|
家盛君・・・! 冒頭から涙、涙の回でした。 史実の家盛は熊野詣の帰路、病で亡くなるのですが どうやら、ドラマでは朦朧とした意識のまま落馬してそのまま亡くなってしまったようです。 和久井映見さん演じる宗子さんの迫真の演技。 息子の死を受け入れられない母の哀しみ憤りを、凄まじい迫力で演じていらっしゃいました。 愛する弟の悲報を聞いて飛びこんできた清盛に 「触るでない!」と 鬼の形相で拒否する宗子。 「お前が祇園闘乱事件で神輿に矢を射た天罰で、家盛は死んだんだ! お前は平家に禍をもたらす。清盛、お前が死ねばよかったんだ」と 怒りをぶつける叔父・忠正。 清盛は兄弟の思い出のつまった桜の木をみつめ、落ち込む日々でした。 「何もかもが大げさな兄上が苦手だが、家盛兄上の最後の言葉は”兄上”だった」と 伝えにきた頼盛もまた、父母を同じにする唯一の兄を亡くした哀しみを抱いていたのです 頼盛君、どこかで見た顔だな・・と思っていたら AAAの西島隆弘君じゃありませんか。 西島君って何気に演技上手いから、是は楽しみと思った次第。 喪が明けて実の息子を亡くした哀しみを押し隠し、鳥羽院に拝謁した忠盛は、 落雷で焼失した高野山の宝塔再建を命じられます。 鳥羽は平家の財力をすっかり充てにしているのでした。 忠盛はチャンスとばかり、自分の名代として清盛を指名します。 忠盛にしてみれば、この機会に謹慎中の清盛を公務に復帰させたかったろうし、 京から遠く離れた高野山に平氏の棟梁たる自分が長期間滞在するデメリットを計算したのでしょう。 それは台頭著しい源氏への牽制もあったでしょうし、公卿への野心も当然潜んでいたのです。 気乗りのしないまま清盛が高野山を訪れると、そこで西行と名を改めた佐藤義清と再開を果たします。 西行は陸奥国からの長旅から戻った相変わらずのマイペースぶり。 藤木直人さんのヅラ姿・・・美坊主でした。 やがて時は流れ、家盛の若すぎる死から一年が建ちました。 時が流れさっても、家盛を失った家族の心は傷ついたままでした。 供養のため正倉院へ納める家盛の遺品と一緒に、舞子の形見の髪止めを納めたいと 宗子は忠盛に迫ります。 舞子や清盛のせいで、家盛は死んだと激しい感情をもてあまし、取り乱す宗子を 切ない思いで受け止めるだけしかできない忠盛。 そんな義父母の姿を見た清盛もまた、家盛の死を引きずり続けていました。 平家一門の嵐の元凶は自分だ、そんな自分に忠盛の名代として高野山の再建など無理ではないか?と、 西行に弱音を吐きます。 しかし西行に「嵐の中に身を置いてこそ見えるものがある」と諭され、 清盛は再び立ち上がります。 嵐の中、高野山の宝塔再建を成し遂げた時に見えるものこそが真実なんだと。 一方、冷静沈着な父・忠盛も、苦しみの中にありました。 藤原頼長から家盛との秘めた関係をほのめかされたからです。 家盛の、鬱屈した棟梁への野心をそそのかしたらその気になったこと。 平家を売った後ろめたさに悩んだ家盛は犬死だったと、頼長は小馬鹿にするのでした。 それは平家という身分卑しき武家への侮蔑でありました。 忠盛は「平家を公卿にしたい、世の中を変えたい」という自分の野心こそが 実子である家盛を死に導いたのだと嘆き、清盛に高野山再建を中止しろ、と迫ります。 しかし清盛は、最後までやり遂げると聞かず、 総仕上げの曼荼羅に筆を入れることを辞めようとはしませんでした。 「父の言う事が聞けぬのか」と怒りのあまり清盛を投げ飛ばす忠盛。 激しいやり取りであまり頭から血を流した清盛は 「それでも私は家盛の兄です」と、自らの血で大日如来の唇に朱を入れるのでした。 その転末を見た宗子は、朱の入った如来に寄り添い、 「家盛が兄上によろしゅうと・・・」と微笑みかけるのでした。 かけがえのない弟への愛が、大日如来の魂に宿ったのでしょう。 そんな如来が家盛に見えたのでしょう。 宗子は「お帰り」と息子を笑顔で迎えられたのです。 家盛も兄の思い、父母の思いを抱きしめながら、その刹那、成仏したに違いありません。 結局、嵐の一門を救ったのは、家盛への深い愛なのでした。 ドラマの途中で、藤原摂関家の兄弟争いや崇徳上皇と雅仁皇子の複雑な関係、 そして常盤と義朝の恋愛などのエピソードも少しだけ盛り込まれていましたが 要らなかったなぁと思ったほどです。 今回は、家盛の死と哀しみ、その試練乗り越えようとする家族や一門の姿に激しく胸うたれ、 気持ちも集中し、大粒の涙が流れました。 透明感のある家盛君ステキでした。
清盛の夢でもいい、家盛君の笑顔がもう一度見たいです。 |
大河ドラマ「平清盛」
[ リスト | 詳細 ]
|
今週は三日間の国内出張で昨日帰宅。 そのため、大河の感想が遅くなってしまいました。 家盛君と頼長さん! まさか、家盛君が餌食になるとは・・・! 今までで一番衝撃、かつ緊迫した回ではなかったでしょうか? 冒頭、 実母・宗子の苦しみを知り、家督を継ぐことを決意した家盛は、 兄弟にとって思い出深い桜の木の下で、清盛にその心の内を正直に告白します。 家盛は、 「母上に言われたとおりに清盛を実の兄と思い、 兄上こそが平家の跡取りだと思い生きてきました。」 しかし、祇園闘乱事件で母の苦しみを知り、平家の苦境を知るにつけ 自分こそが平家を背負う人間だと決意を告げます。 誰よりも信じていた弟の突然の決別宣言に清盛は戸惑います。 焦りなのか、それとも・・・・ 鳥羽院が、賀茂臨時祭の舞人として、清盛ではなく家盛が選んだことも、 清盛の立場を危うくするものでした。 家盛が、優美な舞で観客を魅了するなか、 藤原頼長があやしげな視線で見つめています。 この美青年が清盛の異母弟でしかも正妻の子だと知り、 家盛をわが邸に召したいと、平家に伝えます。 藤原摂関家からのお誘いに沸き立つ平家。 実父・忠盛もまた、実子の晴れの姿に目を細めるのでした。 とはいえ、藤原頼長は当時から有名な男色家。 宮中の情報に精通した忠盛が何故わが息子の危険を察知できなかったのでしょう? まあ、そこは不問としましょう(苦笑) そんな中、孤立感を覚える清盛を、義朝がからかいます。 そこへ一人の物乞いの娘。 病気の母のために酒を買ってほしいと二人に近づきます。 みすぼらしい姿ながらも、はっとするほど美しい笑顔に、男二人が色めきたちます。 そう、後の常盤御前なのです。 お〜、常盤御前が早くも登場、しかも今最も旬な武井咲ちゃんじゃありませんか?! キャストは大河らしく豪華なんだよな・・・ 一方、藤原頼長邸に招かれた家盛に甘美な罠が! 頼長は、しきりに家盛に酒をすすめながら、耳元でささやきます。 「長かったであろう、あやしげな兄の陰で過ごした不遇の時は。まことならばおのれこそが嫡男。 「かなえてやろう、清盛など取るにたらぬ。まこと世にきらめくべきは家盛、そなたじゃと」 そして家盛を抱きしめ、押し倒すのでした。 あああ、NHK大河で始めての衆道ではないでしょうか? 信長公と森蘭丸ですら、そんな場面は一度とてなかったはず。 山本耕史さんなんて怪しいんでしょうか? これが凛々しい土方歳三を演じた同じ俳優とは思えないほどの禁断の美形。 今回、頼長さまファンが増えたことは間違いないでしょう。 衆道関係となった藤原頼長の後盾だけでなく、鳥羽院の覚えも目出度い家盛は、 熊野詣の警護を命じられました。 異母弟の経盛や教盛も、今や都でも有名になった家盛兄こそが次ぎの棟梁の器だともてはやします。 その時、叔父の平忠正が、家盛を跡継ぎにすべきだと忠盛に迫り、 家盛も「自分を跡継ぎにするとはっきり言って欲しい」と父に迫ります。 緊迫する平家一門。 そのとき清盛は、 「一門の安泰だけを考えるだけでは世の中は変えられない。何のための一門か?武士なのか? わしは神輿に矢を射たことを悔やんではいない。」と断言し そして「わしは跡継ぎを降りる」と言って、その場から去っていきました。 清盛は、家盛にも自分の思いを伝えたかったのです。 そして誰が棟梁となったとしても、平家一門として武士の誇りを忘れてほしくなかったのです。 仲の良いことで評判だった兄弟。 たとえ血のつながりが無くとも、共に父や平家を盛り立てそして世の中を変えていきたかった。 「棟梁になれない焦りや悔しさとかじゃない。たださみしいのじゃ・・・」 清盛にとって家盛はかけがえのない兄弟以外の何者でもなかったのです。 家盛も思いは同じでした。 藤原頼長に、自分が棟梁となることを告げたものの、うかない表情です。 藤原頼長は怪しいまなざしで家盛を見つめ、やがて本性を現します 「清盛もいよいよ終わりじゃ。 家盛が棟梁となれば、鳥羽院が頼りにしている平家の武力と財力を藤原摂関家が横取りしたような ものじゃ。」 家盛が平家は鳥羽院に忠義を誓っている!と訴えても 「もう遅い。そなたが清盛を蹴落としたのじゃ。一門も売ったのじゃ」 そして罠にかかった獲物をいたぶるように家盛を抱き寄せるのでした。 熊野詣の出立の朝。 家盛は母宗子に会いにきます。 母の為に兄を蹴落とした事で、平家一門を頼長に売ってしまった自責の念にさいなまれ、 「母上、今度帰ってきたときは、笑顔で迎えてください」と言葉にするのがやっとでした。 思いつめた家盛の表情に宗子は不安を覚えます。 同様、清盛も、自分の息子達が木登りをする姿を、自分と家盛に重ね合わせ、 家盛が木から滑り落ちた記憶に、胸騒ぎを覚えます。 ちょうどどの頃平家一行は熊野詣を終えて、山崎付近を通り京へ帰る途中でした。 家盛は馬上にあって朦朧とした表情のまま、彼もまた夢うつつに兄との木登りを思い出していました。 仲良しの兄、頼りがいのある兄、やんちゃでわがまままな・・ 「兄上・・・」 そして夢うつつのまま馬から転落してしまうのでした。 ああ、家盛君!!! ・・・そして次回へ続く。 家盛演じる大東俊介という俳優さん、すっかりファンになりました。 繊細で優しくそして透明感溢れる家盛は、史実の家盛にとても近い気がします。 尚、家盛の名誉のために追記するなら、藤原頼長の男色の相手として平家盛の名前はありません。 頼長は大変几帳面な男で、自分の相手や出会い、逢瀬等々を事細かく日記に記載していました。 その日記に家盛君の名前はありませんので、彼の毒牙にかかったというのはあくまでもドラマの 設定ですので、ご留意くださいませ。 【賀茂臨時祭】 4月の中の酉の日に行われる例祭に対して、11月の下の酉の日に行われる 賀茂神社の臨時の祭り。寛平元年(889)に始まり、明示3年に廃止された。 |
|
平清盛の名が京中に知れ渡った事件、「祇園闘乱事件」。 史実の事件については、拙文を参照お願いします ↓ 今回はこの大事件を通じて世の勢力が二分され やがて保元の乱へと突入していく序章を描いていました。 最初に断りを入れますが、 「神輿」に矢を射たのは清盛でもありませんし、実際矢が放たれたのは、祇園社の宝殿です。 あくまでドラマ内の出来事だとご承知置きください・・・ 平家では緊急対策会議が開かれました。 清盛は、神輿の迷信など信用せず、わざと狙い撃ちしたことを告白し騒然とします。 叔父・忠正は、「平家に禍をもたらす男だ!」と罵倒する有様です 事態の重要性を自覚した忠盛は、朝廷の沙汰が出るまで検非違使庁で蟄居することを決めます 朝廷では、 叡山から「忠盛と清盛を流罪にせよ」という訴えがあり、朝議が二分します。 藤原頼長は、忠盛父子の流罪を主張。 その父・忠実は、関白・藤原師通が、強訴の要求を拒否した4年後に急死した事実もあり 流罪を主張します 一方、頼長の兄、忠通は、流罪は厳罰過ぎると反対。 信西も、平家なき世はあり得ないと、これも反対意見。 なかなか結論の出ない朝廷の態度に業を煮やした比叡山は再び強訴を強硬。 鳥羽院は、今度は源氏に命じて都の守りを固めさせます。 源為義は「源氏の武力を見せ付けようぞ」と郎党にぱっぱをかけ、 義朝もまたこんなくだらないことで清盛を流罪になどさせぬ、と奮発するのでした。 そのころ、六波羅の清盛邸では、留守を守る時子が産気づきます。 時子のことが心配になってたまたま訪れた忠正が、清太と清次のお守をすることになりました。 清太は、優しい大叔父に不安な胸の内を打ち明けます 「(義理の)母上は、私達よりも自分と血のつながりのある子供のほうを、 可愛がるのではないでしょうか?」 忠正は 「誰も好き好んで血のつながりあるなしで争わぬ。 つまらぬ事を考えずに、生まれてくる子をうんと可愛がってやれ。」 いや〜、このシーンは涙でましたね! 忠正も、血のつながらない清盛やその息子達を、自分の大切な家族のように考えているのです。 でも、なかなか、その気持ちを表に出すことができない一門の中での立場。 そんな優しい思いを、清盛の息子達だけに吐露し、子等を安心させるなんて、渋すぎます! 忠正さん、いいな!ほんといい味だしてます。 保元の乱まで、もっともっと露出して欲しいキャラですね! 一方、鳥羽院も、悩んでいました。 得子から「平家はすでに無くてはならない存在だ」といわれ、 鳥羽院もそのことは重々理解していました。 しかし、清盛も自分も同じ白河院の血が流れていることが、心のわだかまりになっていました。 結局世をかき乱しているのは、白河院の亡霊ではないのか?と。 検非違使庁で蟄居を続ける忠盛、清盛は、父子水入らずで双六遊びに興じます。 清盛の浮気を心配した時子が差し入れた唯一のものでした。 双六が強い清盛に、忠盛は、清盛の亡き母の事を思いで語りします。 舞子という女性であった・・・一人、白河院に立ち向かってそなたを守った強いおなご・・・ 「清盛には彼女の強い血が流れている、この世を変える力をもった、平家には無くてはならぬ男だ。」 そこへ鳥羽院がおしのびで訪ねてきます。 そして清盛に「神輿に矢を射たはわざとか?」と問いただします。 清盛の博打が始まりました。 清盛は「ざわとです」と悪びれもせず答えます。 鳥羽院は、突然強いまなざしを向け、 「神輿を射たときの如く、朕を射てみよ」と言い出しました。 清盛は、弓矢を構える仕草の後、鳥羽院へ矢を放ちました。・・・もちろんエアー弓矢です。 鳥羽はまるで矢がその腹部に刺さったかのように目をかっと開き 「血が吹き出ておる。白河院の血が・・・ 清盛、お前こそが、乱れに乱れたこの世に放たれた一本の矢、そのものじゃ!」 鳥羽は叡山の訴えを退け、忠盛と清盛は流罪を免れ、銅30斤の罰金刑で収めました。 ・・・う〜ん、どうでしたか?皆さんは。 私は鳥羽のこの行動はやはりとっぴ過ぎるなあと正直思いました。 清盛は忠盛の嫡男として確実に出世もしており、今更白河院の名を出さずとも その存在感は日増しに大きくなっていました。しかも清盛は3人もの息子を持つ大の大人です。 エアー弓矢の場面は無かったほうが良かったのではないかな、と。 それまでの流れが良かっただけに、ちょっと残念です。 この祇園闘乱事件の最も重要なポイントは、鳥羽が平忠盛と清盛を守りきったこと。 それと、武家の台頭、この2点です。 つまり、新興勢力武家のTOPたる平家の実力を、貴族も庶民も寺社仏閣も、認めざる状況になったという事なのです。 流罪が免れ、また時子が清三(後の宗盛)を無事出産し安堵感が漂う平家一門にあって、 忠盛の正妻・宗子だけが浮かない表情をしていました。 宗子は、夫が未だに舞子のことが忘れられずにいること、 それゆえに、忠盛が血の繋がらない清盛を守ろうとすることに、複雑な感情をもてあましていました。 次男・家盛は、母のそのような苦悩を知り、ある決意をします それは、母のために平家の跡取りとなること。 三男の誕生に沸き返る六波羅の清盛を訪ねた家盛は 「私は兄上を嫡男と思うことができません。これからは私が一門を背負ってまいる所存ゆえ」 平家一門に暗雲か・・・? いや〜。びっくりですね! 家盛くん、清盛との対決姿勢を鮮明にしました。 ただし、あくまでもドラマですよ〜・・ 仲良し兄弟だけに辛い内容ですが、次回が楽しみです。
|
|
今回は、私が大好きだった待賢門院・璋子さんの最期でした。 檀れいさん・・・ 周りの男性すべてを虜にする聖なる魔性の女を見事に演じ切っていらっしゃいました。 「鳥羽院を奪い、国母の座から蹴落とし出家に追い込んで地獄を味あわせたいと思ったのに、 なんと憎憎しいまでに福福しいこと・・・」 得子のその言葉通りではありませんか。 自らの業に気づき出家し、法金剛院で静かに暮らす待賢門院が病に倒れます。 鳥羽法皇は気が狂ったかのように取り乱し、璋子が好きだった水仙の花を武士に探させるのです。 しかし季節はずれの京に水仙などあるはずもなく、 この無茶な命令に清盛は反発します 愛する妻・明子を、無策な政治社会ゆえに失った憤りを、鳥羽にぶつけているのです。 大人になりきれない清盛を諭したのは、家盛でした。 家盛は自分も平家一門のために、好きな女と別れた過去を告白し、 清盛にも一門のために、働いて欲しいと静かにしかし篤く説得するのでした。 しかし、水仙を探し出したのは、宿命のライバル・源義朝でした。 東国の武士団を統合し頭となった義朝は、精悍で凛凛しい、見事な武者ぶりです。 東北にはまだ咲いているのではないかと、水仙を探させ、 昼夜問わず馬を乗り継いで水仙を手に入れたのです。 鳥羽はやっと手に入れた一輪の水仙をもち、璋子の元へ駆けつけます。 鳥羽の変らぬ愛を知った璋子は、人をいとしく思う気持ちの優しさ、清さに包まれて 息を引き取ります。 久安元年(1145年)8月22日長兄・藤原実行の三条高倉第が臨終の場所でした。 結局、鳥羽は璋子を求め続けていたのでしょう。 史実でも、鳥羽は三条高倉第に駆けつけて璋子を看取り、 臨終の際は磬(けい、読経の時に打ち鳴らす仏具)を打ちながら大声で泣き叫んだと記されています。 待賢門院の崩御により、 得子(美福門)の国母の権威は揺るぎなきものとなりました。 しかし、数年後、璋子の息子・雅仁が天皇に即位するとは、当時誰も予測だにしなかったでしょう。 結局、天皇家の直系は、待賢門院系となるのでした。 そのこと都では、寺社による強訴が頻繁に起こり、鳥羽を悩ませていました。 平家一門は、鳥羽から強訴を退けるよう命令され、忠盛はその莫大な財力を駆使して 自分の領地を寺社へ寄進する、いわば身銭を切った賄賂でもって強訴を退けていたのです。 もはや、平家一門は鳥羽にとって無くてはならない存在でありました。 しかし、忠盛はどうしても公卿には成れなかったのです。 朝廷では武士への差別的感情が未だ支配していたのです。 武家の朝廷への不満がくすぶるなか、 平家と源氏の御曹司は、互いに刺激しあうライバルへと成長しました。 年齢も年恰好も似通った二人は、偶然にも同時期に妻を娶り子をなします。 まずは源義朝。 都へ凱旋帰国した源義朝を、熱い思いをもって出迎えた由良姫。 隠しても隠し切れない彼女の恋心を察知した義朝は、いきなり 「俺の子を生むか? そなたには嫡男を産んでほしい」と なんとも性急で荒っぽいプロポーズ。 統子内親王に仕える由良姫を妻にすれば、自分の出世にも役に立つと、あからさまに野心も語ります。 あまりに荒っぽい態度に困惑する由良姫に対し義朝は 「いとしいおのこの役にたつことほど、心楽しいことはあるまい?」と留めの一言。 由良姫は、義朝に抱きしめられて、長年慕い続けた愛の成就に涙するのです。 そして清盛。 残された清太と清次の元に、平時信の娘、時子が頻繁に通ってきていました。 表向きは、琵琶の師匠である明子への恩返しでありましたが、 本心は、清盛に会いたいからなのです。 時子の弟、平時忠は、風来坊ながらも商才に長け 姉が今をときめく平家の御曹司の後添えとなれば、貧乏貴族の自分にも芽がでるだろうとの打算で 清盛に「姉を後添えに」と直談判します。 平国盛も、明子亡き後、時子が来ると、家もも子らも清盛も明るくなる、と 時子の輿入れに賛成する始末です。 事実、清盛も時子のことが気になり始めていました。 義朝に刺激を受けて、平氏を背負って立つ自覚に目覚めた清盛は、 まずは、家を任せる奥さんの必要性を認識したのです。 子守に来ていた時子をいきなり抱きしめて 「もうそなたでいい」と怒ったように言います 「周りも後添えを貰えとうるさいし、子らもなついておるし、そなたは俺に惚れている。 あとは、俺がそなたに惚れればいいだけじゃ!」 突然の事に訳の分からない時子に 「俺の妻になれ!」とこちらも留めの一言。 時子は清盛に飛びかかりながらしっかりと抱きつき、 駕籠に閉じ込められた雀が飛び立つように、自分の恋心を空に解き放つのでした。 事実、時子と清盛が結ばれることで、平家の勢いは増すのです。 時子は、壇ノ浦の最後の瞬間まで、平家の精神的支柱となる、まさにゴッドマザーでした。 しかも最後まで夫婦仲も良い二人でした。 さらに、時子の妹・平滋子は後白河の愛妾となり、時子の弟・平時忠は、抜群の政治センスで 清盛一門を支えます。 妻の内助の功あっての清盛の栄華なのです。 1147年(久安3年)、義朝と由良姫の間に、嫡男・鬼武者、すなわち源頼朝が生まれ、 同年、清盛と時子の間には宗盛が生まれます。 そしてこの年、清盛の名前が忽然と京の都に広まる大事件 「祇園闘乱事件」が起こるのでした。 清盛と義朝のダブル求婚は、ラブコメタッチでしたね。 義朝の野獣的プロポーズは、義朝の性格ならあり得そうとも言えなくもないですが、 さすがに清盛と時子は、やりすぎ感はありましたね。 史実では、どうやら清盛が平時信邸へ忍んでいき、三男・宗盛の誕生と供に、 時子は晴れて、六波羅・清盛邸の継室となったようです。 あの破天荒な後白河法皇の愛妾となった慈子の姉ですので、美人だったのは間違いないでしょう。
清盛は、恋愛に積極的な男子だったのです。 |
|
土曜日の再放送をやっと確保(=録画)し、先ほど観終わったところです 涙・・・でした。 まずは、このドラマ恒例、【愛憎渦巻く朝廷の醜い権力闘争】物語。 和歌を通じて深い信頼関係で結ばれていた佐藤義清の出家に呆然とする崇徳天皇。 清盛は自分も白河の御落胤であることを告白し、 もうあのもののけに振り回されるのはやめて、面白く生きるつもりです。と天皇を慰めます。 いや、まったく慰めになってないように思えたのですが・・(苦笑 しかし、崇徳の波乱の人生は益々混迷を深めてゆきます。 保延6年(1140年)兵衛佐局が崇徳帝の第一子・重仁親王を産みます。 中宮聖子は、崇徳天皇と仲睦まじかったにも関わらず、子供に恵まれず、 それゆえに、身分低き女房との間に愛する夫が子をなしたことは、相当のショックであったのです。 関白藤原忠通は、可愛い娘の悲しむ姿を見て崇徳と対立するようになったのです。 ドラマでも、重仁の誕生に怒り心頭の藤原忠通が、焦って得子を訪ねますが、 稀代の政治女・美福門得子は、「この喧嘩受けてたたねば、崇徳天皇に失礼じゃ」と 不敵な笑みを浮かべるのです。 松雪さん、なかなかの悪女ぶりですね〜。 すなわち、 「聖子の養子となった体仁親王を即位させ、重仁が即位するまでの間、 崇徳は上皇として治天の君になればいい」と崇徳をそそのかすのでした。 しかし、驚くことに、譲位の宣命には「皇太弟」と記されていました。 天皇が弟では将来の院政は不可能であり、崇徳は得子にたばかられたのです。 これは愚管抄に記されている事実であります。 崇徳はこの譲位に大いに遺恨を持ったと言われていますが、こんな仕打ちを受ければ当たり前でしょう。 いや、むしろ静に鳥羽田中殿に移り住んだ崇徳の人柄こそ、賞賛されるべき。 崇徳上皇は「新院」と呼ばれ、政治から離れた田中殿で頻繁に歌会を催し、 平安末期の歌壇の中心となりました。 しかしさすがにやりすぎと思ったのか、得子は重仁親王を養子に迎え、 たいそう可愛がったと言われています。 得子は、キツい政治女という表の顔と 子供への深い愛情を注ぐ母性の顔を持ち合わせた女性でした。 実子・近衛天皇は勿論ですが、雅仁の息子・守仁親王、そして崇徳の息子・重仁親王と 藤原璋子の孫である二人の養子へ深い愛情を注いだのは、 ある意味、璋子あてつけだったのかもしれませんが・・ ちなみに、重仁親王の乳母は、清盛の義母・宗子。 ここ、保元の乱における重大なポイントなので、ご留意くださいませ。 さて。 政治女・得子の策謀は、藤原璋子へ最後の牙を剥きます。 皇后となった得子は璋子を呼び出し、 「私への呪詛事件が発覚し、いずれも璋子に仕えるものの仕業だった」と告げられます。 しかし、呪詛人形に使われた産着は、璋子が得子へ贈ったもの。 得子は、はっきり分かるようあからさまに、璋子をはめたのです。 璋子は「鳥羽や崇徳を苦しめ、義清を出家に追いやった罪深き自分を得子が救ってた」と観念し、 翌康治元年(1142年)、自ら建立した法金剛院において落飾。堀河とともに御所を去るのでした。 呪詛事件も史実として記されています。(日吉社呪詛事件・広田社巫呪詛事件) しかし、周りの男性をすべて虜にしたという魔性の美女・待賢門院璋子と、「呪詛」は 結びつきません。 保元の乱の勃発も「呪詛」が契機であり、 やはりこれは得子の策謀の手口と想像されます。 このように権力闘争に明け暮れる朝廷を尻目に、 武士は静かに、そして力強くその勢力を伸ばしていきました。 東国では源義朝が三浦氏や波多野氏を家来に従え、 三浦氏の娘との間に後の悪源太「義平」が生まれ、波多野の娘との間に次男・朝長が生まれていました。 そんな義朝を京で待ちわびる由良姫。 義朝の父・為義に恋心を涙ながらに打ち明けてしまい、為義に汚いハンカチ?を渡されるシーンは なかなか笑えました。 源義朝は実際、モテモテなんですよね〜。玉木さん、カッコイイし!! そして平家も平忠盛を中心に、清盛・家盛そして郎党達は益々意気盛んでした。 清盛の正室・明子は目立たずともしっかりと清盛の家を支えます。 清盛の腹心・盛国の婚礼もその一つでした。 「明子は岩のような女子じゃ。そなたがおらぬとわしも家も成り立たぬ」 しかし悲劇が清盛夫婦に突然襲い掛かります。 参詣の帰りに苦しむ病人を介抱した明子は、疫病にかかってしまったのです。 「治す薬はない。感染するから近づくな」と医者に宣告された清盛は 多くの僧を呼び、狂ったように祈祷するのです。 忠盛や宗子、家盛が見舞いに訪れるも、清盛には心の余裕がありません。 目を覚ました明子は、 「決して悲しまないでください。私はあなた様のお陰でいい夢をみました」と告げ息を引き取ります。 そのあっけない死に、清盛の怒りが爆発します。 暴れて僧をけりつける清盛を盛国が必死で押さえ込み 「怨むなら、異国の薬が使えないこの国の仕組みを怨みなされ。 疫病を抑えられない鳥羽院を怨みなされ。 そしてみなが健やかに生きる国を殿がつくりなされ。それこそが御方様の望んだ姿です」と・・・ 一方、狂乱する清盛の姿を目の当たりにした忠盛は、 白河と同じ「もののけの血」が清盛に流れていることを改めて気づかされるのでした。 ・・・・確かに「もののけの血」はこのドラマの鍵であります。 とはいえ明子は、当時としては珍しく、身分の差を越えて恋愛結婚した愛妻。 清盛が半狂乱になるのは仕方ないのではないでしょうか? 幼い二人の息子残したまま突然無くなった妻を想い、 まだ若き夫が嘆き悲しむ姿は決して「もののけ」ではありません。 「もののけ」に見えたのは、忠盛の心の声だと私は解釈したいです。 忠盛もある意味、白河の亡霊にまだ悩まされているといえるのではないでしょうか。 さて次回、といっても今晩ですが、
清盛と時子との結婚が主題のようですね。録画失敗しないようにしなきゃ! |



