やかでしたね〜!
山南さんを彷彿とさせる鋭敏な家定さん。
こういう鋭い人物を演じさせたら、右に出る人いないんじゃないでしょうか〜!

「・・・・か、かっこいい・・・」

ついつい画面に向かってつぶやいてしまったワタクシでございました。



さて、幕政だけでなく大奥や家定をも守り続けた老中、阿部正弘の突然の病死は
徳川幕府にとって大きな痛手でありました。


実は、原作では阿部の死因は違う描き方をされていたのです。

大奥の噂ばなしではあれど、確かな情報だとしたうえで、
本文では「腎虚」だとされていました。

「腎虚」とは、まあ一種の腹上死みたいなもので
原作では「16歳の側室を愛しすぎて衰弱し、遂には命まで失った」と説明がされていました。

阿部正弘はまだ39歳の若さ。

若い側室を愛しすぎて若死にした阿部と、
お渡りがあっても妻を抱かない夫=家定とを対比させて

阿部の側室と同じようにまだ若い篤姫の女の心と体の空洞さを、
宮尾登美子先生はしっかりと描いていたのです。


赤裸々って表現があてはまるほど女の性を鮮明に描いた印象深いシーンですので
やはり「公共のNHK、お子様も視聴する大河ドラマ」にはふさわしくないと判断されたのか、
阿部正弘の死は、「公式記録」どおりに咳や胸痛が続いた後の病死として描かれていました。


史実はどうだったんでしょう?
肝臓ガンだった、というのがもっぱらの説のようです。

TOP写真は阿部正弘です。


ドラマで演じられた草刈正雄さんとは、ずいぶんイメージが違いますね。
でも草刈さんの阿部はシブくて、いい味だしてました!

阿部正弘は開国への舵取りと、外様大名の幕政参加、
そして勝海舟など無名の下級武士であっても有能な人物の幕政登用など
もし長生きしていれば、もっともっと評価されていい人物でありました。
改革半ばでの死は実に無念であったでしょう。

そして阿部の行おうとした上記改革は、当事者の死によって逆に「討幕運動」の布石となったのです。
なんとも歴史の皮肉としかいいようがありません。
(外様の台頭や開国による尊皇攘夷の火ダネ拡大など)



さて次回。
いよいよ徳川慶福、次期将軍、徳川家茂が登場するようですね〜!
池波正太郎先生が、「一番好きな将軍」と言い切っていた、
真面目で男らしく、そしてイケメンの将軍様です。

松田翔太君の姿が予告編でちらりと見受けられましたが、
まさにイメージぴったり!!!!


ただ、篤姫と慶福が初めて出会うのは、慶福がまだ13歳の少年時代。
う〜ん、子役でも良かったんじゃないかなあ・・・
まだ幼少なれど、すでに将軍の器であったという設定が
今後の篤姫の行動を決定ささるだけにちょっと心配でもあります

そしてそして、久しぶりに尚五郎さんの軟弱キャラも見られそうですね!
お近さんとの家庭も円満、小松家領主として地位も生活も安定しているはずなのに

まだ「篤姫さまのことが気にかかる・・・」と悩む姿。

そりゃ、奥さん怒るよ。
でも大河のヒーローらしからぬ軟弱キャラはやっぱり新鮮です。

この軟弱キャラで最後まで突っ走って欲しいですね〜(あくまでも個人的感想ですのでご容赦を)


PS
池波先生が描く徳川家茂について記事にしておりますので、お時間あれば是非・・・
私も大好きな将軍さまです。

婚礼から1ヶ月がたっても、家定のお渡りがないまま日々が空しく過ぎてゆきます。

偶然垣間見た家定の冷静な行動に、女の直感で「家定はうつけではない」と感じた篤姫は
それを確かめる術もなく、うつうつと過ごすのでした。

そして、篤姫を取り囲む大奥の女性達も気をもむばかりなのでした。

夜のお渡りがない、というこは即ち「お世継ぎが生まれない」ことを意味します。

「大奥」とは、将軍様が世継ぎを設ける場所。

あからさまにいえばそういうところなのです。


それゆえに将軍以外の男性が大奥に入ることは厳しく制限されていたのです
正統な徳川将軍家のお血筋を残すために、それだけ大掛かりな屋敷と人(大奥3000人の女性達)を
組織したのです。

家康公が基礎をつくりそれを完璧な組織に作り上げたのがあの有名な「春日の局」です。

それだけでなく、御三家、御三卿という、お世継ぎ緊急補助家まで指定し
徳川家の存続をなんとしても守ろうとしたのです。

将軍家の正室として輿入れした篤姫の、一番の目的が「お世継ぎ」を産むこと。
そしてそれこそが、大奥全体の使命でもあり希望でもあったわけです。

お渡りのない現状を憂いた大奥の実力者である、本寿院、歌橋、滝山、幾島たちは、
緊急会議を開き協議の結果?、篤姫の髪型を変えてみることにしました。

現代でも、女は髪型を変えることでイメージ一新しますよね〜。
当時も発想は同じだったんですね。


さっそく新しい髪形で家定と朝の仏間で対面する篤姫。

しかし・・・・・無反応の家定に失望する本寿院たち。


そのとき篤姫は持ち前の行動力で

「今晩お渡り願います!」と直訴したのです。


さすが、篤姫です!
つまり、「今晩泊まりにきて〜!」とせがむわけで。

髪型や衣装など姑息な手でなく、堂々とお願いするあたりが、かっこいいです。

(ちなみに原作の篤姫はこんなじゃじゃ馬ではありませんので・・^^)


そしてその素直な心が家定に通じたのか、その晩、家定のお渡りが伝えられたのでした。

勝負の夜! 大奥全体が心沸き立つニュースでありましたが、
当の篤姫にとっては、世継ぎよりも「うつけか否か」を確認することが一番の目的のはずでした。


しかし・・


ストレートに思いをぶつける篤姫に対して、のらりくらりとうつけのまま対応する家定。
そして、一瞬鋭い涼しげな瞳に戻った瞬間、

「わしは子はできぬ。子はいらぬ。一人たりとも」


と篤姫に伝えるのでした・・・


この言葉は、想像以上に篤姫には衝撃だったのです
そしてそれからの篤姫は腑抜けのようになってしまいます


女にとって「子はいらぬ」とい言葉がいかに重たいものであるかを感じさせるシーンでした。

じゃじゃ馬で賢い篤姫であっても、「子をもつ」という女性の本性を忘れることはなかったのです。


「子が出来ぬ」のかそれとも「子はいらぬ」のか?
それも謎でありました。 

どちらなのか?  とても肝心なことです。

・・・やっぱり女の本音丸出しの原作に見合った、大河らしくないドラマになってます。
(赤裸々でちょっと恥ずかしいくらい !)


篤姫は気持ちの整理ができず、なんと側室の「おしが」に面会します。
家定のこと、家定の本性が知りたいという欲求に逆らえないのでした。

しかし、おしがは「上様が好きだから側にいるだけで幸せ」と答えるのみでした

これってつまり、勝ち誇った女独特の余裕ですよね〜!
意地悪い見方をすれば、家定のお渡りが極端に少ない正室へのあてつけともとれます

鶴田真由さんの演技がまた色気満点で、まだ、おぼこい篤姫を圧倒してました!


そして篤姫もおしがの余裕発言にショックを受けたのでしょう。

次のお渡りの夜。
思わず、おしがへの嫉妬を口にしてしまうのでした。

豪快でじゃじゃ馬で、それでもいつも冷静な篤姫らしくない発言でしたね〜。
でも篤姫も普通の恋する女なんだな、って感じました。


殿方とは見方が違うかもしれないけど、篤姫の恋する女心に共感した回でした。



では篤姫と家定との関係について、史実ではどう推察されるのでしょうか?

大阪歴史博物館に展示されていた篤姫と幾島の手紙がヒントになるので紹介します!

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「敬子(篤姫)書状 御もう様(近衛忠熙)宛」

安政五年(1858) に養父でもある近衛忠熙へ宛てた手紙です。

アメリカとの通商条約締結に乗じて、幕府内では家定の継嗣問題が大きな課題となっておりました。
薩摩、越前では一橋慶喜を家定の継嗣に据えようと朝廷に働きかけていましたが、
それに対し、篤姫は、

「いずれ家定との間に子供もできるから、継嗣について朝廷から沙汰なきよう願っている」

書いています。


ところが、幾島が時を同じくして近衛忠熙へ、
島津斉彬の意に反した上記の篤姫の手紙は、自分の意思で書いたものではなく、
歌橋など、大奥の人々の意向に配慮したものであると、弁明の手紙を書いています。

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「つぼね(幾島)書状 近衛家宛」(安政五年2月)



2枚の手紙は、篤姫の相反する心を伝えています。

篤姫が島津斉彬の密命(一橋慶喜を推戴すべし)をどう捕らえていたのかが
釈然としません。


しかし、もし、篤姫直筆の手紙が本音であったなら、


家定と篤姫の関係は子供ができるほど良好であり、(つまり夫婦生活もあった)ことになり
また、篤姫が島津斉彬の密命に対し、疑問を持ち始めていたことをも示す手紙ともいえます。


私は同じ女性として・・・


篤姫の手紙は本音ではなかったかと思います


養父の密命のためとはいえ、スパイのような行動を取ることに疑問を感じるのは当然だと思うし、
江戸城明け渡しのいきさつから、篤姫が最終的には一橋慶喜を毛嫌いしていたのも有名です。
篤姫が家定を生涯慕っていたことは明らかでした


真っ正直であること、史実の篤姫もそのような女性であったのは疑いようがありません。
そんな篤姫と島津家の間にたって気苦労した幾島の姿も、この手紙を見ながら感じた次第です。


さて、ドラマでの篤姫の心はどう変化していくのでしょうか。
堺雅人さんの家定がカッコイイので、ワタクシもついつい感情輸入しちゃいます☆

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