ゆーくんはどこ?

皆様ありがとうごさいました。アメブロへ引越しますので、また、お会いしましょう! 我人に媚びず、富貴を望まず。(黒田官兵衛)

大河ドラマ「八重の桜」

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全国の・・・尚之助さんファンの皆様・・・


「雲の階段」はもうご覧になりましたか?



4/17 初回を観たのですけど・・・
すげ〜ドラマでしたね、はい。

こちらの長谷川博己さんもやばいです。
とろけてしまいました。。。


「八重の桜」の尚之助さんは、

水も滴るいい男で清潔感溢れる、ひたすら爽やかな好青年。
そして何故かそこはかとなくセクシー。
理想主義者で、鉄砲改造という目的のために藩も故郷も捨てて、会津へ来る行動派。
でも決して、自己主義にならず、回りとのバランスを考え調整できる大人。
八重さん一筋にプラトニックな愛を貫いた男らしさも持ち合わせています。
愛する女性を見つめる瞳の優しさは、誰にも負けません。


そして

「雲の階段」の相川三郎は、

無精ひげを生やした無口で無愛想な青年。
いやとは言えず、人や環境に流されてしまう内向的な性格。
そのため、離島の診療所で、違法行為と分かっていながら「ニセ医者」にさせられてしまう。
ただし、その頼りなさに母性本能を感じさせる天性の色気があります。
表情、仕草、なにもかもが、とにかくセクシー。

年上の女性(稲森いずみさん)に誘われ関係を持ってしまう一方で
島に遊びにきた若い女性(木村文乃さん)に次第に惹かれていく多情な面もあり・・・

稲森さんとのラブシーンでは、
「八重さんがいるのに、照姫が尚之助さんを誘惑しちゃダメでしょ〜。」
って突っ込みしちゃいましたよ(笑)




尚之助さんと、三郎君。
長谷川さん、真逆な男性を演じていらっしゃいます

でも二人に共通するのは、セクシーすぎる細く長くて美しい指。

大河ドラマでも八重さんの唇に紅を指すシーンに胸キュンMAXでしたが、
「雲の階段」では、三郎の美しい指が、ドラマの重要な鍵を握っていました。

手と指の表情だけで、視聴者をドギマギさせる俳優さんなんですよね〜。

演技も上手い( ´ ▽ ` )ノ
暫くは長谷川博己さん目当てでTVドラマが楽しくなりそうです。


で、肝心な「八重の桜」!

第15回「薩長の同盟」の感想も未だの状況です。

というのも、先週は公私共、超多忙でしてドラマの感想を書く暇がありませんでした。
一応、ドラマは観たのですけどね・・・
でも尚之助さんがたったワンシーンしか登場せず正直気持ちも盛り上がりに欠けてました。

ところが、昨日 第16回「遠ざかる背中」の冒頭部分だけ、偶然見たのですけど・・・

八重さんを優しく抱きしめる尚之助さんのお姿が!

あああ、ステキすぎます〜〜〜(ため息)



録画してますので、できるだけ早く観て、感想も書きたいと思います。

主人公以外の登場人物で、これだけはまるのは
「新選組!」の山南さん(堺雅人さん)以来かも・・・。

皆様には、ひたすらミーハー内容で申し訳ない気持ちもあります。
でも I can not stop my feeling ♪♪  状態でございます。

歴史ヲタネタも勿論忘れておりませんので、どうかご容赦のほど宜しくお願いいたします。



【雲の階段】日本テレビ系 毎週水曜午後10時放送 
公式HP ⇒ http://www.ntv.co.jp/kumonokaidan/index.html
全国の・・・

尚之助さんファンの皆様、今回もノックアウトされましたね〜!


尚之助さんと八重さん、
初々しくて爽やかで清潔感あふれるご夫婦ではありませんか!

綾瀬はるかさんの白無垢姿の美しさ、
そして今夜も水も滴るいい男ぶりの尚之助さん。

美男美女、お人形のようなお二人でした。


料理を前におなかを空かす花嫁へ
「今なら食べても大丈夫ですよ。」と優しく新妻をいたわる花婿。

「自分の家へ嫁入りとは・・。花婿が居候ならしかたないべ・・」
などと、一言絡んでくる酔っ払いの遠い親戚のおじさん。

そんな酔っ払いをなだめるため、酒盛りの相手をする父と花婿。

今も昔も変わらない。「結婚式あるある」!

でも、酔いつぶれた花婿を「よいしょ!」と担ぎ上げる花嫁は、八重さんぐらいでしょう!
こういうコミカルな演技も綾瀬はるかさんの魅力ですよね。

角場の二階が二人の新居です。
八重さんに担がれた尚之助さんは、まだ酔いつぶれて寝ています。

八重さんが普段着に着替えて部屋に上がると、そこには覚馬からの祝儀が届いていました。
中には、手紙と外国語の砲術書、そして綺麗な小箱が入っていました。

小箱を開けてみると、美しく彩られた蛤貝。貝の中身は京紅でした。

「娘らしさ」から程遠い毎日を暮らしていたため、美しい紅をみてとまどう八重を見た尚之助さんは、
八重の手を優しく引き寄せ、

「せっかくだ。京の紅、さしてみてください。」と

自らの指で八重の唇に紅を指したのです・・・

尚之助さんの細く長く美しい指が、セクシーすぎ〜〜。
そして八重を優しく抱き寄せ「幾久しく・・・」と囁くのです。


爽やかなのにそこはかとなくエロス・・・そう、初夜なんですね。

尚之助さんは、当時でいえば、「鉄砲ヲタク」ですが、
結構女性の扱いに慣れてます。
かなりもてた、と思います。
こんなことされたら、どんな女性でも落ちてしまうでしょう。

長谷川博己さん、やばいです。


祝言を挙げた後、八重と尚之助は、
それまでどおり角場での鉄砲改良に取り組んでいました。

呼び方もいつもどおりの「八重さん」「尚之助さん」で夫婦らしい、甘い会話もありません。

八重の父・権八は、それがどうも気に入りません。
夫をたてるのが妻の役目なのに、八重は未だに「だんな様」と呼ばない、と
八重に薙刀や針の稽古に通わせて、作業場から引き離しました。

八重は鉄砲に触れないストレスがたまり、
次第に息苦しさを感じ始めたのです。「夫婦らしさって何?」

その日、八重はそっと角場を覗きました。
そこには怒った顔の尚之助が立っていました。
逃げ出そうとする八重の腕をつかんで、真剣な表情で詰め寄ります

「どうも様子がおかしいと思い、お父上から話をききました。
八重さん、私は鉄砲を撃つおなごを娶った。世間並みの奥方など望んではいません。
私の妻は、鉄砲の名人、八重さんだ。他の誰でもありません!」

尚之助の真摯な言葉に八重は我に返ります。
「私はこの人の妻なんだ。」と。
そして鉄砲を受けとり、二人でともに改良銃の作成に取り組む覚悟を決めたのです。

八重さんが、尚之助さんに日々、魅かれていく姿が、可憐で可愛いですね。

尚之助さんもまた、保守的な夫婦のあり方を押し付けてくる義父にも聞こえるよう、
大きな声で話をしたのでしょう。
私は、八重さんを理解し守ります!と。

渋い顔の権八に向って、「旦那様もうちへ来たときは借りてきた猫のようだった」と
尚之助と八重を「見守っていきましょう。」と佐久さんは優しく権八をとりなしました。

権八も佐久の入り婿・・・実は尚之助&八重と似たもの夫婦であったのです。



八重と尚之助が、新婚生活を始めた頃、
京の覚馬は医者から「白そこひ」だと診断されました。
白そこひ=白内障です。

白内障は現代でも手術を受けないと完治できません。
当時はそのような医術もなく、白内障にかかれば、いずれ失明する運命が待っていたのです。

覚馬にとって最大の試練が襲ってきました。
しかしこの男の凄いところは、失明の恐怖に絶望せず、心の眼を大きく広げていったことです。
事実、眼病を患った後のほうが、山本覚馬の交友関係は広がり、頑迷な会津藩や封建主義に
捉われない自由な眼を持ち始めるのです。

運命とは皮肉です。

覚馬が失明しなければ、おそらく会津藩士として戊辰戦争で命を落とすか、
意きながられても凡庸な人生を送っていたように思います。


時は慶応元年、いよいよ、幕末のクライマックスを迎えつつあります。

幕末で最も面白い時期です。
ただし、あくまでも薩長土視線です。
この頃から、土佐の坂本龍馬が神出鬼没の大活躍をみせ、
さらに長州の高杉晋作が藩内クーデターに成功し、倒幕への気運をたぎらせていました。

しかし・・・ドラマでは龍馬も高杉さんもまったく登場しません。
さもありなん、会津藩視線だからです。

会津は、薩長の不穏な動きなど察知せず、完全に蚊帳の外でありました。

その頃の幕府や会津が頭を悩ませていたのは、第二次長州征伐で諸藩の意見が揃わず、
出陣の段取りがまったく組めないことでした。

だから、会津藩も、幕府も停滞したままなのです。
さらに言えば、殆どの幕臣にとって
土佐の坂本龍馬のような一介の浪人など、眼中にもなかったでしょう。
高杉晋作も単なる犬の遠吠えにしか聴こえなかったでしょう。

それが幕府の致命傷になったのです。

幕府のこの時期の停滞感と
薩長土肥のスピードの差は、そのまま倒幕へのカウントダウンとなりました。

さらに、倒幕の気運を、朝廷側から隠密にコントロールした黒幕が登場します。
下級貴族・岩倉具視、その人です。

小堺一機さんの岩倉さん! 意外だけど妙にはまってました!

お金に汚く、保身の為に公武合体から倒幕へと態度を豹変させた食わせ者ながら、
「叢理鳴蟲」など勝れた意見書を書き、また明治になっては新政府の骨格を決めるなど、
恐ろしく、先見の眼に勝れたキレモノです。

4年ほど前、京の洛北にある岩倉村の岩倉邸(岩倉具視幽棲旧宅)を訪ねたことがあります。
今でもバスに揺られて40分ほど、現代でも京の中心部からかなり辺鄙な場所にあります。
幕末当時なら、謀議にぴったりの庵であったでしょう。

岩倉村は現代でも自然に恵まれた紅葉の名所で、それはそれは見事な眺めでした。

ここに、西郷や大久保らが足しげく通ったと思うと、かなり興奮しました。

その時の記事です。


お時間があれば、ジャンプしてみてくださいませ〜。

さて・・・
京の喧騒から程遠い会津。

慶応元年の夏、秋月悌次郎は蝦夷への任官が命じらました。
はっきりいえば「左遷」です。

見送りにきた尚之助と八重夫婦に対し
「蝦夷という新天地で新しい物産をみつけ、会津の役にたちたい。」と抱負を語ります。
そして「会津の将来は、ふたりのように古い秩序にしばられない者たりから生まれてくる。」
と新婚夫婦に会津の未来を託すのでした。

もし、薩長にも顔が利く秋月悌次郎が京に留まっていれば、
薩長同盟を察知していた可能性はあるでしょう。
岩倉と薩摩の不穏な動きも掴んでいた可能性もあります。

あらゆるベクトルが、会津を悲劇へと推し進めているように思えます。

会津の空にかかった虹を眺める八重と尚之助。

尚之助さんと八重さん夫婦が、容姿もバランスもあまりにお似合いのカップルなので、
その後の哀しい運命を思うと、それだけで寂しくなります。

尚、八重の最初の結婚は、
徳富蘇峰の自書「近代日本国民史」(第73巻)にある、

『川崎尚之助の妻八重子は、山本覚馬の妹なり。』

の一文で確認できます。

徳富蘇峰は八重自身から直接聴いたととの事。おそらく事実でしょう。

二人の結婚は元治2年(慶応元年)頃で、
尚之助は会津へやってきて8年、まだ藩士に登用されていませんでした。

藩籍をもたない尚之助と八重の結婚は通常では考えられません。
覚馬の薦めで二人が結婚したのはほぼ間違いないでしょうが、
同じ屋根の下で8年間、おぼこい少女から娘へと成長した八重と尚之助さんの間に
恋が芽生えたとしても、なんらおかしくはありません。

尚之助さん29歳、八重さん20歳。
年齢的にもお似合いの二人なのでした。

参考「新島八重 おんなの戦い」福本武久先生
尚之助が、ついに八重にプロポーズしましたね!!!

改良銃が完成し、試撃ちに成功した直後の・・・唐突の告白。

「八重さん、夫婦(めおと)になりましょう。私の妻になってください。」


他藩の浪人で山本家に居候の身分。
そんな自分が、八重さんを幸せにできるのか・・・?と一度は縁談を断わったとはいえ、
尚之助さんは、八重への想いにずっと悩み苦しんでいたのですね。

「でもこの銃を作ることができた。日本で最も進んだ銃と自負しています。
たとえ生涯浪人でも、この腕があれば生きていけます。」


そして八重もまた・・・悩んでいたのです。
尚之助さんを、頑固で保守的な会津に縛り付けてもいいのか?と。


そんな八重の思いを受け止めた尚之助さんは
「私は、八重さんと一緒に会津で生きたいのです。私の妻になってください。」

八重さんは嬉しさのあまり涙をこぼし、「はい」と小さく頷き返すのでした。


尚之助さんのストレートな告白に、痺れました!
胸キュン MAXでしたね。

最近、長谷川博己さん演じる尚之助さんの魅力にノックアウト気味です。
爽やかなんだけど、そこはかとない色気があります。
水も滴りるいい男、なのに、控えめで真面目な性格もいい。

八重さんの白無垢姿も美しいですね〜。

綾瀬はるかさんの清楚で清純な美しさは、尚之助さんのお嫁さんとしてぴったりではないでしょうか!


次回の予告で
尚之助さんが八重さんに口紅をつけてあげているシーンがありましたが・・・
あの長くて綺麗な指が美しくてセクシー過ぎます。(赤面)



とまあ、尚之助さんにとろけてしまったミーハーブログになってしまいましたが、
歴史オタネタも忘れてはいけませんね(汗

「第一次長州征伐」の転末が描かれていましたが、ほぼ史実どおりです。

後に大阪城から江戸へとんずらした徳川慶喜は、幕府一番の優柔不断&卑怯者のレッテルが貼られていますが、実は、禁門の変と第一次長州征伐あたりまでは、むしろ勇猛果敢、迅速な武将の一面を
魅せていました。

禁門の変(天王山の敗走)のわすか二日後の7月23日、
禁裏にて朝廷を動かし、孝明天皇の「長州討伐の勅旨」を引き出したのも慶喜公でした

そしてこの時、ただちに征長軍を動員して長州へ攻め入っていれば、
長州は完膚亡きまでにたたき潰されていたでしょう。

松平容保公は、天皇の勅命である以上「征夷大将軍」自らが出陣すべき、と
将軍家茂の上洛を奏上すべく、家臣をすぐに東下されました。

しかし、江戸幕府は松平容保を疎ましくおもい、彼の家臣の謁見すら許そうとしませんでした。

「肥後は朝臣にでもなったのか。」と中傷するものまで現われ、
守護職在勤の費用(毎月金1万両、米2千表)を打ち切りにまでする始末です。

田中土佐(佐藤B作さん)が
「我らは何のために闘っているのだろう。」と愚痴るのも無理はありません。

京における会津藩の孤立もまた、幕府衰退の象徴でもありました・・

さらに幕府が「征長総督」に任じた尾張候・徳川慶勝がまた、優柔不断の塊でありました。

高須四兄弟の一人で、容保候の兄上、
西郷隆盛との結びつきもあり、兄弟の中で唯一、尊王派に寝返った大名です
戊辰戦争では東海諸藩を尊王側に導き、新政府軍(薩長土肥)の関東東進を助けることになります。

つまり、容保候の敵となるのです。(なんとも皮肉な話です)

尾張藩は御三家の筆頭であり、62万石(実高は84万石)の超大藩で
わずか28万石の会津藩がどうこう言えるような相手ではありませんでした。

7月23日に勅命が出たというのに、尾張候が上洛してきたのは9月末、
それも会津藩の小森久太郎が容保候の命で直接督促しに言ったからでした。

入京後も兵を動かす気配もなく、諸藩の在京重臣を招いて宴会にうつつを抜かす有様。
さすがに諸藩からの突き上げもあり、しぶしぶ広島まで出陣したものの、
当初からやる気が無く、さらに裏で戦況を画策する西郷隆盛の入知恵もあり
長州は、蛤御門の変の首謀者として、益田右衛門介、福原越後、国司信濃の三人の家老を切腹させ
その首を切って恭順の意思を示すと、さっさと兵を引き上げてしまったのです。

征長の勅命が発令されながらも、将軍家茂や尾張の徳川慶勝に戦意がなく
あっけなく兵を解散してしまったことは、松平容保候を落胆させて余りありました。

また、江戸幕府が容保候が孝明天皇からの信任篤いことに、不満を懐き
孤立させたことも、容保公の誠実なそのお心を痛めたに違いないでしょう。

松平容保公は禁門の変(蛤御門の変)の後も、重病をおして禁中に詰めていました。
天皇は容保候の身を案じ、内々で煎じ薬や菓子を賜り、病気平癒を祈祷し、
その時の洗米まで下賜されています。

孝明天皇からの信頼が容保候や会津藩を支える支柱であり、
その一方で、薩長だけでなく幕府内部からも疎まれる要因になり
孝明天皇崩御後「朝敵、賊軍」の汚名を着せられる事になろうとは・・・

歴史の悲劇、悲惨さを思わずにはいられません。


参考:「会津士魂」早乙女 貢先生
「蛤御門の変」・・・

山本覚馬の活躍と同時に、
戦の哀しさ、悲惨さをしっかり描いていましたね。
ほぼ史実どおりで納得のいく内容でありました。

とはいえ、
細かい点ではありますが、長州の来島又兵衛の奮戦と最期が史実とは違います。
蛤御門を突破した来島又兵衛を止めたのは、覚馬ではなく、援軍としてはせ参じた西郷軍でした。


西郷は、来島又兵衛を討てば、長州兵は潰乱すると見て、川路利良に狙撃を命じ、
川路は一撃で来島を撃ち落とします。

そして馬上から転げ落ちた来島は、「もはやこれまで」と自ら槍で喉を突き自害したのです。

この時の来島又兵衛とその部隊の士気は凄まじく、
かれの部下の死骸は皆、頭を敵のほうにむけ後疵を負ったものはいなかったといわれています。

ドラマで長州軍が蛤御門から背中を向けて敗走したシーンもありましたが
あれも事実とはやや違うんですね。

蛤御門の変で討死した長州藩士らは、
維新成就の礎だと讃えられました。


坂本龍馬と中岡慎太郎の墓がある霊山護国神社。
その長州藩エリアの最も高い場所には、桂小五郎と磯松の墓があります。

その真下に
「元治元年七月十九日戦死者埋骨塚」と記された大きな慰霊碑があります。
そうです、蛤御門の変で討死した無名戦士の墓なのです。

私は霊山護国神社で、この慰霊碑を発見したとき、とめどなく涙がこぼれました。

桂小五郎(木戸孝允)や長州藩の強い思いを感じたからです。

だから、ドラマで、及川さん演じる桂小五郎が、
焼き尽くされた京の街で、親とはぐれた少女と涙にくれるシーンに、とても共感しました。

蛤御門の変直前まで、京の長州藩邸にあって他藩との交渉役を行っていた桂さんは、
京を覆いつくす猛火のなか、忽然と姿を消したのです。
京で物乞いに身をやつして潜伏し、捲土重来を期したのでした。


尚、「蛤御門の変」について
史実については、過去記事を参照ください。(長州視点ですが。)↓

http://blogs.yahoo.co.jp/tomyu1999/63390067.html 『禁門の変(蛤御門の変)』


覚馬が眼に傷を負ってしまいましたね。

その後失明してしまう覚馬に女を与えたのが、大垣家清八・・・
覚馬さんと、うらさん夫婦の哀しい結末が、今から気になります。



そして会津の山本家では、覚馬の手紙が大きな波紋を投げかけていました。

山本家に長期居候中の尚之助と八重の縁談を勧めてきたのです!

未だ仕官の叶わぬ尚之助も八重の婿となれば、仕官もできるだろう。
そして八重と共に改良銃の開発に専念もでき、兵式改革が急務の会津藩にとってもプラスとなる。

しかし、今まで兄のように慕っていた尚之助が夫となることに戸惑う八重は
即座に「私は、いやでごぜいやす」と断わります。

尚之助も、(本心ではないでしょうが)、策を弄するような縁談だ、と断わってきました。

尚之助さんの気持ちは、八重さん一筋なのにね・・・・

そんな時、京から「蛤御門の変」について一報が伝えられ、
覚馬の安否が気になる山本家の人たち。
しかし武士の家として、お家の大事を最優先させなければならない。
覚馬の事を口にすることも憚られたのです。

そんなとき、尚之助が続報を伝えてくれて、
状況から判断して、覚馬が手柄を立てたに違いない。だから無事だ、と冷静に言いました。
その言葉に安堵する山本家。

八重も尚之助の優しさや冷静さに救われ、徐々に心が揺れていくのでした。

恋のはじまりですね・・・(^^

兄の安否を憂い涙を流す八重の頬に手を差し伸べる尚之助さん!

長谷川博己さんの、細く長い美しい指に私まで赤面しちゃいました・・・
爽やかでプラトニックなのに、やたらセクシー。

尚之助 & 八重の恋に行方に、胸キュンです。


そして次回は長州征伐。
会津と薩摩に徐々に亀裂が生まれていきます。

坂本龍馬もそろそろ登場のはずなのですが・・
今年の大河には登場しないかも、ですね。







 
八重の桜 

第9回 「八月の動乱」
第10回「池田屋事件」
第11回「守護職を討て!」

や〜っと視聴しました。

3回まとめて(連続して)見たので、文久3年(1863)〜文久4年/元治元年(1864)が
いかに激動の時代であったか、を余計に実感しました。

「新選組!」「篤姫」、「龍馬伝」でも、歴史に翻弄される人間模様と
歴史のダイナミズムと残酷さをもっとも実感する時期です。

ただ「池田屋事件」を新選組の暴挙、と捉える描き方がされていましたが
わたしは池田屋事件が起こる、起こらざるを抜きにしても、
長州の動きを封じ込めることなどできなかったと思うし、京の街が戦火に見舞われるのは
避けることはできなかった、と考えています。
回り始めた「革命」と言う名の歴史の歯車を、ちっぽけな人間が止めることなど出来ないからです。

8月18日の政変、
池田屋事件
蛤御門の変


この3つの史実ついては、過去記事を参照いただくとして、

http://blogs.yahoo.co.jp/tomyu1999/14033933.html 『八月十八日の政変』
http://blogs.yahoo.co.jp/tomyu1999/63390067.html 『禁門の変(蛤御門の変)』
http://blogs.yahoo.co.jp/tomyu1999/63338360.html 『馬伝 第23回「池田屋に走れ」』


今回のブログでは、ドラマの内容について、書いてみたいと思います。


はい、そうです。
尚之助さんと八重さんの胸キュン、ラブストーリーです!!!

8回まで「尚之助さんのシーンが少ない・・・」とぼやいていたのですが、
9回からは尚之助さん演じる、長谷川博己さんの、優しい瞳に見つめられて
おばさん視聴者の私までもが、胸がきゅんきゅんしてしまいましたよ。


八重さんも、いい加減、尚之助さんの気持ちに気づけよ〜〜

まあ・・・山川大蔵クンの気持ちにまったく気づかなかった「恋愛指数ゼロ」の八重さんですから
仕方ないのでしょうけど、あんなに優しい瞳で見つめられたら、大抵の女性は、恋に落ちちゃいますよ。

「セカンドバージン」とはまた違う、プラトニックな長谷川博己さん、
爽やか、なのに、ものすご〜く色っぽいです。ヤバイです!

照姫の祐筆に選ばれなかった八重を「あなたの替わりはいない」と励ます瞳。

改良銃が藩から認められない悔しさに感情を爆発させる尚之助を、
「兄さまも同じだ。会津の頑固さにぶつかってそれでも何度も何度も言い続けた」と励ます八重さん。

京へ派遣される別働隊へ志願する三郎の「本当の思い」を汲み取り、励ます尚之助と
その二人をそっと見守る八重さん。

王道の胸キュン少女マンガラブストーリーではありませんか!
八重と尚之助が結婚するのは元治2年ですから、12回から更に盛り上がっていくことでしょう。

いつ八重さんが尚之助さんの思いに気がつくか?
はらはらしながら、注目したいで〜す *^_^*



さてさて今回のプチ歴史解説ですが、
京の山本覚馬について史実を書いてみたいと思います。

京都守護職の松平容保公は、ドラマでも描かれているように頑固な会津藩にあって
実に柔軟な考え方の持ち主であった。

京の治安を守るためには、守護職の軍兵(会津藩)を洋式鉄砲による
精鋭部隊に再編成すべきだと考え、大砲頭取の覚馬は京で重用されていく。

覚馬は、直ちに砲兵隊で守衛兵を再編成して自ら調練して、御所の守衛体制を強化していった。
さらに洋学所を主宰し、在京の諸藩士に洋学の講義を行った。
新選組隊士も、覚馬による西洋式軍隊の調練を受けたらしい。
(土方歳三が後に西洋軍隊について驚くほど飲み込みが早かったのは、
この時の経験があったからかも?)

松平容保公は京都守護職として京の治安回復に誠心誠意勤めており、
新選組の後援者となり、暗殺やテロを繰り返す攘夷派浪士や志士の鎮圧に乗り出していた。

孝明天皇はもともと「攘夷論者」ではあったが、暗殺やテロなど「過激派」の暴挙に眉をひそめ、
朝廷内でも、三条実美や姉小路公知ら、長州と親しい急進派公家が主導権を握り「偽勅」を乱発する
行為に不快感を覚えていた。

そんな中、会津と薩摩ら「公武合体」派は、朝廷でも攘夷派を一掃するためのクーデターを目論み
長州藩と彼らを後盾にした三条実美ら七公卿を朝廷から追放した。
そして長州藩は御所の「堺町門」の警備を免じられ、藩兵1000人は、失脚した三条実美ら7人の公卿とともに長州へと下っていった。
これが文久3年、「8月18日の政変」である。
会津は薩摩とともにクーデターの中心にあり、藩兵1500人で御所を固めた。
孝明天皇は、このクーデターの成功を大変喜び、松平容保へ信頼の証である「御宸翰」を賜った。
容保公は感涙に咽び、生涯の肌身離さず身に着けていたことは、前回の感想文でご説明したとおり。

しかし、その信頼をもが、長州藩の恨みを買い、
「薩賊会奸」をスローガンに益々幕府へと敵意を募らせていくのである。

文久4年3月、京に滞在中の徳川家茂将軍から促されて、佐久間象山が入京する。
師弟関係の山本覚馬と連絡を取り合い、佐久間象山の「彦根遷都」という密謀にも加担し、
会津藩内での工作活動も行っていた。

もし佐久間象山の「彦根遷都」が実現できていれば・・・?
会津はもしかしたら、「朝敵」の汚名は着せられずに済んだかもしれない。
なぜなら、彦根なら「孝明天皇暗殺」は実行されなかったかもしれないからだ。


そして、初夏の祇園が血に染まる。

6月5日、祇園祭の宵宮。
新選組隊士30人余りが、三条木屋町角の「池田屋」に集結した攘夷派志士や浪士を襲撃したのだ。
このとき、会津、所司代、一橋、彦根、加賀藩など約300人の軍兵が池田屋を包囲して
退路を固めていた。新選組から遅れての出陣ではあったが、この時、覚馬も出陣していた。
そして翌日、さっそく佐久間象山に「池田屋騒動」について報告している。

ところが佐久間象山自身が、長州の尊攘激派に命を狙われ、7月11日に暗殺された。
河上彦斎らが犯人とされる。

浪士に惨殺されたことから松代藩に見捨てられた象山を
山本覚馬は「妙心寺」に葬った。
また、取り潰しとなった象山の遺児・三浦 啓之助の世話を勝から頼まれて、
「新選組」に入隊させている。
「父上(象山)の敵討ちがでいる」と覚馬に説得され、近藤勇も最初は丁寧に扱っていたが、
次第に素行の悪さが目立つようになり、新選組を脱走するオチがつく・・・

そして元治元年(1864)7月19日、蛤御門の変(=禁門の変)が起こる。
池田屋事件の報復として、長州藩兵が三方から京へ入ってきたのだ。
そしてそれを迎え撃つのは、一橋慶喜と松平容保が指揮する諸藩の連合軍であった。

伏見の長州屋敷の本隊は、会津、桑名を主力とする幕府軍に敗れ、
山崎天王山からの部隊は、先に鷹司邸に入っていた久坂玄瑞、真木和泉ら先発部隊と合流して
御所の堺町門を目指したが、越前軍に敗走し、久坂玄随は鷹司邸に立て籠もった。

伏見と山崎の長州両軍は惨敗したが、嵯峨天竜寺の700人の部隊は、
下立売門と中立売門と蛤御門に奇襲攻撃をかけてきた。

特に長州の鬼将軍・来島又兵衛率いる隊の士気は異常に高く、会津と桑名藩の刀槍隊を突破して
御所に攻め入ってきた。

そこで登場したのが、山本覚馬率いる会津の鉄砲隊である。
蛤御門内の守衛していた覚馬は、小銃隊を全面に出し、長州軍を銃撃したのである。
中立売門を守っていた薩摩軍が側背から長州を攻め、長州軍は総崩れとなり、鷹司邸へと逃げ込んだ。
(来島又兵衛、討死)

覚馬は鷹司邸に集結させた砲兵隊に砲撃を命じ、土壁を破壊させてそこから諸藩の軍兵が
鷹司邸へ突入して、長州軍を撃退した。(久坂玄瑞、自刃)

覚馬は、翌日、会津、桑名藩兵とともに山崎に出撃し、天王寺に陣を張る真木和泉らを
小銃隊で攻め、これも潰滅させた。 (真木和泉自害)

山本覚馬が藩内の反対を受けながらも主張し続けてきた、洋式鉄砲と砲台の威力が現実となり、
その功績により、山本覚馬は、公用人に取り立てられることになる。
しかし、蛤御門の変の戦闘が原因か、山本覚馬はこのころから次第に視力を失っていくのである・・・


覚馬さんは、しかし、内戦のために洋式改革を行おうとしたわけでなく
佐久間象山先生門下として、列強に負けない日本の国作りのため兵制改革の重要性を説いていたのだ。
つまり、吉田松陰や勝海舟や坂本龍馬と同じ考えを持った男であったのだ。
それゆえ、長州と会津の血で血を流す内戦の勃発に、恐らくは心を痛めていたに違いない。


にしても・・・

小泉孝太郎さんの演じる「一橋慶喜」!
立ち居振る舞いといい、血統や秀才の美男といい、はまりすぎてます!!

殿様ゆえの優柔不断で幕府をを引っ掻き回した、ある意味、容保公の最大の敵役。

綾野剛さんと小泉孝太郎さんの・・殿様対決も大きな見所になってきました〜。


参考文献 「新島八重 おんなの戦い」福本武久先生著


 

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