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以前にドラゴンズファンといことを書き込みましたが、その理由は、大学4年間愛知県にいたこと。
これが非常に大きい。
富山県は、ほとんどが巨人ファンだったので、当然ボロクソでした。
なんで富山が巨人ファンが多いかって?
それは、読売の正力オーナーの出身と言うこともありますし、地方の放送は基本的に巨人戦しかしない。
パリーグの普通の試合なんて、名古屋にくるまで見たことがなかった。だから、中日戦の裏試合の
近鉄戦を名古屋球場で見て、びっくりした。確か近鉄対南海戦。観客なんて全くいなかった。
視力のよかった自分には、観客を数えられた。
巨人対中日のプレミアムチケットをダフ屋から買う時、一緒に近鉄戦を買うと半額にしてくれた。(苦笑
投手には星野がいた。リリーフで偉そうに出てきて、抑えるとどんなもんだいって感じで胸張ってくるし
打たれたら、マウンドにグローブを叩きつけて暴れていた。
その時の捕手の木俣が、グローブを拾っていたような気がした。
大島選手も一発長打で、売り出したところだった。
大学で野球と離れようとしていた自分をもう一度グローブを取らせてくれた。
高校で肩を痛めて125キロしか出なくなった自分は、野球をあきらめていた。兆度、小松投手が入団し
スピードガンがおおはやり、バッテイングセンターでも、測って記録が壁に貼ってあった。
トキワ荘のようなぼろアパートの住人になっていた自分は、大学にもろくに行かず、麻雀ばかりしていた
アパートの連中が、実は高校野球の経験者ばかりだったのが判明したのは、みんなでバッテイングセンタ
ーに行った時だった。
上手い!!すごい!!なんだこりゃ!
聞いたら、中京、平安、東洋大姫路、県岐阜商・・・・マジ?東洋大姫路の奴なんて副キャプテンで
ショート?ぼさぼさ頭からは想像できなかった。
それに比べて自分は・・・・その時、隣で打っていたものすごく上手い人が「君、なんでそんな窮屈な
フォームなの?もっと後ろをリラックスした方がいいよ。」の一言。
高校時代、足が速かった自分は、とにかくピッチャー返し。叩く。小さく構えてコロガスことが仕事。
右に流す。セーフティバント、バスター。ボールを打ちあげようものなら、監督にメガホンで叩かれた。
バットを絞って脇をしめて、叩く。これがスタイル。後ろをリラックス?
少しアドバイスもらった後、打球を見てあぜんとした。ライナーでホームランボード近くに連発した。
自慢じゃないが、高校時代、打率は4割を超えていたが、長打は零。盗塁は1度しかアウトになっていない
ような打者だった。それから激変。高校の合宿練習に協力したとき、後輩と紅白戦で、2塁打3本。
左中間、右中間、そしてまた左中間。
「おい、お前大学で上手くなったな。」監督!あなたが見る目がなかったんですよ。大学で草野球以外
やってないですから。
地元に帰ってきて、応援で参加した軟式野球で、当時市役所のエースからホームランを打ったので、
それから常にクリーンナップ。高校時代を知らない後輩は、高校時代も長打の選手だと今でも思ってる
らしい。
後からアドバイスしてくれたのは、元中日の河村保彦さんであったらしい。(解説をしていて驚いた。)
人生、いつ、どんな巡り合いがあるかわからないもんだと本当に思いました。
でも、大学の時の草野球は楽しかった。
投手は元バスケット選手なのに、軟式で135キロを投げる奴。(しかし、セットは苦手)
捕手は平安。補欠と言っていたが上手い。セカンドとファーストは中京の補欠。でも、本当に上手い。
サードは県岐阜商。こいつの肩は鉄砲肩。誰もがファーストを嫌がった。ショートが東洋大姫路の副キャ
プテン。最初はみんな信じていなかったが、(だって、本当に髪の毛ぼさぼさ、ひげも伸び放題。麻雀と
パチンコに明け暮れていたから。)無茶苦茶上手いやん!!三遊間の当たりをノーステップでファースト
に綺麗に投げた時に、平然としていたのがすごい。打球も半端なものじゃなかった。「なんで大学で、野
球しなかった?俺の同級生よりよっぽどうまいぜ。」中京の連中の言葉に。「・・・・しんどい。大学に
なってまで、また1年からやる気になれん。」然り。自分もその気持ちはわかる。
外野も三重、滝、春日井などの経験者。自分は、代打と投手以外のどこでも。
ユニフォームもない奴らが、朝間野球の強豪と良い試合するもんだから・・・・
「あんたら、なんで公式戦に出ないんや?」
みんな笑っていた。
楽しい野球。
これが14年間、ソフトボールの指導に関わってきた原点かもしれなかった。
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