ゆーくんはどこ?

皆様ありがとうごさいました。アメブロへ引越しますので、また、お会いしましょう! 我人に媚びず、富貴を望まず。(黒田官兵衛)

大河ドラマ「八重の桜」

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尚之助さんの最期は、

あまりにも残酷で現実的で、辛くて悲しくて

深夜に録画を観てから涙が止まらず
2時間くらい、泣きっぱなしでした。

泣き過ぎて頭が痛くなったほど。
尚之助ファンの皆様も、同じような状況に陥ったのではないでしょうか。


あの最期は、反則だよ。
無残ゆえに崇高すぎる。

たった数シーンながらも 尚之助の魂を、
緻密に計算された演技構成をベースに、
凄まじい気迫で熱演された長谷川博己さん。


35回のタイトルは「襄のプロポーズ」だけれども
私にとっては、「尚之助の最期」でしかありません。

今はそのこと以外に、考えることも書くこともできません・・・


東京での再会と別れから2年。
音信不通のまま、夫婦として暮らすことも叶わず、
新島襄からの突然のプロポーズにも、戸惑うばかりの八重。

藤田五郎(斎藤一)と所帯をもった時尾と久しぶりに再会し、
八重は、胸に秘めた尚之助への思いを親友に吐露します。
苦労してでも側にいて助けたかったと。

時尾はそんな八重に、
「もし尚之助さんの立場にたったら
八重さんも「自分のことは忘れて欲しい」と云うんじゃないか」と答えます。
「大切な人を辛い境遇に巻き込みたくはないから」と。

ええ、その通りなんです。
私達ファンも、同じ思いで尚之助さんの辛い胸の内を汲み取ったつもりでした。

「何も成すことができなかった、これが私の身の丈にあった暮らしです。」 と
すべてを諦めた遠い目の尚之助さんの最期は、
病院の一室で、八重や会津での日々を回想し、静かに旅立つのだろう・・・
と私は勝手に想像しておりました。

ところが、35回。
京都から場面が変わって、東京・鳥越。
やたら明るい陽の光の中、病院ではなく、ぼろ長屋の片隅で、
机に向かう尚之助さんの姿が映し出されます。

鬼気迫る表情で一心不乱に筆を進め、
机の周りには、彼が書き記した書類の束が散乱しています。

胸を裂くような激しい咳に見舞われ、筆先が震える・・・
それでも一字一句、渾身の筆を進めるその姿からは
【青白い炎】がはっきりと見えました。

そして、容赦なく襲う咳と胸の痛みを堪えながら、
尚之助さんは、細い声で、でもしっかりと自分に言い聞かせるように、
こう言ったのです

「しっかりしろ・・・まだ書くことはある。」と。


この言葉を聴いた刹那に、私は言葉にならない衝撃を受けて、絶句し、
前後不覚の大号泣に陥ってしまいました。


尚之助さんは、人生を諦めてなどいなかったのです。
 
「しっかりしろ。」
 
と自分自身を励まし
 
 「まだ書くことはある。なすべきことがある」 ・・・「生きたい。」と渇望していたのです。
 
 
しかし現実は残酷です。
切り替わった画面に映し出されたのは、机に突っ伏して動かない尚之助さん。
息をしていないかのようです。
 
隣人が驚いて駆け寄り助けようとすると
もう起き上がる体力もなく、ごろんと仰向けに転がってしまいました。
 
あの、かっこいい尚之助さんが、なぜこのような無残なお姿に・・・あああ。
 
もはや虫の息であることは一目瞭然です・・・
そして小さく「八重さん・・・」とつぶやき、そのまま事切れてしまいました。
 
小さく微笑んだようにも見えました。
人の死とは、このようにあっけないものなのです。
 
その後、京都の覚馬の元に、「尚之助の死」が伝わります。
尚之助が死の間際まで書き綴っていたのは、「会津戦記」。
 
「やり遂げたいことがある。」と病院を抜け出し、重い肺炎に苦しみながら、綴ったものだったのです。
 
覚馬は、「尚さんは、長い時をかけた戦死だ。」と言いました。
でも私は戦死だとは思いません。
尚之助さんは、最期まで生きることを諦めず、何かをなすことを諦めてはいなかったからです。
 
おそらく八重と再会して、心境の変化があったのでしょう。
「会津戦記」を書き上げれば、八重さんを東京に呼び戻すつもりだったのではないでしょうか。
 
 
今年の大河ドラマは「復興」がテーマです。
だからこそ、尚之助に、無惨で惨めであっても最期まで「やり遂げよう」とする
人間の魂、ソウル、を体現させたのではないでしょうか。
 
100%結果がでるとは限らない、尚之助のように、無念の結末を迎えるかもしれない。
けれども、「守りたい大切な人やもの」があれば、人はどんな逆境にでも立ち向かえることができる。
 
「しっかりしろ!」と自分を励ましながら。
生きる力を振り絞りながら・・。
 
 
 
そして尚之助の絶筆の演技たるや・・・。
 
激しい咳と苦しみにで震える指で、それでも激しい思いを込めて、しっかり筆を握りしめ
「婦人」という草書を書いていました。
 
川崎尚之助の、最期の命のほとばしりです。
長谷川さんが自らの手で書きたい、と願われたのではないでしょうか。
きっと撮影前に練習もされたのでしょう。
 
画面の端であろうが、一瞬のシーンであろうが、どんなときも決して手抜きをしない
長谷川さんの役者魂、なればこそです。
 
 
そう推測すると、京の覚馬の手元に届いた「会津戦記」を
八重さんが、手に取ることすら出来なかった訳も分かります。
 
私も経験ありますが、「懐かしい文字」は、大切な人の魂そのものだからです。
尚之助の最期の筆跡を見てしまえば、気丈な気持ちが、たちまち崩れてしまう事でしょう。
 
また「死の間際の人の字とは思えない力強さがある。」と新島襄が言い、
目が見えない覚馬が、その文字から尚之助の命を感じたことも、納得できるではありませんか。
 
 
尚之助が命を削って書き残した「会津戦記」は、
希望的観測ですが、山川建次郎の手に渡るのかもしれませんね。
せめてドラマでは、尚之助さんの生きた証を、継承してほしいのです。
 
ただし、ドラマがそうなるのかどうか、私は見届けることはないでしょう。
八重さんが別の男性と結婚して幸せになる姿を傍観できるほど、心は広くありませんから・・・
 
正直に言えば、深く愛した夫の死を、鳥羽伏見の土を触ったくらいで、昇華できるのでしょうか?
サンドイッチを食べて、乗り越えることができるのでしょうか?
どうも納得できません・・・軽すぎるというか・・・(辛口、すみません)
 
 
ただし八重が故人を回想し、涙を流す場面は、違う意味で滂沱の涙を誘いました。
かっこよくて明るくて優しい笑顔の尚之助さんが、遠のいていくようで・・・
 会津戦争さえなければ、八重さんと一緒に笑いあって暮らせたのに。
 
綺麗な容姿で水も滴る美青年の彼が、
ぼろぼろで無惨な姿で、孤独の死を迎えることの残酷さが、ずしりと胸に迫ります。
 
それでも、川崎尚之助の人生に、ここまで魅了され心振るわせ涙するのは、
報いられぬことが分かっていても、愛する女性と彼女の故郷のために、
ただ、ひたすら一途に愛を貫いた、純粋で崇高な魂ゆえでしょう。
 
「私はここで生きたい。八重さんと一緒に、会津で生きたいんです。」
八重へのプロポーズの言葉のまんま、「生きて愛して死んで」いったのです。
 
 
それにしても、長谷川博己さんの演技の凄まじさたるや! 
圧巻でした
 
長谷川さんは、何もせず立ってるだけでも、色気のある俳優さんです。
なのに、尚之助さんの最期のシーンは、ご自身の色気をすべて封印していました。
 
「雲の階段」の相川三郎のように、「頽廃の色気」漂うお姿でも良かったでしょう。
女性ファンはそのセクシーさにとろけてしまうのですから。
 
しかし、長谷川博己さんは、あえて、セクシーさを封印したたぼろぼろ尚之助で、最期のシーンの
勝負をしてきたのです。
 
尚之助の悲劇と無念と、
「しっかりしろ、まだ書くことはある。」という魂の叫びがより際立って、私達の胸を直撃し、
その切なさに、涙が枯れるほど号泣してしまいました。
正解だったのですね。
 
 
深い想像力で人物像を掴み、緻密に計算した演技を組み立てて
繊細、かつ大胆なアプローチで役になりきる卓越した技量と、
派手さはないけれどもじわりとくる存在感。硬軟併せ持った、稀有の俳優さんです。
 
今回の演技で、セクシー男優のくくりなど、蹴散らしてしまいました。
実力俳優の堂々仲間入りでしょう。
長谷川さんは、「八重の桜」が始めての時代劇だそうですが、
なかなかどうして、所作も完璧ではありませんか!
天賦の才能に満足ぜず、ひたすら生真面目で練習熱心な努力家だと思います。
 
長谷川博己さんは、近い将来、大河ドラマクラスの主役を担う、TOP俳優さんになるでしょう 
ワタクシが勝手に保障しま〜す。
 
次回のドラマが、と、に、か、く、楽しみです。
 
ということで、『八重の桜』の感想ブログは、尚之助さんとの別れをもって終わりにいたします。
 
まだまだ『尚之助様症候群』は治りそうにありません。
今までの録画を観ながら、尚之助メモリーに浸りつつ、
気持ちを少しずつ、「戦国時代」へとシフトする作業にもとりかかるつもりです。 
 
あ、でも「尚之助さま症候群」記事はまだまだ続くかも・・・!
とりあえず、兵庫県の出石へと『尚之助への旅』を企画中です。
「尚之助さん名台詞集」とか、「川崎夫妻のベストらぶらぶシーン」とか・・・
 
 
ともかく、一旦は以前どおりの、ほそぼぞ歴史ヲタブログに戻ります。
 
川崎尚之助の最期に関する史実については、下記ブログ記事の後半をお読みください。
 第33回「尚之助との再会」
 
TOP写真は、33回「尚之助との再会」 熱い抱擁の名場面 
 
8月も最終週を迎え、涼しい朝の空にはもう、うろこ雲
息子の夏休み宿題も、最後の追い込み、なうだ。
 
残っているのは、読書感想文、日記、星空観測。
根っから理系の息子は、長文が苦手。
1行書いては、長時間休む息子にイライラしっぱなし。
母は、(尚之助さまについてなら) いつでも1万文字だって書けるってのに!
まあ息子も、好きなゲームや動物や宇宙についてなら、すらすらと言葉が 出てくるんだろうな。
 
もう一つの難問は星空観測 
うちの近所は街頭が多くて夜も明るく、星空観測に適していない。
そんな折、小学校主宰で、星空観測のイベントが開催された。
無料で、宿題片付けられるし一石二鳥。
午後7時に集合場所の校庭へと息子と一緒に向かった。
30人ほどの親子が集まっている。
 
朝からの豪雨が夕方にはぴたりと止み、曇り一つない澄み切った夜空が広がる。
田圃に囲まれた小学校の校庭は暗闇の中。星空観測に最適の夜だ。

東の空を眺めると、宵の明星・金星が輝き、天体望遠鏡で土星の輪を観測する。
天頂を見上げると、「夏の大三角形」が輝く。 夏の夜空のロマンを代表する一等星だ。
西の空には、ペガスス座。秋を代表する星座がもうおでましだ。
北の空には、北極星が鈍い光をはなち、北斗七星も観測できた。
 
講師の先生の説明を聞きながら、北の夜空を眺めていたとき、
私達の目の前を、一瞬白い大きな光が落ちていった。
「わ、流れ星?!」と歓声があがる。
先生も「見ましたか?流れ星です。かなり大きい!」と、興奮気味に説明してくれた。
 
そのとき私は咄嗟に尚之助様の命を思った。
白く輝く刹那に暗闇へと落ちていった名も無き星屑 スターダスト・・・
途端に涙が溢れてきた。
 
私の【尚之助様症候群(シンドローム)】はかなり重症だ。
無関係な森羅万象が、尚之助さんに結びついて胸に迫ってくる・・・
 
「靖国神社」 もそうだ。
毎年この季節になるとメディアが騒ぎ出す。
歴史を学ぶ者として個人的にも「靖国」は興味深いテーマでもある。
特に今年は、「八重の桜」で戊辰戦争を取り上げたこともあり、考える機会も多かった。
(尚之助さまだけじゃないんです!でも90%くらいは占めてますが・・)
 
靖国神社の前身である「東京招魂社」が、明治2年 戊辰戦争戦没者慰霊を目的とし創建されたことは、
案外知られていないのではないか?
太平洋戦争の戦没者慰霊のための神社ではないのだ。
 
しかも戊辰戦争の戦没者とはいえども、神柱となっているのは、新政府軍のみ。
会津や奥羽列藩同盟、そして新選組、彰義隊の戦没者たちは祀られていない。
即ち終戦までの「国」とは天皇を指す。
戊辰戦争や会津戦争で戦死した、山本三郎や権八さん達は
平成の今になっても、靖国にあっては、未だ朝敵のままなのである。
 
ところが、「蛤御門の変」では逆なのだ。
会津は孝明天皇のおわす御所を守護したことから、会津戦死者は、神柱として靖国に祭られているのである。
不思議なことに、御所に発砲し朝敵とされた長州の戦死者(久坂玄瑞ら)は合祀されている。
 
蛤御門の変でも戊辰戦争でも、藩のため、殿のために戦い命を失った武士の魂を、
「朝敵」という言葉だけで差別することに、強い違和感を感じる。
西南戦争の政府軍戦死者も神柱となっているが、西郷隆盛、村田新八ら薩摩軍は祀られていない。
 
日本人は古代より、やおろずの神を信奉し、反逆者や祟り成す者をも「鎮魂」し、祭神として奉る。
靖国における「魂の差別化」は日本人の死生観にそぐわない。
会津の薩長への長年の怨恨は、死後の魂をも侮辱する恨みも含まれているのだ。
「靖国問題」は複雑で難しい。戦争と平和を分かつ鍵にさえなる。
それは、この神社の創建当時の不明瞭さと無縁ではないだろう。

今年は戊辰戦争が話題と年だから、その視点から「靖国」を考えてみてはどうだろうか?
会津や奥羽列藩同盟の戦死者を神柱として合祀することはできないのだろうか?
戊辰戦争由来の神社だという事実が広く認識されれば、外交の道具とされる理屈も通らぬだろう。
 
尚、古代神話から続く、日本人の「鎮魂」信仰から、私は『A級戦犯合祀は問題なし』と思っている。
ただし、政教分離という憲法違反ゆえ、公人の靖国参拝には反対だ。
国会議員が群れを成して8/15に参詣するなどもってのほか。
第一、8月15日は靖国にとって特別な日ではない。
宗教の自由は保証されているから、私人としての参拝まで制限する必要はないが、
春と秋の大例祭への参詣のほうが、筋は通っていると思う。
何よりも、徒党など組まず、静かに粛々と参拝するべきだ。
子供の頃に教えてもらっていないのだろうか?「神社は静かにお参りするものです」と。
 
靖国について書き出すと、それこそ1万文字でも足りないのでこれくらいで。
(時間と根性があれば、護憲の立場で真正面から取り上げてみたいが、なんせセンシティブ
 
ともかく【朝敵】の言葉に、幕末の日本人がいかに縛られ踊らされていたのか、
「靖国神社」の歴史からも伺い知れる。
 
ならば、他藩出身の川崎尚之助という男が、朝敵となった会津のために籠城戦を戦いにぬき、
降服後は、会津の人たちを助けるために、莫大な借財と裁判を一身に引き受け、
そのため旧会津藩から隔絶したまま、貧困と病苦で苦しみぬき、
無名のまま無言で、たった一人、何一つ残さず、あの世へ旅立った事実をどう表現したらいいのだろうか。
 
朝敵とか賊軍とか、そんな言葉は彼にとっては意味をなさない。
殉職者でも自己破壊者でもない。
裁判のため八重を離縁し負債を相続させなかった点など、いかにも戦略的だ。

ふと、「東京招魂社」を創建した大村益次郎が、川崎尚之助と境遇が似ていることに、気がついた。
【尚之助様シンドローム】が発動したのだ。
 
大村益次郎(村田蔵六)も、医者の息子。
周防国出身で、早くから蘭学を学び、大阪へ出て敵塾の塾頭になる。
ペリー来航後、宇和島藩から蘭学の知識を請われて出仕。
宇和島藩で西洋兵学・蘭学の講義と翻訳を行う。
宇和島藩御雇のまま、江戸へ。月米20人扶持・年給20両で、幕府講武所教授となり、兵法講義を行った
ここで、桂小五郎と出会い、それが契機となって、長州藩士となる。
 
萩へ帰国後、大村益次郎は、桂小五郎や高杉晋作などの引き立てがあり、
兵学校教授役となり、明倫館での西洋兵学の講義を行う。
高杉が考案した西洋式「騎兵隊」創設で手腕を発揮して、長州藩の重臣へと登りつめていく。
戊辰戦争では、アームストロング砲を上野彰義隊へ投入せしめ、たった1日で鎮圧。
その後の東北戦線でも実質的な総指揮官として武器補給、兵器投入などの作戦を練った。
維新後は明治政府の幹部となり、主に軍制改革を断行し陸軍創設の祖と呼ばれるにいたる。
 
若き蘭学者として頭角を現し、その才能を乞われて他藩の教授方になり兵法を教えるなど
尚之助と大村益次郎(村田蔵六)は本当によく似た青春時代を歩んでいる。
 
しかし、川崎尚之助は頼りにしていた覚馬が京へ赴任して後ろ盾を失ったことと
旧体然とした超保守的な会津藩の気風も仇になった。
ドラマで勝海舟が言ったように、尚之助が西国諸藩に出仕したなら、
覚馬がほれ込んだ秀才ぶりで、新政府で出世していた可能性もあっただろう。

しかし、会津で生きるという道を決めたのは、彼自身である。
ましてや、恩義ある覚馬や、愛する妻・八重への不満などあろうはずがない。
 
東京で一人、貧困と病苦と終わらない裁判を抱え、暗闇へ沈んでいく時間を、
尚之助さんはどう過ごしたのであろうか。
書簡でも文でも、尚之助が書き残したものが、残っていないだろうか?
 
「偉人の伝記だけが歴史ではない」 
大村益次郎と川崎尚之助の人生の分かれ道は、紙一重なのである。
 
尚、靖国神社の前身、「東京招魂社」は大村益次郎が言上したのだが、
私は、長州にあってどうも大村益次郎が好きになれないのは、その怜悧さが所以だ。
大村は「国民皆兵」、すなわち徴兵制を唱え、日本を戦争の泥沼へと押しやった男でもある。
頭は切れるのだろうが、温かみに欠ける。
 
 
そしてやはり、・・・語らずにはいられない。
 
35回の予告で一瞬映し出された、尚之助さんの鬼気迫るお姿を・・・
わずか数秒だけれども、他の映像をすべて「蹴散らす」破壊力があった。
長谷川博己さんって、かっこよくてセクシーなだけじゃない。
こんな凄まじい演技もできるんだ 
 
机にしがみついて何かを一心不乱に書いていた・・・。
私が勝手に想像した最期のお姿とは違う。
必死に、命の炎を燃やしているようだった。
 
流れ星が燃え尽きる刹那に光輝くように・・
 
川崎尚之助の人生の終点について、長谷川博己さんはどのような解釈をし、
緻密な演技を組み立てて、撮影に臨んだのだろうか?
 
尚之助クライマックスだ。全身全霊で勝負してきただろう。
それこそ「蹴散らして進む」気合で・・・
 
最高画質ブルーレイ録画でスタンバイ。
ただ「襄のプロポーズ」と抱き合わせ放映ってのがやはり辛い。
製作サイドは、尚之助ファンへ喧嘩を売っているのかい 
早送りして尚之助さんの場面だけ見ようかな・・・
ともかく、もう一度、「尚之助ミーハーブログ」が復活することになりそうですので、皆様お許しを。
 
長谷川さんの熱演に煽られて、ワタクシの【尚之助様症候群】は、ますます重篤となっておりまする。
 
 
 
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昨夜「尚之助との再会」録画を観ました。
 
凄いものを目撃してしまった 
 
というのが率直な感想。
予告動画を見ただけで、長谷川さんも綾瀬さんも渾身の演技をしてるのはわかってました。
でも・・予想をはるかに超えてます。
 
尚之助さんの優しさと美しい指使いは、でしょう・・・
そして八重さんの溢れ出る「滂沱の涙」・・・
 
「仁〜JIN〜」含めて、綾瀬はるかさんのドラマは結構観てますけど、
あそこまで泣いた彼女を見たのは初めてです。
 
はっきり言えば、
八重さんが、尚之助さんの愛に完全に落ちてました。
完落ちです。
落ちっぷりがストレートすぎて、爽やかに思えたくらいです

浅草のボロ長屋の再会で、二人が見せてくれたのは
純粋で生身の「愛」そのもの。
人を愛する幸せ、悲しみ、切なさ、あらゆる感情がごちゃまぜになってあの場面に存在していました。

二人の熱すぎる演技に圧倒されて、私の頭の中は真っ白です。
感激、という言葉すらも越えてしまってます。
考えもまとまらず、感想が書ける状態ではありません。
 
八重さんの溢れる涙を言葉にしても、陳腐なだけかもしれない。
あの映像がすべて・・・・
でも、陳腐であっても文字にしていけば、自分が感じた「もの凄いもの」が
形になってくるかもしれない。
 
そう思って言葉を重ねてみます。
今回は、浅草の再会のみに焦点を当てます。
槙村の事件など書いてる場合じゃぁない。
私にとって 33回は 「尚之助との再会」 これが全てです。
 

明治5年9月 槙村事件の解決のため、覚馬と八重は東京へ向かう。
勝海舟を訪ねた二人は、川崎尚之助の住所を知る。
尚之助が旧斗南藩のため、未だ被告の身であることも・・・
八重はいてもたってもいられず、会いに行く決意をする。
 
この段階で八重さんはもう涙目 
離縁状で宙ぶらりんになった尚之助への秘めた思いが抑えきれなくなっている。

浅草・鳥越の長屋の戸を叩く八重。
乱雑な部屋の様子からも尚之助の苦境が見て取れる。
振り向くと、薄暮に映る尚之助の姿・・・
しかしその顔は暗く昔の面影は全く見当たらない。
 
相川三郎君を更に暗くしたような、生気のないお姿なのに、なんてかっこいいんでしょう。
八重が一目みて撃沈するのも無理はないです。
 
子供たちの書が散らばる長屋で、対面する二人。
八重が京都で女学校の舎監の仕事をしていると聞いた尚之助は
「お元気そうで良かった」と他人行儀。
そして自分は寺子屋の真似事をして細々と暮らしていると告げる。
「結局何も成す事ができなかった。これが私の身の丈に合った暮らしです」と
何もかも諦めたような、横顔が・・・もういけませんね。色っぽすぎます。
 
八重は夫が斗南の窮状を救うために一身に裁判を背負っていることを侘び、
「ずっと後悔していた。斗南へ追っていけば良かったと」
 
やっと素直になれた八重。
 
まだ序盤だってのに、こみ上げるものを押さえきれないのか、綾瀬さんの胸が震えたように見えました。
そして、このときから八重の涙は枯れることなく流れ続けるのです。
 
尚之助はそんな妻に
「私こそ、猪苗代へ行くために命懸けで私の横に立った貴女の誇りを踏みにじった。許してください。」
と頭を下る。八重は堪えきれずに
「何も悪くない」
「尚之助さまに甘えて意地張って・・・私は馬鹿だ。」 
とやっと自分の思いを吐露します
 
私、この言葉にものすごく共鳴しました。
会津戦争で三郎の仇を取る事に執着し、夫の存在を忘れたように見えた八重の心がやっと理解できました。
 
八重さんは夫の絶対的な愛に甘えていたのです。
彼が私の側を離れるはずなどないと。
 
しかし夫は妻の命を救うために「女がいる!」と八重を会津に残し、
妻の生活と人生を守るために離縁の道を選んだのです。

八重は離れてみて夫の存在の大きさに呆然とし後悔したことでしょう。
 
そ、し、て・・・
尚之助さんも八重の素直な姿に、愛で応えます。

他人行儀だった距離を縮め、側に寄り添い
八重の頬に溢れる涙を、美しいあの指で優しくぬぐうのでした・・・
 
ため息がでるような、美しいシーンですね!
長谷川さんの指使いがSEXY過ぎます。
しかも八重さんを見つめる瞳の熱いことったら・・・ああああ
 
日曜夜の8時に、こんなアツアツなラブシーン が公共の電波に・・・
 
尚之助の変わらぬ優しさに包まれて素直になった八重は、
5年間封印してきた夫への愛を爆発させます。
 
「私を側に置いてください。夫婦でなくてもかまわない。
尚之助さまの助けになりたい。お願いします。お願いします。」
 
頭を下げて懇願する姿は「おんな」そのもの。
銃を担いで戦場を駆け回ったジャンヌダルクも、愛する人の前には一人の女性であったのです。
いじらしくて可愛い妻・・・
 
尚之助も妻への思いを抑えきれず、肩を引き寄せて、強く抱きしめます。
八重も懐かしい夫の胸で、崩れ落ちるように抱かれるのでした。
 
この時の綾瀬さん・・・むちゃくちゃ色っぽかったです。
長谷川博己さんも、容赦なく彼女の首筋をかき抱いてましたね〜
 
美しすぎる二人に涙がとまりません。
 
尚之助が始めて「八重・・」と呼び捨てにしたのも印象的でした。
5年間離れ離れだった二人が、「夫婦」に戻った瞬間だったでしょう。
 
しかし尚之助は現実に返ります。
一緒に暮らしたい。その思いは変わりはしない。
けれども裁判で莫大な借財を争う被告の身で、生計も持たない自分が、八重と共に暮らすことなど出来ない。
ますます惨めになるだけだ。
 
涙に濡れる妻の頬を、手で優しく包み込み、またあの美しい指で彼女の涙をぬぐいます。
 
このとき尚之助が八重の涙をぬぐうシーンは、
演出なんだろうか、アドリブなんだろうか・・・?
綾瀬さんが一瞬驚いたような表情を見せたので、
長谷川さんの自然な動作だったのかもしれません。 なんて優しいでしょう
 
でも、こんなに優しくされたら、余計に涙が出るよ・・・
 
そういえば、「蛤御門の変」で二人が夫婦になる前、
兄の安否を心配し涙を流す八重の、頬に伝わる涙をぬぐおうとして、
ふと我に返った尚之助さんを思い出しました。
胸キュンだった二人が、
大人の愛と別れを燃えるように演じています。
 
ファンとしても感慨深く、悲しい・・・
しかし別れの時は迫っています。
 
「がっかりさせないでください。」 と夫は静かに語りかけます。
 
「あなたは京で生徒を助ける舎監の仕事があるのでしょう。」
「私の妻は鉄砲を撃つおなごだ。」
「私の好きな妻は、私の前を歩く凛々しい妻です・・・」
 
八重の手を握りしめ、優しい声で、
有無を言わせないあの説得力のある言葉で、
 
「もう此処に来てはいけません。あなたは新しい時を生きる人です」
「八重さんの夫であったことが、私の人生の誇りです。」
 
八重はただ涙を流して夫の顔を見つめ返します
尚之助との愛を証明するために、自分は彼の前を歩かなければいけないのだ。
彼が好きだと言ってくれた「凛々しい妻」として・・・
 
「待ってるからし。前を歩いて京でずっと待ってるから。旦那さま
 
尚之助が京都へ来ることは無いだろう。
でも「待っている」と言葉にしなければ、八重は前には進めなかったのです。
 
「それでこそ八重さんだ。」
尚之助は、優しい笑顔で答えます。八重さんを励まし見守った、あの頃を思い出すように・・・
 
八重さんは涙をぬぐって一人長屋を後にしました。
 
残された尚之助は、妻の姿が見えなくなるのを確かめた後で
声を殺して涙を流します。
声をあげれば、妻が駆け戻ってくるだろうから。
 
長屋から立ち去った八重は、あふれ出る涙を止めることができません。
涙の粒が、いくつも輝きながら落ちていきます。
 
尚之助ファンの私も何度も号泣したけれども
 
八重さん・・・負けました。
あなたが一番、尚之助さんが好きだったんですね・・・誰よりも深く強く。
  
そして、八重の溢れる涙の・・・もう一つの理由を知りました。
長谷川博己さんの撮影最終日だったのです。
 
尚之助&八重さんが、兄妹のような関係から淡い恋心を抱くようになり、
覚馬の手紙をきっかけに尚之助がプロポーズして夫婦になり・・・
山本家の穏やかな日々にあって、優しい気持ちに溢れた愛を紡いでゆき・・
 
尚之助さんのとろけるような笑顔の先には、いつも八重さんの姿があって、
美しく甘いラブラブなシーンの数々が、
綾瀬さんと長谷川さんの良好な雰囲気を教えてくれました。
信頼関係を築いていたのでしょう。
 
だからこそ、溢れる涙をさらけ出すことが出来たのですね。この人なら受け止めてくれる、と。
 
共演=恋愛 というほど男女の仲は簡単ではないけれども、
もし、綾瀬はるか、長谷川博己と熱愛?なんて噂が流れたとしても、
私は驚かないと思います。ホントにお似合いの二人ですから・・・ 
 
 
長谷川博己さんの撮影最終日ということは、
やはり【33回】で尚之助さんとお別れなんですね・・・
 
「八重の桜」尚之助様ミーハーブログも今回までとなりそうです。
八重さんが他の男性と結婚する姿なんて、見れるわけがありません!
 
新島襄に怨みはありません。
同志社は馴染深い学校で、友達や親戚にもOBはいるし、
何度もキャンパスへ遊びにも行きました。
ただドラマを観るのは多分無理だと思います。ごめんなさい。
 
 
我がミーハーブログも、【川崎尚之助の最期】をご紹介して終わりたいと思います。
 
 
明治7年(1875) 4月18日 川崎尚之助あてに、函館開拓史から召喚状が届く。
一路陸路で函館を目指すも、途中のニ戸(岩手県)で尚之助が体調を崩し、重態になったという。
しばらく療養するも治る見込みがなく、仕方ないので東京へ戻った。
 
刑事裁判の身でしかも斗南藩の無禄士族だったため収入がなく、食費にすら事欠く有様だった。
病気に冒されてもおかしくない状況であったのだ。
 
当時貧困に苦しむ尚之助の狂歌が伝わっている。
 
このころは金のなる子のつな切れて ぶらりとくらすとりこえの里
今日はまだかてのくばりはなかりけり 貧すりゃドンの音はすれども
 
明治8年2月5日 尚之助は重い肺炎に冒され、手の負える状況ではなかった。
そのため身元引受人だった根津親徳は、2月7日に、下谷和泉橋の東京医学校医院(現東京大学病院)へ
入院させた。
しかし、尚之助は衰弱の一途を辿り治療もむなしく、
明治8年3月20日午後3時、慢性肺炎のために、この病院で死去した。享年わずか39歳であった。
尚之助の遺体は、根津の元へ送られいづれかの墓地に埋葬された。
困窮のため埋葬料が少ないゆえに墓碑も建立されておらず、どこかの墓所で無縁扱いで埋葬された
可能性もある。何処に眠っているのかすら不明なのだ。
 
但馬出石藩出身だった川崎尚之助の戸籍はその死をもって廃された。被告死亡により裁判も終結した。
負債相続人も居ない。八重と離縁したのはそのためであろう。
 
川崎尚之助は、無言でなにもかもを抱えてあの世へと旅立っていった。そうとしか思えない。
 
尚之助が死去した翌年に、新島襄と結婚した八重は、同志社を設立。
明治29年には平民女性初の勲七等宝冠章を受勲、会津の汚名を晴らし、明治38年には勲六等に陛進、
昭和7年88歳の長寿をまっとうする。
 
八重と尚之助の人生は、光と影だ。
尚之助と暮らし、闘った会津での日々が、彼女のその後の光輝く人生の糧になったのであろう。
八重が尚之助の事を一切口にせず封印したのも、深い愛の裏返しと考えれば納得もいく。
 
八重が会津を思い出すとき、そこには必ず、尚之助さんの笑顔があるはずだから・・・。
 
尚之助さん、そして長谷川博己さん&綾瀬さん、深い感動を与えてくれて、本当にありがとう。
Unforgetableな33回となりました!
 
尚之助さまミーハーだけでとうとう5000字を書きつくしてしまいました。
悔いはありません。
次回からは、歴史ヲタクの細々ブログに戻ります。
 
参照 「八重と川崎尚之助」 あさくらゆう氏著 
 
イメージ 2
 
なんてかっこいいんだ
 
 
昨夜、八重の桜32回「兄の見取り図」の録画を観ました。

オープニングの出演者のテロップに「川崎尚之助」の名前がなかったので
「今回は出演なしか・・・」
とテンションダウン のまま、ながら観。
 
あ、ドラマの内容云々ではなく、
尚之助さんが登場しないと どうも気持ちが乗らないのです…

し、か、し、最後の最後、
次回予告を見て・・・イッキに号泣

ずばりタイトルも 「尚之助との再会」

ああ良かった!!!
二人は会えるんだと分かっただけで涙がこぼれました。

切実なファンの気持ちを汲み取って頂き、心から感謝です。

もちろん、これが二人の永久の別れになることは分かっています

尚之助さんの登場もこの回が最後になるかもしれません

でもそれでも、会津での出会いから、ずっと見守り続けた八重さんと尚之助さんだから
最後までしっかりと二人の別れを見届けたいのです。


予告編で数秒しか映っていませんでしたが、
再会を果たした二人は、またまた 熱い抱擁 を交わしていましたね。

尚之助&八重さんは、お堅い大河ドラマのなかでも
アツアツのラブシーンが多いような気がします

あわや18禁 「八重の唇に口紅を差す初夜シーン」 から始まり
骨が折れそうな、「さぶろ〜〜〜」の固く熱い抱擁 
手を握りあって見つめあったり、
優しく抱きしめあったり…

爽やかで美しく、そこはかとなく色っぽい、二人の情感溢れるラブラブなシーンの数々に
うっとりと、癒されてきました。

でもそれは、会津戦争が始まるまでの穏やかな日々だったからこそ。

戦争に負けて離れ離れになり、プライドもずたずたにされ、
会津の罪を一身に背負い、転落の人生を選んだ、遠い目をした尚之助さんの・・・
今までとは桁違いの・・・凄まじい色気を見て・・・

正直、20代の綾瀬さんでは、とても太刀打ちできないんじゃないか、と 感じたのは確かです。

でも杞憂だったようです。
わずか数秒の抱擁シーンでしたが、
綾瀬さん演じる八重さんが、大人っぽくて色気もありとても艶っぽかったように思えました。

おそらく長谷川さんも綾瀬さんも、真剣勝負。
がっぷり四つの演技で、最後の別れを魅せてくれるのでしょう。
 
・・・つうか、たった数秒だけど、
 
尚之助さんの指が・・・八重さんの耳と、うなじを、がっつり確保していたような・・・Sexyでした。
 
さすが長谷川博己さん、お堅いNHKのお約束など無視して、剛速球投げてますよ〜

これはもう、ワンシーン、一秒もも逃さず、二人を見つめたいですね

ちなみに、ブルーレイ最高画質で当日はもちろん、念のため土曜の再放送も録画予約しました。
「龍馬伝」最終回のような、字幕テロがありますからね・・・  完全配備です 。

そして、アタクシはある奇縁を感じています。

次回はなんと、【33回】 ではありませんか 

大河ドラマの33回といえば、山南敬助ファンにとって忘れない回。
そう「新選組!」第33回「友の死」です。

堺雅人さん演じる山南さんが自刃した回。
草津で「沖田君、ここだ」と、からりと笑った名場面を思い出すと
私は今でもうるうるしてしまいます。

あの夏も、33回で山南さんが去ってしまってから悲しくて、辛くて、1ヶ月ほどドラマが観れなくなり 
結局 DVDを買って後から見直しました。
そして京都へ山南さんのお墓参りへ行ったっけ・・・

今年の夏も、尚之助さんが出演しなくなったら、きっと「尚之助様ロス症候群」に陥ってしまう事でしょう。

そうだ、尚之助さんへの旅にでしよう。
福島は遠いから、涼しくなったら尚之助さんの故郷、兵庫県出石へ行ってみようか。
川崎家の菩提寺があるそうだから・・・感謝の気持ちを伝えに行こう。
 
 
それにしても、「予告」だけで、ここまで語ってしまえる、「我ミーハー」ぶりに
自分でも呆れてしまいます。
 
予告の熱い抱擁映像( わずか数秒 )に すっかり心を奪われて、
32回の感想は書けそうもありません。
 
次回 「尚之助との再会」に全力投球します! 
 
連日の猛暑にあわせるように、ワタクシの「尚之助様症候群」もますます熱が上がっております。
・・・この反動が怖いんだよね〜
 
 
さて、前回ご紹介した本!
「八重と川崎尚之助 〜一途に生きた男の生涯」 あさくらゆう氏著 知道出版
イッキに読み終えました。 
 
なんと、「会津戦争後の川崎尚之助の実像」を、東京都公文書館で最初に発見したのがこの著者で
それを契機に、精力的に全国を駆け回り、つぎつぎと尚之助に関する史料を探し当てた御本人!
そして、その実績を一冊の本にまとめられたが本書です。
出版は平成24年12月・・・! つまりたった8ヶ月前の事なんですよ。
 
その頃はすでに、「八重の桜」の撮影も始まっており、
当時の脚本や製作の方向としては、
川崎尚之助という人物はそれまでの定説どおり、浪人のまま会津籠城戦を戦い、
開城前に城から脱出した男として描かれていた公算が高いと思われます。
 
私が「八重の桜」の参考資料として購入した書物は
尚之助の新事実が発見される前に出版されているため、私も今年の5月まで、このことを知りませんでした。
 
ところが、現在放送されているドラマの筋は、
あさくら氏らの奮闘によって新しく発見された「新事実」がベースになっています。
 
史実主義の私としては、脚本や製作の熱意と柔軟性に感謝するのみです。
おかげで、川崎尚之助という人物の魅力に、すっかり惚れてしまいました
 
「八重の桜」という大河ドラマをきっかけに、
新島八重の最初の夫・川崎尚之助について、
いままで「会津から逃げ出した男」  というマイナスのレッテルは間違いで、
むしろ会津の為に一身を投げ打った男だったと「名誉回復」できたことも、
会津の復興と重なって見え、感慨深いものがあります。
 
きっと、尚之助の御霊が平成の世に降りてきて、真実を伝えにきたのでしょう、
会津の為に一身に借財と裁判を背負い、また、八重の人生を守るために、無言でこの世を去っていった、
川崎尚之助という、理想主義者で一途な男の真実の愛と生き様を・・・
 
長谷川博己さんという素晴らしい俳優の身体を借りて、
尚之助さんは、きらきらと美しく輝いています。
 
よ〜っし、「尚之助との再会」に萌えて、燃えるぞ〜〜〜
 
イメージ 1
 
涙腺破壊・・・
なんか、最近凄いんですけど、「八重の桜」

特に尚之助とうらさんの『覚悟』に涙が止まりません。

尚之助さんは、会津の窮乏を救うために、詐欺で告訴された莫大な借財と、
勝てる見込みのない裁判を一身に引き受ける覚悟を決め、
 
うらさんは、京都で妾とその子供と暮らす夫の元へは行かず、
可愛い娘を手放す覚悟を決めたのです。
 
なぜ、こんなことになってしまうのでしょう。
悲壮な覚悟を決めた二人の末路は哀れでしかありません。
 
それに引き換え、覚馬や八重は京都で立身出世していく。
なんという運命の残酷さ。
 
いや、尚之助もうらも、自分の不幸に替えてでも
愛する妻や子供を守り、幸せになってもらいたかったのでしょう。
捨て身の愛・・・なんです。

とはいえ、「尚之助さんは勝手すぎる」という八重の思いも充分理解できます。
事情が分からず突然の「離縁状」では納得などできるはずはありません。
 
八重も夫に身に何かが振りかかっている事は予測できていました。
尚之助が他の女に心を移すはずなどないからです。
 
「尚之助さまは勝手だ。何でも一人で決めてしまう。苦しいなら言って欲しい。
一緒に苦労を分かち合いたい。」
「わたし、間違っていただろうか?待っていずに斗南へ追っかけていくべきだっ
ただろうか?」

八重の素直な気持ちにも涙。
今回の八重さんは、女性らしい、悩ましく寂しい気持ちが前面に出て共感できました。

もう会えないの?いや会って確かめたい。
でも目の前には夫からの三行半。
あまりにも宙ぶらりんすぎます。
 
ただ、「離縁状」を送ってきた、ということは、
尚之助さんは、八重さんにはもう会わないと決めているのです。

もし自分の窮状を話せば、八重さんは必ず駆けつけてくる。
そうなれば多額の借金を負担させる結果となる。
だから一人で背負う覚悟を決めたのです

お互いへの思いは一緒なのに・・・切なすぎます(涙

「旦那さまに、あいてえよ。」
 
うらさんが、八重の心を代弁してくれました。
長谷川京子さん、いい演技してましたね。

実際、八重が東京にいる尚之助に会いに行ったという説はあります。
ただ会えたのかどうかは、今もって不明です。
でも、せめてドラマでは、二人は再会を果たして欲しい!
でなければ、余りにも尚之助さんが寂しすぎます。

「いいえ、藩命ではありません。すべて私の一存で執り行ったこと・・・」
 
尚之助さんの「すべてを諦め転落の人生を受入れた」あの表情・・・
あまりにも凄くて・・・涙溢れると同時に、ぞくっと引きこまれてしまいました。

「おんながいる!」に続く、懇親の演技でした。
 
相川三郎君のような、遠い目をしてました・・・
温かい山本家と八重さんの幻を思い出していたのかもしれません。

長谷川博己さんは、尚之助という人物を完全に掴みきっています
いや多分、川崎尚之助という今まで歴史に埋もれて実態の分からなかった男の御
霊が降りてきていたのかもしれません。
 
会津のために一身を投げ打ち、藩からその名前まで抹消された男の想いをやっと伝えてくれる、
俳優やそのドラマのため・・・

みねも可哀想でした。
現代なら絶対に、お母さんと一緒に暮らせたことでしょう。
たとえ貧乏であっても、親権は母親が持つ事が通常だからです。
しかし明治初期の男尊女卑の東北では、それはあり得ないことだったと想われます。
 
何よりも旧会津藩の避難民達は、食べることが精一杯。
うらが京都へ行かないのなら、子供を手放すしか道はなかったのです。

ドラマでうらさんは会津へ帰ると言っていましたが、どうやら斗南へ行ったようです。
そして斗南へ去ったあとの消息は不明です。

覚馬さん、当時はお妾さんは当たり前のご時勢だったんだろうけど、
ずっと婚家で夫を待ち続けたうらさんをないがしろにして、それっきり、ってのもなんだがな・・・。

京都の薩摩藩邸で暮らす覚馬に対面した母と八重さんが、
盲目で体の不自由な覚馬と涙の再会を果たしたときに、
ただひとり、ぽつんと佇むみねの寂しそうな姿に・・・またまた涙でありました。

そして斗南へ渡った会津の人たちの、過酷な環境にも涙・・・
 
斗南移住について、以下簡単に経緯をまとめます。

『明治2年、会津松平家は再興を許された。
しかし領地として提示されたのは、旧領内の猪苗代湖畔、
もしくは北奥の旧陸奥南部藩領のいずれか三万石であった。
その際藩の運営を任された山川浩(大蔵から改め)らは、領地が広い北奥への移住を選んだ。
そして農業と貿易で藩を立て直す決意をした。
新しい藩名は「斗南」と命名され、旧藩士と家族1万7千人余りが移住した。
しかし、そこは火山灰土の風雪厳しい不毛の土地であった。
斗南藩大参事山川浩、少参事広沢安任・永岡久茂らは農業施策を展開するが、
慣れない農業と寒冷な自然の前に生産高はあがらず飢えと寒さで病死者が続出、蒸発するものもあった。
(川崎尚之助が、米の買い付けの特命を受けたのは、藩の窮地を救うためであった。しかし結局頓挫した。)
山川ら会津人は挫けず、斗南ヶ丘建設に始まる原野の開墾政策、斗南日新館による教育・人材育成に務めた。
ところが、明治4年、新政府は廃藩置県を実施、斗南藩も斗南県となり、藩知事だった松平容大も東京へ移住となった。
山川らは斗南県の将来のため、財力のある弘前県との合併運動を進め、周辺五県が合併し青森県となった。
しかし藩が消滅、藩主も失った不毛な斗南の地に希望を持てない会津人の多くが
これを機に全国に散って行ったために、軌道にのりかけた斗南藩の農業政策は瓦解したのだ。』
 
 
梶原平馬が灰になってしまったのも頷ける。でも奥さんと子供はたまったもんじゃないな。。。
下級藩士達はもっと厳しい環境に晒された。
 
凍死しかけた日向ユキが、命の恩人である斎藤一を「会津を戦争に追い込んだ人斬りだ!」とののしり、
「心に余裕がないから、他人にうらみをぶつけてしまう」とたしなめられて、我にかえり、

「戦争が終わったら、もっと辛いことがまっていた。」と泣き崩れるシーンは胸が痛んだ。
 
誇り高き会津の人たちから、その誇りすら奪おうとする新政府の仕打ち。
ドラマでは描かれていませんでしたが、戦死した会津兵たちは見せしめのために野ざらしとされた。
腐臭漂う城下で、判別もつかない遺体の埋葬許可がでたのは、半年後だったという。非人道すぎる仕打ちである。
新政府への叛乱の火種を完全に消し去るために、会津の人たちは見せしめにされたのだ。

米の買い付け詐欺にあった尚之助を、藩士の命を守るために切り捨てた山川浩の苦渋の決断には、
このような斗南藩の置かれた苦境もあった。
「鬼だ!」と山川が自分を責める姿が苦しく、哀しい・・・。
 
尚之助も覚悟は決めていただろうけど、
実際に「藩とは関わりがない」と告げられたときは恐らく絶望したのではないだろうか。
出石藩から来た尚之助は、それでも会津のために籠城戦を戦い借財を一身に背負ったのだ。
 
しかし、尚之助は、それを恨んだ形跡もない。グチを綴った手紙すら何一つ残していない。
この誠実さは、まるで空のようではないか。
 
最近発見された資料など、断片的に読み解くだけでも、
川崎尚之助という青年の、真面目で理想主義者で一途な姿が浮かんでくる。
 
こんな旦那様を、情の深い八重さんが忘れてしまうとは、とても思えない。
きっと心の奥底に仕舞いこんで、新島襄との新しい人生を歩む決意をしたのだろう。
埋もれ火のような二人の思い出とともに。
 
実は最近、そんな私の推測を見事に汲み取ってくれそうな本を見つけた。
 
「八重と川崎尚之助 一途に生きた男の生涯」  あさくらゆう著 知道出版社
 
このタイトルだけでもぐっときました
早速アマゾンへ注文したので、明日あたり届くはず。
むちゃくちゃ楽しみです。読後の感想などもまたUPしたいと思っています。
 

ちなみに山川浩は廃藩置県後も青森県に出仕していたが、
戊辰戦争での指揮官としての優秀さを見込まれ、谷干城の推薦により、明治4年に陸軍に出仕。
明治6年 佐賀の乱、そして明治10年の西南戦争では 陸軍中佐として征討軍団参謀として出征して活躍。
明治10年には陸軍大佐へと出世した。
その後、見識を買われて、東京高等師範学校(現・筑波大学)、女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)の
校長を歴任。弟の健次郎や覚馬、八重と同様、明治の教育現場に携わった。(日新館の教えは息づいている!)
明治23年 貴族議員に勅選。明治31年には、軍務等の功により男爵に叙せられている。
 
努力の甲斐あって立身出世したのです。

さて気になる尚之助さんの今後ですが、
「尚之助は東京で4年間もの厳しい裁判を闘うことになる・・・」
 
というナレーションは 
すなわち 『続く・・・』 の意味ですよね
 
今回で最後かと思っていたのですが、あと1、2回は登場ありそうです。
おそらく、彼の死までを描くのではないでしょうか。
 
最近判明したその末路は、あまりにも儚く哀れです
あの遠い目をした尚之助さんが、どのように苦境を生きたのか?
長谷川博己さんが、情感たっぷりに、ぞくぞくするような色香を撒き散らしながら
底辺でもがく男を演じてくれるはずです。
 
私はそんな尚之助さんをみて涙にくれながらも、きっととろけてしまうことでしょう。
 
角場で銃の開発に取り組み、前向きで明るく快活な笑顔の優しい尚之助さんは、もう居ません。
だからこそ、(もう何度も書いているけど・・・) 
最後にあのとろける笑顔を見せて欲しい!
やさしい視線の先には、いつも八重さんが居たのだから。
だから、もう一度、二人を会わせてあげて欲しいのです。
 
次回は登場するのかな?
 
TOP写真は 「おんながいる!」の場面!
 
そして、遠い目の尚之助さん・・・なんなんだ、この色気は!!!
 
 
イメージ 2
 
 

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