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皆様ありがとうごさいました。アメブロへ引越しますので、また、お会いしましょう! 我人に媚びず、富貴を望まず。(黒田官兵衛)

大河ドラマ「篤姫」

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島津斉彬公の唯一生き残っていた嫡男虎寿丸が夭逝してしまいます

斉彬公の年齢を考えればもう次の息子を期待することは容易ではありませんでした。

斉彬公は男子だけでも4人の子供がいましたが、そのすべてが成人になることなく
夭折してしまいます

このブログでも何度も言っていますが、これは尋常ではありません。
毒殺などの可能性は高いと私は思います

犯人は噂どおり・・・実父 島津斉興& 側室お由羅の方とその側近達ではないかと。


これは私の個人的な推測です。


さてドラマではどうでしょうか?

篤姫は、地元薩摩や、芝の薩摩藩邸で飛びかう噂の真相を確かめようと
高輪に隠居している、島津斉興&側室お由羅の方直接会って確かめようとします。

養女とはいえ、篤姫は島津本家の一の姫。
この設定(直談判)は、あってもおかしくはなかったでしょう。
そしてその護衛の任を志願したのは、西郷吉之助さんでした。

篤姫は、呪詛の噂の真意はさておいて
これ以上、島津斉興側室お由羅の方が何か不穏な動きを見せることに対して釘を刺したのです。
そしてそんな篤姫の真意を理解した幾島は、機転を利かして
「篤姫さまは、将軍家定公の正室に内定している」と付け加えるのでした

つまり、あんたらが何かたくらんだら、将軍家に告げ口しちゃくかも??

っていう脅しですね。

ここらへんは、なにやら水戸黄門の女バージョンみたいでスカッとしました。
西郷さんも、胸のつかえが落ちたことでしょう。

篤姫、かっこいい!一幕でした。


そんな、西郷さん。


島津斉彬公からその人物を見込まれ、下級藩士でありながら、「お庭方」に抜擢されます。

庭方役とは、藩主の書斎前の庭に常時待機し、
藩主から直接指示を受けて、裏方役として様々な用命を実行する役柄でした。

薩摩藩は特に身分の上下が厳しい藩であり
西郷や大久保クラスの下級藩士が、直接藩主と面談することなどありませんでした。


思い出してください。


以前、尚五郎さんが、斉彬公の御前に呼び出され「西郷を江戸へ連れて行きたい」と伝言しましたね。
尚五郎は上級藩士の子息でしたから、西郷に面識のある彼に、伝言を頼んだのです。

実際、下級武士が藩主と直接会うためには、面倒な手続きや許可が必要で
事実上不可能といえました。

斉彬は、自身が国のため画策しようとしている、朝廷や、将軍家への画策遂行のためには
西郷の判断や行動力が必要と見込んで、様々な面倒な手間をかけずに「お庭方」として
常時側にはべらすことにしたのでした。

西郷は、斉彬公から様々な密命を受けましたが、その中でも重要で大掛かりであったのが
「篤姫の輿入れ準備」でありました。 

これは事実です。

なぜなら、篤姫は名門公家近衛家の養女の格式で将軍家へ嫁ぐため
京での輿入れの道具選びだけでなく、朝廷と将軍家との橋渡し的な工作活動が必要であったからです。


結局、西郷はこの仕事を見事にやり遂げ、特に京においてその名前が知れ渡ることになるのでした。


ある意味、西郷隆盛という幕末最大の英傑が、「お庭方」として抜擢されたことで
頭角を現したといえるでしょう。


そしてそれが篤姫との因縁の始まりなのでした。

付け加えるなら、西郷隆盛が心中事件を起こした相手である僧 月照 は近衛家のお抱の高僧で
篤姫婚礼のための朝廷工作の手助けをしてもらってからの縁でありました
(決して男色の関係ではありません。本当に信頼しあった友であったのです)

ちなみに、これも真実かどうか不確かではありますが、
新選組の三番隊組長 斉藤一の父は、会津藩の「お庭方」と言われています
その縁で新選組に潜入?し、最後会津藩士として戊辰戦争に参加したとも言われています。

さて、そろそろ篤姫の輿入れが近づいてきたようです
私は個人的に、堺雅人さん演じる将軍家定に、興味津々なんです

あの、奇行といい表情といい・・・!

山南さん、いや堺さん、なりきってますよ〜。

今度はどんな素っ頓狂な行動(・・・もちろん故意)をしでかしてくれるか楽しみであります。
篤姫が御台所となるため、大奥や幕府内で様々な画策がくり広げられているころ。

篤姫は、養母の英姫から冷たく扱われ、また将軍家への輿入れもなかなか前へ進まず
江戸薩摩藩邸で鬱々と日々を過ごしていたころ。

また、ペルーが再び来日し、大いなる武力を背景に日米和親条約を締結していたそのころ。



篤姫の実父、島津忠剛はその人生を終えておりました。
最期まで娘の行く末を病床から案じておりました。


実父の死が篤姫に伝えられたのは1ヶ月も経ってから。

篤姫は何故もっと早く伝えてくれなたのか?1

と養父の島津斉彬へ問いただします


すると、「これは忠剛殿の遺言である」と告白する斉彬公。


御台所となるため、初めての土地、初めての人形関係で多忙を極める娘の
成長の邪魔になりたくないからと、その死を伏せて欲しいと願ったのだど伝えるのでした。


臨終の前日。


「一と書いて、おかつ。於一は私の娘だ」


そういい残して逝ったのでした。

長塚京三さんの、領主に逆らえない己への後悔と、そんな娘を育てたのは私だというプライドが
入り混じった表情がすばらしかったです。

篤姫は父の想いをしっかりと受け止めながらも、遠く離れてしまった自分の境遇に対し
誰かれもかまわず泣き崩れてしまうのでした。


しかし、そんな日常にあっても歴史の激流は日本を徳川支配による封建制度のままで
存続させるほど甘くはありませんでした。

先に延べた日米和親条約の締結です。1854年3月31日(嘉永7年3月3日)

この条約により、日本は下田と箱館を開港することになりました。
これにより、鎖国体制は崩壊してしまいます
つまり徳川家による幕藩政治の根幹であった一つの制度が崩れ去ってしまいました。

ペルー来航。すなわち黒船事件から僅か1年のことでした。

堤防も蟻の一穴から崩れるといいます。
徳川家康によって構築された完璧な幕府支配に隙ができたのです。

しかもこの条約、鎖国のため外交感覚などまったくない江戸幕府が相手であったため
100%不平等条約、圧倒的にアメリカ国に利益のある条約でありました

条約とはお互いの利益があってこそ結ばれるものであるはずでしたが、そんな原則など
当時の日本人には理解できるはずもなったのです。
しかし、例えば政治に無関係な庶民ですら、この不平等感は理解できたのです

つまり、幕政を担う江戸幕府と世間の実感とに大きなずれが生じていたのでした。
そして討幕運動の思想的バックボーンとなった『攘夷』主義が、下級武士を中心として
噴出するきっかけとなったのでした。

この和親条約締結を決断したのは彦根藩主 井伊直弼でした。
そしてその井伊と真っ向から対決し、攘夷の急先鋒となったのが水戸斉昭だったのです

この表での政治の対決はそのまま大奥へも波及してしまいます
篤姫は、将軍家を裏で支える大奥のど真ん中で政局の渦に巻き込まれていくのでした

・・・・おっと、先走ってしまいましたね。
ドラマではまだ輿入れも決まっていないのですから。


島津忠剛の死去は、歴史上、とりたてて評論されるほどの出来事ではありませんでした。
しかし、大奥という裏の将軍家の頂点として采配を振るう篤姫に、深い悲しみとある疑問を与えたのは
間違いありません。

実父の死を伝えられない現状はおかしすぎると。
それゆえ、彼女の改革精神は、ある意味徳川家の家族のあり方までも目的となったように思えます

分かれていても家族はかけがえのないものであると、胸を張り口に出せなかった
そんな女性達が、ほんの150年前苦しんでしていたことを忘れてはだめですね。

さて次回のタイトルは出陣の文字が!
いよいよ輿入れが決まるのでしょうか?
篤姫がいよいよ江戸に入りました。

薩摩を出立してからなんと2ヶ月もの長旅でありました。

道中、特に大変であったのが、薩摩からの船旅でした。
荒波にもまれながら、船酔いで意識を失う篤姫。

しかしそんな篤姫を、自分も苦しみながら寝ずの看病をしたのは、反りの合わない幾島であったのです。
しかも、篤姫の苦しみを慰めるために、実母が与えてくれた菩薩観音を枕元に飾ってくれて・・・


原作でもこの船旅での篤姫と幾島の心の交流はとても感動的で印象的な場面です。


幾島の心遣いに触れた篤姫は、あれほど嫌っていたこの老女を
初めて信用し、そして次第に心を許すようになるのでした。


幾島さんは、原作に登場する多くのキャラクターのなかでも私が大好きな人物です


女性の地位が極端に低い封建時代にあって、やんごとなき姫君の「老女」は
当時でいえば、ばりばりのキャリアウーマンでした。


私も働く女性の一人としてみて、幾島のスーパーキャリアぶりには本当に感心してしまいます。

女性が政治の世界に登場することなど出来ない環境の中、
幾島は独自の「女性ネットワーク」をもっており、情報収集に長けていたのです

そして政治の表舞台にたつことはなかったけれども、しっかりと時勢を把握する能力もありました


江戸へ入る前に近衛家に立ち寄り、近衛家の老女・村岡から 将軍家の御台所の件が難航している噂をすでに掴んでいたのも、その一例でしょう。



今後も幾島が独自に得たニュース・情報が、何度となく篤姫を助けることとなります
何よりも、幾島は、主人である篤姫の前で弱音を吐いたことがありません

見習いたいですね。



さて、篤姫です


将軍家御台所(正室)として正式決定がなされるまで
江戸の薩摩藩邸で待機を余儀なくされる篤姫を待ち受けていたのは
島津斉彬公の正室で、篤姫にとっては養母となる英姫の冷たい態度・・・でありました。

この英姫(ふさひめ)、一ツ橋家の娘として島津斉彬公の正室として輿入れされましたが
実は、その出自といえば、例の好色な将軍 11代将軍徳川家斉の数多居る子供の一人でありました。

それゆえに、将軍家の娘という意識が消えず、斉彬公との仲は好くなかったと言われています
そして、原作では、斉彬公との不仲の原因に関連して、英姫のある過去の哀しい事件を紹介しています。

でもネタバレになるのであえて書きません
女性心理に長けた、宮尾先生ならではの内容であります。



事実 島津斉彬は「英雄色を好む」という原則にもれず、多くの側室を持ち、多くの子供を産ませました

英姫にしてみれば、側室の子供達と同じ薩摩藩邸で暮らすことは、プライドの高い姫には我慢できないことでもあったでしょう。


当時の女性は、いくら将軍家のお血筋とはいえ「逃げることは恥」とされた忍耐を強いられた時代
でありました。



そういえば今回、養母の英姫に会う嬉しさから、すすすすすす・・・・とすり足も軽やかな篤姫が
対面後、冷たい態度に打ちひしがれてとぼとぼと帰る姿が対照的で、とても効果的でしたね

やっぱり宮崎あおいさんはいい女優さんです。




一方、薩摩では。


篤姫の後を追って江戸へ行くという尚五郎さんの夢と希望が打ち砕かれていました。

斉彬の江戸参勤のお供として指名されたのは、なんと西郷でした。

そうです。

この江戸参勤での活躍により西郷吉之助の存在が初めて世にでたのでした。
つまり、明治維新の序章が始まったといってもいいでしょう。


私がこのブログで何度も繰り返しているように
西郷隆盛にとって、島津斉彬公とは、絶対の存在なのでありました
いわば砂中に埋もれた自分を、自ら拾い上げてくれた唯一の存在なのです。

その一方、尚五郎にも運命の波が襲い掛かります
すなわち恩師小松清猷の琉球派遣がその発端であります。


小松清猷役の沢村一樹さん、琉球で国防のお仕事をされた後で、来週には
セクスイー部長での再会をお待ちしております

(どちらもNHKなんだな〜。これが)
いよいよ篤姫が江戸へ出立する日が決まりました。

嘉永6年(1853年)8月21日です。

その先、島津斉彬公が、篤姫江戸参府の門出式を催してくれることとなりました。
その席には、今和泉家の両親も招かれていました。

島津斉彬公の養女となるため今和泉の実家を出てから初めての対面です。
しかし、すでに臣下となってしまった実父母に対して、
人前では決して「父上母上と呼んではならぬ」と、教育係の幾島からは厳しく釘をさされていました。

実際、篤姫は上座の斉彬公の隣に座り、島津四家、上級藩士と対面し決して頭は下げません。

そして、親子久々の対面。

島津忠剛やお幸さんは、臣下であることは重々わきまえており塀平伏したまま
「篤姫様には道中つつがなきようお祈り申し上げます」と先にご挨拶をされました。

そして、篤姫も儀礼的な応対しかできません
父母や兄弟のことを想い、尚五郎の前でついつい号泣する篤姫に、私もうるうる。

実父母への挨拶すら禁じられた、当時の「格式」。
まだ若年の篤姫にとっては、まったく酷なことであったでしょう。
自分と置き換えてみれば、その「せつなさ」が胸にしみます
しかも江戸に出立すれば、生涯再会できぬことも容易に想像できたに違いありません



後日、斉彬公の計らいで、わずか四半時、篤姫と家族の対面を許され少し救われた気がしました。
しかし、原作ではこの場面はありません。
原作の篤姫は、父母との語らいの時間ももてぬまま、江戸へ出立したのです

当時の女性の地位の低さを忘れてはなりません。
自分の意思で発言、行動することを極度に制限されていたのです。

「おんなの道は一本道。引き返すことは恥にございます」

篤姫には、菊本の遺訓が胸に去来するのでした。

船の艫から薩摩と、幼少すごした今和泉の別宅のあった岸壁を、波の向こうにながめながら

「薩摩のことを思って泣くのは、これが最期」

と、これからの運命をしっかりと受け止める覚悟を決めたのでした。
その泣き顔には、もう後悔の色はありません。
凛として美しいさわやかさが溢れていました。

宮崎あおいさん自身も、実生活で同じ時期に結婚式を挙げられたそうですから
余計にその覚悟が溢れていたのかもしれませんね。


しかし、丁度そのころ、今和泉家では、忠剛が病で倒れてしまいます。
原作では、篤姫に襲い掛かる試練の一つとなります

船出の先に、過酷な運命が待ち受ける篤姫なのでした。



さてさて、それにしても、我らが尚五郎さん!

篤姫が新たな運命を受け入れる覚悟を決めて、旅立ちをしたというのに。
いまだに失恋の痛手を引きずりまくっていましたね〜。

女々しいキャラ爆発中!

実物も残された写真をみると、美男(イケメン)でぼっちゃまオーラが漂っています
西郷どんのような薩摩隼人とはあきらかに違ってみえます。
いかつい薩摩弁もしゃべってませんしね。

初回から別れのこの回まで、結局、じゃじゃ馬の篤姫に圧倒されまり。
でも、ついつい「がんばれ!」と応援してしまいます

大河ドラマといえば、日本男子の典型を描く場合が多かったので
この軟弱キャラはある意味、新鮮。

今までクールガイのキャストが多かっただけに瑛太さんの、新境地ともいえますね。

そして肝付尚五郎さんが江戸へ参府するのは、史実の上では、小松帯刀精練と改名してからのこと。
記録によれば文久2年(1862年)ですから、およそ9年後。
そのころは、島津藩の若きリーダーとしてすでに幕政において頭角を現していました。

まあドラマではその前に篤姫との再会場面を設けるかもしれませんが。

失恋を引きずる軟弱男が、どのような紆余曲折を得て薩摩の参謀へと成長するでしょうね。
これからの楽しみでもあります。
篤姫は、御台所=将軍正室となるため、幾島の厳しい教育にも真面目に取り組みます

「私は橋を渡ったのです。」

篤姫の視線は、すでに江戸へと向かっていたのでした。


しかし、旅立ちの前には必ず別れが待ち受けています

日本最南端の薩摩から江戸へ・・・

飛行機も新幹線もなかった時代。
もう二度と会えない可能性もあったわけです。

いまだに篤姫への想いを断ち切れない尚五郎もその一人。
「姫の近くで姫を守りたい」

そんな単純な思考で、「江戸へ行きたい」と小松清猷へ直談判します。

その場にたまたま居合わせた西郷と大久保も
「若いもんは誰でも江戸へ行きたいものです」

何気に口にした言葉が彼らの運命をも予告しているかのようでした。


そんな七夕、島津斉彬公の呼び出しを受けた尚五郎は、
斉彬公に、篤姫への思いを見透かされてしまいます

斉彬公はオトナなのです・・・

自分の野望のために、御台所として江戸へ篤姫を嫁がせるということへの贖罪もあったかもしれません
斉彬公は、篤姫と尚五郎との「ふたりきりの時間」をつくります 

もちろん「囲碁デート」でした!

しかし、わずか半年前ぶりだというのに、篤姫は成長していたのです。

尚五郎に「薩摩を頼みます」と語るその姿は、もう今和泉の於一ではありません
島津77万国の姫君でありました!

(宮崎あおいさん、演技ウマイ)


さて今回私が注目したのは、島津斉彬公が尚五郎へ語った

「そなたは下々の者と違うのだということを自覚しなければならない」

と言う言葉。

薩摩藩は高級武士である上士と、下級武士、いわゆる郷士との身分の差がはっきりとしている藩です。

尚五郎の父が、
「西郷などという身分の低い者とつきあってお咎めをうけ、家が断絶したらどうする」
と息子に詰め寄る場面もありましたね。

当時は本当にそういう時代であったのです。


そんな封建的な江戸時代にあって島津斉彬公は、最も開明的な大名でした。

広く下級武士にも意見を聞き、西郷の建白書に興味を持つなど
先見の明があったのは間違いありません。

しかし、だからといって、島津斉彬は身分制度そのものを撤廃するつもりはなかったのです。


徳川幕府の根幹である身分制度の破壊=すなわち「革命」です


結局、島津斉彬には「革命」の思想はありませんでした
あくまでも江戸時代の人物であったのです。

島津斉彬を生涯尊敬し敬愛し続けた西郷隆盛と、その盟友大久保が
その革命を実現させるとは、歴史の歯車とは不思議なものです

もし斉彬公があと20年長生きしていれば、どうなっていたでしょうか?
斉彬を信奉する西郷は決して倒幕に立ち上がることはなかったでしょう。

偶然とエネルギーと運命と、そして人との繋がりが重なり成し遂げられる「革命」。

それが明治維新であったのです。

そんな激動の渦に自ら飛び込んだ篤姫の、新たな旅立ちと出会いが待っています!

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