ゆーくんはどこ?

皆様ありがとうごさいました。アメブロへ引越しますので、また、お会いしましょう! 我人に媚びず、富貴を望まず。(黒田官兵衛)

大河ドラマ「天地人」

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天正5年9月、

謙信率いる上杉軍は、信長との直接対決のため出陣します

このとき17歳となっていた樋口兼続の初陣でありました。

17歳の初陣・・・当時の若者にしてはちょっと遅いのかもしれないですね


でも、武士たるもの「初陣」は何よりも目出度いことであったのです


多分、まだ少年の心を持った兼続は、言葉を変えれば「うきうき気分」で
戦場の本当の意味をまだ知らなかったのでしょう。


敵を殺さなければ、自分が生きては帰れない。


古今東西、現代でも、
戦場が「人殺しの場所」であることに変わりはないのです。


産まれて初めて、敵と刃を交わした兼続は

命乞いをする敵の手に、「母からの守り」があることに気がつきます


敵とはいえ、同じ人間。
相手を殺すということは、その家族もまた涙に暮れるということなのです

兼続は、わずか5歳で母の元から離れ
上杉景勝の家臣として成長しただけに


母への思いは、格別なのです・・・


そしてその後、
自分が切り捨てることが出来なかった若者の遺体に遭遇した兼続は
それこそ、人目も憚らず、涙するのでした。


このシーン・・・

私も大いに泣いちゃいました。



兼続の弱さは、しかし、それが敵であれ、人への思いやりの裏返しなのです
人への思い、家族への思い、敵であれ味方であれ、命あるものへの慈愛は
兼続の弱さであり、また強さにもなるのでした。

それが後の兼続の志 「愛」なのです。



敵の手をとり、その無念の思いや彼の母への思いに涙しているとき

妻夫木君、演技じゃなく本当に泣いてましたね・・・


妻夫木君に樋口兼続の魂が乗り移った瞬間だったように思います。



戦場=人殺しの場所 であることの恐怖に打ち勝てない兼続は
上杉軍の快進撃とはうらはらに、迷い悩む毎日でした。


しかし、難攻不落の七尾城攻めのため年越しの上杉陣中では

謙信の二人の養子、景勝と景虎のライバル対決が目立つようになってきました。


景虎の家臣が、捨て犬に「喜平次(景勝の幼名)」と名づけてからかい、いたぶる所を目撃した兼続は
相手の挑発にのって思わず刀を抜き、斬りあいを始めます


「陣中での喧嘩はご法度」

景勝とともに謙信の御前で仕置きを受ける兼続。

「部下の失敗は上に立つものが責を負います」と兼続をかばう景勝。

しかし謙信は、兼続に

「今すぐ、陣中を去り上田庄にて蟄居」を申し付けるのでした。


たるみがちな軍の規律を守るため、いくら景勝の頼みとはいえ
兼続だけを許すことなどできない相談でした。


そして謙信公には、別の思惑もあったのです


命の駆け引きに迷う兼続が、自分の弱さゆえに、無鉄砲な行動を起こしてしまったことを
看破していたのでした。

戦場で「一瞬の迷い」があれば、命などいくつあっても足りません。

謙信は「今のお前なら、無駄に命を落とす、修行しなおしてこい!」と兼続を叱咤激励するのでした


このときの景勝がまたいい!

「殿のお側を離れることとなり、申し訳ない」と謝る兼続に

「たわけものが!」とたった一言。


実際の景勝は、本当にこんな殿様だったようです。
無口だけに怒るとすさまじく怖かったとか・・・・

軽めの演技が多かった北村一輝さんにも、どうやら景勝の魂が降りてきたようです。



魂が降りてきている・・・・といえば

吉川晃司さんの信長公!

今回の信長公は、ワインばっかり飲んでましたね〜(^^;



密偵を放ち、上杉軍内の情報収集する信長公。

ここで初音さんの「ドラマ」での正体が明らかになりました。
忍びのもの=くのいち。

原作での真田庄の「ノノウ=巫女」ではないようです。(やっぱり倫理上問題でも?)


「此度の戦、織田軍の勝利にございます」

初音の報告にうなずく信長公。

「あの若者に合ったか?」

「・・・いいえ」

と咄嗟に嘘をつく初音。

鋭い眼光の信長公は、初音が兼続に興味があること、
そしてこの女を100%信頼してはならぬと、確信したに違いありません。

こ、怖い目でした〜。でもカッコイイ〜!!


さて、

今回、兼続が蟄居となった「七尾城攻めでの陣中でのいさかい」は、

ちゃんと原作に描かれていました。

しかし、ドラマと違うのは、上杉景虎も家臣と共に喜平次と名づけた犬をいたぶる内容だったことです


原作では、【嫌味な美青年】として上杉景虎は描かれているのです



ドラマでは、史実の景虎のように、温厚な性格で描いてくれるので好感が持てますね。


景虎(玉山鉄二くん)がいい人であればあるほど
この後の「御館の乱」は辛い展開となってしまいます


怪我をした兼続に
「お前も怪我をしているではないか。」と声を掛けるお姿は、凛として美しく・・・

玉山君にも上杉景虎が降りてきてましたね。
多分、「御館の乱」で私を泣かせてくれるでしょう!


謙信公の阿部さんや、婚礼のきまったお船さん、仙桃院、お藤さんや与七(小泉孝太郎君)などなど
まだ書きたい内容はあるのですが、「兼続の初陣」だけに絞った感想にしました。

今回は、それだけ見ごたえのある「人間ドラマ」でした!
視聴者として、満腹で〜す。


それではここで「勝手に補足」コ〜ナ〜!

今回は、織田信長公の側から見た「手取り川合戦」について

今年の大河は上杉家が中心なので、「手取り川合戦」も上杉中心の取り上げかたになっています

すなわち、織田信長の10万の大軍を、加賀小松の手取り川で、3万の上杉軍が蹴散らした。

という内容です。

しか〜し、織田信長サイドには、この合戦に関する資料がほとんどありません
そのため、その信憑性を疑う向きもあるのです


信長公に関する一級資料「信長公記」の北陸征伐を抜粋してみますと、

(天正五年)八月八日、柴田修理亮大将として北国へ御人数出され候。
滝川左近、羽柴筑前守、惟住五郎左衛門、斉藤新五、氏家左京亮、伊賀伊賀守、
稲葉伊豫、不破河内守、前田又左衛門、佐々内蔵助、原彦二郎、金盛五郎八、若狭衆、
加賀へ乱入。
添川、手取川打越し、小松村、本折村、阿多賀、富樫所々焼払ひ在陣なり。

羽柴筑前守御届をも申し上げず帰陣仕候、曲事の由御逆鱗なされ、迷惑申され候。


和訳すると:

柴田、滝川、羽柴、丹羽(惟住)など、豪華布陣で加賀へ侵攻した。
手取り川を越えて近隣の村を焼き払った。

しかし羽柴秀吉が信長からの許しもなく勝手に帰陣したため、信長公が逆鱗した


とまあ、こんな内容です。
簡潔です。

天正五年に関しての「信長公記」の記述のほとんどが
同年3月の、紀州雑賀攻めと、8月の松永弾正の謀反で占められています。

確かに、このときの信長公は、

前将軍足利義昭がしかけた新たな「信長包囲網」に苦しめられいます

すなわち、

石山本願寺と毛利が連携と取り京へ攻め入り
上杉謙信は越中へ侵攻。
本願寺をバックアップする形で、鈴木孫一率いる紀伊の雑賀衆が蜂起。
そしてこの機を逃さじと、京のお膝元大和で、松永弾正秀永が謀反を起こしたのです。

まさに包囲網ですね

足利義昭という男は、本当にしぶとく、また謀略の上手い男です!


そういう視点から見れば、謙信への先制攻撃ともいえる加賀侵攻は
信長の操る駒の一手でしかないかもしれません

しかし、「信長公記」に記録された柴田、滝川、羽柴、丹羽、そして前田に佐々・・・等々、
信長軍自慢の精鋭部隊と武将の面々をみれば
信長公が謙信公との戦に、真剣モードであったことは一目瞭然です。


実は、北陸攻めの前年、天正4年に完成した「安土城」も
もちろん、京都に隣接した場所での政治活動という目的が第一でしょうが
北陸へ通じる街道の要所であることから、「上杉への備え」の城であると言われています

本気モードの信長公だけに、

柴田勝家との意見の相違から、羽柴秀吉が勝手に帰陣したことは
信長公にとって大きな痛手であったでしょう。

「逆鱗に触れた」秀吉が、よくもまあ許されたものです・・・


秀吉は毛利攻めを狙っていましたから、そのための駆け引きとも言われていますが
信長公の性格を知り尽くした秀吉だけに、生きた心地がしなかったのではないでしょうか。



「手取り川合戦の実態」について、個人的な意見を書きますと、



「信長公記」では織田軍が、越中や越後へ攻め入った記録がないところを見れば
手取川近辺から退却したことは間違いないでしょう。


一方の、上杉軍も手取り川から先へ進軍した形跡もありません


信長包囲網で連携していた、雑賀衆も降伏し、松永弾正も滅ぼされました
これ以上京へ向かい侵攻しても、援護射撃が見込めない以上、勝機はない・・・となれば

謙信公も、軍を引き上げざるを得ません。


上記の考察から考えれば、


恐らく両者「痛みわけ」だったのではないかと推察します。



上杉謙信は上洛の意図があったかどうか?の論議があります



前回感想文での「勝手に補足コ〜ナ〜」でもご説明しましたように

上杉謙信は、京におわす天皇や将軍様を守護する毘沙門天の軍、すなわち正義の軍=官軍
であることを標榜していました。

謙信公にとって、信長軍は
京に侵攻し将軍家を追い出しただけでなく、朝廷をも蹂躙する「悪の軍隊」そのものでした。

そんな悪を追放するという大義名分のため、謙信公は上洛を目指していたと思います。


そして信長を滅ぼしたあとは、自分が「天下人」になろうなどという野心はなく、
天皇や将軍を補佐し、正しき国家の建設を志していたのではないかと。



そんな志のため、


手取り川では信長を取り逃がしたものの、
満を持して京への出兵を決意したそのとき・・・謙信公の命のともし火が・・・


お〜っと先走ってしまいました。



この時代を読み解くために重要な鍵は、足利義昭が度々画策した「信長包囲網」。



戦国の世の中に生きた武将達の外交術の奥深さを知ると
軟弱な日本の政治家達が、「あやかりたい!」と戦国好きなのも分かるような気がしますね。



写真は 泥足毘沙門天立像山形・法音寺蔵

上杉謙信は、春日山城本丸内に毘沙門堂を建て、出陣のたびに勝利を祈願しました。
この毘沙門堂の本尊が本像と伝えられています。


【拙分ですが・・・参照記事!】
『松永弾正久秀〜乱世の梟雄〜 』
天正5年、信貴山城で爆死した、愛すべき極悪人です。

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「義など、戦を起こすための言い訳に過ぎぬ」


・・・鋭い眼光で、無名の若き上杉からの使者を睨みつける信長公。


「義がなければ人は野に生きる獣と同じ!」

物怖じしない若さのまま、信長に真っ向から対峙する樋口兼続。


「獣で結構。」

「欲にくらんだ腐った者どもを根こそぎにして、天下を変えてみせる」


「義」と「天下布武」
どちらが正しいとも悪ともいえない。なぜなら戦国の世の中だから。


史実にはもちろん、原作にもはない「信長VS兼続」の直接対決。

その勝負は如何に・・・!



今回も吉川信長公、かっこよかったですね!!
妻夫木・兼続クン、相変わらず爽かで、

二人のキャラ対決、見ごたえありました。


でも、でも

信長信者のワタクシ、
少々、不満もありました。



とりあえず、樋口兼続が岐阜城で信長公に出会ったのは、全く史実ではありませんが
主人公だし、ドラマだから許しましょう



でも、あの信長公が、無名の若造と共に同じ机でワインを飲むなど絶対にありえません!
側近の秀吉ですら傍らで平伏しているのです。

しかも、口答えした兼続を「暗殺し首を謙信へ届けよ」と
信長公がそんなセコい命令を下すはずもありません。


気に入らなければ、自分の刀で成敗していたでしょう。



絶対君主・信長公が、少々軽く描かれていたように思いました・・
せめて、兼続が平伏しての対面であれば、もう少しリアリティがあったのにな・・




石田三成(佐吉)が突然登場したのもサプライズでしたね。
でも、秀吉の刺客から兼続を守ったのが石田佐吉(三成)という"むりやり"の展開でした。


佐吉は秀吉の命には絶対服従することでのし上がった男ですから、
命令に逆らい、見知らぬ若造を助けるのは、少々無理があったかな・・と。


人気者の二人の出会いを早く演出したいドラマ制作側の意図は、充分理解できるのですが

やっぱり、史実や原作のように、
兼続と三成は「越水の会」での出会いのほうが、良かったような気がします


ただし・・・

小栗旬君の石田佐吉・・・水も滴るイケメンぶりでしたぁ ^^b
見ほれちゃいましたね。


「阿呆は嫌いじゃ」という台詞少々迫力不足だったかな。
秀吉恩顧の武闘派武将をことごとく敵に回した、「見下し目線」がまだ足りない〜^^;


妻夫木君の兼続同様、これからの成長に期待したいです。



不可解なのが、長澤まさみちゃんの「初音さん」。
可愛いんだけど、なんで岐阜城にいるのか、依然として不明です。

っつうか、初音さんと兼続の関係はどうなるんでしょう?
このまま、何の関係もない、「ただの謎の美女」で終わってしまったら、長澤まさみちゃん・・・・


見せ場なしだよ〜(涙


まだ5回しか放映されていませんが、

今年の大河ドラマは、前作「篤姫」以上に、
原作、そして史実無視のような・・・そんな気がします


。。。気を取り直して春日山城へ戻りましょう。


絶対美女、お船さんの登場です

兼続を愛し始めていたお船さんは、兼続に会いにゆきます。
父親の命令で「婿をとる」ことになったからです。


「兼続殿は、私が婿をとっても構わぬのか?」

かなりストレートな告白でした。


でも、まだ幼い兼続さん・・・・

突然の事で何も答えが出せません。

むしろ、お船さんに片思いの殿のことを心配する始末。


しかし景勝には、もうお船さんへの迷いなどありません。
尊敬する養父、謙信公への篤い忠義心しかなかったのです。


信長という強大な敵に立ち向かうことの「正義」を悩む謙信公へ

「義を恐れぬ信長を討ちましょう!」

と無口な息子は直談判します。


謙信公への純粋な思いは、上杉景勝の生涯の美徳でした。

天下を取るよりも、謙信公が教えてくれた「義」を重んじる!
そのことが、関が原での直江との意見の相違となるのです。

その点、直江兼続は上杉家が天下を取るという野望を忘れることがありませんでした。


お〜っと、またまま、飛ばしすぎましたね。


民を犠牲にするかもしれない大きな戦ではあるけれども
景勝の言葉を受けて、謙信公は出陣を決意するのでした。



次回は信長との直接対決「手取川の戦い」!
樋口兼続の初陣でもあります。

兼続の最初の挫折が訪れます。
その挫折をどう乗り越えて成長し、立派な武将となるのか・・・

一人前の男になる前に、とりあえず早く「泣き虫」を卒業して欲しいです〜!



と、ここで勝手に補足コーナーです。


信長との対決のため出陣する上杉謙信の本陣。
ドラマとはいえ、馬上に翻る軍旗を見ると、心が高揚してしまいます!

今回は、上杉軍の「軍旗」についてちょっとご説明をば・・・


先ずは謙信公本隊の陣頭に翻る白絹に「毘」の一文字の旗。
これは、皆様ご存知のように、「刀毘沙門天」の「毘」を表しています。


「刀毘沙門天」は八本の刀をもつ武神です。

世界の真理である帝釈天の座す須弥山の四方を守護する四天の一人、
その北方を守るのが「毘沙門天」でした。
つまり、謙信は、天皇のおわす京を須弥山になぞらえ
その北方である越後を守護する「毘沙門天」の化身たらんと願ったのです


謙信公の馬前には「毘」とは別に「刀毘沙門天」の幟が掲げられていました。
「毘」の軍旗だけをみても、謙信公の尊皇の思い、義への思いが理解できます。



上杉軍は、「毘」の軍旗のほかにも、「日の御旗」を掲げていました
これは、謙信の父、長尾為景が朝廷から下賜された長尾家の家宝でありました。
つまり、上杉軍が、朝廷の軍=官軍であることの象徴なのです。



出陣にあたり、

先鋒の大将が「毘」の軍旗。
二番手の大将が、「関東管領上杉家伝来の弓」を捧げ
そして三番手が、「日の御旗」を掲げて、進軍したのです 

「正義の軍」であることを全面に強調していたのですね。


他国への侵略を宣言した武田軍の「風林火山」とは見事は対比です!


尚、上杉軍の進軍の再現ドラマ等で「龍」の軍旗が混じっていることがありますが
あれは間違いです。

「龍」の軍旗は「懸かり龍」といい、突撃の際に掲げられた旗でした。

この旗が謙信の命で掲げられれば、武田信玄でさえ恐れた「猛攻撃」が開始されます
謙信公は、ときにまるで「龍」のごとく、自ら先陣をきって突入したと言われています。


【拙文ですが、参考記事!】


「天地人」紀行で紹介された「岐阜城」関連です。
今から4年ほど前、ブログを始めて間もない頃の懐かしい記事だったりします。

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絢爛豪華な黄金の屏風の前で

なにやら思案する、織田信長公・・・・
絵師を呼びつけ、何やら指示をする。

側に控えていた笹野・藤吉郎に


「これはただの贈答品ではないわ・・・」

「上杉がどうでるか、楽しみじゃ・・・」


不敵な笑いを浮かべるのでした。



尋常ならざる美意識の高さ
贈答品一つにも策略を忍ばせる謀略家
そして「可笑しきこと」を無二に好んだ器の大きさ・・・



吉川晃司・信長公、お見事です!
ひたすらミーハーの私なのでした。




さて、

上杉への盟約の証として織田信長から越後へと届けられた屏風の豪奢さに
圧倒される樋口兼続達の前に信長の使者が現れます。

「初音」と名乗る、南蛮服を着た美女でした。


うら若き娘が、新興とはいえれっきとした戦国大名の使者であることに驚く兼続と久秀。


しかし、初音は

「信長さまは、地位や男女の隔てなく有能なものは登用する優れたお方」

と堂々と対応し、

「この屏風は盟約の証ではありません。秘密が隠されているのです」

と謎かけをします。




屏風絵のなかで、「御所へ入ろうとする輿の武将」に目をとめる兼続。

『緋毛氈の鞍掛け』が描かれていることから、輿の主は謙信であることは歴然としており、
しかも室町幕府が滅んだ後、実質朝廷を牛耳っていたのは信長自身でした。

【注釈】
『緋毛氈の鞍掛け』について:
上杉謙信は将軍足利義輝から「白傘袋と毛氈の鞍覆」の着用を許されていました
これは、国主の大名クラスの武将のみに許された特権で、
謙信が越後国主であることの証ともいうべき重要なアイテムなのです。




つまり、信長は、暗に『謙信よ、頭をさげて降伏せよ』というメッセージを込めていたのでした

織田と上杉の盟約の証どころか、これはれっきとした「脅迫状」であったのです。



兼続は、勇んで謙信に進言し
「自分を信長への返礼の使者にして欲しい」と直談判するのでした。


越後の狭い世界に育った若き兼続にとって

織田信長という新興大名の行動と思考の断片は
なにもかもが破天荒で、目もくらむような衝撃であったに違いありません。

例えてみれば、歌謡曲やアニメソングしか知らなかった中学生が、
初めてロックやパンクを聴いたときの衝撃に近いのかも。

兼続同様、信長の意図を見破っていた上杉景虎(玉山君)は、
若輩の身でしかない兼続の派遣に「不相応だ」と反対しますが、
謙信は、兼続という優れた素質をもつ若者の武者修行になると判断し
使者になることを許すのでした。


この間・・・・


上杉景勝は、一言も発しませんでした


でもその無言が、むしろ、景勝の懐の深さを印象付けていましたね。
やっぱり、沢村一輝さんって、存在感のある役者さんです!


初音とともに岐阜へ船で向かう兼続。


まったく原作にはない展開でびっくりです。


というか、初音さんは、流浪の民「ノノウ」じゃないのかな?
「ノノウ」ってテレビ倫理上放映できない人たちなのかなとも思ったり?


でも長澤まさみさん、やっぱり可愛いから、許しちゃいます!



さて、兼続を取り巻くもう一人の『絶対美女』お船さん



雨宿りの小屋の二人・・・・
まだ少年の兼続にとって、じゃじゃ馬のお姉さんが生身の「女性」となった瞬間でした。


まさに、ベタな展開!
雨宿りでフォーリンラブとは、漫才のネタですよ〜(^^;
実際にこんなシチュエーションってありえないんですが(苦笑
ベタなだけにむしろ、安心して観ていられます


ちなみに、原作でもこのシーンはありません。。。
やっぱり常盤貴子さんには、「色っぽい雪国の人妻」であってほしいな〜。(ひたすら願望)



天下が織田信長を中心に、大きく転換していくその頃、
上杉家中では、新たな火種が燃え初めました。


上杉景虎と華姫の婚姻です。


華姫は上杉景勝の同母妹。
つまり景虎と景勝は義兄弟となったのです。

以前ご紹介したように、
上杉景虎(北条三郎)はイケメンの上に、性格も良く、上杉家中での人望はなかなかのものでした
また、景虎と華姫が、絵に描いたような「おしどり夫婦」で仲睦まじく、
更に、景勝、華姫の母、仙桃院も、この若い夫婦と二の丸で暮らすようになったため
北条の人質でしかなかった景虎の立場が、強くなってしまったのです。

もちろん、血統から考えれば当然、上杉謙信の甥っ子である景勝に家督が譲られるはずでした

しかし、景虎と華姫が仲睦まじい故に、直ぐに男子の子宝に恵まれてしまうのです
謙信と血縁関係のある孫、「道満丸」の誕生です。

美男美女の子供ゆえとても可愛く、仙桃院はこの孫をそれはそれは、いとおしんだそうです。

しかし、この幼い子供の存在が、後々の悲劇を産む要因となろうとは・・・(涙
子供には罪はないのに・・・・

と、先へ飛ばしすぎましたね。

「御館の乱」の前に、「手取川の戦い」です!
次回はそのプロローグのようですよ、楽しみです。






さて今回、ドラマで重要な鍵となった賢覧豪華な金屏風について
「勝手に補足」しちゃいます!


「上杉本洛中洛外図屏風」は、天地人紀行でも紹介されていましたように、
米沢上杉博物館に現存しています。

上杉家の記録「上杉家御年譜」に、天正2年(1574)3月、信長から謙信に贈られたと記載されており
以後米沢藩上杉家に代々伝えられた由緒ある屏風です
(平成7年に国宝指定)
筆者は桃山時代を代表する画家・狩野永徳です!

およそ2500人もの人物が、老若男女、身分、職業を問わず描かれており、
さらに動物、植物、名所、祭など、当時の風俗を知る意味でも大変価値ある屏風です。

足利将軍邸に向かう謙信の姿が描かれていることが判明したのは近年です。
当初は、謙信の力を恐れた信長の媚の表れだとされていました。

しかし、1573年に15代将軍足利義昭が織田信長によって京都から追放されている事実もあり
今回のドラマで取り上げられたように、信長から謙信への「脅迫状」だとする説もあります。

どちらにせよ、信長公は上杉謙信を恐れていた反面
天下布武のため、いつか必ず倒さねばならない相手であるとチャンスを虎視眈々と狙っていたことが
絢爛豪華な屏風から、読み取ることができます。


織田信長公は、力だけで圧倒するだけの戦国武将ではなく
硬軟併せ持った、したたかな政治家、戦略家でありました。



写真は「上杉本 洛中洛外図屏風」 左隻
四扇の下部に、御所と謙信らしき輿の絵が確認できます。


【拙文ながら参考記事!】
『風林火山第32回 「越後潜入」 』
*** 「風林火山」で宇佐美を好演されていた緒方拳さん・・・上手かったな・・・(合掌) 

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武田信玄、陣中にて病没す。

驚愕の情報がもたらされた岐阜城にて、



「風が吹いてきたな・・」


「天の時、地の利、人の和」


「いにしえよりこの3つが揃った武将だけが天下を収めることができると言われている」


「天地人」のタイトルテーマが、

なんと、織田信長の口から発せられました!
風雲急をつげる戦国の世を予感させるに充分の演出ではないでしょうか。



「殿の初恋」という茶番劇よりも、正直、このシーンが強烈だったです!



この「天地人」という言葉の由来は、

「輝虎(謙信)公曰く。
天の時、地の利に叶い、人の和とも整いたる大将というは、和漢両朝上古にだも聞こえず。
いわんや、末代なお有るべしとも覚えず。
もっともこの三事整うにおいては、弓矢も起こるべからず、敵対する者もなし」

という『北越軍談』の「謙信公語類」からの引用なんです。

原作では、タイトルバックとして紹介されているだけでなく、
関が原直前、直江兼続が親友石田三成の、性急で急進的な行動を諌める場面で使われています。


しかし、いきなり信長公に語らせるとは、大胆かつ効果的な演出ですね。


そう、信長公は、天の時、地の利に秀でていながら、人の和が不備であったため
天下統一を目前に本能寺で斃れたともいえます。

かといって、天下人となった秀吉と家康が、「天地人」すべてを叶えていたかといえば
大いに疑問であります


そして、「天地人」の主人公達、すなわち直江兼続と上杉景勝がどうだったかと思い描けば
彼らは決定的に「地の利」に見放されていたのです。

越後、会津、そして米沢と・・・・

彼らの目前には雪深く険しい山々がそそり立っていたのでした。


3回目のドラマの内容とは遠く離れてしまいましたが

「天の時、地の利に叶い、人の和とも整いたる大将」とは誰ぞや?


しばし熟考してしまった私なのでした。


さて、寄り道はこの辺にして


ドラマの内容について感想を・・・


今回より直江兼続の運命の女性、お船さんが登場しました。

しかし、正直・・・・

「う〜ん・・・」でした。


というのも、原作のお船さんは、
雪国越後のおなごらしく、控えめで夫への口出しはしないけれども
しかし芯の強さを秘めた、美しい人妻であったからです。


常盤貴子さんは、そういう女性を演じるにぴったりの女優さんなので
とても期待していたのですが、

なぜ、「じゃじゃ馬」なのでしょう?

ちょっとがっかりしました。


多分、童門冬二先生の「小説 直江兼続 北の王国」で描かれている
お船さんに近いんじゃないでしょうか。

私は、かなり以前、童門先生のこの小説を読んだのですが、
夫の行動に口出ししすぎる妻が、あんまりにも猛女すぎて、あんまり好きになれませんでした。

しかも、

大体、大河ドラマ、戦国時代のヒロインは、少女時代「おてんば、じゃじゃ馬」が定番じゃないですか?

ただ、それは京都や大阪、尾張など
開放的で明るい土地に生まれた女性ならではの「おてんば」なのです。


でも越後の物語なのだから、「雪国の女性」でいいんじゃないか、と私は思うのです。

私個人の好き嫌いではあるのですが、
常盤さんには、原作のお船さんのように、しっとりとした「越後の女性」を演じて欲しいなあ。


それと、兼続とお船さんは、母同士が姉妹という設定になっていたのが残念でした。

1回目の感想でも書きましたが、この設定は後年の粉飾とされていて史実ではないとされています

ドラマとはいえ、
上杉謙信の筆頭旗本である直江家のお満さん(満田久子さん)の華やかな暮らしぶりと
上田の坂戸城下で、病弱ながらも掘っ立て小屋のような家で、畑仕事と家事子育てをするお藤さん(田中美佐子さん)が姉妹というのは、やはり無理がありました。

でも、兼続とお船さんが幼馴染という設定のほうが
直江家の婿養子となる過程がよりドラマチックなので目をつぶるとしましょうか。



さてドラマの展開では、

お船さんに一目ぼれした景勝のために、
兼続がキューピット役を演じるも上手くいかなかった・・・という

想像していた通りのベタな展開でありました。


しかし、つらつら考えてみれば、「殿の初恋」も、あながちありえない話でもありません。

実は、景勝の、お船さんへに対する信頼は並大抵ではなく、
兼続が亡くなった後はお船さんに執政の一部を任せた記録も残されています。


上杉家筆頭旗本の娘・お船さんとは、当然面識もあったはずで
昔から景勝の永遠の憧れの女性だったのかもしれません。



そして、忘れてはいけないのが、ドラマの序盤で最も重要な人物の登場です!

上杉謙信のもうひとりの養子

上杉景虎です


「関東一の美少年」(史実)と賞賛された、
戦国時代一とも言われるイケメンを演じるのは、玉山鉄二君。


嫌味のない美青年ぶりで、いいんじゃないですか〜!


そして景虎の妻となる悲劇の姫君、華姫は、相武紗季さん。
美男美女カップルですね。


景虎と華姫はすごく難しい役だと思うので、若手の二人には精一杯演じて欲しいな、

「御館の乱」・・・!


景勝、兼続コンビですら、悪役になってりまった、どろどろの家督争い。

ドラマでは、そこまで踏み込んで描くことはないとは思いますので、
その回がきたら、個人的に補足説明をしたいな〜と思ってます


ということで


恒例の「勝手に補足コーナー」!ですが、

今回は、関東一の美少年、北条家からの養子、上杉景虎について
何故上杉家の養子に来たのか、書こうと思ったのですが・・・・


ついつい、好きな人物だけに長文になってしまい、5000字の壁に阻まれたため、
別記事としてUPします。


「御館の乱」へのプロローグとしてお読み頂ければ幸いです。


いよいよ次回は、
ノノウの初音さんが登場するようですね!
長澤まさみさんって大好きなんで、楽しみだなあ。

原作どおり、いよいよ樋口兼続は男になるのでしょうか・・・?!(@@; )


そろそろ弟の与七(小泉孝太郎さん)も登場して欲しい〜!


写真は、上杉謙信画像 @高野山清浄心院蔵
上杉家歴代の位牌所高野山清浄心院に伝わったもの。
画像上部には
「釈迦々葉、達磨大師も空なれば、和尚もなれも空ハ空なり」という伝自讃の書があります

謙信らしい、いい言葉ですね!


【参照記事!】

イメージ 1

いや〜・・・

2回目も面白かった!


今年の大河ドラマは、昨年の篤姫に引き続き、かなり期待してもいいのではないでしょうか!!


今回は、雲洞庵で修行を始める与六と、喜平次との心の交流、信頼感の芽生えを描きました。



とはいえ与六はまだ5歳のちび。
うちの息子と同じ年・・・

いくら利発とはいえそんな幼子に、母と離れて寺で修行しろといっても絶対無理。
うちの息子ならまず1日ともたないでしょう。


しかし、頑固な一面も持ち合わせる与六は、
修行仲間とも打ち解けもせず意地をはり、泣き言もいわず厳しい教えに従うのでした。


そんな与六を心配そうに見守る喜平次。
喜平次とて元来の無口さもあり、周囲になじむこともできず、孤独の中にいました。

喜平次は、上杉輝虎の後継者たる故に、
むやみに自分の感情を表にできないという決意もあったのでした。


ある冬の日、修行仲間との些細な喧嘩が発端となり、
与六は恋しい母の元へ帰るため、夜中に雪の中、雲洞庵から脱走します。

鈍感にみえて実は繊細でもあった喜平次は、その異変に直ぐ気がつき、北高全祝和尚に仔細を告げます


5歳の幼子が吹雪の夜半脱走したのです。
現代であれば、即刻警察沙汰でしょう。

しかし加藤武さん演じる北高全祝和尚は、喜平次へ

「与六を家臣としたいのかどうか、喜平次殿の決意次第だ」

「自分の思いを伝えなさい」

と応えるだけなのでした。


一方、与六は、吹雪の中必死に母の住む家へ辿りつきます。


お藤さんは、外の気配にすぐ気がつき、わが子が帰ってきたことに驚愕します

放っておけば凍死してしまうかもしれません。
なんといってもまだ5歳の幼子なのです。

しかし、北斗の宿命が母の心を鬼にしました。


「帰りなさい。そなたはもう母の子ではありません」



もし私なら、厳しい修行に耐え切れず雪の中逃げ帰った息子を絶対に手放すことなどないでしょう。

しかし、お藤さんは「宿命」にかけたのでした。


田中美佐子さん演じる母上さまは、優しさと強さとそして悲しみを見事に演じていらっしゃいましたね。


与六の泣き声を戸越しに聞きながら、声を殺してむせび泣く母の姿に

もう、涙が止まりませんでした。



しかし、与六と喜平次の北斗の宿命は、決して裏切ることがなかったのです。
母の拒絶に絶望し泣き続ける与六の眼前に、喜平次が現れたのでした!

(なぜ、喜平次に与六の実家が分かったのかは謎なのですが・・・汗)


「迎えに来た。ともに帰ろう」


喜平次の姿は、お藤さんにとっても救いでありました。
わが子を捨てたのではなく、喜平次様へお渡ししたのだ・・・・と。


「もう歩けぬ」と弱気の与六を、おぶって帰る若き主君。


喜平次は

「わしの側にいて欲しい」

素直に言葉で伝えます。
孤独な少年ふたりが、主従の関係、身分の違いを超えて、信頼しあった最初の瞬間でした!



正直、ベタでした。

修行寺から脱走⇒母の拒絶⇒友の迎え(しかも吹雪のなか)⇒信頼の構築


しかも、この展開、原作にはありません。
でも素直に感激しちゃいました。


特にこのドラマで大活躍の子役達の演技が、とにかく素晴らしい。

降りしきる雪のなかの野外ロケは、小さい子供達には辛いこともあったでしょうが
よく頑張ったね! 

与六役の加藤清史郎君、喜平次役の溝口琢矢君、
画面にむかって拍手でした。


今回で子役達の出演も終わりのようだけど、また観たい!


原作で「雲洞庵での大イワナ釣り」のエピソードってのがあります
これが、幼い与六と喜平次の、その後の主従関係や正確の違いがよくわかって面白いお話なんです。
(興味ある人、原作読もう!)

NHKさん。「イワナ釣り」のエピソードを子役達出演の回想シーンで再現してくださいませ!




そして、


時が流れ・・・・天正元年(1573年)


いよいよ、主役の妻夫木聡君の登場です。


のっけから、とにかく爽やかやぁ^^b


上杉謙信の居城・春日山へ、喜平次ともに移り住んだ与六。

ともに雲洞庵で学んだ景勝の近習、泉沢久秀とともに武田領の川中島へ偵察へ出かけます。


直江兼続とともに上杉家を守る大黒柱となる泉沢久秀を演じるのは、東幹久さん。

ちょ〜っと年とってるな・・。
でも気持ちは若い俳優さんだし、硬軟併せ持つ泉沢にはぴったりかも。


ただし原作だと、武田領へ偵察へ行くのは、兼続と実弟の与七。
そしてそこで、謎の美女、ノノウの初音さんに出会うのだけど・・・?

・・・

今回はお預けのようですね。

初音さん(もちろん架空の人物)を演じるのは長澤まさみさん。
「功名が辻」と同様、コケティッシュな忍び役。楽しみです。


ところで、天正元年(1573年)といえば、教科書で習ったのは


「室町幕府の滅亡」


そうです。15代将軍足利義昭が織田信長に追放され、室町幕府の滅亡した年です。

戦国時代が終わり、安土桃山という新しい時代の幕開けでした。
この時代を司るのが、織田信長と豊臣秀吉。


このとき、樋口与六(直江兼続)は14歳。
上杉景勝は、19歳の青年に成長していました。



思うに、安土桃山時代という絢爛豪華、国際色豊かな時代は
直江兼続という男の魅力を引き出す最高の舞台だったんです。


端正な容姿と深い教養、そして武勇の誉れも高き上杉家のNO.2の若き執政官。


しかし、直江の本当の魅力は、そんな華やかな時代にあっても
われを失わず、義と愛という古めかしい信条に、愚直なまでに従い生きたことです



ふと思い出します



ずいぶん前、報道ステーションへ出演した妻夫木君が、
古館一郎の「彼女(優香)とのお付き合い順調ですか?」という突然の質問に対して

生放送だというのに、

「はい。順調です」と堂々と答えていた、あの姿が

まっ正直で不器用でもあった、直江兼続と重なります。



妻夫木君にとって直江兼続は、間違いなくまり役になる!と私はここで断言します。



それと個人的な意見で、反論もあるかもしれませんが、

吉川晃司さん演じる信長公は、私のかなり「ツボ」なんです!

信長公は、若かりし頃は「尾張の大うつけ」と呼ばれた野性味のある男性なんです。

そして私の勝手な想像なんですが、運動神経は抜群だったんじゃないかと。
(機敏な判断、決断、迅速な実行力などは、運動能力の良さを想像させてくれます)

ワイルドで機敏な身のこなし、鋭い眼光・・・吉川晃司さん、はまっているのです。


「天地人」での信長公は、上杉に敵対する天魔王として、間違いなくヒール扱いでしょうが、
信長ファンから見ても、そんなハンディを感じさせない、魅力にあふれています。


「篤姫」や「新選組!」など、キャストがはまれば、ドラマは絶対に面白い。
吉川・信長公と、阿部・謙信公の天才ライバル対決に、大いに期待したいです。



と、、ここで「勝手に補足コーナー」です。


直江兼続の実家、樋口家について。

実は、樋口家、

長尾家中では家格は低いけれども、由緒ある古い家柄なんです


遠祖は、木曽義仲の四天王の一人、樋口次郎兼光とされています


樋口次郎兼光は木曽の豪族で、木曽義仲とは乳兄弟。
また義仲の愛人、巴御前も一族の女性でありました。

一時は京において「朝日将軍」と名乗った木曽義仲でしたが、
源義経の追討で敗北し、義仲と兼光は斬首されてしまいます

しかし、兼光の子、樋口光信は、主君、木曽義仲の首を盗み出し、赤城山に埋葬したといわれています
忠義あつい家柄であったのでした。

しかし敗者の末路は哀れなもの。

樋口家郎党はひっそりと上野国に隠れ住んだといわれます。

しかし転機が訪れます。
永享10年(1438)、関東管領・上杉憲実と、鎌倉公方・足利持氏との間で権力闘争が始まります。
いわゆる、「永享の乱」です。

このとき、上杉憲実の重臣であった長尾実景へ加勢したのが、樋口一族でした。
それから、樋口家は代々、長尾家に仕えることになったのです。

室町時代に長尾家が越後上田庄の「坂戸城」に入ったとき樋口家も上田庄へと移り住み
一族は、上田衆の一員として長尾家への忠勤に励みます。


直江兼続の父、樋口惣右衛門は、遠祖兼光から数えて15代目の当主となります。

半農のしがない下級武士ではありましたが、
算段上手で機を見るに敏であった実父を、直江兼続は生涯、尊敬しておりました。

大成して後の、兼続の見事な領地経営と農政改革は、樋口惣右衛門の背中を見て育った故でしょう。


兼続が登場するまで、これという目だった功績もない家柄でしたが、
主君・木曾義仲の首を守った祖先の忠義心と誇りは、代々受け継がれてきたのでした。


愛と義を信条とした直江兼続は、上杉謙信と景勝からの薫陶だけでなく
樋口家への誇りというバックボーンがあったことは、想像に難くありません。


さて次回は、船さんと運命の出会いがありそうです
しかもタイトルは「殿の初恋」・・・ 

多分、定番のベタな展開なんででしょうね〜(苦笑。
楽しめそうです!

PS
長〜い感想文となりました。 面白いのでつい・・!
最後までお読み頂き感謝です。


【拙文ですが・・参考記事!】
『「関東管領」の起源と終焉』(「永享の乱」等)

写真は、坂戸城図

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