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お友達がスタッフ&賛同人になっているイベントのお知らせです。
9月18日 放射能から子供をまもろう!〜脱原発を考える埼玉県民の集い〜 さいたま市民会館浦和ホール 13時30分〜 会費500円 詳しくは ↓ をご覧ください。 http://ameblo.jp/wataruyokota/entry-11020036556.html 6月に福島へボランティアへ行きましたが、足がまだ完治せず行けないままになっていました。 特に原発に対する情報収集をすることもなく、「うちは子どもがもう大きいからそんなに影響はないのかな」 くらいの無責任な気持ちでおりました。 しかし、どう考えても負の遺産を子供や孫の世代に引き継いで良いものではありません。 行って勉強して来ようと思います。 見つけたら声をかけてね〜 |
ボランティア
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良く考えず書いていたら、ボランティアの事がすごく長くなってしまった・・
最後まで読んでくれた皆様ありがとうございます。
「絆ジャパン 災害ボランティアチームのSさんがブログに19日の事を書いてます。
こちらもごらんください ^ ^ ↓
さて、福島に行くことを決めた日に、いくらなんても旦那さんには言っておかないと、
と思ったのですが、どんな反応が返ってくるか少し不安でした。
体力ないだろう とか どんな場所か知ってるの? とか 原発の事とか 言われるかな〜?と。。
出発2日前に言いました。
私 「あのー、19日に日帰りのバスツアーでいわき市小名浜にボランティアに行くことになりました」
夫は
「 で、 何時に帰ってくるの? 」
ホントにこれだけでした(苦笑)
飲み会行く時と同じ反応じゃん。
しかし、いつも私がやりたいことを応援してくれる夫には感謝していおります
おしまい
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作業を終えた私達はボランティアセンターへ戻り、そこで道具をお返ししたり、着替えたり
して帰路に着きます。
バスに乗った私達を、センターの方達が手を振って見送ってくれました。
小名浜のボランティアセンターは九州の民間の方が中心になって立ちあげ運営しているそうです。
会う人会う人、みんないい人で泣けました。
バスは7時半過ぎに予定どおり武蔵浦和に着きました。
仲良くなった方たちとも、「ぜったい又会えますよね」 と 特にメールも交換せずにさよならを
しました。同じ気持ちを持っていたら、又会えると思いました。
いつもと同じ帰り道、紫陽花がとてもきれいでした。
また、7月にもボランティアバスが出るそうです。
今度はもう少し体力を付けて参加したいと思います。
おしまーい
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お昼は海の目の前で、みんなでおしゃべりしながら各自持ってきたものを食べました。
とてもリラックスできました。みんなかわいいお嬢さんたちです。
若いのにえらいな〜 私が若い時なんて自分の事しか考えてなかったな。。(昔を反省)
海はとても穏やかで、サーフィンをしている人もいて3カ月前にここが津波に襲われた
なんて想像できないほどでした。
でも、よく見ると少し奇妙なのがわかります。
沖にあるテトラポットの並び方が高いところと低いところがあっていびつです。
そして、砂浜に1つ、巨大な4本足のオブジェのような鉄の塊があります。
テトラポットって近くでみるとこんなに大きいものなんだ・・
こんなに大きくて重いものが津波で運ばれたんだと思うとぞっとしました。
海のすぐそばの歩道の柵は津波にのしかかられて曲がって切れていましたしブロック塀は粉々でした。
津波に柱を残して1階部分を持っていかれてしまったお家もありました。
被害を受けた家の玄関部分にはそれぞれ 「現状保存」 とか 「解体予定」などと書かれた紙が貼られて
いました。
午後は工場組の半分(私を含む)が畑の作業に加わりました。
休憩中〜
津波のために畑に堆積した砂や泥をスコップで土嚢に詰めそれを運び出します。
それが終わると畑を平らにしてさくさく耕して終了。強い日差しの中頑張りました!
続いて、奥のお庭も同じような状態だったので、砂をかき出し運びだします。
30人ほどが流れ作業でどんどん砂を運んでいくので早いです
各自汗だくになりましたが、無事作業終了〜 みんないい顔しています!
(私、20年ぶりにスコップ使いました
帰り際に奥様が、お庭に一つだけ咲いていた大きなぼたん(?)の花の種を
「芽が出るかわからないけど」と言ってくださいました。
私達が引き揚げる時には、ご主人と二人で 深々と頭をさげて「ありがとうございました」と言ってくれました。
ほんとうに、こちらこそ、ありがとうございました。
どうぞ、お元気でいらしてください。
つづく〜
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作業の前にリーダーのSさんから活動についての諸注意がありました。
「無理をしない範囲で作業をしましょう。
10できるところを8くらいまでしていただければいいんです。
疲れたなと思ったら、休憩時間じゃなくても適時休んでください。
もし、地震が来たらまず自分を助けてください。」
工場は海沿いにあり、津波の被害を受けました。
私達のグループは少し遅れて到着したので、先に作業をしていた栃木のボランティアグループのリーダーさんに
指示を仰ぎます。(栃木の方々もホントにいい人達でした
敷地内にある側溝の泥のかき出しとゴミ拾いが私達の仕事だそうです。
私達女性はゴミ拾いをすることになりました。
工場の裏のテニスコート4面分位の土地には、津波で運ばれてきたいろいろなものが落ちていました。
「ゴミ拾いなら、簡単〜」
と、土嚢袋を手にしゃがみこみ地面を見ると、そこで軽いめまいがしました。
色とりどりの細かい物体が
屋根だったもの、 壁だったもの、 ドアだったもの、
浮きだったもの、船だったもの、卒塔婆だったもの であることが分かったからです。
そして、そのままの形をとどめている 水道の蛇口、片っぽの上履き、スプーン、ボールペン。
津波が、奪ってバラバラにして置いて行ったものでした。
その時まで、体力的な心配ばかりしていましたが、現実を受け止める心の準備が
できていなかったのかもしれません。
他の人はどんどん作業をしているのに、5分くらいはほぼしゃがんだままだったような気がします。
それでも、しばらくすると慣れてきて、私の土嚢袋もちょっと重くなって来ました。
30分も作業していない時に栃木のリーダーさんが 「休憩にしてくださーい」と声をかけてくれて
正直ほっとしました。
バスも一人の席だったので、この日ほとんど誰とも話をしていなかったのですが、この休憩で初めて
他の人とお話することができました。
「こっちの方が涼しいですよ」とか他愛ない事でしたが、ほんとに心がとっても楽になりこの後はわりと
普通に作業することができました。
そしてしばらくして、お昼の休憩になりました。
つづく〜
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