|
上洛した菊姫とお船を待っていたのは 大奥のおんな達の勢力争いでした。 秀吉の正妻として、ゆるぎない地位にあるはずの北政所に対し 秀吉の嫡子を生んで益々秀吉の寵愛を受ける新興勢力の淀君です。 北の政所に拝謁した菊姫は、 ともに子のない身の上ゆえと語りだす政所に、なぜか反感を感じてしまいます 一方、淀君は、 北政所が生けた、ひめささゆりの美しさに感激し、 菊姫へ越後より大量のひめささゆりを送るよう、申し付けるのでした。 淀君からの命令とあれば、上杉家も無視はできません。 庄内の一揆鎮圧で多忙を極める中でも、蕾のひめささゆりをかき集めるのでした。 そして京に届いたひめささゆりの花々は、淀君の部屋に咲き乱れ・・・ 北政所にも喜んでもらおうと、無邪気な淀の気持ちとは裏腹に なぜが、浮かないお寧の表情なのでした。 そんな浮世離れした大奥に悲劇が・・・ 秀吉の一粒種の鶴松がわずか三歳で亡くなってしまったのです。 泣きくれる秀吉と淀。 「腹を痛めたわが子の死が、これほど辛いこととは・・・」 鶴松を失った秀吉は、その悲しみを打ち消すために、朝鮮出兵の実現に熱中し始めます。 嫡男を失った淀の権威はまたたくまに失墜し、こびへつらうおんな達の、出入りもぴたりと止みました。 しかし、菊姫はそんな淀を励まします。 「ここで負けてどうするのです?!」 ともに、名門の血筋を受け継ぐプライドの高い姫君同士。 それゆえ、悩みも悲しみも分かり合えるのです。 淀は、菊姫の言葉に再び花を咲かすことを、誓うのでした。 秀吉は、子は望めぬと諦めたのか、家督も関白職もを甥の秀次に譲り、自身は「太閤」と称します。 身内の悲しみから目をそらすため、自身も海を渡り、大軍を指揮するといきまくのです しかし、北政所は、徳川と上杉に、秀吉の守役として決して渡海させないよう懇願します それは、名護屋城へ秀吉が同伴するのが自分ではなく、淀であることへの牽制でもあったのです。 兼続は、大義名分もなく他国へ侵略することの愚を 三成へ問いただします。 しかし三成は、たとえ愚かであったとしても、 豊臣政権の基盤を磐石にするために朝鮮出兵は必要だと断言します。 虚しい思いにかかれる兼続。 異国での戦ゆえ、生きて帰れないかもしれない・・・ しかしお船は、 「愛の旗印を揚げているのであれば、どんな功名もいりません、生きて帰ってください」と 夫に願うのでした。 やがて、上杉にも出陣命令が出され、 景勝も兼続も海を渡り、朝鮮へと出兵しました。 「無駄な戦。おんなの花戦よりも性質が悪い」 「このような戦で、無駄に命を失いたくはない」 悲壮な覚悟の主従をよそに、 京では淀君が菊姫に仰天の告白をします 「おんなゆえの策があります。 子ができたのじゃ。太閤殿下の気持ちも変わるであろう」 またもや、無邪気に笑うのでした。 とまあ、 日本史の恥部、朝鮮出兵までの経緯を花仕立てで描いておりました が、 今回も、なんとも消化不良。 テーマをてんこもりにしすぎてまとまりもなく、 上杉主従が、単なる阿呆にしか見えませんでした(涙 まず、赤ん坊を背負い、おむつ替えまでする兼続にがっくり・・・ おいおい、上杉の筆頭家老ですぞ。 侍女もおらんのか〜?!!! そりゃ現代のダンナさまは、おむつ替えするのは当たり前かもしれないけれど 戦国時代にあの姿はありえないでしょう。 武士の中の武士と世に広く聞こえた直江が、あの世で泣いてますよ。 そして、庄内の一揆の鎮圧も、 「はやく平和な世にしたいものじゃ」と一言で片付けられているし・・?! 元来、庄内は、上杉の所領ではなかったのです。 景勝と兼続は、一揆鎮圧を名目に、庄内へ侵攻し領有したのです。 決してきれいごとではありません。 戦国武将として、武でもって制する景勝と兼続の姿をきちんと描くべきだと思うのです。 大体、天地人は、新発田征伐も、佐渡平定も、庄内領有も、 越後本国で起こった内乱、侵略をほとんど無視しているのは、何故なんでしょう?? 草食系武将としてのイメージを保ちたいためなのかなあ? 食うか食われるかの戦国時代に、それは絶対無理です。根本が間違っています。 そして、菊姫。 前回の感想でTOMMYさんもご指摘されていましたが、 京であのワガママは、上杉を滅ぼします。 史実の菊姫は、子がなくとも、上杉家中から広く尊敬され慕われた奥方なのに あれでは単なる気位の高い「ヤな女」でしかありません 菊姫の悋気や気位の高さについていけず、景勝が側室を持ったと思われても仕方ありません 史実の菊姫が、泣いてます・・・ そして北政所。 酷な言い方かもしれませんが、、富司純子さん、年取りすぎ・・・(すみません) 文禄・慶長の役の頃のお寧はまだ50歳。 まだまだ現役のおんな丈夫だったので、ちょっと上品すぎてイメージが違うんです。 そして、おんなの花戦と朝鮮出兵を重ねていますが、 解釈のスケールが違いすぎ。 これは史観の問題かもしれないけれど、 結果、朝鮮出兵は豊臣政権の土台を揺るがす結果となりました。 文禄・慶長の役は足掛け6年にも及ぶ大戦。 動員された兵の数も、浪費された金銭の膨大さも、そして渡海した者達の精神的ダメージも 想像を超えるものであったのです。 ただし、太平洋戦争以後の東アジアにおける対日感情への配慮から、 これまで、大河ドラマで朝鮮出兵を真正面から描いた作品は、ほとんどないそうです 唯一、名作「伊達政宗」が取り組み、反響を呼びました。 ただし、このことが原因で、NHKでのDVD出版がなかなかできなかったそうです いわゆる、タブーなんですね。 だから、今回「天地人」で、奥歯にはさまったようなあやふやな演出しか出来ないのは致し方ありません ただし、どんな手法を使ってでも、この愚なる朝鮮出兵の輪郭をあぶりだすことはできたはずです 例えば最近だと「功名が辻」で、朝鮮での兵役に耐えた武闘派の武将達と 日本に残されて渡海しなかった武将達の、確執や苦悩など結構印象に残っています。 ということで、今回は、 多分タブーとしてドラマでは描かれないだろう、上杉の朝鮮出兵をご紹介します ちなみにドラマでは名護屋城に1年滞在とナレーションしてましたが 正しくは2ヶ月です・・・ 文禄元年(1592年)秀吉は諸大名に朝鮮出兵を命じます 上杉景勝が兼続と5000の兵を率いて春日山を出陣したのは同年3月1日。 肥前・名護屋城(現・佐賀唐津市)に到着したのは、4月21日でした。 兼続は名護屋城での滞在2ヶ月の間、句会を催すなどして時間を潰していたようです。 この頃から戦意のかけらも感じられません。 そして同年6月2日、秀吉の名代として上杉景勝は渡海します 秀吉が乗船するはずであった「小鷹丸」で釜山に上陸したのが6月17日。 釜山近郊の熊川城に入り、城の改修をしながら、諸将の指揮監督を行います 秀吉の名代であったことが幸いしたのでしょうか 景勝も兼続も、朝鮮ではほとんど出陣しませんでした。 血なまぐさい戦闘が行われた前線を尻目に、 兼続は熊川城でも句会を催したり和歌の勉強会を主宰しています。 そして特筆すべきは、戦場で華々しく配を振るうことよりも、 戦争で焼かれる危険のある朝鮮の古典や書籍を、金銭を惜しまずに買い求めたことです 熊川城にありながら、医書『済生救方』三百巻を筆写させ、 現存する『諸薬方書』『薬方抄』は直江蔵書の写本といわています。 そして無益な戦であるからと、兼続は家来に強奪などを禁じていました。 まさに、これは、兼続の、 大義名分のない愚かな侵略戦争への、声にはださない無言の抵抗でした。 平凡な武将がこんな態度をとれば、「弱腰、職務怠慢」と罵られるでしょう。 後に悶着となる三成の「戦場評価」も散々であったはずです。 しかし、景勝と兼続を戒めるものなどいませんでした。 御館の乱、新発田征伐、佐渡平定、小田原攻め、庄内一揆鎮圧と、 越後でみせた上杉軍の強さ、戦略先述の鮮やかが、評判になっていたからです。 ドラマでは全く描かれてはいませんが、景勝も兼続も戦場にあっては血を恐れず命を惜しまない 一級の武将であったことが、諸侯への牽制になっていたのです。 翌、文禄2年(1593)9月8日、秀吉の命で、上杉軍は肥前・名護屋城へ帰陣しました。 1年3ヶ月にも及ぶ長期出兵であったにも関わらず、上杉軍は熊川城の修築を行っただけで ほとんど戦もぜず、よって華々しい戦功もありませんでした。 しかし、それは、景勝、兼続があえて選んだ戦略であったのです 他の武将が疲弊しきって、なんの恩賞もなく領国へ帰った事実と比較すれば ほとんど無傷のまま越後へ帰ることができたのです。 日本史の恥部、朝鮮出兵について、 ドラマでは信長公の野望を秀吉が具体化したものだとの説明がありましたが、 もし信長公であれば、こんな稚拙な作戦は取らなかっただろうと断言できます。 もちろん、信長公であったとしても私はいかなる侵略戦争を肯定はしません。反対です。 しかし、戦国時代の背景、そして大航海時代を迎えた当時の世界史の動きを俯瞰すれば、 他国からの侵略をうけると仮定した信長公の戦略眼は、正しかったし特筆すべきだと思うのです 決して領土拡大の野望だけでなく「安保」の理念から 信長公の視野は世界に向けられていたからです。 一方、 秀吉公は・・・淀君という傾国の美女に出会い、精力を吸い取られたのか、 かつての研ぎ澄まされた鋭敏なバランス感覚を、すでに失いつつありました。 ご先祖さまが蜂須賀小六親分に従い使えた縁もあり、当然、豊家びいきの私ですが この文禄・慶長の役、すなわち朝鮮出兵は、見過ごすことの出来ない過失であり、 タブーにせずもっとOPENにすべきだと私は思っています 過去記事参照頂ければ幸いです。 写真は、「肥前名護屋城図屏風」 名護屋城博物館蔵
面積は約17ヘクタールもあり、当時では、大坂城に次ぐ規模であり、 金箔を施した豪華な天守閣は、まさに天下人の城であったことを表しています。 http://www.pref.saga.lg.jp/web/nagoya-jinato.html |

- >
- エンターテインメント
- >
- テレビ
- >
- ドラマ番組



