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日本とタイの歴史

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<アジアのお母さん>

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/ba/22/sawasdeeka1012/folder/1513419/img_1513419_24984067_0?20061211021238

<アジアのお母さん>
今日、12月8日は何の日でしょう?
日本とアメリカの太平洋戦争開戦の日ですね。
だいぶ古いですが、12月8日にはこんな言葉が残っています。

 日本のおかげで、アジア諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、アジアの諸国民が、アメリカ・イギリスと対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったがためである。
 12月8日は、われわれにこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して、重大な決心をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない。」 

これはククリット・プラモード タイ王国元首相の発言です。)
タイの人々は、目上の人を非常に大切にします。特に父母に対しては、敬意と感謝の念を忘れる事は有りません。国王は国民の父であり、王妃は国民の母と称される程です。そのような国の首相が、「日本という母がいたことを忘すれてはいけない」とアジア諸国の人々へ発信していたのです。

この戦争につては、終戦から60年も経ちますが、色々な考え方があります。太平洋戦争、第二次世界大戦、大東亜戦争、呼び方も考え方も色々ある、この戦争でしたが、上のような考え方もあることを知っていただきたいと思い記事にしました。
皆さんはどんなこと感じましたか?

転載元転載元: Kangちゃんの留学日記

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ちょっと前に「タイ・プミポン国王」即位60年記念式典と
天皇陛下について記事を書きましたが、

プミポン国王陛下が『入院』されたそうで、大事でなければよいですが。

何で「タイ」なのかと思われるでしょうが、

こちらのブログ⇒とらひとさんの「タイ☆キング of フリーダム in クルンテープ(バンコク)http://blogs.yahoo.co.jp/torahito68
をよく見ていたりするので、自然と興味がでてくるのです。

それを差し引いても最近テレビのバラエティー旅番組などで
タイが取り上げられる機会が多いのは
ちょっと前の格闘ブームとか最近のタイ映画のおかげなのか
単純に旅行先として人気があるのでしょうか?

ところで一般的なタイのイメージといえばどんなものでしょう?

「微笑みの国」「仏教国」「寛容の国」
こんな感じでしょうか。

少し前に、タイは『微笑みの国』ではない!という本がちょっとだけ話題になりましたが
私は住んだことも、行ったことも、タイの方に知り合いもいないしで
実際はわかりません。
否定的な本がでるのは日本人に身近な国になりつつある証拠ですね。

で、これから旅行でいかれる方も、そうでない方も
靖国問題などでアジア諸国とひとまとめに考える方も
そうでない方も

知っておいたらいい、と思う話を。

約60年前のことです。
太平洋戦争・大東亜戦争終結時のことになります。

その前にちょっと時間を戻してみましょう。

戦争の際いわゆる南方戦線で日本は
昭和19年初頭(終戦の約1年半前)
タイどころかビルマ(現在のミャンマー)まで進出していました。

連合軍、特にアメリカ軍は、南洋諸島沿いに展開。
大陸側には特に反攻しませんでしたからこの時期でも
日本軍はかなりのところまで進出してたわけです。
位置関係で言うとビルマの隣がインド。

このビルマ近辺に展開していた部隊が
昭和19年ほぼ独自に作戦を立案実行に移るわけです。
インドへの侵攻作戦「インパール作戦」です。

作戦の実行にあたり、当然この時期の日本軍にそのような余力もなく
物資の補給もなく人員は他所への転出はあっても
補充もない状態で、またその条件での実施になりました。

インドのイギリス軍はこれを見越して
日本軍にぎりぎりまで進出させ
疲弊しきったところを集中的に攻撃し
その結果、日本軍は大敗を喫してしまいます。

崩壊し撤退する日本軍を追撃した英軍は
ビルマ各地に入り込み日本軍を叩けるだけ叩き
終戦を迎えることになります。

このときビルマへ侵攻した英軍が目にしたのは
侵攻する道に
補給もなく疲弊し餓死した日本兵の遺体で
白骨街道ともいわれました。

結果終戦までに約30数万いた日本軍は
約19万の戦死者を出すことになります。

戦争の終結、軍の降伏、武装解除でこの付近の日本兵は
タイにも多数が集められます。

旧日本兵が復員(本土へ帰還)できたのは
昭和21年春からです。

この日本へ帰還する旧日本兵へ
タイ国より驚くべきものがもたらされます。

それは『飯盒にいっぱい詰められた、お米と砂糖』

タイ国政府は復員する旧日本兵全員にこれを支給したのです。
その数約13万人。

終戦直後のタイでお米はもちろん貴重品であり
当時の砂糖もかなりの貴重品。

それを敗戦国のいうなれば敗残兵に
帰国の餞別として渡したわけです。

もしタイが建前だけの「微笑みの国」「寛容の国」だとしても
こういうことは、それだけでできるものではありません。

残念なのはこの事実はほとんど伝えられていないこと。

日本人は戦争の記憶を消したがりますが
このようなことは、真っ先に教科書にでも載せ
日本人としてタイ国民へ感謝の気持ちを
今後何十年何百年と
持ちつづけていくべきではないかと。
それも戦後処理の一つの方法でもあるように思いますが。。。

転載元転載元: りんの独り言 bl Ver.

イメージ 1

実は私は、タイに住んで6年目なのですが、今回のお題の
「プラーニン」
知りませんでした。

りんさん(りんの独り言 bl Ver.)のコメントで、初めて知りました。
どうも社員食堂などで、何の魚かも知らずに食べてはいたようですが・・。

結論から言いますと、プラーニンは、こちらタイでは広く知られているポピュラーな魚です。

このプラーニンについて簡単に説明いたしますと、40年前に今上天皇(当時皇太子)がタイを
ご訪問された際に、タイ国王から「国民の栄養不足解消に何かいい手立てはないか」といった
相談を受け、翌年、プミポン国王に50匹寄贈され、それをタイで養殖するようになったのが
始まりだそうです。

この記事を書くに当って、タイ人にちょっとしたアンケートを実施しました。。。10人ですが。

結果です。
Q 1 プラーニンを知っていますか。
はい 10人    いいえ 0人

Q2 プラーニンは美味しいですか。
美味しい 3人  まあまあ 6人  美味しくない 1人

Q3 プラーニンは、天皇陛下(当時皇太子)が寄贈した事を知っていますか。
はい 7人    いいえ 3人

プラーニンのタイでの位置づけは、昔の日本に例えるなら、いわしみたいなもんでしょうか。
味は、そこそこだけど安くて栄養があるよ。てな感じで。
育てやすい、繁殖しやすいと言った意見がありました。

食べ方としては、写真のようにカリカリに揚げてしまうパターンが多いようです。
味が比較的淡白なので、ナムチムカイ(写真左上)という甘辛いソースをつけて食べたりします。

その他の食べ方としては、スープ(トムヤム系)に入れたりするというのもあるそうです。

今回のタイ国王在位60周年記念で各国から集まった国王・皇族の中でも、天皇・皇后両陛下の
印象が一番良かったといった記事が、こちらのメジャー新聞「タイラット」に載っておりました。

イメージ 2

でも、タイの女性の間で話題になったのは、ブータンの皇太子です。
うーん、少なくとも私よりは、ハンサムですが。。。
なんか、会社のパソコンの壁紙にしてる女性もいるようですね。

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