ゆーくんはどこ?

皆様ありがとうごさいました。アメブロへ引越しますので、また、お会いしましょう! 我人に媚びず、富貴を望まず。(黒田官兵衛)

大河ドラマ「天地人」

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景勝と兼続は、秀吉主宰の茶会に招かれ、大阪城へ登城します。

そこには、秀吉自慢の「黄金の茶室」が・・・
秀吉のお点前で茶を頂くものの、正直悪趣味にしか思えない二人。

その後 園庭にて砂金を山の様に積み上げ
陪臣でしかない兼続に、直に「我が家臣となれ」と迫る秀吉。

景勝は一言も発せず、
兼続は、「わが主人は景勝様のみ」ときっぱりと断りました。

群臣の前で恥をかかされた秀吉は、思わず手打ちにしようと刀を振り上げます・・が、

おねに叱られます

上杉主従の絆を、お金で断ち切ろうなどと、あなた様らしくもない!と。

秀吉は、しかし兼続の、覚悟を決めた爽やかな目に、
例えようのない魅力を感じてしまうのでした。

おねのとりなしもあり、秀吉への無礼に対して、お咎めなしに終わった上杉主従。
安堵する間もなく、越後へ帰る日が迫ってきました。

帰還準備であわただしい宿舎で、景勝の近習が文箱を焼いているのを目にします。
「もう用はなくなったから焼くように」と景勝から仰せつかったとのこと。

何か予感もあり、兼続は中身を改めます

そこには、景勝の遺書が納められていたのでした。

「もし直江を手打ちにするならば、秀吉公と刺し違える覚悟ゆえ、その時は上杉軍4000人は速やかに
越後へ帰り、豊臣の大軍を相手に一兵残らず戦い、上杉の義を世にしらしむべし・・」

自分のために、天下人と刺し違える覚悟であったのか・・・!

「命びろいしたのは、秀吉様のほうであったようですね」
お涼も景勝、兼続の深い信頼関係に、感銘を受けるのでした。

娘お涼の恋心を見透かした利休は、兼続を庵へ招待します
しかし、利休は、きな臭い政治の話を始めるのでした。

私は三成に殺される。
三成は、豊臣家の災いとなる・・・

まるで予言です。

不安を覚えた兼続は三成の屋敷を訪ね、
正直すぎるその態度を改めるように警告しますが、まるで気にしない三成。
すでに、徳川家康を仮想の敵とみなしているのでした。

三成は初音さんが、無事であることを伝えます
三成の捨て身の嘆願で命を救われたのでした。


兼続は初音には会わずに帰りました。
辛辣だけれども、真の心は優しい男・三成に 彼女を預ければ安心だと、分かっていたからです。

やがて、上杉軍が京を去る日がきました。
秀吉は、不器用ながらも信頼できる相手と上杉景勝を高く評価しました。

評判は上々、景勝と兼続は、上洛という戦に無事勝ち残ることができたのです。

懐かしい春日山へ帰った景勝と兼続を待っていたのは、仙桃院。
「跡継ぎを・・・」と二人に新たな使命を与えるのでした。


そのころ、
重い腰をあげて、徳川家康が上洛し、秀吉ひ謁見しました。
秀吉は、家康に所望されて、自分の陣羽織を家康に自ら与えます。

狸と猿の・・・ばかしあい。
上杉家は、秀吉の家康への盾として、大きな政治の駆け引きの渦に巻き込まれていくのでした。


う〜ん・・・

視聴したあと、なんともいえない、気分になりました。
いらっとする感じ・・・かなあ。

正直期待はずれでした。

あくまでも個人の感想なので、「天地人」ファンの方はスルーしてください。

今回は秀吉公の描き方に不満です。

ひとたらしの名人、秀吉公が、

当時でも鉄の結束を誇る、景勝と兼続の目前に砂金を積み上げるなどという、
愚作を講じるはずなどありません。

特に景勝は名門の子弟だけに、名誉を重んじ、金銭で動くことを恥としておりました。
兼続が、御館の乱で武田勝頼を、謙信公の遺産である黄金を賄賂として贈り、同盟したときの反応を
思い出してください。

景勝は、「金貨は不浄のもの」という武士の見識を持ち合わせた武士の中の武士であったのです。

兼続も、基本は同じでした。

小田原征伐の後、伊達政宗か見せびらかした「天正大判」を
「軍配と太刀を握る手で不浄のもの(金貨)は持てません」ぴしゃりと言ったと史実にあります。

これは、ライバル・伊達政宗への面当ての態度といえるでしょう。

黄金の盟約や、会津や米沢で断行した藩政の豪腕ぶりをみるかぎり、
兼続は、経済に明るい武将であったことは間違いありません。

お金=経済の効果を知った上で、硬軟使い分けて藩の財政を立て直したのです

しかし、だからこそ、お金で主君を裏切るような、馬鹿な振舞をするはずなどないのです。


秀吉は、自分が接触する相手について、功績、家族構成から趣味まで事前に調査し篭絡する、
外交の天才でした。
そしてそんな秀吉の人物に惚れて、生涯秀吉への忠義を尽くした家臣も大勢いたのです
まあ、確かに、卑賤の身ゆへ、頼りになる親族が少なく、それが豊家の衰退を招いたのは
確かではありますが。。。

今回の笹野さん演じる秀吉は、
黄金の茶室に象徴されるような、思慮のない成り上がりでしかありません。
こんな男に天下は取れないのです。
まだ、実弟の秀長も存命で、朝鮮出兵以前であり、秀吉公の精神はまだ健全です。


さらに、家康公の描き方も、ステレオタイプの狸ぶり。
功名が辻で家康を演じた、西田敏行さんのような
人間の深みと愛嬌と凄みが入り混じった人間像を描ききれていません。

松方さんだからこそ、複雑な家康という人間像を演じることができると思っているのですが
このスタッフ、脚本家ゆえ、、宝の持ち腐れ状態です。

また、上杉だけに重きを置いた脚本とはいえ、
新発田討伐も、佐渡平定も描かず、世継ぎの話を主題にするなど。。。
もってのほか・・!と私は思ってしまうのです。

戦国武将なんです!景勝も兼続も!
力と血で領国を守っているのです。きれいごとではないのです。

さらさらと流れていくだけの、大河ドラマ「天地人」
演技派の役者は揃っているだけに、歴史の真実と深みと悲しみを・・・
伝えて欲しいなと、ますます思うのでした。

まだ、つっこみどころは満載だけど、かる〜く5000字越えそうなのでやめときます

救いは、景勝演じる北村さんと、小栗君演じる三成。
この二人、段々と存在感が増してきました。今後に期待しています。


それでは、勝手に補足のコーナーです。

プロローグで紹介されていた、兼続の「愛の歌」について。

「織女惜別」と題された、兼続、若かりしときの恋歌です
全文ご紹介します

二星何恨隔年逢 今夜連床散鬱胸. 私語未終先洒涙 合歓枕下五更鐘


二星何ぞ恨まん隔年に逢うを
今夜床を連ねて鬱胸を散ず
私語未だ終わらずして先ず涙を洒ぎ
合観枕下五更の鐘


とまあ、文字にして眺めればはっきり分かるように
これは、織姫を題材に、男女の逢引を生々しく歌っているのです
はっきりいえば、男女の閨の情景です。

ドラマでは、織姫=お船さんに見立てておりましたが、
入り婿のカネツグ君が、逢引の歌を歌う相手はやはり別の恋人と考えたほうが自然です。
ただし直江の奥方と当初からどろどろの不倫関係にあったとすれば、別ですが・・・(汗)

このように、直江兼続の文才は当時から有名でした。
謙信公が漢詩を好み、連歌の会を催し、伊勢物語や源氏物語を愛読する文化人であったこともあり
上杉家中は、田舎大名の割には、文化水準はかなり高かったのです。

ドラマでも、茶の湯をたしなむ景勝に、利休が驚いていましたよね。


特に、直江兼続の文才は飛びぬけており
ロマンと情感あふれる歌を何首も残しています。

元来が読書人で素地も教養もあり、かつ若かったため
上洛して京の洗練された文化を吸収し、益々磨きをかけたのでした。

青春時代の「織女惜別」から、壮年(40歳台)になったカネツグ君は
「逢恋」という不倫の歌を残しています。

「逢恋」

風花雪月不関情  風花雪月 情に 関せず
邂逅相逢慰此生  邂逅し 相逢うて この生を慰む
私語今宵別無事  私語して 今宵別れて 事なし
共修河誓又山盟  共に 河誓 又 山盟を修す

原作では、お涼さん(架空の人物ですが)との秘恋で取り上げられた歌ですが、
ドラマではどうなるのでしょう・・? 密かな楽しみですね。


もう一首、
今の季節にぴったりの兼続の歌をご紹介。
 

題して「蛍、簾に入る」

「螢入簾」

涼螢度竹影横斜  涼蛍 竹影を度って 横斜す
忽入疎簾夜色加  忽ち 疎簾に入って 夜色加わる
応是客星侵帝座  応に是れ 客星の帝座を侵すもの
丹良一点映窓紗  丹良一点 窓紗に映す

「客星、帝座を侵す」とは、中国の故事で 
「彗星のようで定位置をもたないよそ者の星が天子の位である帝座を侵す」ことを指し
卑賤のものが、天下を取ることを、突然真っ暗な部屋に飛び込んできた蛍の光に例えています。


天下人への複雑な心境が汲み取れる、ある意味かなり大胆な歌ですね・・・!

真実の直江兼続の、情熱や野心が蛍火のように瞬いています。



写真: 秀吉の黄金の茶室(復元)

大阪城天守閣で、原寸大で復元されていました。
畳3畳しかなく、狭かったです
そして思ったほど、悪趣味でもなかったたです。
組み立て式で、御所や名護屋城、北野大茶の湯など各所に運び込まれて披露されていました
利休も監修したとわれ、黄金はともかくも、部屋のサイズや形式などは格式通りだそうです。

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ストレスと過労で倒れた景勝に替わり
直江兼続くは、名代として、大名や公家との外交をこなします。

田舎者と思っていた上杉で、こんなに堂々とした、教養の深い家老がいたとは・・・!

京都での「愛」の直江は、
景勝の名代としてではなく、直江自身の評価を高めていったのです。

そんな噂は、瞬く間に天下人・秀吉の耳に入ります

「三成と、直江。二人を手に入れれば、豊臣の天下はゆるぎない・・」

欲しいと思ったものは、どんな手段を使ってでも手に入れる。

秀吉の笑顔に隠された裏の顔が、次第に露骨となってきたのでした。

そんなある日、兼続のみ、大阪城の秀吉の面前へ呼び出され、
「わしの家来になれ」と迫られ、「冗談でしょう」となんとかはぐらかします。

しかし秀吉は、新たな手を使ってきました。
秀吉の面前で、真田幸村と対面させられたのです。

上杉家の人質として、越後にいるはずの可愛い弟子が何故此処に?

徳川、北条からの圧迫に耐えかねた真田昌幸が、上杉から秀吉の保護を受けるため
次男坊の幸村を、大阪城へ人質として差し出したのでした。

「わしの意に沿わなければ、越後の災いとなろうぞ・・・」

真田のように、大人しくわしの命令に従え・・・そういう恐喝であったのです。


秀吉が景勝を差し置いて、陪臣の直江を所望したという噂は、天下の茶人、千利休の耳にも届きました

景勝が一人居残る宿舎へ利休が訪ねてきます
そして、秀吉が、上杉の結束を崩し、直江を家臣に引き抜く魂胆であることを告げます。

「私も秀吉様も、天下の器と知れば、どんな手を使っても手に入れる」
「しょせん、器は器、人とは違います」

「またお会いしたいです」
「もし私が生きていれば・・・」と答える景勝。


この、妙に緊張し、ギクシャクした、利休と景勝のやり取りは、緊迫感があって見ごたえがありました。
二人の役者さんの、静の演技。

そして、景勝が、命をかけて、いや命を捨てて、秀吉と対決する決意が、じわりと伝わってきました。
多弁は無用なのです。


その夜、上杉の宿舎に、傷だらけの初音が助けをもとめてきます。
真田の父に追われているとか。
幸村も駆けつけ、北条の人質として初音を差し出したものの、初音が北条を嫌って逃亡したため
けじめとして、真田昌幸が命を狙っているというもの・・・

幸村は、秀吉から、「ほうびが欲しければ兼続を説得しよ」と脅迫されたことを伝えます。
ほうび=初音の命であることを、見越しての脅迫でした。

恐るべし秀吉。
蛇のように、上杉をじわじわと締め付ける、それはまさに政治という名の戦争でした。

初音は、兼続へこれ以上迷惑をかけられないと、上杉の宿舎を出奔します

そこへ三成が駆けつけます。
兼続が、女を捜していると聞きつけたからです。

「初音にかまうな。わしが必ずみつけだす」

兼続は、友の言葉を信じ、秀吉と対決する覚悟をきめます。

「もし、秀吉様の逆鱗に触れたときは、私の首一つでお納めください」
兼続も、命を捨てて、秀吉と対決し、上杉の義、誇りを守ることを誓うのでした。

「戦はわしのほうが、上手いわ・・・」
景勝は、兼続に、なにやら楽しそうに伝えるのでした。
覚悟を決めた殿が、頼もしくみえる、決戦前夜でありました。



とまあ、


なかなか・・・微妙な回でした。

すご〜くイイ所と、
ぎょえ〜悪い所が、個人的に目だった回でした。


すごく良かったところ!

もう書きましたが、利休と景勝の対面のシーン。
北村さんの、本物の役者魂を見せ付けてくれましたね〜。

「もし命があれば・・・」と景勝が、そっけなく答えたとき、
利休役の神山繁さんが、深々と頭を下げましたよね。

景勝の、筋金入りの実直さに、利休の良心が降参したように思えました。

過去放映された「天下人」の中でも、BEST3に入るほどぐっときました!

予告で、「遺言・・・」とカネツグ君がつぶやくシーンがありましたね。
命をかけて、天下人と渡り合う決意を、利休との茶の湯で固めたのでしょう。

それと、景勝へ、「私の首ひとつでお納めください」と伝える兼続と、
「戦はわしのほうが上手いわ」と返答する景勝。

いくら、兼続の評判が高くても、景勝という大きな器があってこそ、その魅力が発揮できるのです。
そしてそんな殿を、信じてゆるぎないカネツグ君との主従関係に、感激しました


そしてもう一点。
前田利家の歌会で、朗々と歌を読み上げる、妻夫木君の声〜!
以前から声だけば絶賛してましたが、ますます磨きがかかってますね。
イケメン城田幸村君も発声をもっと鍛えれば、鬼に金棒なんだけどな・・・。

秀吉を演じる笹野さんも、ますます秀吉らしくなってきて、
もう、す〜さんの運転手には見えません。
THIS IS 秀吉です!

どうやら、淀君は、深田恭子ちゃんらしい〜!いや〜これはぴったりじゃないですか〜!
笹野さんと深キョンのからみ・・・こ、これは凄いかも。


でも、「ぎょえ〜」シーンもたくさんありましたね。

やっぱり、初音さんの場面です。
実の父弟から追われるなんて・・・初音さん、無残です。

でも、何度もいってますように、真田昌幸公(パパ)は、そんな人物ではないんです!
可愛い次男坊を人質に差し出したのも、親子で納得づく。
なぜなら、嫡子の兄・信幸は、家康の住む駿府城へ人質(同然)に出仕したからです

しかし、この二人の息子はともに、器量も武勇も容姿もすぐれ
秀吉・家康の覚えめでたく、二人共近習として出仕し、
ともに、秀吉・家康の重臣の娘を正妻とする許しを得ているのです。

だから、幸村と初音姉弟が、父・真田昌幸の犠牲になったかのような表現はやめて欲しい。
生き残るらめにはどんな手段をも講じるけれども、それは家族を守るため。
家族の信頼と愛情に満ちていたのが、真田ファミリーなんです

とにかく、初音さんのシーンは、
・・・ビデオから消したい気分になりました。


それと、
上洛してやたら目立ったのが、兼続と景勝の髪型。
三成君の月代にも慣れてきたし、そろそろ カネツグ君も月代にしたほうがいいんじゃないでしょうか?

当時、元服した武士で、前髪さらさらなのは、「特殊」な場合が多かったようです。

有名なのは、織田信長の寵臣 森蘭丸。
蘭丸は、信長の命で月代を剃ることを禁じられ、前髪さらさら、稚児の髪型でありました。

そうなんです。京でもてはやされる直江殿の、
芸は芸でも、そっちの「ゲイ」と勘違いされたんじゃないかと・・・・
たったひとり、歌会で前髪さらさらのカネツグ君をみて、
「景勝の衆道の御相手」と噂されるぞ〜、と無意味な心配した次第です。


そういえば、「天地人」イケメン武将達のうち、月代の鬘を着用しているのは三成君だけ。
最初はなかなか慣れなかったけど、小栗旬君の役者魂、だったんですね〜。あっぱれ!

イケメン武将達よ。
勇気を出して、月代のかつらを被ってください。役の幅が必ず広がりますよ。


あと、今回はちょっとだけの登場けど、京の美女、お涼様。

「好きな殿方のためならば・・」と今回も大胆告白〜!
やっぱり、カネツグ君、いや、妻夫木くん、にやけてましたね〜。
お船さんの、きつね顔が、ますますつりあがってしまいそうです(^^;


さて、恒例の「勝手に補足〜のコーナー」ですが、

プロローグで紹介された、石川数正の謎の出奔について、プチ説明。
ほとんど説明なしの前座状態でした・・・(涙

だいたい、天地人は、「小牧長久手の戦い」を100%無視してましたから、
そりゃ、数正について、語ることなどできないでしょう (怒

きっかけは、天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦い。
秀吉と家康の直接対決で
戦では大勝した家康が、秀吉の巧みな外交術で屈してしまった合戦です。

秀吉は、家康の戦上手、また三河武士の強さを生涯恐れ、
家康は、秀吉の外交術を目の当たりにし「謀略」の必要性を実感したのです。

勝利を目前としながら、織田信雄が秀吉と単独講和に応じてしまったため、
大義名分を失った家康は、秀吉との講和に応じるしかなく、
このお膳立てをしたのが、石川数正とされています。

石川数正は、家康が今川の人質であった竹千代時代からの近習で、
もっとも信頼していた重臣中の重臣でした。(いわば、景勝と兼続のような関係)

そんな数正が、突如、徳川を出奔し、秀吉に寝返ったのが、
天正13年(1585年)11月13日でした。

家康は理由が分からず、かなり落ち込んだと言われています
また、数正は徳川家の軍略を熟知しており、機密漏えいという意味でも打撃でありました。

ただし、家康は、数正出奔の頃から、謀略を好んだ武田信玄の軍略を、取りいれるようになるのです。
ただでは転ばぬ、男なんですね〜。


出奔理由としては、、「小牧長久手の戦い」で秀吉と接触するうちに、ひとたらしの術にはまったとも、
莫大な恩賞が目当てだったとか、様々な説が流布しており、定かではありません。

ただし、私は、真の理由は、「松平信康事件」だと思っています

松平信康は、家康が手塩にかけて将来を見込んだ嫡子。
信長公の謀略で切腹処分となった、悲劇の息子です。

石川数正は、信康が元服すると、その後見人の大役をおおせつかっていました。

家康は、愛する息子を我が手で助けられなかったことを生涯悔やんだ人だったのです。
あまりにも立派に成長したため、信長公がその将来を恐れたとまで言われた若者の後見人として、
自分に代わって、何故、信康を守ってくれなかったのか・・・

家康は、言葉に出さないけれども、無念の思いを、胸にしまっていたのでしょう。
しかし、幼きときからともに育った近習である数正が、家康の心に気がつかないはずなどなく。

いつか自分が家康から成敗されるのではないかという疑心暗鬼もあったかもしれません。

だから秀吉の、甘い誘いに乗る決意をしたのではないでしょうか。

私は、石川数正の謎の失踪を、個人的にそう解釈しています。

家康は征夷大将軍となり天下人になってからも、息子の死を忘れてはいませんでした。
数正と同じように今川時代からの近習であった酒井忠次も、松平信康切腹を止められなかったからと
晩年は不遇な待遇でした。

徳川家康という武将の、父としての愛情と後悔の深さは、生涯消えることはなかったのです。


【参考my記事】


・・・岡崎城へ行き、その後、松平信康の菩提を弔いたいです。

写真は「大阪城天守閣」
2006年10月21日、不肖私が撮影いたしました。

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天正14年(1586年)5月、
景勝率いる上杉軍4千は上洛の途につきました。

「天下を相手に"上杉の義"を示すことこそ、わが使命。」


直江兼続も、己の義である「愛」の兜を被り、わが殿を支える覚悟でありました。

途中、加賀の前田利家の歓待を受けます

利家は、寡黙な景勝に、己の昔を見るような懐かしさを覚え

「上洛の間、辛抱が肝心」とアドバイスするのでした。


京に到着した上杉景勝達は、本国寺を宿舎とします
そこに待っていたのは、利休の娘「お涼」。
京に不慣れな田舎ものの景勝達のフォローにと、石田三成が差配した娘でした。

お涼は、秀吉への献上の品々をチェックし、
特に目玉である「謙信公所用の太刀」について、秀吉の好みに合わせるため
「金襴の太刀袋」をつけるよう進言します。


案の定、金襴の太刀袋を一番気に入った様子の秀吉。

しかし、刀剣愛好家の景勝は、
「太刀よりも、金襴の袋を愛でられるとは・・・武辺のかけらもない」と
秀吉や、彼をとりまく、京の華やかだけの文化に、なじめずにいました


そして、それからは連日の接待攻撃・・・

無口で無愛想な景勝にとっては、極度のストレスの毎日でありました。

そんな主君を心配する兼続。
その飾らない人柄に、お涼は段々と惹かれてゆき・・・

「あなた様が好きになったようです」と大胆に告白するるのでした。

兼続にとっての初めての上洛は、美しい娘との出会いもあり
案外楽しい日々であったのでした。


しかし、連日の接待にストレスもMAXとなり疲れ果てた景勝は
耳鳴りと睡眠不足で倒れてしまいます・・・

景勝&兼続の「初めての上洛」は、波乱万丈の雲行きなのでした。


と、今回は、景勝や兼続の「京都デビュー」のプロローグでありました。

意外にも、

そつなく、まとめてて、テンポもよく、面白かったです!^〜^

特に、利休の娘・お涼さんえんじる木村佳乃さんが、良かったですね。
美人で、教養もあり、快活で、洗練された都会のキャリア美女って感じでしょうか。

木村佳乃ってほんとに美人ですね〜。
「夜蝶の階段」でのヒロインもキレイだったけど、和服姿もよく似合ってます。

突然の「告白」に、
兼続のにやけたお顔が・・・!まじで嬉しそうでしたよ。妻夫木くん。

でも、お船さんといい、初音さんといい、お涼さんといい、
今年の大河ドラマは、恋に積極的な女性ばかりが登場しますね。

まあ、現代的な設定でいいのだろうけど
やっぱり、歴史ドラマとしては、やや引いてしまいますね。
女性の立場が恐ろしく低い時代であったのです。
楚々とした大和なでしこの登場を願います・・・・

笹野さんの秀吉も良かったですね

面目があるので、景勝との謁見では、威厳を見せてはいるけれど、
いざ、献上の品々が紹介されたら、とたんに、目がきょろきょろ・・・

やっぱり、秀吉公が登場すると、キンキラ黄金の道具や家具や衣装で、豪華絢爛!
越後の質素なセットや上田衆のじみ〜な脇役だけでは、この華やかさは演出できません。



でも、
そうはいっても、やっぱり「つっこみ入れたくなる」のが「天地人」!
クイズ番組の間違い探しのように、ついチェックしちゃってますよ。
まったく新しいタイプの「大河ドラマ」です・・・(苦笑


上杉景勝・・・確かに史実でも無口で有名な武将ではあるけれど
ドラマの景勝って、単なる「お馬鹿」にしか見えませんでした。

利家や秀吉から質問されて、返事しないってのは、
いくら戦国時代とはいえ、無作法極まりないです。

秀吉公に恭順の意を示し、その臣下となるべくわざわざ上洛したのですから
あまりに失礼な態度だと、逆鱗にふれて越後の災いとなるでしょう
そんなことも分からない景勝ではありません。

事実、景勝は、その後、秀吉の信頼を得て、利家と共に五大老に任じられるのです。
いくら直江の外交が上手くても、当事者への評価が低ければ、秀吉はそんな大役を景勝に与えることなど
なかったでしょう。

無口であったけれども、押さえるところ、語るところはしっかりと語った
政治家・上杉景勝であってほしいです。


そして・・・福島正則公として、石原良純さんが登場したときに、

いや〜な予感はありました。

あんまりです。
石田三成と較べたら、ただの阿呆です。
武闘派の筆頭として、関が原で先鋒を申し付かったほどの武将です。

そりゃ、確かに、史実においても、お酒好きで有名でしたよ・・・
でも酒に飲まれて、女性にからみ、とどのつまりが、投げ飛ばされてしまうなんて。
しかも、ご丁寧に、ワイヤーアクションでした・・・(涙
大河ドラマは、いつからSFアニメ化したんでしょう。



福島正則は、武辺一辺倒だけれども、情に篤くまっすぐな武将だったんです。

イケメン武将達(兼続、三成、幸村等々)と、そうでない武将(景勝、真田パパ、正則 等々)と・・・
格差があんまりにもありすぎませんか〜?!

イケメン絶対主義なんて、民放だけにしてください。

こうなれば、武闘派の頭目、
細川忠興と、加藤清正公に、がつ〜んとお出まし願いたいです。
さて誰が演じるのかな〜〜? 楽しみですね。



さて、今回の「勝手に補足のコーナー」ですが、
上杉景勝の上洛についてプチ説明。

以前の感想文で紹介しましたが、

越後から上洛の途中立ち寄った、金沢城には、
石田三成がわざわざ出向いて、前田利家とともに、上杉景勝&直江兼続一行をもてなしています。

ドラマでは、前田利家だけの接待でしたが、三成は秀吉の意を受けての出張でした。

前田利家にとって、上杉軍はかつての敵。
武辺で鳴らした前田利家と景勝が、ささいなことで衝突しては、まずいという
秀吉の気配りであったようですね。

そして、三成は、景勝の道筋にあたる諸大名に
「北国人の無口を承知で接待せよ」と前触れを出した気の配りようでした。

秀吉の天下国家戦略において、上杉の存在がいかに大きいかが
この配慮だけでも分かります


天正14年(1586年)5月20日 春日山城を出立した景勝一行は
6月14日に、大阪城に登城して、秀吉に拝謁しました
その後、盛大な饗宴が催され、
事実、千利休のお点前による茶の湯の会もありました。

直江兼続が利休に傾倒していくのも、このときからでしょう。

6月21日 景勝は、朝廷より 従四位下、左近衛権少将の官位に叙せられ
6月22日 御所へ参内し、正親町天皇の酌で天盃を頂戴する栄誉を受けます。
6月24日 日程を追えた上杉一行は、無事越後への帰途についたのでした。


尚、この上洛の際、秀吉からの命で、越中と上野の領有を放棄する換わりに
佐渡・出羽の切り取りを許可されます。 

佐渡は金山があり、成功すれば上杉家にとって大きな恩賞であったのです。
(佐渡平定は2年後の天正17年、2度目の上洛後です。直江の活躍を期待しましょう)

また、内乱を影で煽動する新発田重家討伐も許可を得ました。

このように、物見遊山で上洛したわけではなく
華やかな接待の合間に、景勝も兼続も、政治行動を活発に行っていたことがわかります
けっして、「耳鳴り」や「ストレス」でぶっ倒れたわけではありませんよ・・・(苦笑

写真は「上杉景勝」(上杉神社蔵・19世紀)

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いやはや・・・

やっぱり、子役は凄かった〜!

加藤清史郎(与六)くんと、溝口琢矢(喜平次)くん!


正直、大人の俳優さんたちは、いなくてもいい!!

って思ったくらい。


特に、大人気の加藤清史郎くんの、「ちびっこ武将」らしさといったら・・・

押しが強く、機転も利き、気も強くて、そして可愛い〜!

ああ、こんな子供なら、上杉の名参謀・直江兼続に成長するだろうな〜って納得してしまいます



強靭な精神の持ち主、そして天下を相撲をとる気構えのある直江の、子供時代にぴったりです。

決して、「泣き虫」じゃないんです!

第1回目と2回目の感激を思い出しました
(あれ以来、感激してないよな・・・)


今回は、天下人となった秀吉に拝謁するための上洛が目前となり、
心ゆれる上杉景勝が、直江夫妻とともに、懐かしい上田庄へ戻ることが発端です


景勝は、謙信公の威光を守りきることができず、
成り上がりの秀吉に頭を下げる屈辱に、苦しんでいたのでした。


二人が供に学んだ雲洞庵で
上杉景勝は、自分の原点を振り返ります。

「越後の民を守ることこそ、上杉の義」


幼い自分と与六の思い出が、走馬灯のように思い出されます


!!ここで、名子役の加藤清史郎君&溝口琢矢君が登場だよ〜!!


「越後を守ることなどできぬ。わしのような男に誰がついてきてくれるのか?」

謙信公のようなカリスマを持たぬ、無口で地味な幼い喜平次。
昔も今も、その重圧に苦しみもがいていました。

「与六が守ってやる!いつも側におる!」

幼き与六の幻影は、昔も今も、景勝をささえる家臣の姿を投影するのでした。


「第一義」
「もうゆるがぬ」


謙信公の教えを守り、上杉の誇りを天下に示すため、景勝は、上洛する決意を固めます


主君の覚悟をみて、兼続も、自分の「義」について考えます。
兜や旗印に自分の義を示したい。

お船は、兼続が、最初に書いた一文字「愛」をみて
「これが一番ぐっときました」といいます

「愛」

兼続は自分が家族や主君、友、そして妻に支えられて今日まで生きてきたことを実感します
そして、越後の民への仁愛こそ、己の使命だと。

兜の前たてに「愛」の一文字。
直江兼続という武将の、新たな旅立ちの時がせまります。

そして景勝は「義」の旗印。

「愛と義、この二つが揃えば、上杉の未来は明るい」
 
上杉景勝と直江兼続は、4000人の上杉軍と共に上洛の途につきます。
京デビューのお膳立ては揃いました。



とまあ、

子役の演技に癒されましたが、

やはりそこは、「天地人」!

つっこみどころ、満載でありました。


まず、景勝と直江夫婦が共廻りもつけず、雪深い上田庄へ、徒歩で出かけるなど、絶対ありえません。

前年、やっと御館の乱は収束したものの、
まだ、越後での内乱の火種はくすぶっていました。

事実、景勝と兼続が、越後の有力豪族・新発田重家の討伐を実行するのは翌年です。

そんな緊張した状況下で、少ない共廻りだけの、お忍びの旅はありえないのです。


ただ、景勝の「謙信公の義を貫く」覚悟を決めるためか、
頭打ちの視聴率UPを狙って、子役を登場させるためか、
NHKサイドが、むりやり、ふるさと上田庄への帰還を演出したかったんでしょうね。

NHKの思う壺にはまって、景勝が謙信公との思い出の場所で、一人泣くシーンはじ〜んとしました。



ただ〜し、一方で

主人公の兼続が、「愛」という己の義を見つけるシーンは、
景勝のそれと較べて、正直、安易で、さらりと流れていきましたね・・・

お船さんの手の上でころころ転がされているような、あっけない決定。

カネツグ君には、まったく戦国武将という剛毅さが感じられません。
イマドキの若者の気質を反映しているのかな?



それと、やはり真田の扱いに我慢ができません。


前回「青墨」さまからご指摘のあった、上杉家での「幸村」呼び捨て扱い・・・
やめてほしいです。

恐れ多くも真田・上田城主の次男坊ですぞ。

史実でも、上杉景勝は、真田幸村をいたく気に入って
人質としてではなく、出仕というかたちで上杉家への出入りを許したのです。

さらに、信州・川中島内で、一千貫の領地まで幸村に与えています。
幸村も、父・真田昌幸から百騎の家臣を拝借し、春日山へ出勤したのです。

せめて「殿」はつけないと。
兼続の取り巻き上田衆の一員のような位置づけで、まったく納得できないな〜。

小泉孝太郎君の弟も、影薄すぎだし・・・・
他局なら主役級なんですけどね。


および、

細かいことで申し訳ないのですが、

上杉景勝の「義」の旗印・・・?
紺地日の丸の軍旗、毘の字の旗は有名だけど、「義」はなかったはず・・・

「天地人」の以前の放映で、「懸かり龍」の旗が、戦闘時でもないのにはためいていて
間違っているよ〜と指摘したことがありましたが、

細かいことなんだけど、旗印って「戦国武将」ファンにとっては神聖なもの。
出来るだけ史実に即して欲しいですね。


さて、次回。
予告見る限りでは、千利休の娘・お涼さんが登場。(原作に登場する架空の人物です。)
いよいよ、兼続くん、浮気ですか〜??
(初音さんのときのような、消化不良だけは避けてくださいね〜)




今回の「勝手に補足のコーナー」ですが、

直江兼続の「愛」前立の兜について、ご説明します。

「天地人紀行」でも紹介されていたように、
直江がなぜ「愛」の文字を選んだのかは諸説あります。

- 仁愛や愛民の精神を表わす  (「天地人」原作 火坂さんが採用されてますね)
- 兼続が信仰した愛染明王の「愛」である
- 戦国武将が信仰した戦の神・愛宕権現に由来する   等々です。


さらに別の有力な説もあるのです。

上杉謙信公の軍旗としては、「毘」と「龍」が有名ですが
これ以外に、「愛」と「無」 という旗もあったのです。

「無」は、当時武家の間で流行した「禅」からの発想で、
北条氏直、榊原康政、そして伊達政宗の重臣・片倉景綱や山内一豊など、多くの武将が用いていました。

「愛」は、謙信公が愛宕権現を信仰していたことに由来します
上越市にある愛宕神社へ謙信は出陣の際には参拝し、今でも謙信所用の軍配が残されています。

つまり、「愛」はもともと謙信公が使っていた旗印で、
謙信公は軍旗と対になる兜も所用していたと考えられています

ということは、「愛」の兜は、元来謙信公のもので、それを兼続が譲り受けた可能性もあるのです。


「鉄黒漆塗紺糸威異製最上胴具足」という上杉景勝所用の甲冑があります

イメージ 2


新潟歴史博物館蔵ですが、私は、「風林火山展」で実物を見ました!

日輪に卍を描き猪を配し、摩利支天を表していてとてもユニークで印象深い甲冑でした。

この兜の裏側には「永禄六年八月吉日 越後村松作」と刻まれてあり、
謙信公の時代に作成されたことが分かっています。

すなわち謙信から景勝へ譲られた兜なのです。


なれば、兼続の「愛の兜」も、謙信公から「わが遺志を継ぐ者」として
兼続へ譲られた可能性も捨てきれず・・・・有力な説の一つになっています。

これもロマンのあるお話ですね!


TOP 写真:直江兼続所用「金小札浅葱糸威二枚胴具足」 上杉神社所蔵品

イメージ 1

イメージ 2

いよいよ

後世、天才軍師と呼ばれた 真田幸村が、「天地人」に登場しました!


噂に違わぬ、歴代最強イケメン幸村(すくねさん命名)、でありました。


経費が苦しいのか、「エコ大河」(モモアンビー様命名)の「天地人」にしては珍しく、
野外ロケ満載!!

城田・幸村にNHKがかける期待の大きさが分かるというものです。


武田という大きな後ろ盾を失った真田昌幸は、徳川家康の露骨な侵攻に対抗するために、
前年まで、領土の境界線をめぐって激しい戦闘を繰り返してきた、上杉に頼ることを画策します

そしてその盟約の証として、
自分の可愛い次男坊を上杉家の人質として差し出したのでした。

このとき幸村は、若干18歳の若武者でありました。

しかし、幸村は、人質としての扱いに慣れることができません
上杉などに頼らずとも。。という想いもあったかもしれません
まだ、まだ青二才なのです

次々と主君(というか、同盟相手)を変える「謀略の真田」の息子だけに
上杉家中でも、真田との同盟を危惧する者もおりました。

泉沢久秀もその一人です

泉沢は、幸村と槍の手合わせを願い入れ、見事勝ちを収めます。
相手の器量を測ろうという泉沢の考えもあったでしょう。

その夜、直江屋敷へ招かれた幸村。
兼続主宰の歓迎会のつもりでしたが、心を開かない幸村。

その青さに苦笑する兼続・・・


翌日、泉沢が槍を盗まれたと言い出します。
「幸村では・・?」と疑う泉沢と与七。。。

結局、もう一度槍の試合を行うことになった、泉沢と幸村。
今度は、幸村の一瞬の隙をついた目くらましのため、敗れる泉沢。

「勝つために手段は選ばぬ。それが真田だ」と強がる幸村。


兼続は、幸村を海岸へ連れ出します

「何故、盗んでいないとはっきり言わぬ」
「裏切られても信じていたい」と幸村を諭す兼続。

兼続も、この若者に、魅力を感じていたのでした。

やがて、上杉に、真田からの救援依頼が届きます

沼田領の返還を反故にし、上杉に寝返った真田の造反を知り、
徳川家康は、約7000の大軍をもって、信濃へ侵攻してきたのです。

いわゆる、神川合戦(第一次上田合戦)です。

真田はわずが1200人しか手勢がおらず、まさに絶体絶命のピンチでありました。


上杉景勝は、盟約を重んじ、援軍を派遣することを決めます
兼続は、「真田家の重大事、幸村を一時帰郷させたい」と申し出、
景勝も承諾します。


「お家の一大事故、励め、そして勝ったらまた越後へ戻ってこい」。
兼続の言葉、そして上杉の「義」に驚く幸村。

「これが・・・上杉の義・・」

上杉の援軍とともに、上田へ帰った幸村は、獅子奮迅の働きをみせます。
そして真田昌幸の、ゲリラ戦法が見事に的中し
真田は、徳川軍を撃退。 

我が領土として守りぬいたのです

この一戦で、真田昌幸の名前は、「恐ろしき謀将」として、一気に世に聞こえることとなります。
また、徳川家康との因縁の対決の始まりでもありました。


雪解けとともに真田大勝利の報が届き、春を待つように、待ち人を思う直江屋敷に

真田幸村が約束どおり帰ってきました。

徳川を撃退した以上、真田が上杉との盟約を保持する必要はなく、昌幸も利用しただけでした。

しかし、幸村は自分の意思で、越後へ舞い戻ってきたのです。

盗難騒ぎのあった槍も、泉沢の誤解だと分かり、
直江屋敷で、幸村の帰還を祝う宴が始まります

「直江殿の弟子になります!」


関が原で幸村の人生を変える大きな出会いでありました。



と、今回は
幸村の心の雪解けと義への目覚めが今回のテーマでありました。


幸村と泉沢の槍の勝負。

かっこいいんだけど・・・笑ってしまった。

やたらと ストップモーションが多くてゲームやアニメのような効果を狙ったんだろうけど
実写だけに、微妙な違和感が・・・(苦笑

二人共カッコイイんだから、フツーに撮影するだけでも、迫力ある映像になったはず。

どうも、「天地人」の殺陣は、イマイチだなあ。
奇をてらいすぎていませんか?



でも、おなじ野外ロケでも馬で海岸を走るシーンは清涼剤のようでしたね!
城田君の鋭い視線と、妻夫木君の爽やかな笑顔が、海と空にぴったり。
イケメンには、海辺が似合う!

ただ、台詞でやたらと「義」や「友」や「信」を連発しすぎ。
余計に軽々しく思えてしまいます

正直、景虎公を引き合いにだして、「信じること」を強調するのは無理があったような・・・

「御館の乱」を引き起こした張本人だけに、それは違うんじゃない?と思ってしまった。

「さらさらお茶漬け大河」(シゲールさん命名)なだけに
主人公達は、悩みもせず、過去をさらりと水に流すだけ。

上杉家中がどうも軽いのは、戦国時代なのに
「義」や「信」「友」のバーゲンセールも影響あり、です。


ただ、幸村の登場は、期待が持てますね!


背も高く、ガタイもしっかりしている城田君は、甲冑姿が良く似合ってた。

また、史実の 幸村(信繁)も、たいそう色白であったそうで
自分で「好白」と名乗っていたほどですから、ハーフの城田くんに、ぴったり。

あとは、もう少し声がお腹からでたらいいのにな・・。


その点、妻夫木くんの声は、時代劇向きです。
だからこそ、泣き虫の武将だけでは、もったいない!


でも、
そういえば、今回も、泣き虫になりかけてましたね。
初音さんの正体と境遇を知って、涙ぐんでた・・・(おいおい!)



でも、真田の娘が、直々に上杉に正式な使者として訪れるというのは、まずありえません。
初音さんが「忍び」であれば、尚のことです

そして、何よりも真田ファンとして、

「真田昌幸公」の描き方に、超、超、超、不満があります!

ドラマの昌幸公、むちゃくちゃじゃないですか〜!
性格狭隘な小者扱いは許せません!!
なんか、いつも食べているし・・・

真田昌幸公は、そりゃ、同盟相手をころころ変えましたが、
それは、生き残るための手段。

真田幸隆公以来仕えし武田家に対しては、滅亡の時まで絶対の忠義を持っていました。

また、初音さんの母の身分が低いから、忍びの道具として扱った・・・なんて
史実の昌幸公は、そんなひどい親ではありません。むしろ逆なんです!

初音さんは架空の人物とはいえ、誤解を招いてしまいます!

事実、昌幸公の娘で、身分の低い母の子である姫であっても、
父親としてちゃんとした嫁ぎ先を探し輿入れさせています。

昌幸や幸村が、九度山から上田の娘(姉)や長男(兄)へ宛てた書状など読むと
まるで、坂本龍馬と姉乙女のような、温かい気持ちがあふれています

真田昌幸とその家族は愛にあふれた、いい家族なんです。

そして、兄の信幸公がまったく登場しないのも、残念でした。

まあ、上杉の物語だから、仕方ないとはいえ、
私は、真田大ファンなので、
以前から気になっていた。「真田=怪しげ」という、今回の大河ドラマの捉え方に
やはり腹立たしさを感じます

第一次上田合戦も、あっとういうまに終わってたし・・・

もう少し、真田家の歴史を、調べて欲しいです。

もうこうなったら、池波先生の「真田太平記」を大河ドラマで取り上げてもらうしかないのか?!

幸村公が、かっこいいだけに、幸村以外の真田に対する「ひどい扱い」(初音さん含む)に
悔しい想いを感じています。


さて、次回は・・・

予告を見ると、あの子役と景勝が、雪合戦?
そしてまた、あの世から、謙信公が降臨されているようで・・・

「本能寺の悪夢」を思い出してしまいました。(頭いたくなりそう)


歴史をまったく無視したファンタジー「大河」?
いったい、NHKは、何処へ行こうとしているのでしょうか・・・。


さて「勝手に補足のコーナー」ですが、

ドラマではほとんどスルーされた、

1585年(天正13年)8月の、神川合戦(第一次上田合戦)について少しご説明。

徳川軍 7000人の指揮官は、鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉など家康の重臣。
また、援軍として井伊直政、大須賀康高、松平康重 5000を送り込むなど、まさに精鋭部隊。

家康は、真田を滅ぼし、信濃を我が物とする腹つもりであったことが、分かります。

対する真田はわずか1200人。
本城上田城は真田昌幸、戸石城に、長男、信幸、沼田城に矢沢頼康。
上杉の援軍は、沼田城で籠城しました。

真田昌幸は得意のゲリラ戦法で徳川軍を翻弄し、
また、本城と、沼田、戸石の連携プレーも功を相し、
徳川軍は、1300人もの戦死者を出しながら、
真田はわずがに40人程度の戦死者しかなかったと言われています


このとき、昌幸公は上田城の城門を閉ざし、
櫓の上で甲冑もまとわずに城下の戦況を尻目に家臣と碁を打っていました

徳川勢は一気に城を落とそうと城内になだれ込み、城外にいた前衛部隊は押し捲られて、
横曲輪まで後退する事態に陥るのです。

しかし、昌幸公は、諸葛亮孔明の『空城計』を真似て、碁を打つ手をやめず、
ついには若侍の手鼓で『高砂の謡』をうたって徳川勢を挑発したのです。

が、これはもちろん 昌幸公の戦法。
袋のねずみとなった徳川軍を、一気に襲撃する伏兵、
合図とともに、上田城下に火が放たれ、徳川軍の退路を絶ちます。

さらに、戸石城から討って出ていた真田信幸の突撃を受けて陣は崩され、
四散した兵は神川で多数溺死しました。

戦闘に参加した、大久保忠世の兄、大久保彦左衛門の『三河物語』は
神川合戦における徳川軍の悲惨な状況を

ことごとく腰がぬけはて、震えて返事も出来ず、下戸に酒を強いたるが如し

と書いているほとです。



この一戦を見ただけでも、真田昌幸公の凄さ、
偉大なる父・御館様として、家族や家臣から絶大な信頼を得た理由が分かります。


家康自ら戦闘に加わっていなかったものの、
精鋭部隊を投入しただけに、その敗北は痛恨であったようで、
敗戦後、すぐに、真田昌幸を懐柔し、戸石城で見事な指揮をとった長男、信幸に白羽の矢を立てます。
(後に、腹心・本多忠勝の娘・小松姫を信幸へ輿入れさせます。)

地味だけど重厚な性格の真田信幸に目をつけるあたり、家康もさすがといえますね!



ところで、次男坊の真田幸村は、ドラマでは上杉の援軍とともに上田へ帰ったと描かれていますが、
これは史実として確認されていません。

池波正太郎先生の「真田太平記」では、
昌幸、幸村親子が、同盟のために越後の春日山へ出向き、
幸村を人質として越後にとどめおくことを願いでたときに、

「父子が共に戦い、共に討ち死になされ」と、

戦ってのち、もし生き残れたら幸村を人質として受け取ろうと
景勝が答える場面が、印象的です。


昌幸、幸村公の「上杉」への信頼が構築される重要な場面ではあるのですが、
どうやらファンタジーの色合いが強いですね。



写真は、すくねさまのご要望? にお応えし、

真田幸村(信繁)公の肖像画(上田市立博物館所蔵品)と、
城田君の最強イケメン幸村画像を並べてみました。。(^^v

PS
第一次、第二次 上田合戦については、またいつか、しっかりと記事にしたいです〜!

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