本日も写真日和

一日一善。 一日三膳。 一日一枚。
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「世界中どこへ行ったって、表と裏・光と影」
 
韓国を旅するにあたり、ハングル語を勉強して行かなかったのは失礼であった。
ワタシも含めて日本人の頭の中には、「英語は世界語!」といった間違った認識のようなモノがあるので、それさえ話せば問題あるまいと勘違いしてしまうのだ。
が、当然韓国には韓国独自の言語があり話されているのだから、訪問するからには、「〜は何処ですか?」とか「〜して頂けますか?」程度の片言ハングル語は勉強すべきであったと、遅まきながら旅行を終えてからしきりと反省した。
 
そりゃ〜みやげ物屋のように、毎日毎日日本人を相手にしている人達は、大抵日本語が話せますよ。
でもね、彼らの土地へ行ったのだから、力及ばずとも彼らの言葉で接しようとするのが礼儀だと思うのですよ。 だから、そういった意味では英語もダメ。 英語なんて、唯の「第三言語」に過ぎません。
 
韓国版居酒屋で飲んでいる時の事。
隣のテーブルに座った会社帰りのサラリーマンと思しき3人組の内のひとりが、料理や店内の様子をパチパチ撮影しているワタシを見て、「よろしければ、あなたの写真を撮りましょうか?」と英語で申し出てくれました。
ワタシも何の気なしに、「ありがとう。 お願いします。」と同じく英語で応じましたが、あれが覚束なくとも韓国語での返答であったなら、その後更に会話が弾んだかも知れません。 そう考えると、まことに残念な事をしました。
 
ワタシにも「好きな国・嫌いな国」は有りますが、そこに住む人までも十把一絡げにして「好き!」だとか「嫌い!」などと、先入観的に断ずるつもりは毛頭ありません。
どこの世界にも、「良い奴」も居れば「悪い奴」も居るのですから。

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今回の旅行の全行程において、ワタシが韓国で購入した物は何もない。
正確には、そりゃ〜コンビニで飲み物やらガムやらは買ったけれど。 所謂“免税店”だの“怪しげな偽ブランド店”だので買ったモノは何もない!っちゅう事ですね。
欲しいモノなど、なにも有りませんでした。
その代わり、食べた食べた!飲んだ飲んだ!
昼から飲んで、夜は必ず2〜3軒はハシゴした。 それはもう「使命感に燃えた」ように喰い捲くって呑み捲くった。
 
そんな韓国料理の中でも最も心に残ったのが、上に掲載した“ワタリ蟹のケジャン”であった。
これは、一般的には蟹のキムチのようであり、赤く如何にも辛そうな色をして供されるのが常らしいが、ワタシがチョイスしたのは、ちょっと“たまり醤油漬け”のような味付けをされた一品。
韓国の食べ物と言うと、そのほとんどどれもこれもにトウガラシが入れられ、美味いも不味いも無い、みんな似通った味になってしまうモノで、その時のワタシは、既に「辛い味付け」と「揚げ物」に少々辟易し始めていた。
そこで選んだのがコレだったのだが、果たして選択は正解であった。
甲羅の中の、ちょっとゼリー状化した肉を啜ってみると、ジュルジュルと蟹肉が持つ独特の甘味旨味が口中にパッと広がる。
ここにトウガラシを投入したならば、その味の余韻が打ち消されていたであろう。
 
東京でも、例えば新大久保辺りなら、同じ味が楽しめるのであろうか?
ぜひ、もう一度食べたいと思う。 そして、もちろんガブガブとマッコリも飲みたいと思う。

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韓国へ行って来ました。
20年近くも前の話になりますが、この国には一度訪れた事があり、今回が二度目の上陸っちゅうワケですね。
 
実は、韓国に関しては、ほとんど印象に残るような記憶が無かったのです。
それは。
完全なるパッケージ・ツアーで、終日バスに乗せられ引きずり廻されただけであった事と、初日から最終日まで、朝から晩まで、常に酔っ払っていたからに他ならないのですが。
 
今回の訪問地はソウルだけでしたが、自分の足で歩き回ってみて、ここがなかなかに魅力的な一面を持った国である事を再認識した次第。
特に、裏町が面白い!
「昭和の匂い」と言っては変ですが、どこか懐かしい「ごった煮」のような雰囲気が、それはもうふんだんに残っているのですね。
靴屋ばかりが集まった町。 家具屋ばかりが軒を連ねる町。 照明器具屋ばかりが立ち並ぶ町。
よくもまぁあれだけ同業者同士で固まって密集し、お互いに商売が成り立つものだ!と感心してしまいましたよ。
 
それと。
街角に、靴の修理屋の多い事にも「おや?」と思いました。
日本では、もうあまり見掛けないではありませんか。
直すより買い換える“アメリカンスタイル”に、いつしか日本人はドップリと浸かってしまったのかも知れません。
修理して使い続ける習慣の残る韓国。 実に結構な事だと思います。
 
それとも。
単に日本より「道」が悪いだけだったりして? ははっ

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ラジオの時代

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ここんところ、時間があるとYouTubeで昔のラジオ番組を探し出しては聴いて(観て?)います。
良いんですよねぇ〜コレが。
ターゲットは、主に70年代に放送されたAMラジオ・プログラム。
これを、当時の事ですからカセットテープに録音し、今ネット上にアップしている方がいらっしゃるワケです。
まことにありがたい事です。
 
現在、ワタシが夢中になっているのが、“夜のミステリー 体験実話シリーズ”というラジオドラマ。
1977年頃、TBSのラジオ番組“夜はともだち”の中のワンコーナーであったようです。
当時、リアルタイムでこの番組を聴いた事は無かったのですが、その独特のなんとも懐かしい雰囲気に、往時のラジオ深夜放送黄金時代を思い出してしまいます。
声の出演者である、「野沢那智」「若山弦蔵」などといった名前にも、ムフムフと嬉しくなったりして。
 
ラジオドラマの良さは、逆説的ですが「画像の無いこと」。
視覚情報に頼れないから、テレビよりも日本語がより豊かなんですね。
聞き手には、セリフと効果音だけでストーリーの状況を頭に想い描く能力が要求されますが、その頭脳内の作業がまた心地良いのです。
それと。
今時の乱暴で単純な口調とは大違いの、当時は、実に丁寧で変化に富んだ語彙を駆使していたという事実に驚かされます。
たった30数年の間に、ここまで言語が荒廃し退化してしまったのか・・・!
まったく、日本語の将来が危ぶまれますよ。 文部省の責任者よ、出て来〜い!!
 
ついでに申し上げておくと。
「怪談」の、時代を背景とした変遷もまた興味深いです。
今のモノは、妙に欧米化した暴力的で攻撃的な幽霊ばかりが登場しますが。 あの頃のソレには、まだまだ古き良き日本の情緒と言いますか、しっとりとした「怖さ」が残っていたように感じます。
これって、老人の「昔は良かった〜」的感情から来る、単なる思い込みだけの問題でしょうかね?

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電気の話

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枕元に電光式の時計が無くて、日頃不便を感じていたのです。
夜中に目を覚ました時に、「今何時だ?」って思う事ありますよね?
そんな時には、枕の下に常時忍ばせてる小型のライトで時計を照らし、時刻を確めているのです。
これが、如何にも面倒。
そこで、「致し方なし・・・」などと呟きながら漸く重い腰を上げ、アメリカより持ち帰ったAC電源式のデジタル時計を引っ張り出したワケなのです。
これで、生活も多少は改善される事でしょう。 良かった良かった。
 
ところが。
翌日になってこの時計を見てみると、なんと1時間ほども時間が遅れているじゃあ〜りませんか!
「はて、間違えてセットしたかな?」。 気を取り直して再設定します。
しかし。
翌日になると、またもや時刻はズレズレにズレて居りました。
そこで、やっと事態を理解したんですね。
アメリカと日本とでは、電灯線の電力規格に相違がある事を。
 
ワタシが住む茨城県は関東ですから、壁のコンセントから取り出せる電気は、交流の100V・50Hz。
一方のアメリカは、120V(実際にテスターで測ってみると115Vだったりするのですが・・・?)・60Hz。
電圧の差は、目くじら立てる程ではないとしても、周波数が10Hzも違います。
目覚まし時計の時間が遅れるのは、おそらくこの周波数の差ではないか?と睨んだのです。
この辺りの真相。 箱根の関所より以西にお住まいの方は、どの様なご事情なのでしょうか?
ぜひ、お聞かせ頂きたいと思います。
 
で、結局。
変換器を繋いでまで頑張る気にもなれず。
今はまた元に戻って、目が覚める度に枕の下をゴソゴソまさぐって居ります。 チャンチャン

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筑波山の、東京方面から見て斜め裏側にあたる位置に、「真壁」という町がある。
筑波山神社にお参りした後、帰路とは方角が180度異なるが、ちょいっと足を延ばす形で真壁へ向かった。
目的は、煎餅を手に入れる事。
 
実は、先日行った笠間稲荷の近くで、この「ぬれやき煎 辛八」を見つけたのだ。
試しに買ってみると、これがなかなかに美味い!
「濡れ焼き」と聞くと、それはもう無条件に歯の無いお婆ちゃんが喜びそうな、只々湿ってフニャフニャした食感を想像するが。 煎餅屋仙七のモノは、ひと味違っていた。
商品のポップに、どこかのテレビ番組でも紹介されたとあったが。 それもまた「なるほど」と頷ける。
柔らかい中にも程好い硬さが残り、ほんのりピリッと辛い醤油味と共に、絶妙のハーモニー(表現が古っ!)を醸し出しているのだ。
「やるやないかぁ〜仙七!」などと言いつつ袋の裏書を見ると、なんと製造元の住所は「真壁市」となっている。
で、今回わざわざ立ち寄った次第なんですね。
 
工場に併設された店内には、カレー味だの梅風味だのと、それはもう様々なフレーバーの煎餅が並べられ、ついつい目移りしてしまうが。 やはり一押しは、この「辛八」だろう!
ワタシの中では、今しばらくの間ブームが続きそうなくらい気に入っている。
皆さんも、機会があったらぜひお試し頂きたい。
 
余談であるが。
筑波山神社近くのみやげ物屋で、「悪代官」なる名の地酒を発見した。
購入しようかどうか?迷ったが、こちらはなんだか悪酔いしそうで、考えなおして止めた。

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筑波山でお参り

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「なぜに狛犬のお尻ショット?」
 
先日の笠間稲荷に続き、今回は筑波山神社。
日頃、けっして信心深いワケでもないのに、妙に神社巡りが続いてるなぁ。
 
ここは、そそり立つ大杉や堂々たる社殿にも「なるほど」と頷ける、三千年近い歴史を有する古社らしい。
今までに何度も訪れているが、初めて知った。
 
若い頃、友人たちと連れ立って“筑波サーキット”へ通った一時期がある。
筑波山へは、その序にしばしば立ち寄った。
然程距離の無いワインディングロードだが、モーターサイクルに跨って何度も上ったり下ったりした。
 
「山岳信仰」とは、世界の各地に共通して見られるモノだが、人間の実に分かり易い自然な発想と言える。
日本にあって奇跡的にだだっ広い関東平野に突如としてポコッと突き出した筑波山だから、古くから信仰の対象となって当然だろう。
 
ワタシがお参りをしている時、一人の男性がお祓いを受けていた。
連れの人間は無く、まったくの単身。
何か叶えたい願い事が有ったのだろうか? それとも、祓い清めたい何かか?
 
神社において、両手を合わせてお参りする人の姿も珍しくない。
中には、ポンポンと2回拍手を打った後に合掌する人もいる。
「神仏混淆」
とは言え、頭を下げる気持ちこそが大切なのだろう。

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ネコを撮る

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アメリカから持ち帰った本は、それはダンボール箱で20個近い量であり、あちらでは大きな本棚3つを占拠していたボリュームであるだけに、この狭い日本の家の中では、未だにすべてを荷解きするに至って居りません。
そんな中から一冊の本を探し出そうと試みたのですが、あちらを開けてもこちらを覗いても、どうしても発見する事ができませんでした。
その本が、これ岩合光昭さんの「ネコを撮る」です。
 
もう一度読み返したいと思わせた切っ掛けは、茨城県は笠間市に在る日動美術館で開催されている氏の写真展でした。
「猫を撮らせたら日本一!」
そう実感させる、猫への愛情が溢れんばかりに篭った写真ばかりですから。 数年前に購入し読んだ本書を、今になって探し回ったのです。
 
仕方なく、家の近所の中古書店である“Book Off”へと向かいました。
 
余談ですが。
最近、系列店である“Hard Off”を見掛けませんねぇ。
あの店名には、日本へ遊びに来た知人が驚きまして。 英語に“Hard off”という熟語は無いが、対語とも言えそうな“Hard on”という表現はある、と。 意味は、つまり「男性自身が元気になる!」っちゅう事らしいんですね。
店の看板を、ゲラゲラ笑いながらパチパチ写真に撮ってました。
あれ? この話って以前にもしましたっけ?
 
で、その“Book Off”での事。
あの店では、来店したお客に対し、「いらっしゃいませ」ではなく「こんにちは」と呼び掛けるのですね。
ワタシは、この「こんにちは」に、いちいち反応してしまうのです。
つまり、「こんにちは」と言われると、こちらも「こんにちは」と挨拶を返してしまうのです。
これが日本では少々奇異な事であるのか? 昨日も、挨拶をしてくれた当の店員さんから、「はぁ?」ってな顔をされてしまいましたよ。

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moさん、ぼんさいさん、moonyさん
 
前回の記事に関し、コメントを頂きありがとうございました。
それぞれにご丁寧なご意見を頂戴しておいて失礼な話なのですが、今回の記事という形でお三方へのご返答とさせて頂く事を、どうぞお許しください。
お一人お一人に対しワタシの稚拙な表現力で考えを述べますと、どうにもそれらが単なる「断片」になってしまうような気がするのです・・・
それを避ける意図から、この一片の駄文でお応えしたいと思います。
また、皆さまからお寄せ頂いたお言葉は、どれもが間違いなく社会的に正当な物ばかりであり、ワタシも心底から同意させて頂くに何ら偽りはありません。
その事だけは、一言冒頭に申し上げておきたいと思います。
 
さて。
アメリカで仕事帰りのドライブをしていた時の事。
ハイウェイのインターチェンジに差し掛かった時、前方左手にレーンから飛び出し路肩より2〜3m下へ斜めに突っ込むような形で落ちている赤いピックアップトラックが眼に飛び込んで来ました。
どうやら、その事故は単独のようであり、またワタシが来る直前に起きたばかりのモノのようでした。
しかし、現場には既に数台の通り掛りの車が停まっており、事故車を取り囲むように立つ幾人かの人の姿も見る事が出来ました。
ワタシも一瞬「運転手は無事か?」と心配しましたが、おそらくもう911へは連絡されているものと推察し、ブレーキを踏む事なく帰路につきました。
そしてその時、もしこれが日本で起こった事故だったら、どうであったろうか?と考えたのです。
日本であったならば、ここまで迅速に助けの人々が集まるだろうか?と・・・
 
アメリカ人と言うのは、実に単純で分かり易い感情を持った国民です。
しかし、その単純さゆえに、困った人を見ると黙っては見過ごせないようです。
誰かが道端で蹲っていれば、一声掛けずには居られないのが「アメリカ人気質」なのです。
だから、消防士でなくとも、よその子供を助け出すために燃え盛る自動車の中へ飛び込んだり、警察官でなくとも、疾走する逃走犯の車に自らのトラックをぶつけて捕物の手伝いをしたりするのでしょう。
つまり、そうした扶助の考えは、それを生業としているから発揮される類のモノではなく、いつも一人一人の胸の内で息づいているモノである事を、信ぜずには居られないのです。
 
以上の話は、アメリカ人だから・・・日本人だから・・・と、十把一絡げにしたような偏見を述べるものでは決してありません。
「単細胞的ヒーロー願望の表れ」と言われてしまうかも知れませんが、人間にとって最も尊い行ないは、「他の人のために己を犠牲にする行為」なのではないでしょうか?
お釈迦様は、お腹を空かせた子供の虎に我が身をお与えになったと言いますし、神様も臆病はお嫌いなはずです。
 
そして。
そうした“Act of valor”をされた方に対しては、金銭的に賛辞を表すのも結構ですが、「ヒーロー」として惜しみなく讃える人々の気持ちこそが、なによりも大事なのではないだろうか?と思うのです。
震災・大津波以降の騒動や沖縄の普天間問題を考える時、「税金さえ納めていれば国民の義務は果たされた。」という、まことに身勝手な勘違いをする人が、今の日本の巷には溢れているような気がしてなりません。
「税金を払ってるんだから、我が身の安全は保障されて当然だ!」とか、「なにか起こったら、日頃給料を貰ってる自衛官が行けばよい!」といった心得違いが・・・

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Act of Valor

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ちょっと前の事。
ワタシの趣向を心憎いまでに熟知しているアメリカの友人が、“Act of Valor”とタイトルされた人気作家Tom Clancy監修によるペーパーバックを送ってくれました。
同名の映画も、既に米国では公開されて居り、日本でも来月下旬にはロードショウされるようです。
こりゃ行かねば。 絶対に見逃せませんよ!
 
さて、そのストーリーはと言うと。
捕虜となったCIAのエイジェントを救出するため、“Navy SEALs”と呼ばれる米海軍の特殊部隊が敵地深くに潜入すると言うモノ。
読後の感想としては、少々有りがちで単純な内容との気もしますが。 息もつかせぬスリルの連続は、さすが本物をベースとした迫力に溢れています!
痛快にして、やたらと愛国心を掻き立てられ、誰の胸の中にも存在するヒーロー願望を満足させてくれる、実に「分かり易いほどアメリカ人好みの作品」と言えるでしょう。
くだんの“SEALs”が行なった現実のオペレイションといえば、先のビンラディン殺害が咄嗟に思い出されますが。 それもこれも似たようなモノ。 オバマによってプロデュースされたか?はたまたハリウッドか?の違いでしかありませんわね。

話は突然変わって。
NHKのテレビ番組を見ていたら、去年の3月11日に、東北地方の消防団員200数十名が尊い命を落とした事を報じて居りました。
彼らの多くは、地震直後の避難誘導や防潮堤の水門を閉めるため沿岸部に留まり、押し寄せた津波により殉職されたようです。
南無。 心よりご冥福をお祈りいたします。
あなた達の勇敢な行動が有ったればこそ、何人もの命が助けられたのです。 それを考えると、深く深く頭が下がります。
 
一方で。
ここ最近、消防団を辞めたいと願い出る人も増加しているようです。
更なる大地震の発生も噂される昨今ですから、無理もない事ですね。
誰だって死にたくないのが本音。 それを無理に押し付ける事は出来ません・・・
しかしながら唯一つ、ワタシの胸の奥に魚の小骨のように引っ掛かったのは。
番組が、「どうして、これ程までの(消防団員の)犠牲者を出してしまったのか? 消防団の活動自体に誤りはなかったのか?」といった、まことに残念な論調であった事。
 
アメリカにおいて、消防士が常に子供のなりたい職業上位に位置しているのは、人命救助のためには自らの命をも顧みないという勇敢さ故に間違いありません。
公のために私を捨てる。
それだけに、人々から讃えられ、賞され、尊敬されるのです。
日本の消防士や海上保安官や自衛官達にも、同様にして正当なる評価を!
そんな事を、この2つのメディアから考えさせられてしまいました。

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