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Ton's Tones支店
ブログって現代の「ふだん記」(http://www.simizukobo.com/hudangi/)と思ってます。

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最近、認知症で入院しているクリスチャンの母の代わりに
カトリック教会のミサに行ってます。
僕は幼児洗礼を受けているわけではありませんが、
幼い頃連れられて参列してたから、手順はわかってるんです。
 
昨日は「王であるキリスト」の祭日でした。
祈りもいつも以上に歌が多く、お香も焚きしめたミサで、
これは幼い頃から今まででも初体験。祭祀感いっぱいのミサでした。
 
キリスト教ってやはり唯一絶対な考えなんですよね(^_^;)
神とその子キリストの愛のみが絶対で
これの前に全てが一つにならなくては、って考え。
ましてや昨日は「王であるキリスト」とまで謳った祭日でもあって、
それが特に色濃く感じました(^_^;)
キリスト教の神だけが絶対だ!と宣教され、
自分の神様を否定されようもんならおせっかい(^_^;)
 
これじゃ戦争は絶対なくならんよなぁ()
 
僕はやはり「宗教はどれも神に帰る踏み石に過ぎない」
って、ネイティブアメリカンの考え方のほうがしっくり来ます。
日本人ですね。
いろいろな宗教でカリスマはやってきてる(それは単に「人」です)。
救い主はイエズス・キリストだけじゃない。
大切なのはひとりひとりが大いなるもの(宇宙=神)に対して
恥じない生き方ができるか、その縁(よすが)が宗教。
生き方の見本としてそれぞれの宗教で愛されているカリスマがいる。
できるだけそのお方の生き方に近づいて生きようとできるか。
どんな宗教でもそれがいちばん大切なんではないかいな。
 
しかしね、幼い頃、母に連れられてたミサ。
大いなるもの(神)を意識し、心落ち着けて対峙する機会として、
教会の聖堂にいる時間は、大好きなんです。
僕も50歳。その「心落ち着ける時間」のいとおしさをとみに感じます。

  • 顔アイコン

    落ち着ける空間、時間、それは宗教の場であったり、自然の場であったり、人と人との場であったり…。。。
    いろいろありますよね…。。。

    boubou

    2018/11/26(月) 午後 5:46

  • 顔アイコン

    > boubouさん
    はい。先日かみさんと近くの相模原麻溝公園に行きました。
    50歳にもなると、二人で木々の中を歩くのだけでも
    とても落ち着けますね(^^)。
    とても大切なことに思います。

    教会は、僕の場合、まさに母の胎内回帰ですね。
    そういう意味で落ち着きます。

    [ さかた(Ton) ]

    2018/11/28(水) 午前 10:53

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