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平成21年4月10日(金)、マツダスタジアム(新広島球場)で、初のプロ野球公式戦(中日)が開幕! 幸運にも4月12日(日)の開幕カードのチケットをゲットし、旧球場に初めて私をカープの試合を見に連れて行ってくれた父と二人で観戦してきました! こちらは、球場内の様子です。 床張りの床やビール樽がオシャレ 2倍の大きさになって見やすくなりました。 開幕戦では約300mの行列ができたほど大盛況で、試合終了1時間後まで延長された。売上も大幅アップ。 多少混雑するも、試合開始と終了の前後1時間の車両規制が安全でスムーズな道でした。 まだ、十分には把握していませんが、何度訪れても、新しい発見がありそうな、楽しいボールパークだと思いました。
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広島カープ
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懐かしのカープ選手による夢の競演「カープOBオールスターゲーム(今季で51年の歴史に幕を下ろす同球場の惜別イベントとして、広島東洋カープのOB会が企画)」が6日、広島市民球場で行われました。【敬称は略させていただいています】 往年の名選手、山本浩二や衣笠祥雄ら59人が出場。 1975年の初優勝したときのユニフォーム姿での登場にファンも大興奮! 優勝経験のある古葉竹識(72)と阿南準郎(71)は、今回も監督に。 夢のようなオーダーが再現されました。 カープファンは、今年最後となるカープうどんを食べながら、声援をおくります。 この日は、最高気温6℃と今年一番の寒さでした。 小雪の舞う生憎の天気でしたが、この日は2万8千人がスタンドを埋め、冷え切った場内を熱気で包むと同時に、 後半からは太陽も顔を出し、往年の選手の珍プレー、好プレーを楽しく楽しむことができました。 この日、130km台の投球をみせた大野さん。 天気はよく、まだ明るいのに照明が灯されて、試合は最高潮に!試合は7回で終りでした。 試合終了後は、選手全員で球場内を一周し、球場に別れ惜しみながら、ファンのいる観客席にボールを投げ入れてくれました! 大勢の報道陣の前で 記念撮影。 この日のMVPは、3打数2安打の高橋慶彦さんでしたが、遠くから見ても分かるほど、彼の特徴も雰囲気も、今も変わっていなかったのが、懐かしくて嬉しかったですね。 これは、入場者一人ひとりに配られた広島市民球場のグランド土の入った小瓶です。
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平成20年11月23日、大勢の人が市民球場の周りに並んでおられました。 この日は、3万人の収容人員に対して、2万6千人のカープファンが集結! 今回のファン感謝祭の特徴は、初めて外野グランドが公開され、自由に出入りできたことで、大勢のファンはその体験に感動していました! 外野グランドの天然芝の感触が気持ち良かったです! しかも、入場時に配られたプログラムはお楽しみ抽選券となっていて、 当選した人には、指定のゾーンで選手と触れ合える特権や選手からのプレゼントが与えられ、 ノックを受けたり、 バッティングができたり、 スピードガンやストライクアウトというコーナーでピッチングもできましたが、 ステージでは、選手トークショー&ゲームチャレンジが行われていました。 この広島市民球場も来年3月末には、無くなりますが、今も多くの方が存続を望んでいるようです。 市民球場は来年でなくなる可能性が高いと思いますが、世界遺産「原爆ドーム」は永遠に不滅だと思います。
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広島新球場は今? JR広島駅東側で建設中の新球場着工(昨年11月下旬)からおよそ半年後の5月31日、工事の進捗状況を確認に行ってきました。 工事は順調で、内野1階スタンドの外観がほぼ姿を現し、現在の進捗率は全体のおよそ30%で、来年3月には予定通り完成する予定です。 工事予定では、1,2階のコンクリートを打設中で、球場が1周できるコンコース部の工事に入っていました。 コンコースはこちら。3階付近の床が繋がっていて、球場内を1周できます。 工事関係者の現場事務所 見学スペース。この日は、土曜日でしたが、見学者はほとんど見かけません。(祝日、日曜は見学できません) 球場周辺には、下水道施設も工事されていますが、マンホールも同じです。 新球場建設までに、この新球場の周辺に’カープ坊や’がデザインされたマンホールが262個設置され、カープファンの目を楽しませてくれそうです。 |
元来、江戸時代に武家で始まった、端午の節句である旧暦の5月5日までの梅雨の時期の雨の日に、男児の出世を願って家庭の庭先で飾られた紙・布・不織布などに鯉の絵柄を描き、風をはらませてなびかせる吹流しを鯉の形に模して作ったのぼり。 竿の先に回転球や籠玉、その下に矢車を付け、五色もしくは鯉などを描いた吹流しを一番上に、以下真鯉、緋鯉、等を大きさの順に並べて揚げるのが一般的。 <発生過程> 江戸時代の鯉のぼり、『日本の礼儀と習慣のスケッチ』より、1867年出版「江戸っ子は皐月の鯉の吹流し」と言われる様に、鯉幟は「幟」とは名づけられているものの形状は魚を模した吹流し形である。 そもそも、鯉幟は門松や雛人形と同じく、江戸時代中期の裕福な庶民の家庭で始まった習慣であった。 端午の節句には厄払いに菖蒲を用いることから、別名「菖蒲の節句」と呼ばれ、武家では菖蒲と「尚武」と結びつけて男児の立身出世・武運長久を祈る年中行事となった。 この日武士の家庭では、虫干しをかねて先祖伝来の鎧や兜を奥座敷に、玄関には旗指物(幟)を飾り、家長が子供達に訓示を垂れた。 一方、大きな経済力を身につけながらも社会的には低く見られていた商人の家庭では、武士に対抗して豪華な武具の模造品を作らせ、幟の代わりに黄表紙の挿絵などを見ると五色の吹流しを美々しく飾るようになっている。 さらに、吹流しを飾るだけでは芸がないと考えたのか一部の家庭で「竜門」の故事に因んで、吹流しに鯉の絵を描くようになった。 現在の魚型の鯉幟は、さらにそこから派生したものである。 中国の正史、二十四史の一つである後漢書による故事で、黄河の急流にある竜門と呼ばれる滝を多くの魚が登ろうと試みたが鯉のみが登り切り、竜に成ることができたことに因んで鯉の滝登りが立身出世の象徴となった。 【記事の内容は、Wikipediaより抜粋】
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