ゆーくんはどこ?

皆様ありがとうごさいました。アメブロへ引越しますので、また、お会いしましょう! 我人に媚びず、富貴を望まず。(黒田官兵衛)

大河ドラマ「八重の桜」

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暑中お見舞い申上げます

皆様いかがお過ごしでしょうか?

我が家は小学生怪獣が夏休みのため、家の中がカオスとなっており
日々、怪獣のお弁当つくり&片付けに追われる毎日です

しかも、先週報告しましたように、3年に一度の税務調査がありまして、
3日間の調査期間では終わらず、税務官が調査継続、懸案お持ち帰り という恐
ろしい状況になっております
今週も対策会議のため出張しておりました。

あああ、胃が痛い・・・ ・

ドラマ「七つの会議」と「半沢直樹」で描かれていた、
【厳しすぎる調査を実体験なう】であります。

なんというか、まな板の鯉、とっとと料理して〜〜的気分です。

『半沢直樹』は、皆様よくご存知ですよね。
堺雅人さんの迫力ある快演で今最も話題のドラマです。
私も初回から録画して、毎回楽しんでいます。

ちょっと自慢?ですが、
アタクシ、「新選組!」で山南さんに惚れて以来、
堺雅人さん主役のドラマはすべて観ています!(ドヤ顔)

昨年、地味めにNHKで放映された「塚原卜伝」もBSで観てました。
ハードディスク録画の整理をしていたら、この「塚原卜伝」と「八重の桜」は脚
本が同じ山本むつみさんだった事に、気がつきました。(あえて、評論は避けます


もう一つのドラマが、『七つの会議』
少年隊のヒガシが主役のNHKドラマです。

原作者が『半沢直樹』と同じ池井戸潤氏で、こちらもド迫力でサラリーマン社会
を描いています。
全4話で、今週末が最終回。
主人公は、中堅電機メーカーの営業第4課から、いきなり花の第1課に抜擢され た原島(東山紀之)。
実は前任のエリート課長の不始末をさせられる、つなぎ役。
しかも問題を隠蔽するよう会社から強要され、転落してく様をヒガシが好演して
います。

どちらのドラマも、上司のパワハラが原因。
半沢直樹は、パワハラに屈せず、立ち向かい闘う課長!「倍返しだ!」に代表される切れのいい啖呵は、観ていて爽快ですよね

「七つの会議」の原島は、気がついたときには共犯にさせられてしまう課長。
(これも一種のパワハラです)
会社の為に賢明に動き回るうちに、次第に自分自身を失ってしまう捨て駒。
ヒガシってこんなに演技上手かったっけ、と言うくらい熱演中です

確かに、私が会社に入社した当時は、パワハラまがいはありました。
部下いじめが趣味みないな上司もいました。 

しかし最近「社内コンプライアンス」が徹底されるようになり、パワハラ行為は見たことはありません。 

私自身も上司には恵まれており、苦境で助け舟を出してもらったり、アドバイス
を貰ったり、会社の人間関係で悩んだことはあまりないです。

今回の税務調査でも、担当者が情報を共有しあい、一丸となって闘うことができ
ました。
結果は勿論気になりますが、準備期間から始まったタスクに対する達成感は、あります


そして本題です。
触れずにはいられますまい。

はい。「八重の桜」第30回視聴しました。

尚之助さん登場せずがっかりなうえに、
予告編でいきないり「離縁のわけ」… がーん
覚悟はしていましたが、やはりショックです

尚之助さまの優しい笑顔(待ちうけにしてるさ〜!)を観ては涙がこぼれます。

尚之助登場してないし、気持ちの整理もつけられず、30回の感想は書けそうもあ りません。すみません。

ただ、あえて言うなら、
八重さんが斗南へ行かない訳が、どうしても納得 できません。 

「夫から連絡がくるまで、ここで待ってます」でいいんじゃないのかな・・・・

三郎君が戦死したあたりから、八重という女性像が、どうも掴みがたくなりました。
前回は、角場に居た頃の八重さんに戻って、感情輸入もできたのですが…

このままでは、八重の離縁の決断についても消化不良にならないか・・? と
正直不安を感じます。

ただ、尚之助さんについては一貫してますから、安心です ・
一途に八重さんを愛する男・・・。

このブレの無さが、尚之助さまの魅力の源なんですね

角場でお互いを思い合う川崎夫妻が大好きだったから、優しい気持ちが溢れた二人が大好きだったから、

別れの言葉を聴くのが、辛いです…・

そしてもう一度、
(何度も書いてますけど…)

尚之助さまの、あのとろけるような優しい笑顔を、見せて欲しいです

尚之助さまは、私の心の中で
「永遠に不滅です

ちょっと古い
 
TOP写真は、夫婦になるまえの二人
もう機会がないので、UPしちゃいますよ〜。(記録に残しとかなきゃね・・・)
 
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録画を見直しては、泣き・・・
「おんながいる!」の場面を思い出しては、泣き・・・
 
涙腺が破壊されたまま、週末を迎えてしまいました。
 
 プレ感想 「鶴ヶ城開城〜号泣だよ。八重の桜と尚之助さま」
では、押さえ切れない自分の心を言葉にしましたので、(しかも出張先
今回の本感想は、内容と史実中心に、書いていきます
 
勿論尚之助さまについても後半書いてますよ〜
 
 
 
城内外の激しい戦闘にあっても、鶴ケ城は落ちなかった。
日にニ千発もの砲弾をぶちこみながらも、新政府軍は最後まで城内に兵を進めることができなかったのだ。
 
しかし9月に入ってから開城の機運が動き出していた。
会津救済のため、奥羽越列藩同盟を主催した米沢藩は、9月4日に降伏を決断した。
ここに至れば一日も早く和平への道を模索し、犠牲者を出さないことこそが良策だと、
米沢藩主・上杉斉憲から会津や仙台へ発せられたメッセージでもあった。
 
事実、9月9日、米沢藩の密使が、高久に陣取っていた、萱野権兵衛(柳沢慎吾さん)に
降伏の勧告書を持参した事が契機となった。
 
もし会津が降伏しなければ、新政府軍の先鋒として米沢は攻撃に加わらねばならず、
しかも錦旗を掲げる以上、会津を賊軍として撃つことは、隣国として長年にわたる友情や、武士の情けとして
苦衷極まりない、と容保公へと降伏開城を促す内容であった。
 
萱野権兵衛は秋月悌次郎にこの書状を託し、容保公の手に届けられた。
義理を重んじる容保公にとって、友情篤い米沢藩の勧告は、心を動かすに足りるものであった。
 
9月14日新政府軍による凄まじい総攻撃も、容保の決心を促したであろう。
9月15日、仙台藩が降伏し、頼みとしていた援軍も望めない。会津は孤立無援となった。
9月15日、秋月悌次郎と手代木直右衛門(佐々木只三郎の実兄)が使者として密かに城を出た。
先鋒を派遣していた米沢陣営に到り、その手引きで土佐藩参謀・板垣退助に降伏の申し入れを
行ったのだ。
 
板垣退助は、即答できぬと二人を陣内に留め、薩摩、長州に開城に伴う条件について2日間協議の後、
会津の降伏の訴えを受理するに到った。
 
受理されるまでの二日間も、攻撃は続けられ、多くの死傷者が出ていた。
携帯などない時代だ。容保公の焦燥は増したであろう。
 
9月21日、降伏が受理されたことを受けて明け方には、矢止めとなり、城内の発砲は止んだ。
その日、容保公は城中に重臣将校を集め、開城の意を伝えた。
「これ以上の抵抗は永遠に賊軍の汚名を受けることになる。
速やかに降伏して、我は謹慎し天の裁きを待つ」と切々と訴えた。
 
ドラマで容保公に「会津は賊軍ではない、そのためにも生き抜いて欲しい」と八重さんが
直訴するシーンは勿論フィクションだ。
八重も尚之助も重臣会議には出席していなかったであろう。
しかし、会津藩主従の心情を代弁する言葉でもあった。
 
城外へ決死隊を率いて出陣し、会津南方で戦線を張る、佐川官兵衛が、同じような発言をしている。
官兵衛は、容保から使者が来て、降伏するよう説得されたときに、激昂し言ったという。
「若し朝敵にあらざるの事実を明らかにすろことを得ずんば、敢えて命に従ふ能はず。」と。
 
9月21日の夜、婦女たちは降伏の白旗を縫うように命じられた。
しかし包帯すら事欠き、照姫が着物を差し出したくらいである。白生地など城内には残っていなかった。
そこで婦女たちはハギレを集めて縫いつけた。
 
八重の証言が残されている。
「降参の旗は長さ三尺、幅ニ尺位、小布を多数集めて縫い合わせたもので、之を縫う人達は
泣きの涙で針先は少しも進まなかったと申しておりました。」
 
翌 9月22日巳の刻(午前10時頃)「降参」の二文字を標した白旗が、北追手門、黒鉄門、西追手門に
掲げられた。
開城式は、同日、正午に西郷頼母邸と内藤介右衛門邸の間で行われた。
新政府軍からは、薩摩藩の中村半次郎、山県小太郎らが出席し、
松平容保、喜徳父子は、家老の梶原平馬らを従えて、麻裃姿で式場に臨んだ。
 
午後になると城の受け渡しが行われた。
式場から一旦戻った容保、喜徳父子は、籠城戦で討死した藩士を葬った二の丸墓地と、
墓地に埋葬できず空井戸に葬られた戦死者に香花を供えた後に、家臣に別れを告げて
謹慎場所の滝沢村・妙国寺へと向った。
照姫も奥女中を従えて城を立ち去っている。
 
綾野容保公の・・・・我が不徳にて、無念にも死んでいったものへの愛惜と後悔。
最後まで闘った藩士の忠義を一心に背負い、会津の誇りをもって、粛々と歩まれる、鬼気迫るお姿。
 
藩士が「我が殿の為に、賊軍の汚名を晴らさん」と闘うに相応しい、至誠のお姿です。
 
判断ミスもあった。しかしそれを分からぬ殿ではない。
その総明さゆえに新政府軍も容保を恐れたのです。
 
尚之助さま同様、綾野容保公も、「京都編」になれば出演回数は激減するでしょう。
それもまた、個人的には辛く、寂しい。
殿が居ない「八重の桜」・・・なんだか想像が出来ませんね。
 
藩主父子が去った城内に、大手門から新政府軍が続々と入城してきた。
濠端に並んでいた会津三つ葵紋の提灯がすべて取り払われ、替わりに備前の揚羽蝶紋に替わっていた。
現実は残酷だ。
 
9月22日の夜、籠城最後の夜。
「月が物凄いように輝いていた。」と八重は書いている。
西暦でいえば11月6日。晩秋の月夜は、敗者の心を冴え冴えと照らし出したに違いない。
 
「あすの夜はいづくの誰かながむらむ  なれしみそらにのこす月かげ」
 
深夜、三の丸の雑穀庫の白壁に、八重が書きしるしたと伝わる歌である。
 
ドラマでは、男性藩士とともに猪苗代へ行くこと決意した八重が辞世として書き残し、
母もそんな娘の思いを涙ながらに受け止めて「めごい娘だ」と抱きしめます。
 
そして母娘の涙をそっと見つめる尚之助さんの姿が描かれていましたね。
 
 
翌 9月23日 早朝より、城内に居た者はすべて立ち退きを強制された。
城内にいた藩士(男性)は人員改めの後、すべて猪苗代へ謹慎の為に送られた。
婦女子と60歳以上、14歳以下の者は、勝手次第で立退くように指示された。
 
八重は男装のまま人員改めでも「山本三郎」と名乗り見咎められることはなかった。
午後になって男性藩士に混じって、北出丸から城を出て、滝沢村から猪苗代へ向っている。
 
滝沢村では、野ざらしにされた累々たる会津藩士の屍に無念を覚えたという。
道中で警護兵に「女郎がいる!」と見つかったが、それでも隊列を右往左往しながらやり過ごし、
何とか猪苗代まで辿りついた。
 
しかし、猪苗代での人員改めでさすがに女であることがばれてしまい
即座に退去を命じられたのである。
 
史実はドラマとは違います・・・・
 
しかし、ドラマで尚之助さんが「女がいる!」と八重を突き出すシーンは、衝撃でありまた、圧巻でした。
会津戦争を経た人間ドラマへと、一気にシフトチェンジしましたね。
脚本の完全勝利です。
 
本音を言えば、籠城戦が始まり、八重が和製ジャンヌダルクとなり、敵を撃ち殺すシーンに
なにやら違和感を感じだのは私だけではないでしょう。
八重は、家族を愛し、友人を思い、愛する夫の心に寄り添う女性だったのに・・・
 
やっと今回、山本家に居た頃の八重さんが戻ってきましたね。
 
食料確保のため決死隊として出陣した父・権八を心配する彼女を
優しく励ましたのは、夫の尚之助さんでありました。
 
勝気な八重さんが不安や悔しさを自然に吐露できるのは、
側に居てくれた尚之助だったのです。
 
娘の頃からずっと・・・
悩みを打ち明けたり、兄つぁさまのこと、そして三郎が戦死したときも、
いつも優しく励ましてくれた尚之助さんは、八重の心のオアシスでした。
 
「会津は打たれ強い。会津は、八重さんは強い。」と、優しく見つめる尚之助さま。
そんな夫に甘えた顔を見せる可憐な八重さん・・・
尚之助さんのへたくそな会津弁に笑いあう二人は、戦争前と同じ。
 
砲撃で硝煙とすすだらけの出丸が、二人の角場にダブって見えました。
 
籠城戦で尚之助は小田山に最も近い豊岡の砲台の指揮を任されていました。
会津城内で一番危険な場所が持ち場だったのです。
 
しかし毎日そこへ出向いて夫を助ける八重さんが、
夫とともに猪苗代へ行くことは自然の流れであったのかもしれません。
 
豊岡で闘うのは、夫と共に戦死する覚悟があったからです。
人員改めで会津藩士達が八重が女だからととがめなかった史実が、それを裏付けていると思います。
 
そして・・尚之助と八重の圧巻のドラマが待っていました。
 
プレ感想でも書きましたが、
八重は夫とともに死ぬ覚悟を決めていました。
彼女が一度決めたことを覆すことは、不可能に近いでしょう。
三郎の仇を討つために、スペンサー銃を片手に男装して入城した女傑です
 
 
ならば城内での人員改めの時に「女だ」と訴えるしか、彼女を会津に残す手立てはない。
尚之助はそう考えたのでしょう。婦女子は「お構いなし」・・・命は助かるのです。
 
 
一方の八重は、仲間が歌いだした民謡に、祝言の日を連想し、
初夜に尚之助に指してもらった赤い紅を思い出します
 
「兄さまの紅は赤すぎて外にはつけていけなかった。」
それって、あなたにしか女の顔は見せてません、って言ってるのと同じです
 
夫の側にいる安心感からか、八重は幸せそうで本当に美しい。
 
自分を信じてくれる妻の命を守りたい。
しかし、それでは彼女の真摯な気持ちを裏切ることになる。
何より自分自身が八重と別れたくない。
尚之助は一途に彼女を見続けていたのですから。
 
最後の最後まで、迷い悩み
結果選んだのは妻の命でした。
 
「女だ!ここに女がいるぞ!」
 
私この瞬間に号泣してしまいました。衝撃でした。
 
事態を飲み込めない八重さんが、
 
「なじょして??尚之助さまー!」、と夫の名を呼び続けます。ああ号泣。
 
愛が深すぎて二人が引き裂かれた瞬間でした。
 
そしてプレ感想でも書いたように
尚之助さんの「遠ざかる背中」に、大号泣。
 
この決断が本当に正しかったのか、妻と共に死ぬ道を選ぶべきだったのか、
迷い悩み寂しげなあの背中・・・・
 
夫が去り、人が去り、ぼろぼろになった城内を、とぼとぼ歩く八重さん。
「何もかもが消えてしまった・・・」 
尚之助との突然の別れは、敗戦に打ち砕かれた彼女を、奈落の底へと突き落としたでしょう。
 
しかし夕暮れに映える天守閣は、無惨な姿を曝しながらも、まだ崩れ落ちてはいない。
「それでも空はあるんだ・・」
 
空だけでない、八重さん、愛もあるんだよ・・・
 
「国とはそこに住む人のことだ」
人の愛や思いが、未来の道しるべになるんだ、と尚之助さんが言っているようでした。
 
優しくてかっこいいいだけじゃなく、哀愁と苦悩が加味されて、
尚之助さんの魅力は、ブラックホール化してきました。測定不能!
 
 
さあ、次回からのドラマの焦点は、ずばり、
八重と尚之助さんは、再会できるのか?
 
八重の性格を鑑みれば、尚之助に相談もなしに、京へ行き離縁するなど考えられません。
夫が斗南へ行ったのなら、間違いなくついていくでしょう。
八重さんはそういう女性です。
 
しかも最近分かった史実として、八重一家の米沢の寄宿先は
「会津を守れ!」で尚之助を訪ねてきた米沢藩士・内藤新一郎の家で、
川崎八重の名前がそこに記録されていることも判明しています。
まだ離縁はしてないのです。
 
いつ? 何故別れたのか?それをどう描くのか? 
 
八重も尚之助も離縁について全く語っておらず、手紙も残されていません。
それゆえ、脚本の腕の見せ所ともいえるでしょう。
 
次回も尚之助さん登場して欲しいなあ〜。
ザンギリ髪かも?なんて想像したりしてます。(気が早い?)
 
参照: 
「会津士魂」 早乙女貢先生
「新島八重 おんなの戦い」 福本武久先生 
 
 TOPは川崎夫妻、出会いの場面
 
 
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夏本番です。
皆様いかがお過ごしでしょうか?
 
私は昨日より2泊3日で本社へ国内出張中です。
3年に一度の税務局監査の立会いで、胃がまじで痛くなってます。
 
「半沢直樹」のラブリン黒崎のように、
税務官の皆様は、口調もソフトで紳士的なのですが、要所要所で痛いところを突いてきて、
書類に少しでも不備があると、猟犬に変貌し、があああと食いついてきます。まじ怖いです・・・
あのドラマ、リアルだわ・・・・。

まあ言い換えば、山のような書類から核心を探しだす手腕は、日本の官僚の優秀さの表れ。

倍返しに遭わない様、粛々と要求された書類を提出して、何とか初日を終えました。
そういえば、「倍返しだ!」の台詞を聴いた息子が、
「倍返しといえば、ポケモンだ。」としっかりゲーム脳で反応してました。

日曜日は、今のところは、八重の桜(長谷川博己さん)と半沢直樹(堺雅人さん)のミーハーゴールデンタイム、
録画して楽しんでます。でも今回で尚之助さんがいなくなったら・・・と覚悟を決めていたのですが..
 
はい、そうです。
本命の「八重の桜」、出張前に、29回「鶴ケ城開城」の録画を観ました。

最初から最後まで泣きっぱなし。
俳優陣の真剣な演技がハンパないです。綾野容保公、渾身の決断でしたね。、
容保公の御霊が綾野さんの背後にはっきりと見えたように思えました。
映画化望む!
 
そして・・・尚之助さんの「女がいる!」の場面で号泣。
もう声を出して泣きました。
 
八重さんは愛する夫とともに死ぬ覚悟を決め
尚之助さんは妻の気持ちを知りながら、その思いを裏切ってでも、妻の命を守ろうとした。
 
お互いへの愛が深くて強すぎて、胸が痛かったです。
 
 
八重さんが祝言の日、初夜に指して貰った紅を思い出し、ふとみせる女の顔。
その美しい横顔を見つめる尚之助さんの辛く苦しそうな表情。
 
そして、「おんながいる」と声を揚げた後の、
尚之助さんの「遠ざかる背中」をご覧になりましたか?!
 
妻の思いを土壇場で裏切ったこと、そしてこのまま別れてしまうかもしれない、
この決断が本当に正しかったのか、妻と共に死ぬ道を選ぶべきだったのか、
迷い悩み寂しげなあの背中を・・・
 
 
長谷川博己さん、言葉ではない、全身全霊で尚之助の気持ちを表現していました。
さすが舞台で鍛えただけの事はある、ものすごい演技でしたね。

今出張中なので、資料がないため、感想は改めてUPしますが、
どうやら急遽、尚之助と八重さんのドラマが、新たに加味されたと思われます。
 
大河ドラマが始まったころは、川崎尚之助についての資料が殆どなく、
八重さんも彼については殆ど語っていないことから、会津戦争時に夫婦仲は険悪だったのではないか、とか、
尚之助は会津藩士ではなく他の応援兵とともに会津城から退去した説が主流で、
「会津から逃げ出した」と心無い非難までされていたのです。

しかし、大河ドラマが始まり、川崎尚之助について関心が高まるにつれて、
今まで埋もれていた資料が次々と発見されて
川崎尚之助は、会津戦争前に会津藩士となり、斗南へ行ったことがほぼ確定するに至ったのです。
汚名挽回となったわけです。

じつは、この新説が発表されたのは、今年の3月…のはす。(ウロですが、『歴史読本』)
私も最近資料を読んだところです。
 
なので、脚本やドラマの収録の進み具合では、新説が反映するのは厳しいと踏んでいたのですが
見事に新説でドラマを仕上げてきていますね!脚本急遽変わったという噂は、この事ではないでしょうか。
 
もしそうならは、プロデューサーと脚本の英断です。
現場も大変だったと思いますが
尚之助ファンとしては、涙がでるほど嬉しい!
 
だって、尚之助さんが、まだ登場するからです!(あと数回であっても)
 
新説に従えば、八重と川崎尚之助夫婦は、険悪どころか、愛し合った夫婦だとも読み取れます
離縁した後に、八重が尚之助に会いにいったという説もあります。
 
情熱的なんです。
 
とはいえ、八重も尚之助も離縁の理由について全く語っていないため
その真相は未だ不明です。
 
八重さんは、自分の籠城戦については、多くを語っており、証言もしていますが、
なぜか、そこには尚之助の姿だけが・・・ぽかりと落ちているのです。
愛があったのなら、なぜなのか?
女の想いは深く複雑なのですね。特に八重さんの様に激しい気性も持ち主は・・・

そして、判明している尚之助さんの末路は儚くて哀しい。
でも長谷川さんなら、そんな彼の生涯を余韻たっぷりに演じてくれるでしょう。
 
ということで、8月も暫くは、「八重の桜」の感想は続きます。
 
会津戦争で尚之助さんとお別れと思い込んでいたので、
8月からは、別ネタで記事を書いて、「尚之助様症候群」から立ち直ろうと思っていたのですが
ますます重症になる恐れも出てきました。
 
あともう少し尚之助ミーハーブログにお付き合いくださいませ。

ちなみに【三郎髭】と私が勝手に呼んでいた無精ひげですが、会津戦争にはぴったりでしたね。

籠城戦を闘うワイルド尚之助さんには、黒マントルに無精ひげ、ぼさぼさの髪の毛がお似合いでした。
 
すすだらけでも水も滴るいい男ぶりのの尚之助さんって、最強!
 
ああ、今夜も尚之助さんへのミーハーが止まらない。
かなり重症な私です。
 
「おい、明日仕事だぜ〜 (と心の声)」
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次回(29回)の予告をみて、すでに、涙、涙の状況です・・・
 
尚之助さんの笑顔とそして立ち去るお姿が一瞬映し出されていました。
いよいよ八重さんとの別れ、
「遠ざかる背中」なのでしょうか・・・
 
尚之助さんと八重さん夫婦の離縁については、実は詳細が不明です
何故か八重さんも後年、この事については語っていません。
 
数少ない証言や史実を鑑みて、川崎夫妻の別れについて、私は2つの予想を考えています。
 
① 会津城開城降伏(9/22)に先立ち、
但馬国出石藩出身ゆえ、尚之助さんは他藩の応援兵と共に、9/20頃、城から立ち退きを余儀なくされた。
 
② 開城後の9/23 城内の男子とともに猪苗代へ送られ謹慎の身となり、
一年後の明治2年11月、会津藩士とともに斗南移住を決意する。(翌明治3年6月から移住開始)
このとき、兄・覚馬の生存を知った八重とその家族は、京へ向うことを選択し、二人は離縁する。
 
最近になって、川崎尚之助は会津藩士として斗南に行ったという説が有力(ほぼ定説)となり、
史実としては②が推測されます。夫婦で話し合ったうえの、離婚だったんですね。
 
ただ、『遠ざかる背中』が脚本の伏線だとするなら、恐らく①となるでしょう。
会津戦争が二人の結婚を引き裂いた結末となります。
 
①ならば、尚之助さんと会えるのは恐らく次回(もしくは30回)のみ。
そう考えるだけで、もう涙がでてきます・・・
 
気を取り直して、今回は、ドラマ同様、川崎尚之助の大活躍を史実からご紹介します!
会津籠城戦もエピソードてんこ盛りですが、尚之助さんについて書ける時間が
もうほとんど残されておりませんので、あしからず、ご了承くださいませ
 
 
新政府軍の総攻撃が始まったのは、9月14日。
三日町口、六日町口、甲賀町口、大町口、中町橋口、諏訪通り、そして鶴ケ城東方にある小田山の
七ヶ所に、50門の大砲を集めて城を包囲し、集中砲火を浴びせたのである。
 
中でも、小田山からの砲撃が会津には最も堪えた。
薩摩、備前、大村、松代諸藩の15門の大砲が配備され、
なかもで肥前藩の「アームストロング砲」の破壊力は凄まじかった。
射的距離数千メートルを誇る最新式の巨砲。
14丁(尚之助さん美技のコンパスで測った距離)など完全に射程距離であったのだ。
 
鶴ケ城への総攻撃は、9/14 早朝6時から始まり夕方6時まで続き、一日で約2000発の砲弾が
撃ち込まれたのである。
 
正直、新政府軍の武器弾薬等の補給の完璧さには、ある意味凄さを感じる。
武器弾薬の補給は戦争における最も重要な作戦である。
日露戦争の旅順攻防戦で、乃木の作戦ミスもあるが日本軍が最も苦慮し苦戦したのは、
武器補給であった。
太平洋戦争末期も似た状況で、特攻隊は片道分しか燃油を与えられなかった・・・
 
さて、川崎尚之助は、砲術の専門家として城内の砲隊の指揮をとっていた。
そして豊岡に会津の主力砲をあつめて、敵と対峙した。
 
豊岡は三の丸南、天神口にあって、藩祖・保科正之(土津神君)の御廟に向いあう遥拝所があり、
隣接する延寿寺には、日光東照宮の御神体が安置されていた。
籠城戦が始まり、御神体はすべて城内へ避難され、即、最前線となったのだ。
 
豊岡が小田山の敵陣に最も近かったためである。
 
権八と尚之助さんが、「城内の鉄砲隊の指揮をしろ」と八重さんを豊岡から立ち去らせたのは、
豊岡が城内で最も危険な場所だったから・・・愛ですね 
 
しかし史実の八重さんは、それでも豊岡に戻ってきて、夫とともに砲台を指揮したようだ。
 
平石辧蔵著『會津戊辰戦争』に
「城砲只一門、護衛兵と共に豊岡にありて、小田山上の敵砲と相対す
砲師 川崎尚之助 克く戦い、山本八重子 亦能く之を助け、
遂に小田山上の敵砲を沈黙せしめたる。
 
一文が残されている。
 
状況を説明するならば、
9/14 総攻撃が始まったとき、川崎尚之助は、
「わが軍は天守閣を標的にかかげてあるのに、敵の弾はそれほど命中しないではないか。
ならば我輩があの小田山の砲塁に一発お見舞いしてやろう。見ておれ、必ず命中させる!」
 
と護衛兵の高木盛之輔に豪語して、豊岡に据えた四斤砲から小田山に砲撃し続けた。
見事要所に命中し、突然敵の砲塁は撃ち方を止めた。
それを見て、高木盛之輔ら護衛兵だけでなく、守衛部隊からも歓声があがった。
 
八重も尚之助の側にいて夫を助けた。
夫婦の絆が、この一文でもよく伝わってくる。
 
八重が後年、最初の夫・川崎尚之助について多くを語らないのは、
彼女の激しい気性同様に、その愛が深すぎたのかもしれない・・・とも思えてくる。
 
もちろん、2番目の夫・新島襄が、彼女の運命の人であり最愛の夫であることは間違いないのだろうが、
女の心の中は・・・・理性では説明できない「思い」ってのが・・あるのです。
 
川崎夫妻の奮闘は、城内の士気を高めただろう。
だが、新政府軍の圧倒的な砲撃に対しては、一時しのぎでしかなったのも現実だ。
 
一日2000発もの砲弾を浴び続けても鶴ケ城は炎上しなかった。
籠城した婦女子が、命懸けで、火が上がる前に砲弾を消し止めていたからだ。
四斤砲の砲弾はバレーボールぐらいの大きさであった。
導火線が信管に達し爆発するまでの短い間に、水に濡らした着物や布団、筵などをかぶせて
すばやく消し止める荒業【被弾押さえ】であった。 ドラマで八重さんが指南してましたね!
 
 
ある日、容保と喜徳が城内を巡視中、藩公父子の近くで砲弾が爆発して、周囲にいた兵が多く死傷した。
その凄まじい威力に驚いた容保公が、砲弾の仕組みについて説明するよう部下に命じ、
その大役を八重が請け負うことになった。(ドラマのとおりです)
八重は男装のまま容保公の御前に進みでて、四斤砲を分解して、多くの鉄片を取り出し、
砲弾が爆発すれば、その鉄片が吹き飛び、多くの死傷者を出すと、理路整然と説明。
容保もまた重臣たちも、その堂々とした態度に感じ入り、八重の名前は城内でも知られるようになった。
 
権八さんの「自慢の娘」なのです
 
守閣や御殿の屋根などの【被弾押さえ】は、江戸詰めだった鳶職人が請け負ったが、
本丸や城内の【被弾押さえ】は婦女子の仕事であった。
しかし命がけである。
山川大蔵の妻、せと は、ドラマのように、砲弾の爆発が早く失敗して命を落としてしまった。
家老の妻であろうが、藩士の娘であろうが、身分の上下なく、婦女子も兵士と同じように命をかけて
籠城を戦いぬいていたのだ。
 
城内の婦女子の総指揮は、照姫がとっていた。
とても聡明な女性で、兵糧、看護、弾丸作りと婦女子を組織化して任務に当たらせていた。
稲森いずみさんはイメージぴったりです。
 
中野竹子ら【娘子隊】同様、城内の婦人が照姫に寄せる信頼は厚く、
照姫もまた、その信頼に足る心遣いと行動力で彼女達を統率していた。
 
特に負傷兵の看護に力を入れた。
包帯が不足していると聞くと、照姫は金糸銀糸で彩られた美しい帯を解かせ、
その芯地を包帯代わりに使わせた。
また布団が不足していると聞き、葵の御門の入った着物を蒲団にするよう命じたという。
その姿を見て、奥女中たちも自らの着物や帯を看護に差し出すようになったという。
 
明子さんを彷彿とさせますね〜
 
15歳以下の子供は非戦闘員であり食い扶持であったが、城内では大切に育てられていた。
鉄砲の弾を拾い集めたり、物資を運んだりお手伝いをさせられていたが、しかし戦場には出さなかった。
これは、容保の英断だと思う。白虎隊の悲劇で、深く反省し子供を守ろうとしたのだろう。
砲弾や死臭漂う城内であるが、子供は子供らしく遊びに興じていた。
その無邪気な姿は、籠城した人々の心を癒しであろう。
 
ドラマでも描かれていたが、
戦闘中に鶴ケ城の空にあがった「べろくんだし」という唐人凧は、
籠城している子ども達の遊びの一つであったのだ。
子供の無邪気な心は、無意識に平和への願いを空に飛ばしていたのかもしれない。
 
しかし、9月に入り、会津は次第に追い詰められてきた。
武器も食料もそこをつきはじめ、城内は死傷者で溢れかえっていた。
 
9/4 米沢藩が降伏。9/9には、城北高久にいた家老・萱野権兵衛に、書状で降伏を勧めている。
9/15 仙台藩も降伏し、会津は孤立無援となってしまった。
9/17 八重の父・権八は、玄武隊上士組として一ノ堰へ出陣し、銃弾を浴びて討死。
    61歳であった。降伏決定まであと3日だけに、なんとも無念である。
9/18 高田に出陣していた佐川官兵衛が総攻撃を受け、そのため鶴ケ城と外部の補給が、完全に
断たれてしまった。
また同日、坂下に、新政府軍の越後口総督・仁和寺宮が到着し、とうとう会津にも錦の御旗が
翻ってしまった。
 
萱野権兵衛介して米沢藩の仲介により、土佐と降伏の話し合いが密かに進められた。
9/19 秋月悌次郎と手代木直右衛門(佐々木只三郎の実兄)が使者として密かに
土佐・板垣退助の元を訪れ、降伏の意思を伝えている。
 
そして9月20日、松平容保は城内会議で、降伏・開城の意思を語り、
9月22日の午前10時ごろ、「降伏」と書かれた白旗が掲げられたのであった。
 
 
さあいよいよ大詰め。
尚之助、八重の別れは、冒頭に挙げた①なのか②なのか、それとも・・?
 
でもでも最後は、あのとろけるような笑顔で、八重さんを見つめて欲しい。
 
そして私は 尚之助様症候群 から立ち直ることが出来るのでしょうか。
 
「新選組!」の山南さん自刃のあとは、ほぼ1ヶ月ほど立ち直れませんでした。
 
(あ、もち「半沢直樹」も見てますよん
 
そんな中、長谷川博己さんの最新作の情報をゲッツしました。
 
な、なんと、園子温監督の映画 『 地獄でなぜ悪い 』に出演しているようです。
し、しかも、堤真一さんとも共演! やばいってこれ。
 
園子温監督といえば「冷たい熱帯魚」。R−18。はっきりいってお勧めはできません。
吐くほどグロイ内容だっけど、
狂気を描く醒めた映像に、人間の馬鹿さ加減が妙にブレンドされた名作です。
(実話をモチーフにしているのだけど、実話はもっとえぐかったときき更に驚いた)
そして昨年公開された「希望の国」・・福島原発をモチーフに、タブーに挑戦した意欲作。
 
尚之助(八重の桜) ⇒ 相川三郎(雲の階段) ⇒ そして 園子温作品
 
ってこの流れ。一筋縄ではいかない俳優さんのようです。
世間の評判やらには踊らされず、俳優として芯の通った人物ですね!
アタクシ、すっかり長谷川博己さんのファンになってしまいました。
 
参考: 『新島八重 おんなの戦い』 福本武久氏著
 

イメージ 1
 
今回か・・次回なのか・・・
 
尚之助さんとの別れを覚悟し、はらはらしつつ観ております。
 
*何度か書いてますが、私、ドラマの続きや結末は絶対に知りたくないので、ガイド本は一切読まず、
川崎夫妻の別れの転末についてもまだ知りません。
皆様も内緒にしてね!
 
27回は未だでした・・・ホッ
次回からがヤマでしょうね
 
今回の尚之助さんも、かっこよかったです。
皆様、御覧になりましたか? あの美しい コンパス使いを!!
 
週刊朝日の林真理子情報によりますと、
長谷川博己さんのお父様は建築家なんだそうです! 
 
DNAですね〜。
 
雲の階段のオペといい、道具使いの美しいこと。。。
(DOCTORSの沢村一樹さんと双璧だと思う。)
 
林真理子氏のインタビューは、長谷川さんの私生活について突っ込んだ質問も多く、情報源になりました。
さすがマリコ。
ちなみに、長谷川さんは、多忙で部屋が大変なことになっていて、今お手伝いさんを雇いたいそうです
(つまり彼女募集中 マリコ氏の裏技インタビューでした
 
閑話休題・・・
 
今回も、エピソードてんこ盛りの会津戦争について、時系列解説です。
 
 
尚之助さんが以前から危惧していたように、小田山は鶴ケ城の弱点であった。
(『長崎からの贈り物』で実際に小田山に登って「城が丸見えだ。敵からの攻撃を受けやすい」と
八重さんに説明してたね〜)
 
尚之助は、敵に落とされる前に小田山を死守すべき、と進言したのだろうが、
兵の少なさと情報の遅延が、重役たちの判断を遅らせてしまった。
 
しかし、西郷頼母の言うとおり「一同、考えが甘すぎる」のである。
 
事実、小田山が新政府軍に占拠されたのは、会津籠城が始まった翌々日、8/25であった。
長州征伐から幾度も戦火を潜り抜けた西軍は、情報収集の面でも会津の比ではなかた。
 
甲賀町通り(田中土佐と神保内蔵助が防御を突破された)からの、正面からの天守閣砲撃に加え、
背後に当たる東南の小田山から、新政府軍は俯瞰砲撃を始めたのである。
 
(この時点で、会津若松城は戦略的には完全に詰んでしまったといえよう)
 
小田山からの敵砲は、天守閣や御殿を破壊し、城内で大勢死傷させていた。
何度か奪回を試みるも、失敗を繰り返している。
 
更に川崎夫妻が語っていたように、
小田山麓には、宝積寺に隣接した砲術場と焔硝蔵が設けられていた。
 
焔硝蔵には大量の火薬や弾道、ハトロンが保管されていた。
戦が始まった時点で、なぜ直ぐに焔硝蔵から火薬類を城内へ運びこまなかったのか?!
会津の指揮系統の乱れが見て取れる。
 
重臣たちは、敵の手に渡るくらいならと、焔硝蔵の爆破を決めた。
決死隊が密かに組まれ、闇の中潜行して、見事爆破に成功したのである。
 
火薬の知識があり冷静沈着な尚之助さんが、この決死隊に加わっていたのではないかな?と
個人的に推測しているが、ドラマで取り上げられるかな?

しかし、敵の手に渡らなかっただけで、会津の火薬の不足は決定的となる。
 
そこで八重の奮闘が始まる。
敵の不発弾を押さえて火を止めたり、敵の砲弾を集めて改造し新たな砲弾を作る方法などを
城の婦女子に指南したのである。(多分次回)
 
小田山が敵に占拠された8/25 柳橋(涙橋)の戦いが起こる。
 
黒木メイサさん演じる中野竹子(22歳)、優子(16歳)は、江戸屋敷で生まれ育った。
他藩にも聞こえた美人姉妹で、特に竹子は、学問にも武芸にもすぐれ、特に薙刀の名手であった。
父・中野平内は、江戸屋敷勘定役で、容保の帰藩に従い会津へ帰り、
姉妹もまた母・孝子とともに国入りしている。
 
8/23 新政府軍が会津城下へ侵攻してきた。
早朝からの早鐘の中、母娘三人は、「照姫さまの護衛のため」城へ向った。
すでに髪を断ち、定紋の袷に義経袴、白布で鉢巻をして十文字のたすきがけ。
腰の帯刀そして薙刀を抱えたいでたちであった。
 
しかし城門は既に閉められ、入城が叶わなかった。
城下は混乱し、風評が駆け巡っていた。
「照姫はすでの坂下へ退いた」という噂が、彼女達の悲劇を導いてしまった。
(実際、照姫はすでに城内にいたのだ)
 
以前より門奈道場で薙刀を稽古した婦女子達は、その流言を信じて、若松城下から三里も西の
坂下に向った。
中野竹子、優子姉妹に母・孝子、の母娘のほか、依田まき子、岡村すま子、平田小蝶など10数人いたという。
しかし、照姫はそこには居なかった。
 
落胆するも会津の女としての意地を示したかった。
坂下に陣取った隊に参り、女子ながらも出陣する覚悟を決めたのである。
 
そこへ神保修理の妻・雪子が訪ねてきて、行動を共にすることとなった。
(ただし、雪子が娘子隊と本当に行動を共にしたかは諸説ある)
 
神保雪子は、義父・内蔵助から前日実家へ戻され、実家で家族とともに自害するつもりであったが、
父・井上丘隅に「嫁に出した娘だ、婚家へ戻れ」と叱責されて、再び婚家へ戻るも、神保家には誰もいない。
神保内蔵助は、田中土佐とともに既に自刃していたのだ。
 
雪子は死に場所を求めて城下を彷徨い、坂下へと辿りついたのだ。
 
翌朝、8/24 娘子隊が坂下の駐屯隊の隊長に面会を申し出て、出陣を願いでた。
家老の萱野権兵衛か朱雀士中四番隊長・町野源之助ではないか言われているが、
これも定かではない。二人とも坂下に居なかったという証言があるからだ。
 
 
隊長は「女子を戦に出すなど、会津には兵なきと物笑いになる。」とつっぱねた。
しかし竹子らの決意は固く「参陣の許しがでないのであれば、此の場で自刃します」と詰め寄った。
 
やむなく、翌日「衝鉾隊」と共に出陣するよう命じた。
「衝鉾隊」は旧幕府軍兵中心の隊で、、幕府歩兵差図役の古屋佐久衛門、副将は見廻組の今井信郎、
龍馬を斬ったと言われる男である。
 
8/26 夜の9時ごろ、柳橋付近で、長州、大垣藩との戦闘が始まった。
雨が降る暗闇のなか、会津の娘子軍は一列になって斬り込んだ。
男達に遅れじと出陣し、銃撃戦に薙刀で突撃したのである。
最初は好奇の眼でみていた西軍も、その気迫に押されることもしばしばであった。
特に腕のたった中野竹子は、敵の集中砲火を浴びて、弾が額にあたって亡くなってしまった。
 恐らく即死であったろう。
 
リーダーを失った娘子軍は、撤退を余儀なくされた。ひとまず高瀬村にひきあげ、そこで萱野から
「このうえは入城して怪我人の看護など婦女の仕事に就くよう」説得され、護衛兵に守られて
8/28 若松城へ入城している。
中野竹子の首は、会津の農兵が届けてくれて、敵の陵辱を受けずに済んだ。
竹子の首は、坂下の法界寺に葬られており、遺品の薙刀も寺宝として保管されている。
遺品の薙刀には、辞世の句が結んであった。
 
「武士の猛き心にくらふれば 数にも入らぬ我身なからも」
 
もう一人帰還しなかった娘子隊がいる。神保雪子だ。
彼女は大垣藩兵の捕虜となり、ドラマでは描かれていなかったが陵辱されて生晒しにあっていた。
 
見るからに高士の奥方である雪子を哀れと思った土佐藩士・吉松速之助が、
助命放逐を願い出たが聞き入れられず、雪子の懇願で短刀を密かに与え、雪子は自決を遂げている。
 
愛する夫に先立たれ、婚家からも実家からも追い出され、敵に薙刀で立ち向かうも生け捕りにされて陵辱され・・・
戦に女としての幸せを粉砕されたのだ。
 
「神保修理の妻、雪子」
その言葉は、雪子さんの最後のプライドであろう  
三途の川を渡って愛する夫に会えただろうか?
七夕の願いと重なり、このシーンは涙がこぼれました。
 
 
「会津城が危ない!」
辺境防衛にあたっていた会津精鋭隊も、決死の覚悟で包囲網を突破して、若松城への帰還を試みていた。
山川大蔵が率いる南会津日光口防衛隊が、母成峠での敗北を聞き、
急遽会津若松へ引き返すことにしたのが、8/22。
昼夜兼行で8/23には大内峠を越えて会津領内へと帰ってきた
 
後手続きの会津首脳にあって、この迅速な決断と行動力は、さすがである。
 
しかし敵の速さは山川の予想をも超えていた。
23日朝には、新政府軍による城下への攻撃が始まり、炎と煙が上がっていた。
 
一刻も早く入城しなければ、大軍で敵陣を突破することは難しい。
明日になれば、城は完全に包囲されてしまうであろう。
 
若干24歳の若き家老、山川大蔵は、ある策を決断した。
 
8/23 夕暮れ時、銃声と砲弾と悲鳴が響くなか、川原町郭門の方角から笛と太鼓のお囃子が聞こえていた。
 
「彼岸獅子だ!」
 
会津の人たちにとって、彼岸獅子は春を告げる祭りである
戦火の中現われた季節はずれの彼岸獅子は、幻想のようであったろう。
 
3組の獅子に、白衣の烏帽子、村人達のあとから、軍隊らしき人々も続く。
まさか日光口総督、山川大蔵に率いられた会津の精鋭軍とは・・・敵も思いつかなかったのだ。
 
山川は敢えて悠々と若松城へと進んだ。
その堂々たる態度が、新政府軍の度肝を抜いたのだ。
また、彼岸獅子を舞わせることで、城内からの誤射をも防いだ。
会津人にとって、彼岸獅子は故郷の懐かしい風物詩だからだ。
 
山川大蔵と数百人の精鋭部隊が、一発の銃弾を撃たれることなく、無血入城したのは、
圧倒的な悲劇に見舞われた会津戦争の、奇跡といってもよいだろう。
 山川大蔵は敵からも「知恵山川」とその名を広く知られることになる。
 
 
西郷頼母が若松城を出たのは、8/26と推察される。
8/23 の籠城以来、重臣達の感情的な対立が噴出し始めていた。
 
怒涛の襲来、圧倒的な火器の差、兵の数もまったく及ばない。 
会津が劣勢であることは明白だ。
このまま籠城を続けることは、無駄に屍を重ねるだけである。
戦力を残したまま和睦を計るべきではないかと、かつて徹底抗戦を主張した梶原平馬らから出た。
 
非戦&恭順派であった西郷頼母にしてみれば、6年前に京都守護職を拝命したときから、
声を大にして主張してきたことである。
 
「何をいまさら!和議などたわけたことを申すな。それでも会津武士か!君臣一体となって城を枕に討死すべし」
と梶原らを厳しく叱責し、罵倒した。
6年間の鬱積した思いが噴出したのだ。秋月悌次郎が間に入ってとりなした。
 
ドラマでは、頼母は「恭順」を説いていたが、事実は違う。
「城と討死せよ」と徹底抗戦を主張したのだ。
ただ西田頼母の心情は、同じであろう。
何故、あのときわしの言葉を聞きいれてくれなかったのか?!と。
 
重臣会議の後、頼母は容保から直々に呼び出された。
 
頼母に命令できるのは、容保のみであった。
「越後より帰陣の諸将への伝言役」と、退城を命じた
 
容保は、頼母が暗殺されると危惧し、
また、強烈な個性も、意思統一のアダとなろう。
 
頼母は、容保の気持ちを汲み、11歳の息子・吉十郎とともに城を出た。
彼を待ってくれる家族はもうこの世に居ないのだ。
 
結局そのまま会津に戻らず、自決もせず、榎本のいる函館へと向った。
頼母の・・・男の意地である。
 
綾野容保公と、西田頼母の、電流が走ったような真剣勝負に・・・・痺れてしまいました。
二人の絡みも、今回が最後なんでしょうか
 
さて、今後の会津戦争の山場としては
【ネタバレ注意!】
 
 
 
8/29  長命寺決戦 (佐川官兵衛 出陣)
9/4   米沢藩降伏
9/14  新政府軍の総攻撃が始まる
9/15  仙台藩降伏
9/17  一ノ堰の戦い (権八戦死・・・涙)
9/19  土佐板垣陣へ密かに降伏の意思を伝える
9/20  容保 重臣会議で開城を決断
9/22  会津若松城 開城降伏
 
史実では、9/14 総攻撃のとき、尚之助さんの大活躍が記されており、
この頃まで城内に居たことは確か。しかしその後の消息は不明です。
 
刻一刻と迫る、別れの時・・・
 
かっこよくて、優しい尚之助さん。
きっと、きっと、あの、とろけるような笑顔で、さよならと、言ってほしいのです 
 
過去の録画を見直して、尚之助メモリーに浸りたいと思います。
 
 
参考;「会津士魂」早乙女貢先生 
 
TOP写真、川崎夫妻の凛々しさったら! ワイルド尚之助カッコイイよ

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