日記

しばらく休みます。みなさんの活躍を祈ります。

24年3月

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生協さんありがとう

生協盛岡支部の皆さんが今月二度目のボランティアです。

月二回のペースで訪れ、簡単にできる小物などのアイディア品を持参して

昔乙女たちにレクチャーしてくださいます。

3月は年度末、おそるおそる尋ねました。

4月からの予定はありますか?

これまで通りですよ。    あーよかった(*´∀`*)

では、生協の今(?)乙女たちをご紹介します
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    天真爛漫の可愛い乙女たちです

東海新報の「こころの情景」欄は何度高田松原を掲載したでしょう。

春夏秋冬、千変万花の松原でした

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    ハマヒルガオ(浜昼顔)が潮風にのって群舞しています。

あーあと300年 生きたーいっ゚(゚´Д`゚)゚
                                       ふう


転載元転載元: サポートチーム〜絆〜 陸前高田 滝の里仮設団地

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大船渡市の大船渡魚市場(菅野佑三社長)は、震災後もブログで浜の元気を発信している。更新は職員の新沼菊也さん(38)が担当し、昨年7月からは本県沿岸の統合ブログから単独版へと移行した。津波で壊滅的な被害を受けた本県漁業の復興をブログを通じて全国へ伝えている。
 同市場は震災前から県内の他市場も参加する「魚ログ」に積極的に投稿。新沼さんは2010年に千回の投稿を達成していた。
 大船渡魚市場は津波で大きな被害を受け、2階事務所にあった新沼さんのパソコンも流された。通信が回復すると、3月29日に携帯電話からの投稿を開始。5月上旬には震災後初の臨時的な水揚げがあったと発信した。
 魚市場の片付けや復旧作業だけでなく、地域では消防団の活動にも追われたが「現状を伝えることが一番」と投稿を続けた。ブログ読者の安否を気遣ったり、復興を願うコメントに励まされた。
 7月には「続・魚ログ、大船渡魚市場(株)単独ブログ」として独立。単独での情報発信を始めた。ユーモアを交えた構成で、浜の現状を伝えている。
 千葉隆美専務は「震災があって苦しいときに新鮮な情報を発信している。地道に努力している」と見守る。
 新沼さんは「今年は大船渡にとって勝負の年。大船渡魚市場が忙しく動く様子を少しでも伝えたい」と力を込める。
 同市場のブログのアドレスはhttp://redsharks4111.blog.fc2.com/
【写真=ブログで大船渡の浜の様子を発信する大船渡魚市場の新沼菊也さん】

最高の卒業式

卒業式、入場が始まりました。
私が歩いていくと保護者の方々が
笑顔で迎えてくれます。ありがたいです
中には手を降ってきたり
名前を読んだり・・・・(汗)
うれしいです。
 
開式の辞
国家市民歌斉唱
そして生徒呼名ならびに卒業証書授与
 
私が一番緊張していたこと。生徒の呼名
一人ひとり名前を読み上げました。
今までのがんばり、1年生の頃を思い出しながら・・・
そしてこれからもがんばって夢をつかんでほしい、
そういう想いを込めて呼びました。
生徒たちはその思いを受け止めてくれたのか・・・
わかりませんが、前日とは比べ物にならないくらいの
大きな声で返事をしてくれました。
堂々とした表情、姿勢。どれもがすばらしかったです。
 
前日までの練習では
声が小さい!なんて注意していましたが、
こうまで立派にしてくれるなんて。
本番は違いますね。
 
一人ひとり、いろいろな思い出が蘇ります。
 
一人呼ぶたびに
「あ〜この子はこういう子だったな・・・」
ちょっとでも油断すると涙が出てきそうでした。
しかし、この役目は担任の私しかできない役。
がまんの時間でした。
 
3年生33人。昨年までは34人でしたが転校してしまいました・・
33人、全員がこうして卒業式を迎えられて本当にうれしかったです。
 
ひとりひとりが校長先生から卒業証書を受取ります。
 
そして私が考えた保護者のためのシャッターチャンス。
証書をもらった生徒は体育館の中程まで行き、
保護者に向けて証書を見せます。
そして、証書を広蓋において
席にもどってくる。
 
こんなやり方を実践してみました。
 
卒業式は子供たちが主役
本当はそんな写真やビデオのための動きを
することはこの場ではふさわしくないのかもしれませんが
誰もが今までの過去の写真を失った人たちばかり。
今回は写真という思い出の重みを感じました。
ですので、1枚でも多く写真を残してほしいと思い、
今回やってみました。
 
喜んでくれたと思います。
 
今年度は卒業記念品授与はありません。
数年後、統合されることがほぼ決まり
この校舎もなくなります。
そこに新しくお金をかけて物を残すというのもどうかと悩みました。
ただですらみんな厳しい生活です。
 
そこで、卒業記念プレートの紹介にしました。
私たちがここで学んだという足跡を残すため、
全員の写真とメッセージを大きなプレートにし
それを飾ってもらうことにしました。
 
校長式辞、教育委員会、来賓
様々な方のあいさつがありました。
震災のことはどうしても避けては通れません。
 
 
 
 
最後は
卒業生の旅立ちの言葉です。
 
これも教員が考えて
生徒に言わせる・・・ということはしません。
すべて生徒たちに書かせました。
 
震災をメインにはせず、
この3年間のがんばり、
親、後輩たち、
仲間へ対する感謝を言う場にしました。
 
もちろん、避けては通れませんから
震災のことも出てきます。
 
親をなくした生徒の言葉。
「今まで言えなかった言葉、
お母さん、今まで14年間私を育ててくれてありがとう」
会場が号泣でした。
 
あとあとですが、少し誤解を受けてしまい、
なんで生徒にあんなことを言わせたんだ。
と言われました。
 
 
違うんです。
止めさせようとしました。
違う文章、例えばクラブのこととかにしたら?
そう言いました。
しかし、
「私はここでお母さんにお礼を言って、くぎりをつけたいです。」
普段意見を私に対していう生徒ではありません。
でも、この子がこう決意しました。
私は言わせたいと思いました。
 
賛否両論でしょうが、
私はこの子がこれから前に進む為には
これがいいと思いました。
 
 
 
また、昨日まで私も練習の場にいましたから
すべての流れを把握していました。
 
しかし・・・
あれ?文章がちがってる?
 
私はふと思いました。
 
「ここまで育ててくれた先生、感謝という言葉では言い表せません!」
 
33人がステージに立ち、
脇に座っている私のほうを見て
言い出しました。
 
驚きました。いつのまに練習したのでしょうか・・・
 
これで泣かない担任などいません・・・
 
テレビ局がいるのも忘れて号泣してしまいました・・・
 
ほんとうにほんとうに感動しました。
 
本当に強く優しい子供たちだと思います。
 
知らない間に、
私の知らないところで
私を驚かそうとする
自分たちも忙しかったのに・・
 
ありがとう。本当にありがとう。
 
あなたたちは最高の生徒です。
 
 
 
 
そして最後の全校合唱。
 
合唱で有名な太田桜子先生が
私たちのために書いてくださった曲
 
「空 〜ぼくらの第2章〜」
 
ふるさとをたたえ、歌う、すてきな曲です。
13日には東京からわざわざ学校にいらして
合唱指導もしてくださいました。
 
そして退場
 
泣くのをがまんし、卒業生を連れて体育館を出ます。
 
1・2年生はいつも怒っている私が
泣いているのにびっくりしている様子でした。
 
保護者の人たちは全員泣いています。
 
こうして、卒業式が終わりました。
 
 
 
 
このあと、私と子供たちの最後の帰りのホームルームになります。
 
 
 
続く

転載元転載元: 平和な町を目指して

高田松原

ブログ初日に書き込みました生ごみ処理のキエーロくんを作りました。

早朝、東京町田市から到着した鶴川第二小学校の先生とPTAの方々、お子さん方32人が滝の里に2度目の訪問です。

被災地の様子を自分の目で確かめたいと、そしてそれを学習にも役立てたいと、それと、キエーロ制作のお手伝いの、大変忙しい訪問でした。

まだ、見たくない、思い出したくないという気持ちが強く、遠くからしか見ていなかった市民会館に震災後初めて行ってみました。

地震に襲われた時にいた場所は跡形もなく潰れ、趣味の成果を発表する場であった舞台はやはり跡形もなく瓦礫の山となっていて、言葉もありません。
あの日の出来事が走馬灯のように頭をよぎり悲しみが思い起こされました。
イメージ 1

    ↑市民会館入口です      ↓舞台です、天井が抜け落ちています
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  市役所です
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   陸前高田市では職員118名が犠牲になりました

町田のみなさんは、実際に見たら改めて津波の凄さが実感されましたと
話していました。

その後、気仙小学校、気仙中学校とめぐり、高田松原に行きました。
震災後、陸前高田の存在を全国に知らしめた一本松、
死して更に存在感を高めた一本松
まだ、力強く気丈にそびえたっていました。
イメージ 4

イメージ 5

      お彼岸頃から、一本松の死を悼んで花が供えられていました

                                                                                ふう




転載元転載元: サポートチーム〜絆〜 陸前高田 滝の里仮設団地

 
第84回選抜高校野球大会の開会式が21日、甲子園球場で行われ、
 
初出場を果たした石巻工(宮城)の阿部翔人主将の選手宣誓に、
 
地元石巻市民が感極まった。
 
東日本大震災で受けた被害を乗り越え、晴れの舞台に立った選手たち。
 
PV(パブリックビューイング)で阿部主将の勇姿を見守った市民は
 
「全ての被災者の気持ちを示してくれた」 などと感謝の思いを口にした。

選手宣誓の一言一言が、被災者の心を揺らした。
                    
 
     市内のみやぎ生協アイトピア店跡地で行われたPVには、約90の市民が集まった。
津波で全壊した水産加工会社「木の屋石巻水産」に勤務する中村暢宏さん(42)が、
 
声を詰まらせながら言った。
 
「前向きに進もうとする人、まだそう出来ない人と、
 
全ての被災者の気持ちを配慮した宣誓で した。
 
被災者の今の気持ちを日本全国へ発信してくれて、大変感銘を受けました。
 
高校生とは思えない立派な宣誓で、すべての人に希望を与えたと思います」。

自宅を津波で流され、義理の母親と祖母を失った佐藤一昭さん(49)は、
 
勤務先で選手宣誓を見た。
 
「『悲しみ に暮れている方々がたくさんいます』という言葉を聞いた時、
 
自分たちのことを言ってもらったようで、うれしくて、 涙が出てきた。
 
後は阿部君が宣誓しているイメージだけで、ジワ〜ッと感動しました」。

市内の仮設住宅でも、多くの被災者が大型テレビで選手宣誓に注目。
 
涙を流す高齢者の姿が目立った。

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   【選手宣誓全文】
    
      宣誓。
    東日本大震災から1年、日本は復興の真っ最中です。
    被災された方々の中には、苦しくて、心の整理がつかず、
    今も当時の事や亡くなられた方を忘れられず、
    悲しみに暮れている方がたくさんいます。

    人は誰でも答えのない悲しみを受け入れることは苦しくてつらいことです。
    しかし、日本がひとつになり、その苦難を乗り越えることができれば、
    その先に必ず大きな幸せが待っていると信じています。

    だからこそ、
    見せましょう、日本の底力、絆を。
    われわれ、高校球児ができること、それは全力で戦い抜き、
    最後まで諦めないことです。
    今、野球ができることに感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーすることを
    誓います。

                                選手代表
                              宮城県石巻工野球部主将
                                           阿部翔人

   阿部主将のご両親の喜びの涙 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120322-00000090-mailo-l04
 


 
みなさんはすでにご存知かと思いますが、
新聞で 石巻工の主将の選手宣誓を読んで、とっても感動しました。
 
石巻工は残念ながら、初戦で破れてしまいましたが、
彼らの健闘はすべての人の心を打つものだったと思います。
 
若者たちや子どもたちには 辛い思いはさせたくないと思うのは誰でも同じ。
でも、その経験ゆえに、こんなにも他の人への思いやりの気持ちを持てるのかと思うと
本当に涙。涙。。です。。
 
何不自由なく育った世代の今の大人たち(もちろんウチもですが)も 自分のことだけではなく、
思いやりや行動という点で彼らに見習わなければ…って励まされました。
 
     

転載元転載元: イーハトーブの空の下で

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