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(cgi boy版「Tonの日々雑感」バックナンバー 2004年12月24日記事 )
恋しくば 尋ね来てみよ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉
この歌をご存じだろうか。現大阪府和泉市にあった信太(しのだ)の森が舞台の物語。保名(やすな)という武士に助けられた白狐が"葛の葉"という美しい女性に化身して、保名の元に身を寄せて子(童子丸、後の安倍清明〈あべのせいめい〉)をもうける。その後、家族三人幸せに暮らすがふと気を抜いた瞬間にしっぽが出て童子丸に正体がばれ、泣く泣く信太の森に帰ろうとするその時、障子に記した歌だ。この物語、もとは日本中世以来の語り物芸能・説経では「信太妻」「葛の葉」、浄瑠璃では「蘆屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)」といわれる。
この別れの後、保名と童子丸が葛の葉に信太の森へ再度会いに尋ね、そこで童子丸が「かかさまと別れるのはいやじゃ」とぐずった時、身を切られる思いで野性の狐の姿に戻り追い返す、母子の別れのシーンは何とも胸に迫る。佐渡の人形芝居(猿八座)と説経(薩摩小若太夫)でこの物語を公演した際、この場面で僕はリハーサルと本番、両方で泣いてしまったぐらいだ。 そしたら長男が先日幼稚園でもらってきた物語の冊子に「白狐の恩返し」という名で取り上げられていた。さっき寝る前に読んであげてたら、上記の子別れのシーンでちょっと泣けそうになって、絶句しかけてしまった。こないだカミさんが読んでても同じシーンで同じように絶句したらしい。昔からの物語ってシンプルだけど、すごく心に残るものって多いよね。 僕、子供持ってからこういう「子別れ」もののお話にメチャクチャ弱くなってしまった。落語「子別れ」でも泣いた。どんな人も十代ぐらいまで生きてるって事は、そのとき心は荒んでいても必ず愛を受けてるはずなんだ。いま子育てしてみて思う。赤ちゃんは何も出来ない。食事も下の世話も誰かがやってあげないと生きられない。いま生きてるって事は自覚は出来なくても誰かがそのときやってくれたってことなのだ。これ、相当忍耐力ないと続けられない。息子たちの身長・体重全てにそうした思い出が詰まっている。だから子別れは理屈抜きに泣けてしまう。
さっきカミさんが次男にミルクあげてるの見たら、次男の奴、カミさんが哺乳瓶持つ指を小さな掌でしっかり握りしめてやがった。(^^) こんなに頼られると、、たまんないね。「手に触れたものを掴もうとする」のは赤ちゃんの持つ"原始反射"のひとつであることも承知だけどね。
かわいいなぁ…。がんばろっと。 |

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上方落語「天神山」では「恋しくば たずねきてみよ 南なる 天神山の 森の中まで」ってなってますね。
「天神山」で涙しました。
2010/6/20(日) 午後 11:57
>papaさん
葛の葉を基にした、こんな話があったとは知らなかった。
ググってみたけど、噺として聞いてみたくなりました。
落とし話でなく人情話なのか。。。
papaさんには説経のほうも、是非聞いてほしいです。
[ さかた(Ton) ]
2010/6/22(火) 午後 6:34