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「甲立古墳(仮称)」は、平成20年1月、今まで柳ヶ城跡の郭(くるわ)と言われていたものが前方後円墳と指摘され、現地調査の結果、間違いないことが確認されたばかりの古墳。 11月28日の現地説明会には、市内外から270人の考古学ファンが訪れるほど、注目度は高い! 前方後円墳には、大和政権の権威誇示の狙いがあり、地方での築造は中央との結びつき強さを示すとされています。 県西部では3世紀半〜4世半ばにかけ、太田川流域には全長30〜40mの前方後円墳が現れるが、三ツ城古墳までの1世紀近くは姿を消していた。 この空白期に地域の豪族を束ね、県西部を広範囲に支配したのが三ツ城古墳の埋葬者と考えられてきたが、甲立古墳が確認されたことで、それ以前に君臨した勢力の存在がにわかに浮かび上がってきた! <広島県内の三大古墳(規模順)>
(1)三ツ城古墳(5世紀後半):全長=92m【東広島市】 (2)辰の口古墳(4世紀半ば):全長=77m【神石高原町】 (3)(仮称)甲立古墳(4世紀後半):全長=75m【安芸高田市】 隣接する三次盆地には5世紀前半の帆立貝式古墳から甲冑などの武具が出土しており、高い軍事力を持つ集団が、それ以前から存在していた可能性があるが、今後の調査で、鉄製武器や兵士の墓が多数見つかれば、裏付けになると考えられている。 また、古瀬教授は、「三次をふくむ県西部を統一した最初の王の墓で、女性の王だった可能性もある」と指摘する。 なお、甲立古墳は、来年6月から試掘調査が行われる予定。 |
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2009年12月08日
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