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三連休最終日、
正倉院展、なう。 今日は奇跡的に、待ち時間5分で入館できました! |

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こんにちは、ゲストさん
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2017年1月2日 初詣
![]() 毎年恒例になっている『菅原神社』へ お参りしました。 今年は初詣でもあり 御礼参りでもあります。 昨年は、息子の中学受験の合格祈願でお参りし、絵馬を奉納しました。 その願いが通じたのか 無事に合格を果たすことが出来ました ![]() 実は昨年、甥っ子も大学受験を控えており 共に絵馬を奉納したところ、 見事第一志望に現役合格 ![]() 菅原神社、実に霊験新たかです ![]() ![]() 都を畏怖させた菅原道真公のパワーは やはり本物だと、感じすにはいられません ![]() 今年は2日にお参りしたせいか 参拝客が多く、門の外まで列になっておりました。 清水で手を洗い、参拝。 健康で学業成就、開運出世を お願いしてきました。 息子は毎年恒例、 牛さんの頭もなぜて これで成績アップもまちがいなし ![]() ![]() 干支の酉の鈴入り置物、 菅原道真ならではの梅の香御守り、 学業成就鉛筆を購入 神社を後にしました。 梅の香り御守りに 菅原道真公が5歳の時に詠んだ歌が 紹介されていました。 『美しや紅の色なる梅の花 あこが顔にもつけたくぞある』 かわゆい ![]() 菅原神社の由来や、 菅原道真公については、過去記事を参考くださいませ。 ![]() ”菅原神社 の由来'' http://blogs.yahoo.co.jp/tomyu1999/59720765.html ”菅原道真公” その一 http://blogs.yahoo.co.jp/tomyu1999/24003971.html?p=1&pm=l その二 http://blogs.yahoo.co.jp/tomyu1999/24534843.html?p=1&pm=c |
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本日正倉院展初日です。
早速行ってきました! 意外とすいすいっと入場できました。 教科書でお馴染みの 漆胡瓶 精巧な装飾と丸みを帯びた胴体が 実はものすごい技術によるものだとわかりました。 面白かったのは、 当時の貴族が着装していた 皮のベルト! あまりにも現代風でビックリしました。 しかもオシャレ! それと 当時の写経場で働く人達が、 職場の待遇改善を求めた上申書の原稿。 休みを月5日にして! 閑な時期は人員を減らして! 賄いに麦を加えて! ずっと机仕事で身体が痛いから福利厚生として酒を供給して! 等、 奈良時代のリーマンも 色々悩んだり訴えたりして働いていたんだなあとシンパシー。 今回も見応えのある至宝の数々でした! また時間を見つけて レポしたいです。 近鉄奈良駅でお土産に買った 大仏プリン ![]() 人気みたいで、並んでました。 |
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本日(1/18) 晴天に恵まれた飛鳥の地、 小山田遺跡の現地説明会へ行ってきました! 「未知の巨大古墳?」と全国紙の一面トップで報じられた事もあり、多数のファンがつめかけ、近鉄橿原神宮前駅から臨時バスも運行されるなど、この大発見への関心の高さが伺えました。 明日香養護学校の正門脇で、橿原考古学研究所スタッフさんの説明を受けた後、学校敷地内の遺跡へGO! 48mにも及ぶ割掘りと、敷き詰められた石の遺構を目の当たりにしました 巨大でありかつ緻密な技術を駆使した見事な遺構 久しぶりのリアル古代史ロマンスに大感激でした。 また、最近歴史に興味持ち始めた息子の(初歩的な また詳細は別途レポートします |
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2015年最初の歴史ブログ記事は、これしかありません!!
連日報道されている記事を書きに列挙します。(メモ替わり)
奈良・明日香村に新たな古墳か 石張りの巨大な掘割発掘朝日新聞デジタル 1月15日(木)18時37分配信
約50メートルにわたって石材を張り付けた掘割=昨年12月24日、
奈良県明日香村、朝日新聞社ヘリから、高橋一徳撮影 奈良県明日香(あすか)村川原(かわはら)の小山田(こやまだ)遺跡で、
約50メートルにわたって石材を張り付けた巨大な掘割が見つかった。
県立橿原(かしはら)考古学研究所(橿考研)が15日発表した。
7世紀中ごろに飛鳥に築かれた未知の古墳の一部とみて、規模や立地、特異な構造から、
舒明(じょめい)天皇(593〜641)が最初に葬られた場所との見方を明らかにした。
舒明天皇は、大化改新で知られる中大兄皇子(なかのおおえのみこ、天智天皇)や
壬申(じんしん)の乱に勝利した大(おお)海人(あまの)皇子(みこ、天武天皇)の父。
これまで小山田遺跡では木簡のほか、目立った遺構は出土していなかった。 県立明日香養護学校の校舎建て替えに伴う発掘で、東西方向に幅7〜3・9メートル、
長さ約48メートルの掘割を確認。
北側斜面は40センチ大の石英閃緑岩(せんりょくがん)を張り、底面は15〜30センチの石材を敷き詰めていた。南側斜面は2段目まで緑色の結晶片岩(緑泥〈りょくでい〉片岩)の板石を積み、
その上に「榛原石(はいばらいし)」と呼ばれる奈良県東部産の特殊な板石を階段状に積み上げ、
最高10段の板石積みが残っていた。
橿考研は、遺構は古墳の掘割(濠〈ほり〉)にあたるとみて、 墳丘裾部は大豪族、蘇我馬子(そがのうまこ)の墓とされる石舞台古墳(一辺約50メートル)を上回る
一辺50〜80メートル程度の方形だったと推定。
墳丘はすでに失われているものの、板石が裾部の表面を飾った可能性が高いとみる。 舒明天皇最初の墓?蘇我蝦夷? 未知の古墳、見立て様々朝日新聞デジタル 1月15日(木)21時47分配信
段ノ塚古墳(舒明天皇陵)で確認された榛原石の石積み=
大阪府立近つ飛鳥博物館刊「ふたつの飛鳥の終末期古墳」から、同館提供(原板宮内庁書陵部)
奈良県明日香(あすか)村の小山田(こやまだ)遺跡から現れた未知の巨大遺構。
50メートル以上の石張りの掘割は、舒明(じょめい)天皇が最初に葬られた墓(初葬地)の一部なのか。
ただ被葬者像には当時の権力者、蘇我蝦夷(えみし)の名前も挙がり、識者の見立ては様々だ。
奈良県立橿原(かしはら)考古学研究所(橿考研)によると、 奈良県東部産の「榛原(はいばら)石(いし)」で墳丘を覆う古墳が造られたのは、7世紀中ごろに限られる。
この時期に没し、蘇我馬子(うまこ)の墓とされる石舞台古墳(一辺約50メートル)を上回る墓を築ける人物として、舒明天皇(641年没)の名前が浮上したという。
日本書紀によると、舒明の遺体は642年12月に「滑谷岡(なめはざまのおか)」に葬られ、 その9カ月後に「押坂陵(おしさかのみささぎ)」に改葬された。
押坂陵は、宮内庁が舒明天皇陵に指定する段ノ塚古墳(奈良県桜井市)が確実視されている。
古墳は天皇家の墓に特有な八角形墳で、段ノ塚古墳がその最初。
一方、滑谷岡は明日香村東南部の山中とされるが、該当する古墳は不明だった。
明日香に巨大古墳 舒明天皇陵か産経新聞 1月16日(金)7時55分配信
奈良県明日香村の小山田(こやまだ)遺跡で、7世紀中頃の巨大な古墳の一部と濠(ほり)跡が見つかり、
橿原考古学研究所(橿考研)が15日、発表した。
一辺50メートル以上の方墳と推定され、蘇我馬子(そがのうまこ)の墓といわれる石舞台古墳を上回り、
飛鳥時代最大級の規模。
橿考研は第34代の舒明(じょめい)天皇の初葬墓(しょそうぼ)(改葬前の墓)として
日本書紀に登場する滑谷岡(なめはざまのおか)陵の可能性が高いとみている。
濠は東西の長さ約48メートル。壕の南側で、 榛原石(はいばらいし)と呼ばれる板状に加工した切石などを階段状に積んだ墳丘の一部が見つかり、
付近の地形などから、一辺50メートル以上の方墳とみられる。
見つかった土器などから、築造時期は7世紀中頃と推定されている。 *****************************************
舒明天皇稜 なのか、
蘇我蝦夷の墓なのか?
ざっと記事や報道を目にした個人的な印象は、
ここが、蘇我氏の本拠地である甘樫丘や飛鳥寺に隣接する場所にあることから、
日本書紀に記載された蘇我蝦夷が生前に築いた「大陵(おおみさき)」ではないだろうか・・・??
ということで、
明日(1/18) 、現地説明会へ行ってこようと思っております。
(あとは天気のみ。晴れて!)
また報告いたします。
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