|
これはもう一言。 ですね!!! 明日(6/3放送分)、清盛と私も「叔父上〜」と叫んでいるでしょう。 前々回あたりからのドラマの盛り上がりったら! 毎回、涙、涙の保元の乱。明日も号泣間違いないでしょう。 ほんと、視聴率なんて気にせず、NHKはコアなファンを信じてこの路線のままつっぱしって欲しいです。 「平清盛」素晴らしい。いい作品ですよ。 とはいえ、ブログのほうは、またまた2週遅れの感想。 (息子の運動会やら大飯原発再稼動や、小沢さん事で、ばたばた続き・・・) 今更感満載ですが、いままでの内容を復習するつもりでお読み頂ければ嬉しいです。 鳥羽法皇崩御の後、京の街は戦の前兆にざわめき立っていまた。 崇徳上皇と後白河天皇の戦は公然となり、貴族も武士もどちらにつくか、 厳しい選択を迫られていました。 権力の座から失脚した左大臣・藤原頼長は、崇徳上皇に接近し 院宣を大義名分にすれば、我らに勝ち目はあると説得します しかし信西はそんな頼長の動きを察知し、先手必勝とばかり二人に謀反の疑いをかけ、 武士たちに帝をお守りせよと発令します。 平家一門でも意見が交わされます。 清盛は中立を保ちつつしばらく様子をみて、平家の恩賞を吊り上げる作戦を取ると発言。 この合理主義が実に清盛らしいのですが、異母弟の頼盛はそんな清盛の不遜さが気に入りません。 AAAの西島隆弘君、演技がうまいですよね!! 以前、NHKの青春ドラマに出演していたのを見たことがあるのですが、 その時も上手いな〜思ったものです。 ところが意外にも、叔父の忠正は、清盛の方針に異議を唱えません。 いつも清盛の行動や言動に注文をつけるのに。 平家貞が、そんな忠正の心を見透かすように「お静かですな」と問いかけます。 長年、忠盛の元で供に忠勤に励んだ仲。 「家貞殿にはお見通しですな。もし兄上が存命なら、清盛と同じこと事を言ったと思うて・・・」 家貞も忠正も、清盛の棟梁としての成長ぶりに、目を細めるのでした。 もうこの時点で、豊原功補さん演じる忠正の渋さにノックアウトです〜! 誰よりも平家を思う忠正と家貞。 あうんの呼吸がまた、いいではありませんか。 一方源氏は、恐れていたことが現実となりました。 義朝は、坂東武士を引き連れて天皇側に、 そして父、為義は息子らとともに上皇側についたのです 父と子が別れて戦うことが決定的となりました。 家人の鎌田通清に、親子で闘う事は避けて欲しいと懇願されても、 為義は「もはや息子を止めることはできない」と悟った表情。 しかし、義朝の乳兄弟である鎌田正清には、「義朝のところへ戻ってよい」」と言葉をかけるのでした。 そのこと、義為の元へ、荒武者として名高い鎮西八郎・源為朝がはせ参じます。 一騎当千の剛の武者が上皇側についたことで、合戦の行方はさらに混沌としたものとなりました。 上皇、天皇側とも最も気にかかるのは、平清盛の決断。 番犬程度にしか考えていなかった武士の存在が、此処へ来て益々クローズアップしてきました。 決戦の二日前、後白河天皇は清盛を自邸に招き、二人だけの密談を始めます。 後白河天皇は清盛の策略を見透かし、たとえ恩賞をつり上げても、武士は公卿になどなれぬ。 武士はいつまでも番犬じゃと断言し、ならば恩賞など充てにせず、サイコロでもふって どちらにつくが決断すればいい、と清盛を挑発します。 清盛は不敵な笑みを返し、「この戦必ず勝ちます。貴方様にも」と応えるのでした。 松田翔太君の後白河もいいですね〜。 今様狂いなれど政治力にすぐれ、腹黒の後白河に成りきっています。 篤姫の時の、純粋な家茂とは真逆の人物なのに、さすが血は争えません。本当に上手い! そしてこの二人の密談をこっそり立ち聞きしていたのが信西。 信西は、傀儡として即位させた後白河の、思わぬ一面に表情は堅くなっていました。 阿部サダヲさんの、押さえたもまた素晴らしい。 清盛は後白河天皇との直接対談で、天皇側につくことを決めました。 それは、後白河が最も冷静に現状を分析し、武士の力を理解していると判断したからです 「平家一門は揃って天皇につく」 棟梁の命令は絶対です とはいえ、一門には清盛と後白河の、相手を食ったような会話の意味が伝わりません。 異母弟の頼盛は、そんな兄への不信がぬぐえず、 側近を引き連れて、上皇側へ寝返ることを密かに決めていました。 母・池禅尼が必死に引き止めるものの、「私は家盛の兄上のようになりたくない」と耳を貸しません。 そして決戦当日。 源義朝の屋敷では、合戦に備えて、正妻・由良姫の元に身を寄せる常盤からも 「父子が殺しあうなど」と諌められるも、由良姫は正妻として「存分のお働きを」と夫を励まします。 源為義の屋敷では、為義の計らいで、鎌田親子は二人きりで話あいます。 「親子共々、手のかかる殿にお使いしたの」と父は息子を義朝の元へと送りだしたのです〔涙・・ そして平家では、頼盛の寝返りを見抜いた叔父・忠正が、 「断じて、上皇側につくことはならぬ」と頼盛を諌めます。 忠正は、兄弟が敵味方に分かれることで、平家が分裂することを危惧していました。 「そのようなことになれば、兄上(忠盛)が悲しまれる」 「棟梁の言葉に従うのじゃ」 転じて六波羅の清盛の屋敷では、平家揃っての出陣の時を迎えていました。 ところが頼盛とともにくるはずの忠正が着ません。 忠正は、頼盛の代わりに崇徳上皇方についたのです。 衝撃を受ける清盛に対して、家貞は、長年の友・忠正の行動を理解します 「忠正殿は、いつでも平家の事をお考えだ。平家を守るために上皇側へついたのだ」と。 兄弟による平家の分裂を回避し、また、上皇側が勝利したとき平家を守るために、 平忠正は捨石となる覚悟で、上皇についたのです。 清盛はそれでも「平家は一門あっての平家。平家の絆を守らねばならぬ」と 急いで忠正を引きとめようとしますが 頼盛は「叔父上は、兄上はそうおっしゃるだろうと見透かされ・・・こう伝言されました。」 「清盛、お前とわしとの間に絆などはなっからないわ」 うわっつらの絆などでない、本当の信頼関係。 平家を守るためなら、命も惜しまない。 上皇側に参陣した平忠正の顔は、意外にも晴れ晴れしいものでした。 敵味方に別れたけれども、目的は同じ。 清盛と供に平家を守ることを決断した、男の命がけの覚悟なのです。 平忠正さん。も〜かっこよすぎです。渋すぎます〜〜。 もう一度叫びたい 「叔父上〜〜〜〜!!」 清盛も、義朝も天皇の陣屋である高松殿へ惨状します ともに身内と敵対する痛みをかかえながら「保元の乱」の火蓋がきっておとされたのです。 【ちょこっと解説】 平忠正は、忠盛の弟。清盛の叔父。 今回の大河ドラマでは、むっちゃカッコイイ叔父上として描かれていますが、 小説等では、「小心者で強欲の叔父」扱いが多かったです 義朝と義為の父子の戦闘と涙の別れは情緒たっぷりに描かれていることを思えば 保元の乱における清盛とその一門の物語の扱いは、あっさりしたものです。 保元の乱の戦後処理で、清盛は叔父をさっさと処刑することで 父と兄弟の命を嘆願した義朝の願いを跳ね除ける環境を作ったとも言われています。 しかし、清盛も人の子です。 最下層貴族の武士の一族として、ともに暮らし、ともに闘った叔父を処刑して 涙をながさなかったわけなどありません。 そういう意味で今回のドラマは、平忠正だけでなく、清盛の一門への強い思いを知り 清盛のイメージチェンジとなるいい機会となったのではないでしょうか。 尚、史実として伝わる平忠正は、当初、兄・忠盛とともに白河法皇に仕え、 元永2年(1119年)、生まれたばかりの顕仁親王(後の崇徳天皇)の御監に任じられた。 その後、馬寮の次官である右馬助となるが、長承2年(1133年)、鳥羽上皇により勘当さたといいます。 何のヘマをやらかしたんでしょうね。 その後は朝廷とは疎遠となり、源義為と同様、摂関家の家人となります。 頼長の家司職事も勤めていた事もあり、平家というより実質摂関家の郎党であったといえます。 そのため保元の乱では、当然ながら手勢を率いて頼長と共に宇治から状況し、上皇側につきます・ 敗北後、伊勢に逃亡するも、甥の清盛を頼って子の長盛、忠綱、正綱、通正を伴い投降したが、 27日に罪名宣旨が下り、翌28日、六波羅で清盛の手によって処刑されました。 【参考記事】 |
大河ドラマ「平清盛」
[ リスト | 詳細 ]
|
鳥羽と崇徳・・・ 哀しすぎます。美しすぎます。 信西の画策により帝位についた後白河。 乳父の信西の発言力は、宮廷にあって飛ぶ鳥落とす勢いとなりました。 予期せぬ結果に清盛は、なぜ父子の争いを増長させるのかと咎めます。 信西は「だれが即位しようと争いは避けられぬ」と野心をむき出しにするのでした。 崇徳は鳥羽に再び裏切られたことに激怒し怨みを積もらせます 一方鳥羽院も、自責の念にかられて苦しみの中にいました。 そのころ、近衛が夭折したのは、藤原頼長の呪詛によるものだといいう風聞が流れます。 後白河の宮廷からはずされた藤原頼長は、再起の機会を伺っていたものの、 この風聞で失脚の淵に立たされてしまいます。 宗の密貿易で、頼長に献上されたオウムが効果的ですね。 誇り高き摂関家の氏の長者、左大臣頼長が、決して人前では吐かない怨み事を代弁させ、 その凋落振りを際立たせていました。 頼長最期の時も、このオウムが登場しそうな予感です。 そのころ平家一門に一輪の花が登場します。 時子の異母妹・滋子です。 もうネタバレさせちゃいますが、滋子は後の建春門院。 その類稀な美貌と聡明さで、後白河院の寵愛を最もうけた女御です。 美女の登場に沸き立つ一門。 成海璃子さんが個性的な滋子を演じるようですね。これも楽しみです 清盛は母・池禅尼を訪ね、鳥羽法皇と崇徳上皇を和解させることが、自分の使命だと伝えます。 血の繋がらない父子であっても、必ず本物の父子になれるはずだ。自分と忠盛のように。。 池禅尼は、清盛の気持ちを嬉しいと思う反面、いくばかりかの不安を感じていました。 一方、朝廷内の権力闘争は、源氏一門の内部分裂を決定的にしました。 源為義と義朝の父子の対立はもはや修復不可能となったのです 義朝は、武力でもって源氏の棟梁の証「友切」を略奪します。 東国に下っていた異母弟の義賢に、長男の義平を差し向け、それを滅ぼしたのでした。 叔父を殺した義平は、それ以後畏怖の念をもって「悪源太」と呼ばれるようになります。 小日向さん演じる為義が哀れに見えます。 実の父子でありながら、その心は離れていくばかり。 父子で源氏の再興を誓い励ましあってきた仲良し親子が何故、このような・・・。 為義の忠臣で義朝のよき相談相手であった鎌田通清と、その息子・正清が、義朝を諌めますが、 もはや聞く耳をもちません。 この後、鎌田親子にも、壮絶なドラマと別れが待ち受けています。 涙なしには観れないでしょうね・・・ 1155年10月、後白河帝が正式に即位。 即位の宴の席に、崇徳上皇から祝いの歌が届けられます。 一見普通の歌にみえて、実は新しい帝への憎しみが暗号のように込められていることを 見抜いた後白河は、暴れだします。 新たな紛争の火種に戦慄する鳥羽は、この即位は無効じゃ、声をだしますが、 後白河は「今は我世」とつめたい視線を投げかけるだけでした。 後白河の真の姿をそこに見出した鳥羽は、自責と苦悩のあまり病に臥せってしまいます。 清盛が見舞いに訪れると、父と子が和解する写経をする鳥羽の姿。 そこには「是我子也」の文字。 鳥羽の贖罪の想いを伝えるために、写経をもって崇徳を訪ねて、父子の和解を勧める清盛。 しかし何もかもに絶望した崇徳は、清盛の目前で写経を破り捨ててしまうのでした。 翌年、鳥羽の病は益々悪化し、都では崇徳挙兵の噂が流れるようになりました。 信西は都中の武士に鳥羽法皇に忠誠を誓うための誓紙を出すように命じ、 源義朝も率先して署名します。 鳥羽と崇徳の和解を実現さえたいと願う清盛は、誓詞への署名を拒みます。 そんな不安にあって池禅尼は、信頼する忠正に、 「いざというときは亡き忠盛の志を守ってくだされ」と頼んむのでした。 はっとする忠正。 これが何を意味するのか? 忠正の決意が何なのか? 豊原功補さん・・・カッコイイなあ。 無口で不器用だけど、平家の事を、清盛の事を実は愛して止まない叔父上。 シブすぎます〜。 事態が悪化する中、信西が誓詞を書かない清盛を訪ねます。 信西にとって、平氏一門が崇徳側につくことを危惧していたのです。事実その可能性は高かった。 「世の流れは、天下大乱。今自分が守るべきものは何なのか、じっくり考えなされ」 信西の言葉に清盛も、もはや理想だけでは事は解決しないことを悟るのでした。 そして7月、鳥羽法皇、危篤。 崇徳は最期の別れのため、我を忘れて駆けつけます しかし門前で崇徳の面会を拒否する武士の先頭にたっていたのは、清盛。 清盛は家族や一門を守るために、誓詞に署名をしたのでした。 打ちひしがれ、絶望の雨に打たれる崇徳の前に、同じく濡れそぼった藤原頼長の姿。 なんて萌えなシーンなんでしょう。 鳥羽は美福門院に看取られ崩御されます。 その枕元には、美福門院の愛の証の大量の菊の花・・・ 最期に美福門院への感謝の言葉を伝えていたけれど、 崇徳への想いも語って欲しかった。 そして欲を言えば、賢待門院を象徴する水仙の花一輪でもあればと。 鳥羽の崩御により、天下大乱、即ち、保元の乱へと突き進んでいくのです。 よ〜っく考えれば、 アラタさんの崇徳、山本耕史さんの藤原頼長、そして、豊原功補さんの平忠正。 私が贔屓にしている登場人物はすべて上皇側の人たちです。 保元の乱が終わるともう会えないのね。 そう思うと寂しい気持ちになりますが、皆さんの熱意籠もった迫真の演技を大いに期待したいです ちなみに、鳥羽院が崇徳をないがしろにしたことを後悔していた、というのは事実です 近衛帝の生前、病弱な近衛の代わりに、 美福門院と関白・藤原忠通が、雅仁の息子・守仁擁立を強く鳥羽に勧めたが、 それを退けた経緯があります。 それは、崇徳を遠ざけた負い目があり、鳥羽は崇徳の息子・重仁即位に心を動かしていたと 考えられています。 もしこの時、鳥羽が周りの雑音に耳をかさず、重仁を即位させていれば、 保元の乱は回避できたかもしれません。 しかし、誰が即位したとしても武士の台頭を止めることは出来なかったでしょう。 |
|
平清盛 第18回、 2週間遅れの更新となりました。 順序を追ってドラマを追いかけたいので、「今更」感はあるのですが、感想UPします (皆様、覚えていらっしゃるかしら??) 1154年、近衛天皇の容体がますます悪化し、とうとう目が見えなくなってしまいます 美福門院得子は、一心不乱に祈祷します。 しかし、誰がみても近衛の重体は明らかでした。 鳥羽院は、わが子の病魔は、「叔父子」と崇徳院を忌み嫌い遠ざけた報いではないかと、苦悩します。 世は、近衛亡き後の政治情勢に関心が高まり、貴族のみならず、平氏や源氏一門でも 様々な憶測によるさざなみが立ち始めていました。 そんな折り、平家と鳥羽院の仲介役として奔走してくれた、藤原家成が病に伏せます。 お見舞いに訪れた清盛に対し、家成はわが子達の行く末を頼み、 そして鳥羽院を守って欲しいと懇願するのでした。 平清盛の存在感は、それだけ大きくなっているのです。 その後、清盛は崇徳院に招かれます。 近衛天皇が死去した後、重仁親王が天皇となり、自分が実権を持つ日も近いと考え、 清盛に力を貸すよう説得するためでした。 しかし、清盛は「平氏は鳥羽院に深い忠義を誓っている」と崇徳の申し出をきっぱりと断ります。 ショックを受ける崇徳院。 以前、佐藤義清(西行)が去って失望の淵にいた崇徳を「辛抱すれば、必ず面白き時がくる」と 励ました清盛の言葉を、崇徳は心の支えとして苦節を忍んできたのです。 清盛は崇徳の思いを受け止め、何かできないかと考えるのでした。 ここ最近のアラタさん演じる崇徳院の、感情表現が切なすぎて・・・ 崇徳さんが登場するたびに、萌え〜としてしまいます。 保元の乱の結末はわかっているのだけに、あまりに哀しい生き様に胸が痛みます。 乱れきった朝廷にあって、唯一といっていいほどの良識人で性格も真面目で優しい。 「叔父子」と呼ばれ、鳥羽の実子ではないかにように吹聴されていますが、 史実的には、鳥羽の実子、しかも長男だろうといわれています。 それだけに、余計に哀しい・・・ アラタさんがその切なさを余すことなく演じてくださってて・・・すっかりファンです。 崇徳が清盛に助力を懇願する姿を目撃した雅仁は、 「兄上も落ちぶれたものだ」と落胆します。 雅仁は自分が皇位継承の蚊帳の外に居ることに傷ついていたのでした。 しかし天邪鬼の性格ゆえに無関心を装っているけれども、自分のそんな姿にもまた傷ついているのです。 美濃の青墓宿へ旅立ったのは、そんな苛立ちの中でした。 そこで美しき今様を歌う白拍子に出会います。かつての祇園女御でした。 祇園女御の旋律に心揺さぶられた雅仁は、今まで口にしたことのない自分の思いを吐露します 「私は誰からも相手にされない、生まれてきた価値のない人間だ」と。 祇園女御は、あなたのうちに秘めた力がやがて世を動かす、と予言めいた言葉をかけるのでした。 松田聖子、なぜが再登場。 「遊びをせんとや生まれけむ」松田翔太君の歌の上手さにびっくり。 後白河の美しくかつ怪しい雰囲気を上手く演じていらっしゃいます。 清盛よりも後白河のほうが「遊びをせんとや生まれけむ」ですね! 近衛天皇はついに17歳の若さで崩御されました。 平氏一門が鳥羽、崇徳どちらに付くか、激論する中、 清盛はこのことは鳥羽院と崇徳院の和解のきっかけにすると力強く宣言します。 一門も、清盛の発送と力強い言葉に、自然と従う雰囲気となっていました。 一方、公卿達も動揺していました。 当然、左大臣・藤原頼長の行動や言動に注目が集まるはずだったのですが、 数日前、妻を亡くし喪に服していた頼長は、「不吉である」と殿上を許されず、 次の皇位継承者を決定する会議に出席できませんでした。 これは、藤原頼長の性格を知りぬいた、信西の策略だったのです。 規則伝統にうるさい頼長は、喪中ゆえ昇殿できぬ、と告げられれば必ず納得すると踏んでいましたし 事実、その通りとなりました。 かつして、時期天皇を選ぶ会議を取り仕切るのは、信西と、藤原忠通となったのでした。 筋としては、崇徳の長子・重仁が順当でした。 しかし、重仁が即位すれば藤原忠通の失脚は目に見えてます。会議は平行線を辿るのでした。 その時鳥羽院は、「朕は崇徳に皇位を譲りたい。今までの怨念を許してもらい、父子二人で 政がしたい。」と思わぬ発言をします。 この場面は泣けましたね! 鳥羽も、崇徳を愛したかったのです。だって崇徳はずっと父の愛を求めていたのですから・・ しかし信西が、それは甘いと一括。 争いを避けるために、鳥羽が操りやすい人物を皇位にすべきだと進言。 そして、誰も予期しなかった人物、すなわち雅仁が即位しるとことになりました。 後白河帝の誕生です。 これはすべて信西の組んだストーリーでした。 (史実でもそうです) そして「争いを避けるため」といいながらも、「争いをしかける」きっかけにしたのです。 大変な策略家でした。 しかしその信西も予想しなかったのが、後白河の腹芸。
保元の乱を仕掛けた信西は、しかし保元の後、策におぼれて自滅していくのです。 阿部サダヲさんの演じる信西の栄華と失墜、楽しみですね。 |
|
平清盛、第二ステージの始まりです BIGダディ忠盛が亡くなり、生前、棟梁の後継指名された清盛は 忠盛の館に移り住み一門を集めて、棟梁の就任宣言をします。 「亡き父上の固き志を継ぎ、武士が頂きとなる世を目指す」 莫大な所領と財産を所有する平家は、 朝廷にとっても無視すること出来ない大きな存在、当然その新棟梁に注目が集まっていました。 しかし、棟梁の仕事は複雑多岐、 清盛はその重圧にイライラを募らせていました。 一方、棟梁の奥を束ねる時子は、出家して池禅尼となった宗子の心配もよそに 悠々自適、マイペースを崩しません。 棟梁就任祝の宴での膳の数を過った上に、琵琶の演奏を頼まれても 「私は琵琶は止めました」と断わる始末。 さらに藤原家成が、自身の別邸で催す歌会で「春」を題材に清盛に一首詠むよう依頼され、 歌が苦手な清盛のストレスが募るばかりでした。 清盛と先妻・明子の息子達、重盛、基盛も健やかに成長し、 元服して一門の座に並ぶようになっていました。 その前途明るい姿に、時子の弟・時忠が、正妻の子の清三郎に、 「お前は父から捨てられる」とひねた言葉をかけます・・・本当に酷い奴です。 心傷ついた清三郎が、学問の稽古を怠ける姿に、清盛は妻に言っては成らない暴言を吐きます。 「明子なら棟梁の妻として、もっと上手く務めてくれたはずだ。」 深く傷つく時子。 時忠は、自分が清三郎にいらぬことを告げたと告白。(あんまり悪びれてないぞ・・) しかし姉の事は清盛よりも分かる、琵琶を止めた理由が、清盛が「耳に残る明子の琵琶の音色をかき消されたくない」と言ったことを守っているからだと告げます。 清盛も棟梁になったストレスを時子にぶつけたことに気づき、深く反省するのでした。 そして、歌会の日。 病に倒れた若き近衛帝のその後を思案し策謀渦巻く歌会は静に粛々と進みます。 そして注目の清盛の歌の出番となり、清盛の歌が披露されます。 「重盛に 基盛それに 清三郎 清四郎みな われらの子なり」 歌のルールも、春のお題も無視した歌に一同唖然とします。 しかし清盛は臆することなく、妻は自分の春であると、そして家族や一門を守る所存だと 力強く宣言し、喧嘩した妻にあやまりたいから、早く帰りたいと帰宅してしまうのです。 清盛にとって、歌会など無用の長物。 そんな俗物に惑わされイライラして家族を傷つけることのほうが、無駄と言うことなのでしょう。 帰宅すると、重盛、基盛に「実母が亡くなった日に、時子が弾いてくれた琵琶をもう一度聴きたい」と 乞われて、時子は子供たちの前で琵琶を弾いていました。 重盛、基盛は父の姿を見ると、眼前に立ち、 「実母亡き後、ここまで成長できたのは母上(時子)のお陰。傷つけることは父でも許さない」と 父を諌めます。 子らの成長に目を細めた清盛は、時子に 「お前の琵琶は明子とは違う。また弾いてくれ」と一緒に時子の琵琶に耳を傾けるのでした。 史実でも清盛の家族への愛は本物です。 そして時子が先妻の遺児や、側室の子らのに向けた愛情も深いものでした。 一方、源氏は家族の亀裂は抜き差しならぬ状況に陥っていました。 義朝は、常盤御前にのめりこみ、正妻・由良姫と嫡子・鬼武者を顧みなくなりました。 鬼武者(頼朝)はそんな母の寂しげな姿に心を痛めます。 また、為義も義朝の異母弟・義賢に源氏に代々伝わる太刀・友切を授け、 東国に行き、義朝に対抗できる力をつけろと命じます。 「友切」を授けたということは源氏の棟梁指名と同じことです。 義朝は源氏の長の証である名刀・友切が弟に与えられたと知り、為義に詰め寄ります。 すると為義は、父の誇りを踏みにじる義朝に源氏を背負わせることはできないと断言し、 父子は袂を分かちます。 そして、近衛帝の容態の悪化と共に朝廷も権力闘争の坩堝となり、 源氏も平氏もいやおうなく身内を巻き込んでいくことになるのでした。 いやはや、清盛の暴言、ドラマとは言え、私も怒りました。 あれは絶対に言ってはいけない言葉です。 現代なら、離婚問題に発展してもおかしくないでしょう。 棟梁になってちょっと落ち着いて欲しい・・・清盛君です(汗 次回は後白河帝の誕生ですね! 信西さんの策略、独演場、楽しみにしたいです。 【拙文参照ください】 |
|
あ〜っという間に週末を迎えてしまいました・・・(汗 もう、今夜17回放映されるし、ヤバイ。 ということで、16回の感想を急ぎUPします!! 1151年、高野山再建の功績で、清盛は安芸の守を命じられます。 一国を任せられるまでに清盛の存在は大きくなっていました。 BIGダデイ・忠盛が体調不良で寝込んだのは、 清盛が国司として安芸国に入り、新たな「おもしろき」事への期待に高揚している時でした。 忠盛は病の床で、清盛の実母・舞子と生前交わした言葉「何のために剣を振るうのか」を 自らに問いかける日々でした。 一方、朝廷では藤原摂関家の内紛は益々苛烈となってきました。 藤原忠実は、露骨に次男の左大臣・頼長の後盾となり、長男・忠通を摂政職から追い落とそうとし その謀略に源為義らを利用していました。 1150年9月26日、忠実は、源為義・源頼賢らに命じて摂関家の正邸である東三条殿や 宝物の朱器台盤を接収し、氏長者の地位を剥奪して頼長に与え、忠通を義絶します。 また頼長に無礼を働いたといの言いがかりで、源為義へ藤原家成邸への襲撃も命じます。 摂関家にいいように利用され、強盗まがいの行動を続ける父の姿に、 「武士の誇りを忘れたのか」と詰め寄る義朝。 しかし為義は、「地をはいつくばってでも、源氏の力を伸ばしたい。それがわしのやり方だ」と 聞く耳をもちません。 為義も摂関家に取り入り勢力を伸ばすことで、いつか武士の国を造る野心を持ち続けていたのです。 しかし、若い義朝には摂関の犬としか映らず、 父との亀裂に悩む義朝は、常盤御前に安らぎを求めるのでした。 藤原頼長による家成邸襲撃に激怒した鳥羽は、仕返しのため、平家に頼長邸を襲えと命令してきました。 しかし、清盛は「そのようなことに、我太刀を使いたくない」と反対し、 忠盛もまた「平家は武士の世をつくるために働く」と鳥羽の命令を拒否します。 公卿の地位を餌に、人道外れた行為を教養する朝廷への抵抗宣言でもありました。 この一件でふっきれたのか、 忠盛は一門を集めて、遺言を伝えました。 清盛以下4人の息子たちに形見分けを行ったうえ、 次期棟梁は清盛だと正式に指名したのです。 清盛は再び安芸へ旅立ちました。 父・忠盛は後から追いかけると言い、清盛も安芸での父との再会を約束するのです。 しかし一行を見送った後に、疲れからかふらつく忠盛。 そんな夫を支える正妻・宗子。いつも側にいて支えてくれた妻。 忠盛は「いつも感謝の思いでいっぱいだ」と妻へねぎらいの言葉をかけ、 宗子もまた「そのような事を言われるのは初めてだ」と答えます。 夫婦で歩んできた日々を愛おしむかのように・・・ その後、 安芸の海でまどろむ清盛の前に、突然父が現われます。 そして清盛と剣を交え「強うなった」と目を細め、そのまま消えてしまいました。 それは、忠盛の魂だったのでしょう。 1153年1月15日、忠盛は世を去りました。 忠盛が清盛や武士に残した功績ははかりしれないものがあったのです。 中井貴一さん演じる忠盛は、平家の礎を築いた人物として、その重厚な演技が光りました。 ただ、死ぬまで思い人・舞子を思い続けるってのは、やはり正妻・宗子さんには残酷だったでしょうね。 しかも「感謝している」の一言で終わり、とは。 和久井映見さん演じる宗子さんが、終始寂しそうなのも理解できますね。 宗子さんとの夫婦愛をもっと描いてほしかったかな。 それと、やはり早世した実子・家盛についても、なんかの言葉が欲しかったですね。 家盛の死を乗り越えての、清盛への棟梁指名だったのですから。 ただ、最後、父の魂が安芸に現われたシーンは良かったと思います。 父はいつでもそなたの側におるぞ、というメッセージが聞こえてきましたね〜。 BIGダディ、忠盛さん、お疲れ様でした! 【ちょこっと解説】 朱器台盤(しゅきだいばん) 藤原氏の家宝として歴代藤氏長者に継承されてきた朱塗りの什器のこと。
正月の大臣大饗の際に用いた。 諸記録によれば、大饗の際に用いた朱器(朱塗りの食器・酒器)が長櫃4台に納められ、 また朱器を置くための台盤が大きな物が5つありそれを含めて27個存在したとされているが、 散逸してしまった。 |




